キレ症の人って可哀想 モラハラ父②

今日も父親に関して嫌なことがあったから記録する。どうしてもいやなことだったから。自己満だけど文字にする。許したくないし、嫌なことがグルグル頭をめぐって、過去に言われた嫌なことも思い出して何も出が付かなかったから。レポートもすすまない。父に関して嫌なことがあると、それだけで気力がそがれる。SNSやインターネットで何でもない知らない人のニュースを見ているときが、なぁにも考えなくていいので落ち着く。本当ならこんな虚無みたいな時間過ごしたくないけど、そうするしかない。

今日は父親はかなり機嫌が良かった。悲しいことは、機嫌の悪い父親=害悪なのは言うまでもないが、機嫌の良い父親もまた、私と母の気持ちをすり減らすということ。お酒によっていい気分で、平気で最悪なことをいう。いつもそう。

今日の父親は気分上々だったので、夕飯中ずーーーーっと私に話しかけてきた。正直に言って、嫌い・憎い気持ちが大きすぎて父親の話を聞くことができないし、父親の意見に対して反論するエナジーも沸かないし、適当に相槌を打つことさえしたくない。

バレたくないので詳しくは書くことができないが、私のちょっとした行動に対してかねてから「〇〇したほうがいいよ」と父がアドバイスすることがよくあった。そのアドバイスは、誰かを傷付けるような発言では決してないが、そんなこと気にするのか、どこがダメなのか本心から理解できないことだった。

ここまでは別にいつもあることだから、良かった。今日は本当にそのアドバイスによって何を改善すればいいのか理解できなかったから父親に「どこがダメなのか全然分からない」と伝えた。すると、「ほんっとそういうとこだよねwwwww あんたら母娘そっくりwwwww」と父に言われた。どこがダメだったのかを論理的に伝えれば、私が納得してそれでいいのに、この「あんたらそっくり」という意味の分からない嫌味をいつも言う。私や母が何か反論した時にいつも言うことだ。多分、そのアドバイスなんて、どーーーーーーでもいい好みと気分の問題なんだと思う。

この言葉を言われると、私はいつも「父親とまともにやりあえない」という事実に直面してかなり気持ち的に凹む。父親の欠点に向き合おうとしても、父親がこの言葉で逃げる。何か私が伝えると、まるで私と母に欠点があったかのように、「あんたら(そういうところ)そっくりだねー(笑)」という。どういうところなのか全然分からないが。自分に不利なことを言われると、母のことを「おばさん」と揶揄ったり、「シミあるよ笑」とか「白髪みえてるよ笑」とかいう文脈とは全く関係のないことを言い出す。「もう寝る!ははは!」といって部屋に戻る。「本当に嫌いだ」とか突然昔親戚と上手くいかなかった話を始める。本当に、まともに会話ができない。絶対にまともにやりあえない。絶望であり、しかし同時にすっぱり諦められている自分がいる。分かり合えないから。

私は、なんかの宗教の宣教師か!?!?という感じで「頭のおかしい人とはね、絶対にやりあえないんだよ。勝負仕掛けたら負けだし、腹立ったら負けだし、論破してやろうなんて思ったら負け。」と友達にいつも言う。父親のおかげで、社会でややこしい奴にいちいち突っかかったり、変な思想の教授に反論してやりあったりしてやろう!なんていう結局は無駄なパワーを出すことが無かった点は、反面教師でありがたい。

この父親にとって「逃げ」である「ほんとうにそっくり」という言葉。過去に、父親が放った言葉史上最悪でいつまでも忘れないし、恥ずかしくて友達にも言いたくないし、考えるのも嫌な言葉がある。「ほんとお前らそっくり。使用前、使用後wwwww」と私と母に対して言ったこと。憎らしくて涙が出る。ありえない言葉。死ね、出てけなんていう言葉よりも最悪な言葉。人権侵害の言葉。これは、絶対に忘れないし、いつまでも覚えている。どんなに父親の心のコンディションが良く無害な時でも、この言葉は絶対忘れないし、思い出すたびに憎らしくて憎らしくて殺してしまいたいと強く思う。

仮にも、社会に出て、部下引き連れて一丁前に大企業で課長をしている人間が発する言葉だろうか。言葉にならなくても大罪、思うだけで大罪の思想。え、、、、本当に2020年に生きてる人間!?!?!妻と娘に対して使用前使用後!?ありえなすぎる話。そんなこと言われたときに怒らずにスルーした自分を恨む。母親に代わってでも絶対に怒るべきだった、反論すべきだった言葉を悔しさを押し殺して無視した自分をものすごく恨む。


でも、ここで自分でもびっくりするのが憎んで憎んで爆発しそうな気持ちを持つ父親に対して、「可哀想」って思っちゃうこと。まともに年取れなくて可哀想。細かいことが気になって可哀想。なにか不満なことがあったときにキレることでしか対処できなくて可哀想。自分だけが不幸だと思ってて可哀想。ここまで生きてきて、誰にもその性格を指摘されなかったのが可哀想。何にでもイライラして可哀想。可哀想。可哀想。可哀想。まともな思想、身に着けられなくて可哀想。家族にこんなに嫌われるなんて、可哀想。娘にこんなに憎まれているなんて、可哀想。


どうしても、どうしても存在してしまう。「ヤバい人」。小学生、中学生のころは「うわウゼーー!!」というある意味単純な感情しか抱いてなかったけど。

二十歳になった今

なにも、彼女、彼らが「ヤバい人になろう」なーーんてこれっぽっちも思ってないし、「自分の性格はかなりヤバい」なーーんてこれぽっちも気付いていない

という事実に、私は悲しくなる。しかも、それが、家族だから。

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