"自然"が好き
今回は、個人的な感性というか言葉では伝わりにくい感覚を書いていきたいと思うので、日記を覗いている感覚で読んで欲しい。
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私は自然が好きだ。自然というと森林や花などを思い浮かべるかもしれないが、それだけではなく「自然」という言葉に含まれた根本的な意味を含めて好きなのだ。
「自然 意味」
で検索すると以下のような意味が出てくる。
この中で私が注目したいポイントは
"人手を加えない、ありのまま"
というところと、
"因果的必然"
というところだ。
"人手を加えない、ありのまま"
「自然」という言葉からは、"故意"が介入することが出来ないことの平等性を感じる。
例えば、人間のように知能を持った神がいて、個人的な価値観で人を助けたなら、それは平等ではないと思う。なぜならば、必ず納得できない人がいると思うからだ。
(人智を超えた存在なら全ての人間を幸せにすることも可能になるのかもしれないが、神については長くなるので詳しくは話さない。)
私にとってこの宇宙や地球の自然こそが平等さの象徴なのだ。
だからこそ終わって欲しくない日や早く過ぎて欲しい日もどちらの時も変わらずに回り続ける地球には救われるし、
社会の常識や自分で作った縛りに囚われている時に、地球は宇宙の一部で、そこに住む私たちはそんな大きな宇宙の自然の一部に過ぎないのだと再確認させてくれる月は心を自由にさせてくれる。
そして、主観だけでなく色んな方向から物事を見る重要さを思い出させてくれる。
"因果的必然"
「自然」という言葉は人間の社会においても使われる。
例文を挙げると、「私たちは自然に惹かれあった。」のような感じだ。
今回は恋愛的な意味で捉えると分かりやすいと思ったので、この例文を採用した。
言葉で説明するのは難しく、読者には伝わらないかもしれないが、
"わざとらしさがない"
というところに美しさを感じるのだ。
「因果的必然」とあるように、意味は必然に似ている。
しかし必然は「それより他になりようがない状態」という意味で、人手を加えた状況でも使えてしまうと思う。(紙に力を加えて破れるのは必然だよね?)
私は"人手を加えない、意識しない"ところに安心するので、そういう意味で必然とは違った印象を受けるのだ。
また、運命とも少し違う。
運命は人間の意志にかかわらず決められたものだ。
捉えようのない力に左右されるのは怖いし、居心地が悪い。
つまり、私にとって自然は必然より自由で運命より安心できるのだ。
まとまってないけど、今回はこれでおしまい。
読んで下さりありがとうございました!
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