eighterではない私から見たSUPER EIGHTとeighterと「これから」
2025/01/13
公演後の止まらない高揚感を思い出すだけで手が震える。
元々文章を書いたり一丁前に分析することは好きだったけれど、何か書き残すつもりでライブに行ったわけではない。なのにこの気持ちを文章にしたくて、忘れたくなくてたまらなくなった。
スクショ3枚分に収まるよう書き殴った感想は、自己満足と少しだけでも楽しかった気持ちが伝わればいいなと言った程度だった。
それなのに当日の夜の時点で1000いいねもいただけて。
せっかくなら思っていることの「全て」を書きたいとnoteを開設し、興奮そのまま寝ずに感想を書き上げた。4700字。今まで書いたどんなレポートよりも長文で、普段もこんな感じで書けたらいいのに…と悲しくなりました。
フォロワー2桁の小さなアカウントにも関わらず、いろんな人が見てくださったことも嬉しかったです。ありがとうございました。
書きたいことは前のnoteに詰め込んだつもりでしたが、ファンの方からの温かいメッセージをいただきもっと書きたくなってしまったので、私のSUPER EIGHTに対する「これから」を書いておきたい。かなりポエティックかも。ご注意。
いただいたリプライ
どこの馬の骨かもわからん私の感想にもたくさんのeighterさんがリプライや引用を付けてくれました。驚いたことに否定的なものはまだ一つも届いていない(鍵引リツはわからないけどね)
こちらといたしましては、村上くんの感動的なピアノソロに水を指したとボコボコに叩かれるかもと怯えていたので、好意的な反応に安心した次第です。もっと言っちゃってくださいよ!と言わんばかりのものもあり、懐の深さに感動しております。調子乗っちゃお〜。
ちなみにアンジェラ信五さん(アンジェラ信五さん?)は、客席からピアノが大きいことを指摘されると八重歯を伸ばして「誰やーーー!!」と叫ぶらしい。
それはさておき、いただいたリプの中でいくつかこういった言葉をもらいました。
「今日からeighter仲間ですね!」
「同じeighterとして嬉しく思います!」
もちろんありがたい。
ただ、私がeighterを名乗るのはどうだろうか?
SUPER EIGHTのライブは私にとってかなり革命的で輝きのある出来事だったが、正直これから彼らが出るテレビを全て見たり、ファンクラブに入ってグッズを買い漁るかと聞かれれば違うだろう。
そう、私はeighterではないのだ。
ここでは「もちろん名乗ってください!♡愛さえあれば誰でもeighter!」みたいな優しさ溢れる返答を期待しているわけでもない。
私がこう思うのは昨日のライブでSUPER EIGHTとeighterの関係を目の当たりにしたからである。
アイドルとファンは「王子様」と「お姫様」の関係だと思っていた
キラキラステージで輝く「王子様」が何万人もの「お姫様」に夢を与える。美しくて愛に満ちた空間。「王子様」の甘いささやきに歓声が上がって…
でもこれって1の世界の話じゃないですか。(名探偵津田ご存知なければすみません)(1→虚構、2→現実で理解してもらえたら)
レポートの字数があとちょっと足りないのも、セットしたはずの目覚まし時計が鳴らないのも、卵を割ったら殻が入っちゃうのも全部2の世界の話。(偶然で驚いてるんですが、全部「かける」ものですね、ねずっちです)
こういう2の世界の辛さを忘れるために「お姫様」が1の世界の「王子様」に会いに行く。
これが今まで私が想像していたアイドルとファンの関係でした。
けれど、SUPER EIGHTのライブに行ってこのイメージがガラッと変わった。変わったというより、SUPER EIGHTはこのタイプのアイドルじゃないのではと感じた。
ライブ感想の方に書いた「戦友」という言葉。
ここから先の全ては、何も知らない私の想像と希望によるSUPER EIGHTとeighterの関係性のお話。
きっと勇者と仲間たち
例えるならSUPER EIGHTとeighterは勇者とパーティーの仲間たちに近いように感じました。20年なんて途方もない時間ですよ。旅の中で事情が変わって離れていく勇者や仲間がいたり、反対に新しく加わった仲間もいる。お子さんが産まれて、そのお子さんと一緒にライブに行っていることを教えてくれた方もいました。まさにですね。
一つ前のnoteに書いたように、アイドル側が不安や迷いを告白して、時には共に泣いたり喜んだり。
はたから聞いていて「愛してる」が安っぽくないんですよね。その場限りの歓声を求めるような小手先の台詞じゃないというか。台本じゃない、心の底から生まれた言葉。
SUPER EIGHTは勇者であり2の世界のアイドルなんだなと思います。実際、アイドルはどこまで行っても1の世界の住人だけれど。
安田さんの挨拶にあった「偶像」と「実像」の話にもつながるような気がしていて。自分たちが「偶像」であることは誰よりも本人たちがわかっていて、だけど、それでも、「実像」であろうとしてくれる存在。ライブの中でその二つの像が重なる瞬間をみた気がします。
互いに支え合う戦友。勇者と仲間たち。
初見の私にはこんなイメージが浮かびました。
勇者でも仲間でもないけれど
先ほども申し上げたとおり、私はeighterではありません。パーティーの仲間たちのことをeighterと呼ぶのなら尚更違う。ただこれは私がSUPER EIGHTに対してなんの感情も抱いてないという意味ではない。
私は村人Aかもな、と思いました。
勇者とその仲間たちに村を救ってもらった有象無象のうちの一人。ゲームなら、話しかけても同じ言葉を繰り返すだけのあの人。パーティーに加わることはなかったけれど、いつかまた彼らに会いたいとも思っていて。普段生活する中では色々忘れてしまっているけれど、ふとした瞬間にあの日のことを思い出して、もらったパワーを糧に生きる。
これが私の「これから」なのかなと思います。
生きていると世界には勇者と自分と敵しかいないかのような気持ちに陥ることってありませんか?私はある。推しを応援してる時に限らず、2の世界の日々の中で。
そんなときあなたの勇者が救った村にいる私みたいな存在を思い出してほしいなと思い、noteにしました。敵でも仲間でもないけれどきっと味方の村人A。
私にも村での生活があるのでその旅に同行することはできないけれど、勇者とその仲間たちのことはこれからも大切に想っています。
いつか気が変わって旅について行くことがあれば、その時は優しく仲間に迎え入れて欲しいです。
もしよければいつか私の村にも是非。楽しいライブがたくさんありますので!
例え話を多用したせいでわかりにくい文章になってしまいましたが、お付き合いいただきありがとうございました。
願わくばその旅が少しでも長く続きますように。
二十祭完走お疲れさまでした。
追記
このnoteを読んだeighterの方に「生きてる僕ら」という曲を教えてもらいました。
ぴたりとこのときの感情に当てはまっていて、忘れたくないなと感じたので追記させてもらいます。
「僕らは何処かで光るから」ではなく「僕らは君の何処かで光るから」と歌う意味を噛み締めて。