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幸せの形

 暮れに三男が一人で帰省してきた。今時のセパレート帰省というやつだ。ただ、そうだとしても、年明けを一緒に過ごさない夫婦というのはどうなんだろう…なんて余計な心配をしてしまう。

でも、暮れに帰省してくれて、正月の準備を手伝ってもらえたのは大いに助かったし、庭先で親子並んで〆縄の縄をなう姿や、機械づきではあるが餅つきの時は次男も加わって、鏡餅を皆んなで作る姿を見られたのは、なんとも幸せな気持ちになれた。

門松や神棚用の〆縄をなう三男と夫
我が家には神様が15柱もいるから鏡餅も沢山必要。本当は20柱以上なのだが夫が外にいる神様を省略すると言いだして今年から15になった(笑)

毎年、我が家の年末年始は、やる事が多くて大忙し。テレビやSNSで出かけている人を見ると羨ましくてしょうがなかった。

私は旧家の本家に嫁いだので、舅姑が亡くなった年や、コロナの時期を除いて正月は来客があった。近年は数は減ってきていたが、結婚当初は20人以上になった時もあった。

そんな事もあり私は主婦の意地でずっと御節は手作りしていた。それがおもてなしだと思っていたから…

普通、手作りをすると安く上がるものだが、御節料理は必ずしも、そうではないのである。そんなエクスキューズもあり、今年は、とうとう買う事にした。

そしたら、なんと今年は来客が無い事がわかった。

私もだが、親戚みんな、コロナの時期に、どこも出かけずお正月を家族だけと過ごす事の「楽」を知ってしまって、歳もとって、「集まるのは、もういいか」って事になったようだ。

そんなわけで、私自身は年末に心の余裕ができた状態で男衆の正月の準備を眺めていた。

すると、改めて私の幸せの形を感じる事ができた。

私自身も歳をとって寒い時期の外出が億劫になったのもあるかもしれないが、年末に遊びに出かけられない代わりに、私には、こんな幸せな光景を見る事ができるんだなぁと、しみじみ感じたのである。

幸せの形は人それぞれだ。大切な人と出かけたり、集まったりして普段と違う体験をするのも楽しくて幸せを感じるものだ。そういうのも羨ましいと思ったりするが、何もかも手に入れようというのは欲張りだ。

私は私の幸せを味わう事にする。

なんて思った年末年始なのであった。

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