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岡崎から視る「どうする家康」#5母・お大(伝通院)と「家康」改名

永禄6年元康から家康へ

これを桶狭間の戦いで今川義元戦死後の永禄6年(1563年)には、義元の「元」の字をまさに元に戻して、元康から家康と名を改めます。これは桶狭間の合戦後に今川の保護下から、織田との同盟への切替宣言でもあります。

義元の息子今川氏真。ちなみにこの氏真は関ケ原合戦後まで生きています。「高家」という儀典専門職で江戸時代も続きます。東京都杉並区今川がその所領です。敵対しても皆殺しにせず徹底的な怨念を回避して何らかのポジションで利用・活用する家康の政治センスであるように思います。

母・お大(伝通院)との再会

この桶狭間の戦いの後、母の伝通院(お大)と再会します。(以下「伝通院」とします)そして彼女は息子家康のいる岡崎に身を寄せます

伝通院を松嶋菜々子さんが演じます。

3歳で生き別れた母子が15、6年ぶりに再会します。松嶋菜々子さんがこのドラマ最も力が入るシーン(のはず)。40年前の滝田栄さんの家康の時には大竹しのぶさんが好演していました。

滝田栄「徳川家康」での大竹しのぶ(26歳)さん演じる母・伝通院、若い

ただ、伝通院は15歳で家康出産していますから、今でいう「中学生の母」です。33才の母と高校3年生の母子再会になります。当時の大竹しのぶさん(当時26歳)の「若い母」が年齢的に史実に近いは近いです。松嶋菜々子さんの今の年齢については自粛しますが、「若い母」を演じるにあたり、「どうするメイク」とかイジワルはやめましょう。なお現時点での化粧品のCMは無いようです。

考えてみると、40年前の当時の日本は、離婚率は今よりかなり低かった点があります。この点で「母子生別」という事象の視聴者の捉え方が当時とは違ってくるのではないでしょうか。

なお15歳差と言うことですと、悠仁親王と例の元内親王との年齢差です。伝通院は母親であると同時に「頼れる姉さん」感覚と言うのが私の推測です。再会後に岡崎に身を寄せる伝通院の家康との近さを、この年齢差の要素もあるかもしれません。

江戸の三大霊場のひとつ

そもそも、なぜ「伝通院」なのでしょうか。

江戸(東京)には、徳川の菩提寺として寛永寺と増上寺が有名です。この二つに歴代将軍の墓があります。一方で徳川の3番目の菩提寺としては伝通院です。この伝通院は家康の母「お大」の法名です。

上野寛永寺(天台宗)芝増上寺(浄土宗)と並び小石川伝通院(浄土宗)は「江戸の三霊山」と呼ばれる寺格です。父や祖父は江戸では全く持ち上げられていません。「家康の母」と言うことだけで異例の扱いです。

父・広忠の菩提を弔う「広忠寺」が岡崎市桑谷にあります。山あいのひっそりとした小さなお寺です。東京都心の「伝通院」との落差に驚きます。

伝通院自身は息子家康の将軍宣下を見届けてから亡くなっていますが、伝通院をそこまで持ち上げる背景を考えてみましょう。

家康の「家」はどこから来てるのか?

私が小さいときは「武家の始まりの源義家(八幡太郎義家)の「家」から採った」との話を読んだ記憶があります。これは明らかに徳川に都合の良すぎる話で幕府の御用学者がいかにも言いそうなネタ。ウソの匂いプンプンします。

キーマン・久松俊勝

ここでカギになるのは、伝通院の後夫である久松俊勝です。

久松俊勝は当初「長家」を名乗っていたようです。この「家」を取ったのではないか、と言う説が最近は有力なようです。今回NHKも「長家」の表記にしています。しかし、追って家康自身が大身になったころに格好がつかず、都合が悪くなったので久松が名前を変えた、と言うところのようです。

 家康も父親も早くに無くしていることから、父代わりの後見人を欲していたのではないでしょうか。今川義元に対してもその感覚を抱いていたのかもしれません。では久松にどんな実績があったのでしょうか。

久松の貢献・蒲郡制圧


久松は愛知県知多半島の阿久比の人で伝通院の再婚相手です。桶狭間合戦後に伝通院が岡崎に身を寄せ、久松も家康に協力するようになります。桶狭間の2年後の永禄5年に「上ノ郷城」(蒲郡市神ノ郷)に今川ファミリー(鵜殿氏)が入っていたのを竹谷松平氏ととともに攻略しています。家康からしたら鵜殿は「2年前食糧を運んであげたのに邪魔だお前」感のあるヒトです。

 この攻略戦で、忍者が活躍したとか。服部半蔵(岡崎市伊賀町)の出番かどうかもわかりません。ただ視聴率的にも忍者の活躍はあった方がアクションシーンもあってプラスです。しかも派手な合戦シーンはロケでコスト高いですが、忍者活躍ならスタジオで安くできるのでコストダウンできます。

「どうするNHK!」

蒲郡市観光協会では「忍者によって陥落した最初の例」とまで書いてしまっています。今回のドラマの「紀行」で紹介されるかどうか。しかし、忍者ファンの観光客がホントに来たらどうするんでしょうか。ほとんどみかん畑で何もありません。世界中の忍者ファンが来てがっかりしないか心配です。

どうする蒲郡市役所!」

 ここで捕らえた今川ファミリーを駿府(静岡)にいる瀬名と2人の子供(信康と亀姫)と交換しているので、これは大きい貢献です。ここは別稿でツッコミ入れます。

蒲郡を抑えたのも大きい。松平に屈服してない名族の吉良氏(西尾市吉良町)と蒲郡の今川勢力が足利一門でグルになって抵抗してくると非常にまずい状況です。蒲郡から今川勢を追出成功で吉良を孤立化でき、屈服させる環境が整うので、全三河掌握が課題の当時の家康には大きい貢献です。

なお久松の息子で家康の異父弟の康元をこの上ノ郷城に入れています。長家の墓も蒲郡市にあります。家康の異父弟には「康」の文字を与えています。

久松のポジション・役割


しかし、久松は家康に与するにしても岡崎メンバーからは今で例えると「中途採用」「外部登用」「出向で来た人」の感覚です。そんな中で久松が岡崎の既存所領に割り込んでないことも重要です。要するに貢献はあるが「出しゃばってない」。ここが重要です。

もし、久松が家康の親族と言うことで口出ししてきたら、副市長(兼宴会部長)格の酒井忠次や、総合政策部長格の石川数正はじめ岡崎メンバーが反発しないはずがありません。

 今でも、若い市長が当選して「民間企業の感覚」をウリに友達のコンサルタントなど外部人材を入れて改革しようとします。しかし外部人材の口出しに役所が反発し、協力を得られずトラブったり、中途半端に終わり、失敗という事例は、全国でも数多くあります。

また、役割として織田の情報収集を私は想定します。織田とは同盟ですが、同盟の相手の動向の情報収集が非常に重要な点は現在でもそうです。日本での米国情報が最重要である点を考えてください。

阿久比を抑えている久松長家は場所的にも織田の情報が比較的入ります。織田との交渉は、正規ルートの酒井忠次や石川数正が担当しているにしても、情報のバイアスもあり得ます。ここで別ルートの情報チャンネルが必要です。しかも裏切り常習犯だっただけに、情報センスに長けています。ここで重要なのは正規ルートはそのままで長家は裏に徹していること。

ちなみに、この別ルートの情報チャンネルを持って活用できる政治家は実力が違います。役所の正規ルート情報と別チャンネル情報を組み合わせ、検証・判断ができる。現在の代表的な例は菅義偉総理でしょう。正規ルート情報だけで動く政治家は単に「役所からみた都合のいい人」です。岸田って名前の人いたなあ。さらに、正規ルートの役所情報さえも聞かなかった「鳥類の」総理を思いださないで下さい。

その意味で、私は家康が岡崎メンバーの言いなりでもなく、長家の価値を引き出し使って情報を判断しているように見られる点を注目しています。しかも親族格の外部人材で突出させずに、ポジションを上手く回して貢献させる家康の能力は大したものと言えます。しかも20代です。

なお、久松俊勝(長家)のお墓は蒲郡市安楽寺にあります。

伝通院の政治センス

 しかしこの点で実は母・伝通院が「家康ファースト」(夫より息子優先)で「長家の出すぎ」をブロックしたのではないか、というのが私の見立てです。伝通院自身、政略で結婚離婚再婚の女性です。男性と違い、他家の雰囲気や他家での立ち居振る舞いをよくわかっているからです。

後に、秀吉が家康の息子を養子にくれと言ってきます。結果的には秀康が養子に行きますが、この時の先の候補は同母弟である(久松)定勝です。これを猛反対で潰したのは伝通院です。「息子可愛さ」という説明はドラマ的すぎます。久松が突出して豊臣と近くなり、徳川の中で「浮く」ことを彼女は懸念したのではないでしょうか。伝通院はそうしたセンスを持った女性のイメージを私は持っています。そして伝通院のこうした政治的立ち回りが若い家康を助けたからこそ徳川の菩提寺になるレベルという推測です。

そうすると松嶋菜々子さんのハッキリとした物言いのイメージが近い感じはします。大竹しのぶさんの「のほほん」としたイメージはかなり違います。しかし、清水ミチコさんうまいなぁ。


なお、「久松俊勝」は山岡荘八の小説ですと「野心の無いの善人」のイメージ
です。それを踏襲して描くのかと思いきや、NHKのホームページでは裏切常習犯・適当な男のようなプロフィール紹介があります。どうなることやら。

どうでもいいNHKとの関係


ちなみに、この久松家(家康異母弟)は、久松松平家として伊予(愛媛県)松山に拠点をおきます。どうでも良いことですがNHKの「殿」はこの久松松平の流れ。それも豊臣に行きそびれた「定勝」の子孫です。


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