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加瀬英明先生を追悼する
加瀬英明先生が長寿を全うされました。
先生の著書も多く読み、学んだだけに感謝とそして惜別の念を禁じ得ません。特に西欧の歴史や古典、宗教に通暁され、これを平易に解説した著作には多く唸らされました。
TBSブリタニカ百科事典の初代編集としても知られ、西欧に関する該博な知識がここにも反映されているとも言えるでしょう。図書館には必ず所蔵されています。
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西欧論、ユダヤ論、イスラーム論、中国韓国関連や歴史論についての著作はは先生のホームページにも出ています。
一方で先生の父上の加瀬俊一氏は、大戦での降伏文書調印にも立ち会った外交官で拙稿でも取り上げています。単なる親子のやり取りではなく、歴史の一断面でしょう。
数多ある先生の著作の中で、私が印象に強く残る一節です。古典・歴史・語学の該博な知識もさることながら、現代史の証人でもありました。
私(注:加瀬英明先生)は日本が8月15日に戦争に敗れた時に、国民(小)学校の3年生だった。
10月2日に、母寿満子に連れられて疎開していた長野県から、東京に帰った。見渡すかぎり、焼け野原だった。
5月25日の大空襲で、四谷信濃町にあったわが家も焼失していた。
父(注:加瀬俊一氏)は外務省北米課長として、進駐してきたアメリカ占領軍との折衝で忙しかったから、同じ信濃町にあった借家に、遅くなってから戻ってきた。
私は父に会うと、子供心に「東京がこんなに壊されてしまったけれど、日本はどうなるの?」とたずねた。
すると、父は「アメリカは日本中を壊すことができるが、日本人の心を壊すことはできない」と言った。
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謹んで冥福を祈ります。
と一般的に言ってしまうと先生の「冥福を祈る」についての東西の思考の相違について説明がありそうな気もしますが、それが聞けなくなったことが残念、と言うところです。