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「出る」会社 その壱ー少し、怖い話②


 この会社、出るんだよ。
 よくある話である。
 私の勤務先にもあった。長きにわたる勤務期間中、会社は複数回本社オフィスを移転したのだが、なぜか行く先々で「出る話」が囁かれた。偶然そういうビルに当たり続けたのか、どこへ移ろうと何かがついてくる会社だったのか、そこは定かではない。
 まずは最初の勤務地だった新橋での出来事である。
 時はバブル真っ只中。我が勤務先も業績は右肩上がりだった。社員はどんどん増え続け、本社があるビルひとつでは入りきれなくなった。近隣ビルの空フロアを次々と借り、会社はアメーバのごとく増殖していった。そのうちのひとつに、出たのである。そしてこともあろうに、私の所属する部署がまるごと、そこへ移ることになったのである。
 「24時間働けますか?」などというCMが堂々と流れていた時代である。深夜残業、朝帰りなど当たり前。その日も私は、深夜までオフィスに残っていた。通常は二十人ほどの社員が机を並べる部屋に、ぽつんと一人きりだった。といっても他の社員はみな帰宅したというわけではなく、別のビルの会議室で打合せ中だったり、夜食をとりに出たきり戻ってこなかったりで、たまたまそのフロアにいたのが私だけ、という状況になったのだった。
 当時はまだノートパソコンが普及していなかった。担当案件の売上やら原価やらを確認するには、専用端末でプリントアウトする必要があった。デスクトップ型のでかいパソコンが一台。それにつながっているプリンターが、ロール紙にカタカタ音を立てて印字するというシロモノである。それが、ロッカーの間の狭いスペースに押し込まれていた。プリントしたい者はこの隙間に入って作業するのである。首を伸ばしてのぞきこまないかぎり、執務スペースからは見えない。ただ、カタカタと音がすれば、誰かが使っているとわかった。
 その音がしてきた。カタカタ、カタカタ。聞き慣れた音であるから、最初は気にもとめなかった。カタカタ、カタカタ。途切れたかと思うと、また音がする。誰もいないと思ったんだが。誰が残っていたんだろう。私は回転椅子の背にもたれて振り返り、ロッカーの間をのぞいてみた。灰色の、脚にタイヤがついた回転椅子である。背もたれに体重をかけるとギシギシとスプリングが鳴る。そうやって後ろを見た私は、そのまま椅子ごとひっくり返りそうになった。誰もいなかったのである。なんとか踏みとどまってプリンターを凝視した。動かない。さきほどまでカタカタと鳴っていたプリンターが、カタとも鳴らない。空耳だったか? いや、そんなことはない。突如私は、数日前のできごとを思い出した。
 その夜もフロアにいたのは私一人だった。机上にはボタン式の固定電話がある。内線番号のランプがずらりと並んでおり、着信すると呼び出し音と同時に緑色に光った。ぽちっとそこを押して受話器を取ると、通話中はランプの色が赤に変わるのである。その電話が鳴った。緑のランプを押して電話に出る。外にいる同僚から、「直帰するからボードに書いておいて」との連絡だった。深夜である。いまさら書き換えて誰が見るというのか。とりあえず「了解」と答えて電話を切った。そこで、手が止まった。別のランプがひとつ、赤く光っている。誰かが通話中ということだ。だが、フロアには自分以外誰もいない。念のため、首をめぐらして確認した。誰もいない。ぞっとした。やりかけの仕事を投げ出し、鞄をひっつかんで飛び出した。もちろんボードの書き換えなどしなかった。
 そして、またしても。二度目ともなると、少しは度胸がすわってくる。何食わぬ顔で、といっても誰に対してなのかわからないが、荷物をまとめてオフィスを後にした。
 後日、同僚に尋ねたところ、カタカタという音を聞いた者が複数いた。端末が設置されているあたりに「何かの気配を感じた」という者もいたし、すぐ横のブラインドが風もないのに揺れていたのを見た、という者もいた。やがて誰もが深夜にひとり残されるのを嫌がるようになり、周囲が帰り支度をはじめると、待て待て、いっしょに帰ろう、と引きとめ、部活帰りの中学生のようにまとまって帰るようになった。もっとも、複数になればまっすぐ帰宅するはずもなく、近隣の居酒屋へと吸い込まれていくのが常であったが。
 ほどなく、会社の増殖作戦は限界をむかえ、十分な床面積がある新築ビルへと引っ越すことになった。件のビルにはしばらく別の会社が入っていたようだが、近年取り壊しになり、モダンなオフィスビルに生まれ変わった。そこに新たな「出る」伝説が生まれているのかどうかは、私の知るところではない。
#2000字のホラー
#会社の怪談



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