【短い物語】 1日世界
「おはよう」
そう言うと、我が家の執事ロボットはこう応える。
「おはようございます。今日はどんな1日にしましょうか」
毎回同じことを問うてくる。さすがはロボットだ。やはり人間にしか分からないのだろうか。今日という1日は、昨日の延長線上だということを。
今日なんてものは、だいたい朝起きた時点で決まっているものなのだ。
「いつものようにしてくれ」
そう指示する。
「わかりました。「いつものように」という1日でございますね」
ロボットは応える。
ロボットには、昨日の延長線上かどうかなんて関係ない。昨日と同じかどうかは気にしていない。いやそもそも気にするなんて機能はないのだろう。ただ、「いつものように」というプログラムを淡々と実行するにすぎないのだ。
そして、そのプログラムに従って、今日という1日が始まり、終わって、また朝が来る。それだけだ。
「おはよう」
この言葉を合図に、今日という1日が始まる。
ところで、今日という世界は、朝起きてから、夜寝るまでであり、その世界を1日と呼称する。簡単な定義だ。
一方、朝起きる前のこと、つまり昨日以前のことは、今日という1日には入らず、過去として処理されている。
よくよく考えれば、朝起きてからの世界は、目の前に広がっているために簡単に認識できるが、過去の世界は、認識上、今日とはつながっておらず、過去という情報としてしか記録されていない。
逆に言えば、情報として記録されているので、ロボットにも「参照」できるというわけだ。
ではなぜ過去という情報が今日と切り離されているかといえば、その間、寝ているからだ。
寝ている間に認識は途切れており、寝る前のことは過去という情報となる。
つまり、寝ることで、今日という1日が明確に区切られている。そしてその区切りにおける開始の合図が、「おはよう」という言葉なわけだ。
さて、ここでひとつ奇妙な点がある。
寝ている間は、目の前に広がる今日という世界でも、過去という情報でもないという点だ。
寝ている間はどんな世界なのか。いや、そこには認識上世界は広がっておらず、何らかの処理が行われていると理解したほうが自然だろう。
寝る前の過去から、何らかの処理を経て、今日という1日へと接続しているのだ、と。
ただ、となると、ある疑問が生まれる。
それは、「昨日という1日」はあるのか、というものだ。
昨日という1日があるとしても、それを認識上区切れるものはない。なぜなら今日という1日が始まる前に寝てしまっているからだ。
昨日以前は今日とは切り離され、昨日以前を一括りとして過去という情報に格納される。その情報のなかで、1日という概念は存在しない。
では、ここで問いたい。
君には「昨日という1日」はあったのだろうか。もっと言えば、過去という「世界」はあったのだろうか。
ただ過去という「情報」をインストールされ、今日という1日を始めているだけではないのだろうか、と。
「おはよう」
この言葉を君は今日までに何回言っただろうか。今日初めて言ったのかもしれないとしたらどう感じるだろうか。
「おはようございます。今日はどんな1日にしましょうか」
この言葉を君は何回聞いただろうか。今日初めて聞いたかもしれないとしたらどう感じるだろうか。
今日、何回目の「今日」を始めているか認識できるだろうか。否、今日という1日しか認識できないはずだ。
つまり、「今日という1日がある」、ただそれだけなのだ。とにかく、「今日」は始まる。
「おはようございます。今日はどんな1日にしましょうか」
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