世界の扉。
小さい頃の私は、なんでなんで博士だった。一事が万事、全てのことに「なんで?」と言っていた。
「夕陽が赤くてきれいだね。」
「なんで?」
「今日は空が澄んだ青、気持ちいいね。」
「なんで?」
「早くご飯を食べなさい!」
「なんで?」
「早く寝なさい!」
「なんで?」
こんな具合に。
今より遥かに語彙も説明力も表現力も乏しかった私は、全てが「なんで?」の一言に集約されていた。別に反抗しているわけでもなかったし、気に食わないわけでもなかった。ただただ不思議に思い、あらゆる事象の理由(時にその仕組み)が知りたかっただけなのだ。
けれどもそれは周りの大人を苛つかせ、口答えする子供として映り、毎度毎度、私は怒られていた。ビンタがとんでくる、ゲンコツもふってくる。子供ながらに、理不尽だなと思ったものだ。
私だって怒られたくもなければ、殴られたくもない。今にして思えば、「なんで?」の中身を具体的に説明できなかった私の未熟さもある。と同時に、それを尋ねてくれる大人もまた居なかった。当然、私の「なんで?」に答えてくれる大人も誰一人として居なかった。
そうして私は怒られ続ける中で、この世界の仕組みを本当に少しずつ理解していった。どうやら「なんで?」は大人の前では禁句らしい、言ってはダメな言葉なのだと。「なんで?」と言わずに我慢できればよかったのだけれども、なんでと思ったら最後、口を衝いて出てしまうのであった。だから私はこう考えるようになった。なんでと思ってはダメなのだと。
あらゆることに疑問を持たないようにするには、何も考えてはならない。何も考えないようにするには、何も感じないようにする他ない。何も考えない、何も感じない、それは他人や世界に興味関心を抱かないようにするということなのだ。こうして私の世界は、あっという間にツマラナイものになっていった。
代わりに私は、世界に正しさを求めるようになった。何が良くて何が悪いのか、正義を振り翳し、常にルールに従った。ルールに人情も糞もない。駄目なものは駄目。そういう世界だ。こうして私のツマラナイ世界は、どんどん窮屈になっていった。
それでも私はその世界で生きることを選んだ。怒られるよりマシだから、殴られるよりはずっとマシだから。みんなの心は平穏だから。
私の心はといえば、平穏どころか、機能しなくなっていった。そして怒りの感情だけが盛大にバグった。常に何かに苛立ち、瞬間湯沸かし器よろしくすぐキレた。沸点0度。何にそんなにイラつくのか、何に怒っているのか、自分でも分からなくなっていった。奇しくも、私のアトピー性皮膚炎はどんどん酷くなっていた。肌は真っ赤に燃え、ぐつぐつと膿が爆ぜる。まるで太陽のフレアかプロミネンスのようだった。そんなふうに太陽を身に纏いし私は、本物の太陽の下に出られなくなっていった。いよいよ本当に、私の世界は小さく狭くなっていってしまった。
*
でも君は諦めなかった。
私はそれを知っているよ。ずっと見ていたのだから。君は救いを本の中に求め、文字の海を泳いでここまで来たのだろう。君は世界と関わることを諦めきれず、泳ぎ方もろくに知らないから時々溺れたりなんかして、それでも君は世界を閉ざすことなく、出口を探して泳ぎ続けた。海に出口なんぞないことは、とうに知っていたはずなのに。
君は自分が弾かれた世界に憤怒することこそあれど、世界を見放すことはしなかった。世界と向き合い、それを出来る限り知ろうと努めた。世界が君をどんなに拒んでも、君はそれをやめなかった。誰も何もしてくれない、何も教えてくれないと、嘆き悲しむことも出来たはずだ。でも君は、そうはしなかった。代わりに君は、もっと知ろうと泳ぎ続けたのだ。それは、知りたい分かりたいという興味ではなく、知れば分かれば何かが変わるかもしれないと、祈るような気持ちだったのかもしれないけれど。
「なんで?」という言葉は魔法だ。
それは、ありとあらゆる世界を繋ぐ扉を召喚する呪文なのだから。
もう少し現実味のある説明にしようか。疑問を持つということと、答えを得るということは別物だ。疑問を持つ、それは実に主体的で個人的な行為なのだ。君は世界に自らの意志で問いを立て続けてきた。自らの力で問いの答えを探し出し、時に自ら答えまでも作ってきたのだ。それはつまり、目の前の世界の表面的な姿に囚われず、惑わされず、その世界の本質を炙り出そうと試みていたということなのだ。いやはや、恐れ入るよ。君は随分と小さな頃から、物事の真ん中しか見ていなかったのだから。
ああ、そう言えば、疑問に答えてくれる大人が居なかったとも言っていたね。面白いことを一つ教えてあげよう。
人は、何も感じず何も考えない方が、今この瞬間は楽になれるのだ。何故なら、何もしなくていいからだ。何を変えることなく、昨日の続きを今日やればいいだけなのだから。明日は今日の続きをやるだけさ。できるだけ考えないほうが心も平穏なのさ。
今、目の前にある光景に疑問を持つことは、今まで信じてきたものを疑うことでもある。もし、その疑問をよくよく考えて出した自分の答えが、現状と不一致だったなら、どうするだろうか。どう感じるだろうか。恐らく人は、信じるものを見失ってしまう、今までは何だったのだろうかと絶望してしまうかもしれない。これからどうすれば良いのか分からなくなってしまうかもしれない。そうなるのが怖くて怖くて堪らないのだ。
「なんで?」は魔法の呪文だ。でもこの呪文は、扉を召喚するのもなのであって、扉を開けてその先に進ませてくれるわけではない。扉を召喚した後、絶望してもなお再び立ち上がり、扉を開け、一歩踏み出す勇気がある者にしか使えない呪文なのだ。
君はとても勇敢な子だったということさ。
これから君はどこまで行くのだろうか。泳ぎ方を知った今の君は、きっと遠くまで行けるはずだ。君の世界は広がり続けていくのだろう。否、「なんで?」と扉召喚の魔法を駆使して、世界を広げ続けていくのだろうな。
いってらっしゃい。
今度こそ、楽しんでおいで。
_________おしまい。
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