【短い物語】 脱出させてくれない迷路

「では、どうぞ」
 この無機質な案内音声を聞くのも何度目だろうか。
 2つの扉があり、その扉から始まる無限の迷路が、俺をこの空間から脱することを許さない。

 さっきは左の扉を、そのまえは右の扉を開けて進んでみた。
 そのまえは、右のあとまた右を選び、そのまえは、右のあと左を選んだ。
 しかし、その先にまた2つの扉が出てきて、選択を迫られる。
 本当に出口はあるのだろうか。
 あるひとつの疑念が生まれる。

「この扉の先にある道が、都度変化しているのではないか」
 そう考えてしまうと、これまでの試行結果はまったく役に立たなくなる。
 この迷路は一生おれを出す気がないのではないか。

 そうなれば、先ほどまでの選択で出口にたどり着かなかったとしても、今度は同じように進めば正解になるのかもしれない。そうなった瞬間に、正解にたどり着く確率がゼロに近くなる。

 いや不可能だ。

 経験が役にたたない。常に勘に頼らなければならなくなる。
 その勘も、何度も正解を続けなければならない。

 そんなの無理に決まっている。
 もう限界だ。

「戻してくれ」

 おれはまたそう告げた。
 何度も繰り返した。同じように、また一瞬ブラックアウトして視界と思考が断絶したかと思うと、次の瞬間、また最初の2つの扉の前に戻っている。

 そしてまた音声が流れる。
「では、どうぞ」

 もう限界を迎えたおれには扉を開ける精神力は残っていなかった。

「もう出してくれ、限界だ」

 しかし、音声はほんの動揺さえも見せずに、同じ音、同じ大きさ、同じトーンで、
「では、どうぞ」
 とだけ発した。

「本当に限界なんだ。なんで出してくれないんだ」
 おれがそう懇願しても、
「では、どうぞ」
 と案内音声は繰り返した。

「もうだめだ…」

 おれは疲れ果て、独り言のように

「質問も受け付けてくれないのか」
 とつぶやくと、

 何事にも動じないと思われた案内音声が、
「質問ですか?どうぞ」
 と応じた。初めての反応だ。

 おれはこの迷路の真っ暗闇の中に見つけた唯一の光を見つけたと思い、その機会を逃さぬよう、その案内音声の言葉に、間髪いれずに言葉を返した。

「ああ、そうだ。質問だ。質問がある。なぜここから出してくれないんだ?」

 おれは扉を目の前に、どこにあるかわからない見えない案内音声の出所に対して、すがるように声を発した。

 すると、案内音声は、
「なぜ、と言われましても、「あなたが出ない限り」出ることはできません」
 と応えた。

 おれはその言葉に愕然としてしまったが、それでもまだこの唯一の光を逃すわけにはいかない。なぜなら、また2つの扉から始まる迷路の地獄に戻るわけにはいかないからだ。

「いや、どうしてもこの迷路を解くことができないのだ。迷路を解く以外にここから出る方法はないのか?」

 おれが懇願するかのような声で投げ掛けると、案内音声はまた突き放すような言葉を返した。

「これは迷路ではないですよ。「出ようと思えば」出られるはずです。どうぞ、お進みください」

 せっかく掴みかけた唯一の光が、目の前で消えそうになっているかのように感じた。女々しくも目の中に溜まりに溜まった雫が、せきをきって漏れだした。そして、声にならない声で、床にたおれこみながら、おれは人生最後の言葉のように、かすれた声で泣き声とともに吐き出した。

「頼む。何度も何度も何度も何度も、いくらやっても出られないんだ。頼むから出してくれ」

 すると、案内音声は、これまでの音、大きさ、トーンとはうってかわり、人間の声のような音声で、

「お客様…これを言ってしまうと…この「脱出人生ゲーム」の価値がなくなってしまうのですが…
 本ゲームは100回扉を開ければ脱出できるようになっていますので、何卒途中で投げ出して振り出しに戻らぬようお願いいたします」

 と流れるように、少し哀れんだような声で、やや早口で説明したかと思うと、また最初の案内音声の、音、大きさ、トーンに戻り、

「では、どうぞ」

 と案内した。

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