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作る過程を見せる、ということ

最近随分春めいてきましたが、朝晩冷え込む時は、お燗を漬けたお酒が飲みたいかな、というような気持ちになりますね。

昨年、海老名の泉橋酒造さんを訪ねる機会がありました。行きつけの和酒を扱うお店が引率するミニツアーでした。自社の田んぼで作ったお米で(委託して栽培してもらっている分もあります)お酒を造っているのです。

お米を精米するときは、4段階に分けて精米し、一番外側の糠からは油を搾り、次の糠は家畜の飼料にし、その次の糠は田んぼに蒔いて雑草を生えにくくし、最後の糠はほぼ白米の粉なので、海老名の学校給食で使う米粉パンにするのだそうです。なんて無駄のない酒造り!

しかもお酒を絞ったあとのもろみから、焼酎迄作っているのです。まさにサテスナブルではありませんか。

日本人は、限られた国土の中で、物を大切にする暮らしをしてきたのです。普段食べるお米だって、精米したあとのぬかを使って、ぬか漬けにしたり、藁を使って畳床や、畳表を作ったり、家畜の飼料にしたりして、無駄なく使いきってきたのです。

戦後、アメリカの消費文化が入ってきて、必要以上に買って、使わない物、食べきれない物を捨ててしまうようになってしまったのですね。これはアメリカが、日本に色々なものを買わせようとうした戦略です。現在欧米で捕鯨への批判をしていますが、日本は肉も皮も無駄なく使ったのです。脂だけ絞って捨てていた国が、何を言うのか、という感じです。哺乳類を殺すのはよくない、というのなら、牛や豚も食べてはいけなくなってしまいます。

輸入に頼った経済は、輸入が上手くいかなくなると回らなくなってしまうのに。日本の食料自給率の低下は恐ろしいほどです。輸入が止まったら、食べる物にも事欠く日々がくるのです。日本の米作り農家や酪農家などに、この仕事で食べていけるから、安心して仕事を続けられるという気持ちを持ってもらわないと、どんどん廃業してしまう方々が増えるばかりです。

作る過程を知っているものは、それがどんなに手間暇をかけて作ったものかわかるので、とても粗末には扱えません。スーパーに並んだ惣菜や、冷凍食品にありがたみを感じる人は、あまりいないのではないでしょうか。料理の担い手が病気になって、便利だと思う人はいても、ありがたみまでは感じなさそうです。

お母さんが編んでくれたセーターやマフラーが、少々ゆがんでいても大事なものになるのは、作ってくれた過程を知り、込められた想いをしっているからです。先ほどの泉橋酒造さんも、米から作っている酒造りをみせることで、その手間暇と、作り手の想いをしってもらい、自社製品を大切に思って貰うことができるように思います。

飲食店についてなら、あまり他国にない、目の前での調理をみせる、というお店が日本にはあります。お寿司屋さん、天ぷら屋さんなど、作る過程を見ることで、待ち時間も飽きないし、自分ではまねできない職人技に感心したりします。洋風の料理を出す店でも、オープンキッチンだと作る過程が見えますね。綺麗に丸まってゆくオムレツに感心したり、綺麗に薄く延ばされるピザに感嘆したりします。

こうして提供された料理は、特別感がありますから、残したりせず美味しくいただけるのではないでしょうか。食材を大事に扱って、プロとしての技を見せることで、お客様も喜ぶし、無駄に残る料理も減るのです。

お客様は、自分の料理がどの位で来ているかを見ることができるので、「自分の注文がどうなっているのか」という不安を抱かなくてすみます。ワンオペで営業しているお店には、こういう形態がお勧めです。お客様に心地よく過ごして頂く為に、コミュニケーションは勿論必要ですが。

カウンターキッチン方式で、料理を提供している飲食店は、少人数で切り盛りしているお店が多いです。目の前でのパフォーマンスと、程よいコミュニケーションが、提供される料理に特別感を生み、一品の価値をあげます。

以前は大きい店で、かなりの役付きだった方が、カウンターだけのお店をだしたりするのは、そういう理由もあるのだろうと思っています。





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