うちのねこの話をしたい
ふと、うちのねこの話をしたくなった。
6歳だった私は、マンションに住みついている白黒ぶちののらねこを見つけた。じゃがいもみたいなしっぽがちょこんとついてた少し痩せたねこ。
生き物が大好きだった私は母と一緒に何度かしらすなどを与え、段ボールで家もどきを作るなどして、ねことの交流を楽しんでいた。
なんせ人からのお布施で生計(?)を立てていたので、とんでもなく愛想がいいねこであった。小さかった私は、「私に懐いているっ、、!!!!」と興奮していたものだが、今思うと、そこに住んでいた人たち全員にやっていたのだと思う。
ある夜、私は何を思ったかクッキーをあげながらねこを家に近づけ、ついには家のドアの前までおびき寄せることに成功した。そして私はドアを開けて「ねーーーー勝手ににゃんにゃんがここまできたぁーーーー」とねこを持ち上げてアピールした。
母は生き物に甘い性格だったので「あらまあ」と言う具合だったのだが、普段は温厚な父が「そんな汚ねえやつ中に入れんなよ、、ってか勝手に中に入ってくるわけねえだろ、、」とぶつぶつ言って、追い出そうとしていた。なお、父は私に甘かったため、結局ねこ家族化計画はその夜には成功していた。
ねこの命名権を得た私は迷わず彼女をハッピーと名付けた。
今まで苦労したからこれからは幸せになってな、という我ながらに涙ぐめる由来である。中学生ぐらいの時は単純すぎてダサい名前をつけてしまったと思っていたものだが、今となっては可愛げがあるのでなんだかんだ気に入っている。
ここからハッピーを加えた3人+1匹生活となった。
そこから小中高と私の成長を見守ってくれたと思うと感慨深い。
一人っ子だった私は、どうしても親vs私になることが多く、そういう時になんだなんだと様子を見にきてくれるハッピーは私にとって癒しであった。
少し毛をむしったりしてみて怒らせるのも面白いし、膝の上に乗っけてゴロゴロいうのをみてみるとこっちまで幸せになるものだった。
拾った当時は暫定2歳だったので今はもう17歳にもなる。
あんなことを言っていた父も今はメロメロで、高いホタテや鶏肉をハッピーのためにせっせと買ってくるようになった。母も溺愛しており、ハッピーをドライヤーにかけたり、世話を焼いている。
あの頃の痩せたねことはもう誰も思うまい。
私の名付けた名前の通り、ハッピーになった。
長生きしてほしいなあ。
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