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似てるからこそ腹が立つことってあるよね。
自分が気をつけてること、自分が直さざるを得なくて直したこと、許されないとわかって変えたこと、その辺を全て気にせず許されてる人間が、すごく羨ましい。羨ましいが妬ましいになって腹が立つ。そんなことはまぁ割とある。
自分は許されなかったのに、みたいな本当は自分自身が勝手に許してなくて人に嫌われるのが怖くてやってる事柄が、だいたい時間に間に合わせるとか、そういう当たり前のことと言われがちなことだったりする。
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遅刻魔だった僕の一応きちんと遅刻癖を直そうと思ったきっかけは、人に待たされた結果無茶苦茶ストレスを感じた等の理由で。今後はなるべく余裕を持とうみたいな自己理解と改善はしているものの、元々は何故行かなければならないか分からない学校と、なぜ遅刻してはならないのか分からなかったという初歩的な部分だったりして。
遅刻した時謝れば許されるみたいな甘い幻想を幼い頃に経験として獲得してしまい、その後もズルズルとその遅刻癖は社会人に突入してからも尾を引いてとんでもない事になっていた。
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色んなことがあった。起きれないという気持ちのプレッシャー、習慣化が出来ないという習慣化。栄養不足、風呂に入れない程の自己否定感と希死念慮。縋ったネットでより悪化する精神、親の暴力、罵倒、環境要因。
色んなものがあったけれど、それらをひとつずつ直して、環境を変えて、自分を認めて、ある程度ちゃんと起きられるように、自分が出来ない人間であることを認めきちんと準備をする様になり、いつもだらけてギリギリになるので数本早い電車を選んで準備して、やっと「普通」になった。
僕にとっての普通はとてもハードルが高いし、それ故に出来ない人も居ることを、自分自身で理解している。
遅刻をしない為には他人を待たせる、という他人の事を考えられる程自分の余裕が必要なんだ。
だからこそ、定期的にこの時の苦しみや乗り越えたことで今まで散々浴びせられてきた「普通」という感覚が、ある日人から何気なく「遅刻する」と言われた時に牙を剥くのだ。
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もちろん10分15分の遅刻はそんなもんだろうと思うし、お茶でもしてれば済む話なんだが、30分1時間となると話も変わって来る訳で。
その後遊ぶ、ということを考えると良好な関係を継続させる為には許すという工程が必要になるが、1時間いつ来るか来ないか分からない人間のことを頭の片隅でチラチラ考えながらする休憩が休まる訳がなかったりするのだ。
なので遅刻するとわかった段階で連絡するとか、何時に着くと思う、本当にに申し訳ないがどこかで休憩しててくれないか、等の一通りひれ伏した謝罪と誠意をみせるのがせめてもの償いだと自分は思っている。
それがこう、突然自分本位な遅刻をされ、あまつさえこちらに誠意を感じるどころか保身に走られたりすると、過去の自分を見ているようで本当に神経を逆撫でされている気持ちになるのだ。
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他人に期待をする方が悪いと言われることもあるが、期待を押し付けてきた過去の大人達がずっと自分を罵倒している感覚が抜けない。
「これは当たり前のことだろう」という言葉。
その裏には沢山の意味があることは今ならわかる。ただ、そんな余裕が当時なかった。きっと今遅刻をしている相手もそうなのかもしれないし、違うのかもしれない。
だからこそ、自分は紆余曲折を経て乗り越えたと思っている過去がこっちに向かってくるという感覚になってより腹が立つ。「自分は乗り越えたのに」と。「自分は頑張って今お前の為にここにどれだけの努力をして時間を作ったと思っている」と。
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この感覚は本来すごく良くなくて、自分を過小評価してこんな自分でも出来たのにお前はそんな事も出来ないのかと人を叩く思考だと思う。
だからこそ、自分はこれだけ頑張って今ここに居ると自分を褒めた上で、相手の事を過剰に考えず、ただ待てるようになりたいなと思う。
自分の機嫌は自分で取れるように、過剰に相手を気にすることなく切り替えて行けるようになりたい。もしくは会った時にしっかりブチ切れた後でスッキリしてそこから切りかえたり出来たらいいのかもしれない。親しい友人に限るではあるが。
その場で全て飲み込んでしまい後で感情が爆発して溢れ出すということがよくあるし、怒りは行き過ぎると涙となって溢れ出すこともよくある。どうしたらその場で自分の機嫌が取れるかは、今後の課題にしていきたい所存だ。
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そもそも人と会うということはどんな人に会うとしても楽しいを前提にするとはいえ多少なりともストレスなので、なるべく自分を甘やかしてあげたいなと思った。
てか待たなくていいんだよな。もうその日辞めるとか、全然違う予定に変えるとか、方法は色々あるだろうし。元々の予定を遂行するからおかしくなると言うのもある。そもそも遅刻されてる時点でその世界線は死んでるんだから、路線切りかえはすべきだろう。その気持ちで今後やっていこう。
とりあえずそういう気持ちが爆発して1人で熱中症と戦いながら行った灯台の写真見て皆癒されて。それじゃまた。
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