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北海道旅行記:夏に北の大空と大地の下で感じ考えたこと

令和6年7月末に勤務先の社員旅行で北海道に行ってきました。これまで行きたいと思っていた北海道に初めて旅する機会を得ました。「食べ物がおいしい」は皆一様におっしゃいます。確かにウニイクラカニなど海鮮、ジンギスカン、乳製品は最高でした。

しかしグルメの感想は誰しも書くところですので、少し別の角度、歴史や政治経済に関連し、盛夏に北の大空と大地の下で感じたことなどを書きたいと思います。

出発地は名古屋です。降下開始して、下北半島が見えました。

上空から苫東が見えて「百聞は一見に如かず」

まもなく、苫小牧東上空通過。世界最大級の地上タンク式石油備蓄基地である苫小牧東部国家石油備蓄基地が見えました。エネルギー政策として、石油備蓄基地があることは知ってはいましたが上空から見てその大きさに驚きました。百聞は一見に如かず。

そういえば2018年11月に日本初のブラックアウトが北海道でありましたが、その苫東厚真火力発電所も遠くに見えてこれも驚き。見えるのはそうだろうと思いはしますが、実際実物みるとちょっと驚くものです。

工事中の「ラピダス千歳」が見えた

工事中の「ラピダス千歳」と思われるのも見えました。進出の理由が土地が広いからとの説明を実感しました。報道での字面だけですと「ふーん」ですが、これも実物見て納得しました。

そのほかの原野の緑、牧場の芝草に北海道らしさを感じました。新千歳空港に着陸。思ったよりスムーズに荷物も出てきました。

空港ビルから、観光バス乗り場に移動した瞬間、え、と思った涼しさ。10時で気温25度。名古屋は連日36度以上の体温越えが続いていたので、この気温にまず驚きました。何より湿度の低さ。乾いた感じの心地よさです。

バスはエルム観光バスさんでした。

出発してガイドさんにエルムって何の意味?と聞いたら楡(ニレ)の木とのこと。そういえば北海道大学の美称は「エルムの杜」でした。

千歳で政府専用機格納庫が見えて基地警備の脆弱性の問題を思いだした

出発後すぐにガイドさんの案内で、政府専用機格納庫が見えました。政府専用機を運用する航空自衛隊の「特別航空輸送隊」は千歳基地にあり、訓練や整備をしています。

https://www.mod.go.jp/asdf/sag/

周辺のセキュリティ大丈夫なのか、私は気になりましたが、車窓でも反対側であったのでよく見えませんでした。先に、海上自衛隊の護衛艦でのドローンでの空撮もあり、基地警備の脆弱性についてふと思い出しました。

空港出てすぐの千歳周辺でも既に牧場と原野の北海道の風景が目に入ってきました。北海道に来た、と実感しました。

札幌市役所のデタラメ経営を実感したエスコンフィールド

続いて北広島市のエスコンフィールド見学。ファイタースの根拠地です。球場のフィールドと観客席の近さがうらやましくなりました。ドラゴンズの貧打は、ナゴヤドームが広すぎることが原因と思ってきただけにタメイキ。

ファウルゾーンの基準を満たしてない問題がありましたが、むしろ基準そのものが問題です。エスコンのサイズの方がファンは喜ぶと思います。既成のルールそのものに懐疑を全く抱かない日本の問題を垣間見た気がします。

当日は野球の試合のない日での球場見学でしたが、日本ハムが経営しているだけにお役所仕事でない球場経営が随所に見られました。札幌ドームのお役所経営の悪名は、他山の石とするべくもっと知られるべきと思いました。

考えてみれば試合のない日も見学でき、飲食店が並んでいます。日本ハムの経営だけに、フランクフルトは当然ですが肉料理が充実していました。ビジネスの視点で注目するのは、社員研修旅行でもあるだけに大切なのです。

東本願寺が作った道路:国道230号線をゆく

宿泊先は定山渓温泉のホテルです。定山渓へ国道230号線を行きました。この国道230号線はいわゆる「本願寺街道」です。明治新政府も資金難から北海道開拓に東本願寺の資金を借りている点は注目されます。もっとも、「定山」渓を発見した美泉定山というお坊さんは曹洞宗なんですけど、というツッコミは入れたくなります。

ホテルの夕食朝食温泉が素晴らしいことは言うまでもありませんので省略しますが、驚いたのが露天風呂への扉が二重になってたこと。寒冷地を実感。

朝の出発の時の沿道に7月末と言うのにアジサイの花が咲いていました。気候の違いを実感しました。朝の出発は時間が押していたのでルート変更。札幌市内通過し、岩見沢を経由で富良野に行くと時間がかかるので、恵庭ICから道東道経由で占冠ICかららのルートに変更。定山渓から恵庭ICへの山越えの山の「深さ」に驚きました。エゾ鹿の小鹿を見かけました。

恵庭ICから高速すいてるなあと思いましたが、運転手さんの「今日は夏の観光シーズンで混んでるから時間かかってすいません」と言ったのが印象的でした。占冠から富良野まですぐだと思っていましたが、1時間半以上かかりました。南富良野、上富良野と看板が出ていましたが、隣のまちで40kmの表示でちょっとした衝撃。「青い池」のある美瑛町まで大空と大地が広がる風景がずっと続き北海道を実感しました。

北海道なら「温暖化のナニが悪い」で良いと思った

車窓から北海道の家々を見ました。私たちの住んでいるエリアとは全く異なる風景。まず和風の住宅を見ないことや小さいこと、煙突があること、屋上に上がる階段があること、雨どいが無いこと等々。これらは全て寒冷地だからなのだとガイドさんの説明がありました。

私が特に驚いたのが、灯油タンクの大きさ。暖房で使用する灯油の量はかなりの量だと推測しました。当然コストも昨今の原油価格だとしんどいのではないかと推測。

北海道庁でも対策はいろいろあるようですが、「啓発事業」は何なのだろうと思います。これだけ原油価格高ければ、消費者もそれなりに対策はするはずです。行政の啓発活動の予算は役所の「やりました」事業でムダだと断言します。

北海道あったまろうキャンペーン」までやっているそうです。はじめ冗談かと思いましたが、担当部局の名称。「温暖化対策課」。

冗談のような話を大真面目に取り組んでますね。北海道なら「温暖化のナニが悪い」という話が正面から出てきてもいいと正直思いました。

「青い池」でオーバーツーリズムの実態を見た

「青い池」。観光そのものより、まさに「オーバーツーリズムの現場」を見たことを実感しました。青い池では中国語と韓国語が多く聞かれました。

駐車場が混雑していたこともあって、特に中国人を乗せた中国の観光バスの駐車場で強引な割り込みのマナーの悪さに驚きました。一方で私たちの乗ったエルム観光の運転手さんガイドさんが、観光の待ち時間にも他会社のバスの駐車を誘導する姿には感心しました。

携帯電波「人口カバー率99.99%」の数字に何の意味があるのか?

途中で驚いたのが携帯の電波が入らないこと。バスでの移動中に添乗員が同行のバスとのスケジュール調整で電話していましたが、電波が途切れ途切れになり、LINEも使いながらなんとかやりくりしていました。

考えてみると携帯キャリア会社だけでなく、総務省も「携帯電話のサービスエリアの居住人口の割合(人口カバー率)は99.99%」と説明されます。

そもそも「携帯電話は移動中に使用する」ことを考えると「国道でのカバー率」という視点がでの数値がなぜ無いのか?ということは思いました。

そもそも「政策」で99.99%という数字が出てきたら、これを疑うのが普通と思います。99.99%は役所の「やってます」を証明する数字、役所を守るための数字であって、北の大地で携帯電話を使用する人のための数字ではありません

「北の国から」の舞台の寂しさから北海道の実態を感じる

青い池から富良野へ。「北の国から」で見たような風景がずっと続きます。「北の国から」が大好きな同僚が感動していましたが、「フィルムツーリズム」という言葉を初めて知りました。

一方で、春に廃線になった根室線の跡が列車の通ることがなくなった踏切に置かれた柵。寂しく感じました。

続いて、夏の美瑛四季の丘を見学。

正直言ってこれで500円は安いと思いました。集合写真撮影後にトラクターバスに乗りきれいに整備された花畑を見ました。ただ考えてみれば、この短い夏の期間しか稼げるときは無いだけに他の季節はどうされてるのだろうと感じました。

「かわいい~」だけでないキタキツネの実像

富良野で車窓から刈り取り後の麦畑でキタキツネを見かけました。

女性従業員がお決まりで「かわいい~」と声を上げていましたが、私は思ってたよりかなり痩せていたのが印象深いものでした。ガイドさんからキタキツネのエキノコックスについても聞きました。北国のいい面だけでなく大変な面も当事者の視点からのひとことは重いものがあります。

石狩炭田発祥の幌内は当時最先端のインフラがいち早く開通

帰りは三笠IC・岩見沢SA経由でした。三笠市内を少し走りましたが、産炭地域で車窓からの風景でも寂れた様子を感じました。

しかし、三笠市の幌内は北海道では初めて本格的坑内堀炭鉱の開業した石狩炭田発祥の地です。ガイドさんの「あちらに見えますのが~」で説明されましたが、知ってはいた内容であっても、ちょっとした感動。

明治新政府は石炭を運搬するため鉄道を開通させました(手宮・幌内間1882年明治15年)。同時に注目されるのは電話開通(手宮 ・幌内間 1883年明治16年)など、石炭を運搬する陸運と通信のインフラをいち早く開通させています。エネルギー産業の栄枯盛衰の無常を感じました。

さて、高速道路。車窓からの大空を広く感じました。岩見沢SAのトイレが大混雑大渋滞。普段ならこんなに人がいないから小さいのだろうとは思いました。夏の観光ハイシーズンだけこんな感じで冬は閑散としているかもしれません。トイレの手洗いが夏なのにお湯で出てきました。お湯で出てくるのが初期設定?と驚きました。考えてみれば北海道はこれなんだと実感。

「北の脅威」が札幌の原点

札幌ICからホテルへ。札幌市内の碁盤の目状の街路「計画都市」を実感しました。札幌市中心部を走るのはこの時が初めてでした。事前に地図を見ていたおかげで、ああここをこう曲がるかな、という予測が当たりました。

さて、札幌について。明治新政府はその成立の動機にも「北の脅威」が意識されています。明治初年にはロシア人の樺太居住が増え、さらに南の地域へも進出していました。政府はロシアへの防御体制を強化する必要がありましたが、当時の拠点・函館は南に位置しすぎていました。より北に近い「新拠点」として札幌を選んだと言えます。「北の脅威」の視点が今とは比較にならないほど大きかったのは、文献を読んで知ってはいたものの、現地で強く感じたのが今回の旅の大きな収穫です。

さて、札幌市内のホテルに宿泊し、夜は居酒屋で海鮮を堪能しました。

北海道神宮の鳥居に開拓の意思を感じた

朝、ホテルを出て二条市場を経て北海道神宮参拝。北海道神宮の鳥居は日本最大級です。その大きさをガイドさんが説明してくれました。ただ説明には無かった点が私の視点としては非常に重要です。

この日本最大級の大鳥居は一般の神社と異なり北東に向けています。(一般には神社は南か東向きです。)なぜかというと明治の創建当時から北海道開拓の方向性という意味だけでなく、千島樺太を見据え、北東の脅威ロシアに対する守護、「北鎮」を象徴させています。

北海道神宮の散策。北海道神宮は桜の名所として知られて、梅と桜が同時に咲くようです。

ここに植樹されているのは、ソメイヨシノ、エゾヤマザクラ、ヤエザクラなどの桜の木です。この由来も説明板にあります。

明治八年四月、手稲村(当時)の住人福玉仙吉は、山々を歩いて集めた桜(エゾヤマザクラ)百五十本を初めて献木しました。当時の境内周辺は巨大な老木や灌木が鬱蒼と茂り昼なお暗い状況で、道路という程の道もなく参拝する人はほとんど見られませんでした。このエゾヤマザクラは、第二鳥居から社殿に向かって左右両側に植えられました。

北海道神宮の桜の由来

昼なお暗い」は北海道開拓史には必ず出る表現です。開拓民たちが桜を植えた想いを考えると思わず涙がこぼれました。

海運と陸運の結節点として小樽を重視した明治新政府・開拓使

小樽は北海道最古の鉄道開業の地です。明治13年(1880年)の開業ですから日本初の鉄道開業新橋横浜間が明治5年(1872年)ですので、その8年後にあたります。

それだけではありません。東海道線全通は明治22年(1889年)ですので、北海道最古の鉄道はそれより9年も早いのです。この速度感は何なのか。北海道開拓を急ぐ明治新政府の焦りと意気込みが伝わります。海運と陸運の結節点として小樽を重要視した明治新政府の北海道開拓への「強い鉄の意志」を改めて感じました。

興味深いのは、米国製のレールや機関車が多数使用されていること。明治初期の鉄道の歴史を辿ると英国製の機関車やレールが出てきますが、北海道では「開拓」ということでの米国への親近感があったのか、当初から米国製が多用されていたことに注目しました。

「北のウォール街」南樺太の中継拠点としての意義

小樽はかつて「北のウォール街」でもあり、旅行ガイドでもよく出てきます。そこで日本銀行旧小樽支店の見学しました。

明治初年の開拓時は漁業や開拓で資金の貸付が必要でした。明治新政府は開拓使に資金貸付をやらせていましたが、お役所仕事がうまく行くはずありません。明治29年に日本銀行も小樽に進出。民間金融が北にも広がり産業の勃興を支えました。

ところでなぜ小樽なのか。当時ロシアの脅威が迫る中で南樺太への進出を見据え、中継拠点としての意味もあったからです。「南樺太」というと、本州に住んでいる私たちにとって「遠い話」かもしれません。しかし、小樽に来てみて初めて実感したのが「樺太」の近さです。

想起したのが「サハリン2」です。ロシアによるウクライナ侵攻から「サハリン2」のプロジェクトがどうなるのか。サハリン2への日本企業の出資はどうなったのか。樺太を中継した意味を持つ小樽で改めて考えさせられます。

千歳の「軍民共用」は「人間の盾」として戦争犯罪の可能性すらある

帰りは再び新千歳空港から。なぜ「新千歳」なのか。千歳は軍用の基地で元は軍民共用だったのを滑走路を分離したとは言っても実質的には一体です。最近はガザの病院をイスラエルが攻撃したことが問題になりましたが、国際人道法をいわば逆手に取った「人間の盾」と見なされる問題もあります。その意味で軍民共用の空港は非常に問題があることを空港近くの車窓から感じました。

個人で行くなら行きたいところ

さて、今回は勤務先の社員旅行でしたので、個人で行ったら行きたいところとはまた別です。個人としては北海道の冬の厳しさを経験しないと北海道は分からないのではないか、と思いました。

社員旅行で行った範囲で個人として行きたかったな、というのは以下のようなところでしょうか。改めて個人で行くときのためにメモしておこうと思います。

今回は旭川まで行けませんでしたが、旭川にも行きたかったところです。

おわりに、エルム観光さんの運転手さんやガイドさんの案内に感謝したいと思います。

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