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松川るい参議院議員の対韓外交論に「韓国語使い」として言いたいこと

松川るい参議院議員に敬意表すも言いたいこと

松川るい参議院議員の旧朝鮮半島出身労働者問題(いわゆる「徴用工」問題)に関する発言が波紋を起こしています。フジテレビ『日曜報道THE PRIME』(2月5日)で展開した松川議員の対韓外交に関する考え方に、一部の識者や視聴者が異論を表明して話題になりました。正直私もここまでの反発に戸惑いました。

これに対し、アゴラで田村和広氏が経緯を検証・分析されており、非常に学ぶ点が多く、触発されました。改めて田村氏への感謝と敬意を記したいと思います。

また、松川氏のブログで論考での説明(役所らしい難解さがあるにしても)やSNSでの丁寧な回答には、国民に政策を訴える政治家の基本を見る思いがして非常に感心しました。

私も内容に賛成なのですが、それでも懸念点などあります。田村氏の分析や門田氏ほかSNSの反応にない点で、松川氏のブログでもあまり出ていないポイントですが、私自身も「韓国語使い」として、言いたいことを6点書いてみました。

(1)ボールを民間企業に戻すことにならないか

仮にこの「財団」での補償の案を実施したとして、韓国の財団が対象となる日本企業の参加を呼び掛けるとする。これに日本の企業が応じない場合、また問題を企業に戻すことにならないでしょうか。

日本の政府関係者は産経新聞(1月12日)によると

「日本企業への求償権放棄が最低条件」「日本企業に債務がないことをはっきりさせ、不可逆的なものにすべき」としているようです。これはウラを返せば、「自発的な資金拠出」は黙認する話にならないでしょうか。実際、韓国側は財団に対する日本の対象企業の自発的な資金拠出(寄付)を懇願しています。

ただ、政治が民間企業に対して「こうすべきだ」と指示するのは正しい姿ではない。

武田良太氏『毎日新聞』2月10日

日韓議連幹事長の武田氏は「企業に出せとは指示できない」と言う文脈ですが、同時に「出すなとも指示できない」ということでもあります。

松川氏の説明は理解できます。「被告企業からの謝罪も被告企業からの支払も得ることも難しい」と韓国政府側も討論会で述べています。求償権も解決です。しかし、形を変え、「人権」を大義にした財団への資金拠出の「寄付のご協力のお願い」のデモが横行しないとも限りません。謝罪も寄付も番組中でやるべきでないと松川氏は明言されましたが、具体的にどのようにブロックされているか。対韓での当事者として私は気がかりです。

支援団体によるデモで「財団への拠出・寄付に応じろ!謝罪しろ!」と連日押しかけるという事態になったら、現場の警備員が対応する問題なのでしょうか。現在でも、支援グループが企業に押しかけて文書受領や面会要求の押し問答で警備員が苦慮するシーンがあります。この映像で蒸し返しに強く反発する世論に火が付きかねません。(日本と比較にならないほどデモが大好きで映像になりやすくメディアが飛びつく)

(2)「これしかない」の違和感:解決案を日本側から持ち掛けていないか

読売新聞編集委員の飯塚恵子氏が日本テレビで「今回の解決案は日本側からムン政権時代に『これが日本側が許容できる限度』として提案していたものだった」としています。そうなると「解決策」が「日本製」ということにならないでしょうか。それで「これしかない」を韓国側が懇願しているかのような説明は八百長です。「八百長」を日本側が持ち掛けている構図では危ういものを感じます。そうでないなら火消しが早期に必要です。

仮にそうなら「押し付けられた」という話で、新たな反発を招かないはずがありません。解決案の出所の経緯を理由に反故にする時限爆弾を日本側が抱えることになります。押しつけられた約束は無効とする文化で、そもそも基本条約の「もはや無効」論争もあるからです。

オフレコ情報のありかたも含めて「横着な嘘」(五百旗頭薫『嘘の政治史』)になっていないでしょうか。

もし「必要悪」なら江戸時代の日朝外交を想起しますが公には言えないことです。

(3)「今がチャンス」は「民族原理主義政権ではダメージコントロールできない」の裏返しなのか

「今がチャンス」が繰り返し言われます。国際環境の変化やモメンタム、尹政権の基本姿勢です。この点は賛成です。しかし、対韓外交の実情のほうが私は問題ではないかと思います。例えて言えば「台風一過の晴れ間に急いで堤防修理」だけでいいのかと言う点です。また台風来るからです。

「民族原理主義政権」下で、ダメージコントロール(ダメージや被害を必要最小限に留める)がうまく行かず、事前の警告も失敗しました。民族原理主義政権で妥協しろではなく対話すら全くできないまま事態が悪化していった(他のトラブルが続けて起きた)点は非常に気がかりです。青瓦台と全く意思疎通できない状態で民族原理主義政権に対するパイプやアプローチが十分とは言えないのではないか、と言う点です。武藤正敏氏の文在寅批判は問題原因を「民族原理主義政権」に帰結させ、自身の「想定外」事態への裏返しともとれます。私自身も内容に賛成なのですが、それだけでは十分ではないということです。

別の言いかたをすると、知日派や欧米の国際機関で日本語・英語・国際法も熟知した「話がわかる」人ばかりのパイプでしかアプローチできないから、「今がチャンス」になっていないかという疑問です。

SNSでも蒸し返しに対する拒絶反応は強く見られるだけに、民族原理主義政権でのダメージコントロールの検証・検討は必要だと思います。ここに、役所の「失敗を絶対認めない」体質も加わっています。今すぐにどうではないにしても中期的には対応が必要です。


(4)河野「無礼」発言時との相違点が「見えない」ポイントか

2019年7月に河野外相(当時)が韓国の南官杓大使(当時)に抗議しています。この時に飛び出た「無礼」発言は当時大きく注目されました。

感情を込めた映像は誠実な論理の説明より強烈に印象に残ります。SNSで反発する人たちにも、この時に提案されていた内容と同一と言う印象が残ってないでしょうか。

一方で、「無礼」とまで言っただけに、当時韓国側から打診のあった内容と具体的な相違点の説明が必要です。「無礼」発言の「上書き修正」です。

河野「無礼」発言は松川氏のテレビ出演やブログでの誠実な説明では「上書き」できないインパクトを(河野氏のキャラもあいまって)持っています。この動画の印象の影響は考慮すべきでは、と思います。「無礼」発言は目に見えますが「解決策」の内容は「目に見えない」からです。

SNSで反発する人も「河野ですら無礼と言ったのにひっくり返したのか」感があると思います。河野氏の口から上書きも難しい状態です。反韓はたいてい反河野なので火に油どころかガソリンを注ぐことになります。

(5)「これしかない」をプロセスで国民向けに言うのか

また「これしかない」「唯一の解決策」という言い回しがあります。私が思い出したのが2冊の本です。陸奥宗光『蹇蹇録』「余は何人を以て此局に当らしむるも亦決して他策なかりしを信ぜむと欲す」

若泉敬『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』

この重さは言うまでもありません。両名とも死後にこの苦悩が公開されています。

歴史的な外交当事者の苦悩の独白と、ほぼ同じ言い回しを、交渉過程で国民に理解を求める言い回しとして外務省関係者の口から出たことに、私は強烈な違和感を持ちました。個人的な感想ですが。

(6)「安倍なき外交」の不安感に松川氏は「被弾」か

もう一つの側面で痛感したのは安倍総理の悲劇のあまりの大きさです。

松川氏も紹介した「安倍総理の慰安婦合意で保守系反発への対応の苦労」の指摘はよくわかります。私自身も当時慰安婦合意は懐疑的でしたが、最後は「安倍さんなら」で納得しました。慰安婦合意での構図などを踏まえた松川氏の説明も、それ自体は正しくても、安倍総理だからこそ納得という面があります。安倍さんの悲劇の後には誰もこの役割ができません。不安です。門田氏のコメントでも安倍安倍出てくるところにこの不安が読み取れます。悲劇の最期の一方で国葬でないがしろにされた事や奈良に追悼施設すらない不満が支持層に鬱積しています。

そう考えると、外交政策での「安倍総理がいない不安」を松川氏にぶつけて、思い通りの反応が出てこない不満がツイッター上で直撃したのではないか、と思えます。似たような現象は今後、高市早苗氏に起こると思います。安倍支持層は、今なお「安倍総理」を追い求め続けているからです。

安倍総理生きていたら、反発する人たちも「松川もナニ言ってんの」で過ぎて反発1/3程度だったように感じます。最後は安倍総理だからです。

それを「私に求められても」とするより、安倍総理のいない不安や不満をぶつけるに値する政治家として認められている、とポジティブな読み替えも必要かなと言う気もします。松川氏の誠実な説明とすれ違う背景は、反発する人はそもそも論理ではなく不安と不満のはけ口を求めているからです。

おわりに

再度改めて、むしろ「敢えて火中の栗を拾うかのように国民に対する説明役を自ら買って出た政治家としての勇気と使命感」に大きな敬意と共感を感じたゆえに、触発されて私も「韓国語使い」として思うところを書いてみたことは付言し感謝したいところです。


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