無縁さんの話 【2000字のホラー】


少し、怖い話を書く。なぜ「少し」なのかというと、ここに記すのは実話であり、とくに脚色を施していないからだ。実話であるから、起承転結がはっきりしない。劇的な盛り上がりも結末らしい結末もない。なあんだ、と思われるかもしれない。そんな話でよければ、身の回りにいくつでもある、と思う方もおられるであろう。そうなのである。「少し」怖い話は、日常の中に、いくらでもある。あなたがそれに気づくか、気づかないか、あるいは気づかなかったことにしておくか。違いはそれだけなのである。


無縁さんの話

 お彼岸である。爽やかに晴れた秋の空を見上げつつ、本郷菊坂をぼちぼち上る。「本郷もかねやすまでは江戸のうち」と言う。その小間物屋「かねやす」があった三丁目の交差点はもう少し先であるので、このあたりは、おしいところで江戸からはみ出していることになる。さほど人通りも多くない、ゆるやかに曲がってゆく坂道。右手におはぎが美味い餅菓子屋、左手に樋口一葉が通った質屋がある。目指しているのは、坂の中ほどにある、母方の家の菩提寺である。年に二度、彼岸の頃にこの道を歩くと思い出す話がある。祖母の母だったか叔母だったかが体験した話である。そもそも祖母の記憶が定かでなかったし、ややこしいので、ここでは「叔母」と呼ぶことにする。
 秋の彼岸のその日、叔母は手桶を片手に先祖の墓を訪れた。大正時代である。着物に下駄履きであったであろう。袖が汚れぬように襷などかけていたかもしれない。周囲の落ち葉を掃き、墓石を洗って花を供えた。ふと見ると、左右の墓が、どちらも荒れ果てている。墓石は苔むし、墓と墓との隙間は枯れ葉に埋め尽くされている。むろん花のひとつもあがってない。「お彼岸なのにお寂しいでしょう」。叔母は左右の墓も掃き清め、線香をあげて寺を後にした。
 その帰途のことである。道端に占い師が座っていたという。それが菊坂であったのか、広い本郷通りであったのかはわからない。盛り場でもないそんな場所に、本当に占い師が店を出していたのかどうかは疑わしい。しかし祖母が聞いた話では、占い師がいた。道端に腰掛を置き、ひっそりと客を待っていたそうだ。とくに興味も持たず叔母が通り過ぎようとすると、占い師が声をかけてきた。「もしもし、そこのお方」。叔母は足を止めた。「はい。何か御用でしょうか」。占い師がどんな風体であったかはわからない。男だったとも女だったとも、祖母は語っていなかったように思う。しかし、なんとはなしに老女がその場に似つかわしいように思う。足元には、ぼんやり行燈など灯っていたかもしれない。老女の目は、叔母の顔を見ているようでもあり、その後ろを見ているようでもあった。そして、ぽつりと言ったそうだ。「あなたね、両肩にひとつずつ、無縁さんが乗っているよ」
 祖母は墓参りの季節になると、決まってこの話をした。無縁さんのお墓に情けをかけてはいけないよ。頼られてしまうからね。祖母はそう言っていた。叔母がそのあとどうしたのかは、わからない。
 時代は変わった。しかし、菊坂から寺の山門へと続く石段は、おそらく当時からさほど変わっていないのではないか。山門をくぐり、事務所に寄って塔婆とお線香を受け取る。手桶と箒、それに買ってきた花も抱えて墓石の間を歩くのは、なかなか難儀である。線香の煙が、あちこちの墓から秋めいた空へと昇っていく。多くの墓にまだ瑞々しい花が供えられているが、茶色く枯れはてた花が垂れ下がった墓もある。ふと見ると、小さな立て札があった。「このお墓にゆかりのある方は、寺事務所にご連絡ください」。
 風が吹き、華やかな歓声が聞こえてきた。顔をあげると、少し離れた遊園地のジェットコースターが急降下していくのが見える。若々しい嬌声と忘れられた墓。束の間、風に吹き寄せられたふたつの時代が交差し、また離れていった。
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小石川植物園の彼岸花


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