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無理しないと普通になれないと思う時ってしんどいよな

元気そうに見えても裏では辛い事だって沢山ある。日々生きてると難しいこと沢山ある。言いたいことも言えない世の中板挟みに合うこともある。無理せず生きられたらいいけど無理をしないっていうのは1度無理をしてなんとかなってしまった人には中々難しかったりする。

無理出来ないになって初めてあれは無理な行為だったんだと気づくまで進んでしまうというか。無理をしないと普通になれない、という文には本人にとって間違いは無いけれど、認知の歪みはある。

無理をしてまで普通になる必要は無いけれど、もし自分が本当に変わりたいと思えたなら無理をしていたことを受け入れて、どうしたら無理をせず生きられるかを考える様に移行しなければならない。

でも無理をしないといけない、ということ自体が120%頑張りすぎてるので、今後を考える余裕がなく、今を生きるしかないのに将来に対する漠然とした不安が出来る。それはとてもしんどい。けど、同じ所に留まり続けて自分を傷つけ続けているのは本当にどこにも行けないのでしんどい。

僕が希死念慮とか、無理をしてしんどいけどやらないとという思考が薄まったのは、ちゃんと限界の時に限界だと言えるようになったからだと思う。

限界を先に言えないと周りの人が迷惑するし、逆にそこまで我慢する必要が本来なかった事柄を自己完結で思い込んだだけの時もある。全員にそう言われていると思い込んでいたものは、8割昔のトラウマから来る過去の言葉の反響で、自分が自分を受け入れる、出来ないことを出来ないと認めることは、辛いけど、必要な事だったと思う。

今でも新しい環境に身を置くとストレスでうわぁーーっとなるものの、ある意味昔より我慢できなくなったし、我慢しなくなった。が、やっぱり苦手なものは苦手だ。

いつか帰りたい時に人の顔を伺わず帰ると言えたり、空気を読まずに言いたいことを言った時のあの凍りついた空気を感じなくなりたい。けど、きっと感じないは無理だから、せめて自分の味方は自分自身であることだけは認めたいし、難しいけれど、死にたいよりも仕方ないから生きようと言えるようになりたい。

明日は明日の風が吹くと、ずっと思って生きていけたら。

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にゃん五郎
猫缶代、いつでも待ってます。