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愛情不足ではない

電車の中で座席に正座する年配の女性を見かけて、母の事を思い出した。

母も、どこでも正座する人だった。電車でも、私の高校の卒業式の保護者席でも…

保護者席で頭一つとび出る母が高校生の私は、たまらなく恥ずかしかった。

そういえば昨日も不意に母の事を思い出した。

ああ、朝ドラで、主人公が小学生の娘を膝の上に乗せていたと思ったら、最後には抱き合って娘が主人公の胸に顔を埋めたシーンを見た時だ。

公立高校の受験の時、私は少し背伸びをした高校を受験した。周りも、正直私自身も受かるとは思っていなかった。そんな中で私は一人で合格発表を見に行き、なんと自分の受験番号をその中に見つけたのだ。携帯電話など無い時代、公衆電話は長蛇の列で、私は帰った方が早いと判断して電車に飛び乗り、自宅の最寄り駅から走った。家に入ると階段を降りて来た母と出くわし、私は「受かったよ」と言うやいなや、割烹着姿の母の胸に顔を埋めて泣いた。少し落ち着いた時、母が「洗濯物を干していたら、おまえが走って来るのが見えたから、受かったんだなと思って急いで降りて来たんだよ」と言っていた。

 その夜、ひとまわり上の兄が用意してくれたデコレーションケーキでお祝いをしてもらった。プレートには「おめでとう」とだけあった。兄は「もし不合格でも、卒業おめでとうの意味になるから、おめでとうだけにしたんだよ」と説明した。

父は、「不合格の時に備えて(すべり止めで受けた)私立の入学金を銀行で下ろして来てあったんだよ」と言っていた。

今振り返ると、私は家族の、結構温かい愛情の中で育ったんだと思う。

実は私は20代の時に10歳上の姉から「あんたは愛情不足で育った」と言われた事がある。確かに、自転車操業の自営業(洋服屋)を営む両親は、休日も無く働いて、末っ子の私はほっておかれる事が多くて、寂しい思いをする事も多かった。家族旅行などの思い出は皆無に等しい。私自身は覚えていないが、生まれたばかりの頃も、寝かされていた2階の部屋で目が覚めると近所の人が心配するほど長い間泣いていたらしい。

基本的な愛着形成の時期だから、成長して人間関係で不安を抱く事が多いのは、この事が大きく影響しているのは間違いない。

それでも、愛着障害(依存症などで社会生活がままならなくなったりする)までいかなかったのは、決して愛情不足で育ったわけではないのだろう。

忙しい両親、12歳も離れた兄、10歳離れた姉、そして私の5人家族。私はみそっかすにされる事が多かったが、それでも、皆んなが私を気にかけてくれていたのだろう。

取り返しのつかないような大きな人生の失敗も無く、幸せな結婚もできて、今、幸せな日々が過ごせているのは、私がそれと認識できなかっただけで、ちゃんと愛情を受けて育ったからなのだと最近思うようになった。

逆説的ではあるが、私は愛情不足ではなかったと確信する今日この頃なのだ。

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