湯気のある風景

しおはこの商店街が気に入っている。

ホームから長いエスカレーターを登りまた長いエスカレーターを降りると駅を挟んで右と左に長い商店街が続く。

右側には居酒屋チェーン、ラーメン屋、ファーストフード店が、左側にはスーパーマーケットや八百屋や食堂がある。夜になると居酒屋店からふらふらと出てくる学生のグループが大きな声で話ているのが聞こえる。サラリーマンがひとりで飲んで帰る姿を見ることもある。近くはないが遠くもないそんな距離に知らないひとたちが住むその存在感に安堵感を覚えた。

夕暮れ時や帰宅時間になるとひとびとが一斉に家路に着くその風景もいとおしく感じた。

しおは駅を出て右側の居酒屋チェーン店の連なる道を超え右に入ったいささか静かな通りに部屋を借りている。何もかもが丁度いい街だとしおは思っている。

しおは会社帰りに商店街の途中を右に入ったところにひっそりと佇む蕎麦屋に行くことを楽しみにしている。

取り立てて美味しいという訳ではないが落ち着くお店だ。一か月に一回程訪れて冬はあたたかい鶏そばを食べ、夏はせいろを注文する。

ほっとする。そんな感覚を味わう為に訪れる。

しおは鶏そばを注文してそば茶を飲んだ。しおはそば茶の香りに包まれながら今日一日を振り返った。

新人のかおりさんは今日もたくさん文句を言っていた。会社の在り方ややり方に賛同できないのだ。小さなことでも目くじらを立て色々な人にまくしたてる。新人と言っても齢50歳を過ぎた妙齢だ。部長と年は変わらないしかおりさんが一度文句を言い始めるとみんなきまずい空気になる。最近ではどうしてもいかんしがたい場合にはみんな部長に助けを求めている。

鶏そばはねぎの青いところがたくさん入っている。そして非常に熱い。ていねいにふーっと息を吹きかけてすする。甘めの蕎麦つゆが口の中にひろがる。湯気に顔をうずめるようにして蕎麦を食べる時多幸感に包まれる。湯気は人を幸せにするとしおは常々考えていた。台所でパスタを茹でている鍋から湯気が立ち上がるのを見る時、湯舟で湯気に包まれる時、外でラーメンを食べて湯気で眼鏡が曇るとき、どんな瞬間も湯気が作る幸せな感触がある。だからしおは湯気に立ち会う瞬間を大事にしている。

お店の中央が小上がりになっていて、竹でできた格子で仕切られている。ダウンライトに照らされる竹の影を見つめながら蕎麦をすするしおの世界はいま誰の目にも見えていないがあたたかさと安堵と幸福感で満ちている。

今日もますみさんは会社に来なかった。ますみさんは同じ部署の先輩だ。体調を崩していてもう一週間程会社に出社していない。ラインを入れても既読にならない。ますみさんの仕事をみんなで分担しているがこのままだと手が回らなくなるかもしれない。静かに淡々と仕事に打ち込むますみさんの姿を思いだしては戻ってきてほしいなと思っている。

ますみさんのことを考えていると蕎麦屋の厨房から

「はは~ん」という掛け声とも溜息とも感嘆ともわからない声が聞こえた。

定期的に通って一時間に一回ぐらいこの声が聞こえるということが分かった。今ではこの声を聞くと安心する。その意図や正体はわからないけれど。

今日もはは~んを聞いたし、帰るか。

しおはリュックを肩にかけて席を立った。不愛想な店員さんが軽くあたまを下げる。この店員さんの不愛想ささえ安心の材料だとしおは思う。すべてが丁度いい。支払いを済ませて店を出ると空気が一段と冷え込んでいた。

ダウンの襟元のファーを首に押し当てながらしおは家路をてくてくと歩いた。








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