スウェーデン人彼氏と別れた話
あまりこういう場で特定できる個人について話さないほうがいいと思うのだが、これが文化的な違いなのか知りたかったので今回だけは公開させていただく。
いまだにむかついてくるのだが、元彼氏(以下F)と別れた。いろいろ理由はあったのだが、特に私がカチンときたエピソードがあるのでちょっと長くなるが聞いてほしい。
夏にFとマッチングアプリで出会い、付き合った。最初は上々だったのだが、次第にお互いの性格の違いを感じてたまに喧嘩するようになった。しかし、交換留学生だったFは10月にスウェーデンに帰国したため、私たちは遠距離恋愛をスタートすることになった。私はFのことが大好きだったため、この時期が一番きつかった。よく寂しくて泣いていたと思う。
しかし、Fがクリスマスにスウェーデンの実家にこないか?と誘ってくれたため、年末年始の休みを使って私たちは12月に再会することとなる。そして迎えたクリスマス。
初スウェーデン、初の長い海外渡航ということで私はワクワクしていた。本当に最初らへんは楽しかったのだ。しかし、1週間たった時に事件が起こった。
Fの彼氏の家族にはたくさんお世話になった。おうちにも泊まらせていただき、別荘にも連れて行ってもらった。おいしいごはんやお菓子もたくさんいただいて、わたしはお礼がしたいと思い、日本料理を作ることにした。
彼氏に「なにを作ればいいかな?」と私が作れる料理のリストを見せて、「餃子と豚の角煮とみそ汁」といわれたので、それを作ることにした。
豚の角煮とみそ汁は煮るだけでいいので楽なのだが、餃子がおもったよりも大変だった。餃子の皮がないので皮から作らなければいけなかったため、Fにも手伝ってもらい、相当な時間をかけて完成した。おそらく3時間ぐらいかかった挙句、Fの両親のキッチンを小麦粉で汚してしまったのだ。このような失態を晒したわけだが、Fの家族は本当にやさしかった。待たせすぎて私はほんとうに申し訳ない気持ちと恥ずかしい気持ちでもうどうしたらいいかわからないぐらい落ち込んでいた。それを見越して、Fのママがわざわざ部屋へきて、「Fは怒っているようだけど、本当にごはんもおいしかったし、あなたの気持ちが伝わってきて本当にうれしいわ。ありがとう」と言ってくれた。どんなに救われたことか。
一方Fは終始イライラしていた。ごはんをみんなでたべているときも私に対してイライラしているそぶりをみせてきた。おそらく、大好きなママの前で連れてきた彼女が失礼なことをしたということで私に怒っていたのだと思う。そして、食べ終わった後に散らかったキッチンをみて、彼はこういったのだった。
"This kitchen looks like after Nagasaki or Hiroshima was bombed"
「このキッチンはまるで広島や長崎に原爆が落とされた後みたいだ。」
私はFのいった意味がよくわからず数秒思考が停止したのだ。たしかに私も悪かったかもしれないが、そもそもたかが拭けばいい程度の小麦粉の汚れを原爆の惨状に例えること自体私からすれば謎だ。私たちの想像を絶する原爆の脅威を現実世界のジョークにしてしまうなんて倫理観がおかしいと思った。とっさに「それだけは絶対に言ってはいけないことだ」と言ったらそのあと「いや、じゃあチェルノブイリのあとでもいいや」という風に取り繕われた。その時はもう私も疲れていたし、ほかにもすることがあったので、とりあえずそれについての会話はいったん打ち切った。
そして寝るときになり、そこで初めて私はいろんな感情が入り混じって泣いてしまった。生理で情緒不安定だったのもあるが、スウェーデンまできて、料理を披露したのに、Fにはイライラされるし、Fの家族の前で恥ずかしい思いもするし、あんなジョークも言われるしで悲しくなってしまったのだ。そしたらFは「君を怒らせるためにあのジョークを言ったんだ。僕の両親のキッチンをあんなふうに汚すなんて許せない。ただごはんはおいしかったけどもっとやり方はあっただろ?」と言われた。
パートナーとなるとき、それはどんなときでも絶対的な味方でいるということだと思っていた。この特段大したことない状況でFは私を責めることを選んだことが私にとって、すこぶる気味の悪いことだった。といっても自分の気持ちを言語化できたのはだいぶ後のことで、その日は私が悪いのかもしれないとさらに泣いた。そしていつの間にか眠りにおちていた。
私は割といい思い出も悪い思い出もなんでもすぐ忘れてしまうタイプだったし、私の英語の言語能力がFより低かったので、議論してもどうせ言いくるめられるだろうと思い、この出来事のことを話すのはやめようと思って忘れようとした。だが、心の底にたまったもやもやはずっと別れるまで続いた。(なんならいまもある)
他にもママとの用事を私の用事よりも優先したこと、私の悪口をママにスウェーデン語で家の中で話しているのを聞いてしまったこと、短気なところなどなど、もういろいろ恨みつらみはあるのだが、個人的にこの時のFの行動がありえないと思い、この出来事があった半年以上後に別れを決断した。こんな長い期間なぜ別れられなかったのかというと、フライトのチケットを会うたびにお互い取ってしまっていたので、別れたくても別れられなかったのである。この出来事の後、お互いの国を行き来して数週間を共にすごしたが、それは私が彼と別れようと決心するには充分すぎる時間だった。
別れ話をしたときに、Fに最後のチャンスをあげようと思い、「あなたのこの時の行動はありえなかった」といった。まだアホな私は謝るのを期待していたのだ。Fはまた自己防衛をし、私を責めてきた。正直Fのほかのいやな部分はそこまで問題視していなかったが、私は人が守るべき最低限のラインがあると考えていて、友達でも彼氏でもそのラインを越えてしまったら私は縁を切る。Fが言った原爆のジョークはどんな状況であれ、人として許されるべき発言ではないと思った(ている)。なにより私がさらに悲しくなったのは、Fは高校生の時に原爆ドームも資料館もいったことがあるし、生存者の方から話も聞いているということだった。原爆についてある程度知識があるうえでジョークを言える神経が私には本当にわからなかった。Fは「これをブラックジョークというんだよ。君にはわからないだろうけど。」とか「なんにも考えてなかったんだ」と私が謝れというまで言い訳を続けた。頑なに謝らないのは文化の違いなのかよくわからないが、ここまでくると私はもう呆れていた。
「僕の夢は日本で働くことなんだよ」とよく言っていたし、Fは日本が好きで日本のことをたくさん勉強していた。日本語も勉強していたし、そのFの気持ちは本当だっただろう。でも私は、原爆のジョークを正当化するFが私を含めた日本人を下に見ているとしか思えなくて、もうFを信じられなくなった。私はこんな奴と一年間も付き合ってたんだと思うとばかばかしくなった。
外国人と付き合うということは楽しいことも沢山ある。でも、同じバックグラウンドを持つ人と付き合うより、価値観を擦り寄せる作業をするために数倍のコミュニケーション量が必要ということを学んだ。しかもそれが自分の母国語ではないとき、相当しんどい。
別れを告げたとき、Fは泣いていた。私にLINEで謝ってきた。
私は未だにどうしようもなもやもやの塊が心の奥底にいる。どのようにすればよかったのかわからないけれど、原爆が投下された8月6日と8月9日にはこの出来事を彼に思い出して欲しいとおもうのだ。私は広島や長崎のようなことが軽視されないように、平和な世界へ少しでも近づけるように、せめてもの周りの関わる人達にそれを伝えていきたいと思っている。それが私にできる平和活動なのかもしれないなと思っている。というまあ恋愛エッセイとは思えない結論に至ったが、落とし所がもうわからないので、ここらへんにしときます。