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葉梨法相更迭から考える歴代法相の「死刑執行」の考え方

葉梨法相が死刑関連発言で更迭。その発言の是非ではなく、法相が制度上執行のハンコを押すのはその通りで脚光を浴びることが良いかどうか考える機会だろう。そこで死刑やその執行についてのこれまでの法相の関連発言を振り返ってみよう。そうすると今回の発言の「軽さ」が際立って見えてくる。

筆者としては、死刑制度の是非と、刑の執行を混同した議論は適切ではないと思うし、個人の思想信条を理由に刑の執行を回避することは人道主義でもリベラルでもなく単に職務放棄・政治判断からの逃避だろう。法相の在任1年を超えても執行が無いのであれば、退任時に厳しく追及すべきでもある。

さらに自民党内でも死刑反対論者は「法相不適格者」として選挙の際にも公表すべきだろう。思想信条がダメなのではなく、法相として不適格なのは明確にするべきというだけだ。

このうち宗教が関係しているのが2名(左藤恵・杉浦正健)おり、いずれも浄土真宗大谷派が関係している。そうすると、今話題の政治と宗教ではないが、法相不適格者として個人の信仰を問いただす必要も出てきてしまうことになり、非常に問題がある。

逆に法相として不適格ということで本人の信仰を尊重する必要もある死刑の執行を法相として無理強いすることで本人の信仰をないがしろにしていいのか、この問題意識もある。

さらに、一般職員の刑務官が信仰をタテに刑務の執行を放棄していいのか。

まず昭和を振り返ろう。昭和の間の以下の2年だけは死刑が行われていない。それぞれの事情も考えてみると、2名の法相の判断によるところが大きい。

昭和39年(1964年)この年は賀屋興宣法相(池田内閣)の判断が大きい。賀屋氏自身、戦犯として東京裁判で訴追され(東條内閣蔵相)A級戦犯として終身禁固刑を受けた。巣鴨で服役中に刑場に向かうA級戦犯を目の当たりにした経験が背景にあるのかもしれない。一方で、前任者の中垣国男氏は33人の死刑を執行している。

昭和43年(1968年)この年は赤間文三法相(佐藤内閣)が死刑執行を回避していた。在任中は死刑執行の決済を求められると「勘弁してくれ。今度、俺にお迎えがきたらどうする」などと理由をつけて命令書に署名せず、死刑の執行が一件も無かった。なお赤間氏は大阪府知事としても知られている。

そして平成に入り、死刑執行が無かった3年間(1990年~1992年)がある。ここが執行が話題になった起点のようにも感じる。平成以降の法相と在任日数・執行数などをまとめた。

歴代法相と執行数

①長谷川信法相は1990年3月に就任したが9月に皇居での内奏後に倒れそののち死去②梶山静六法相が交代したが、100日ほどで内閣改造で交代。

左藤恵法相が1年足らずの期間あったが、本人が真宗大谷派寺院の住職であったことから、宗教的信条から署名をしないとする報道もあった。
④田原法相(宮沢内閣)は「退任の日まで死刑執行命令書が一度も上がってこなかった」と説明したが詳細は不明だ。本当だろうか。死刑に関して責任回避でのウソであれば歴史的に糾弾されるべきだろう。政治家が責任回避でウソをつくことは普通にある。だからこそ自由な議論や検証が必要で「政治史」という学問分野が存在する。

⑤この空白期間をやめたのが後藤田正晴法相(宮沢内閣)で、93年3月に執行。これに関しては大きく話題になり、本人含め多くの論考がある。

官邸の中で新閣僚の記者会見が必ずあるんですね。その時いきなり聞かれたのが、今死刑の判決を受けて執行していない人が五十数名(私注:1992年当時)たまっているというんだけれど、これについてはどう思いますか?あなたは執行命令を決裁しますか?という話があった。そこで僕は言下に、現在制度として死刑があって、何百人という人の目を通して、これは間違いないということで死刑の判決は最終確定しているはずだ、現在の法律では少なくとも六ヶ月以内に法務大臣はそれを執行しなければならないことになっている、それを考えた場合、これを決裁しないというわけにはいかない、それは必ず決裁するよ、と言った。それはなぜですか?と言うから、法律の意義というものはそういうものだよ、といったようなやりとりがあったんです。・・少なくとも今死刑制度がある以上、裁判官だって現行制度をきちんと守って判決をしなければならないと思って、敢えて判決をしているわけですね。それを行政の長官である法務大臣が、執行命令に判を捺さないということがあり得るのか。それはおかしいというのが僕の考え方です。・・いきなり執行命令書にどうぞご決裁を願います、というのとは違うんだ。その書面に判を捺さなければならない法務省内の幹部全員を大臣の部屋の会議席に並ばせるんだ。そこで調べた人が全部報告するんですよ。その前で全員が判を捺す。つまり法務大臣一人に判を捺させるということはしないんだな。そこは非常に、法務大臣の重荷を、事務当局としてはできるだけ軽くしようと配慮している。・・そう軽々に、私は執行命令に判を捺したつもりはありません。これをやらなければ法秩序が死んでしまうということです。改めるならば制度論でする、ということです。

後藤田正晴『情と理』講談社1998

⑥中村正三郎法相(小渕内閣)時に死刑の日時などを公表するようになる。

高村正彦法相(森内閣)が143日在任だったが、執行無し。政局などで在任期間の問題はある。「日本は法治国家です。裁判所が決めたことを精査し、間違いがなければ判を押すのは当然でしょう。特別の信念があって押したくない人がいてもよいが、そういう人は法相を受けるべきではない。」

⑧杉浦正健法相(小泉内閣) 
これを筆者は最も問題視したい。
就任時に真宗大谷派の門徒であることから「死刑執行のサインをしない」「私の心の問題。宗教観というか哲学の問題です」と発言した(1時間後に撤回)。
なお、後年の政界引退時に「死刑反対論者ではないが、信条に従った」と発言している。

法相としての規定された職責より、自身の信仰を優先したわけで、今回の葉梨法相より問題が深い。執行しないことを良しとするメディアの風潮によってその後スルーされているが本来は、これで更迭どころか罷免級の大問題発言だろう。

⑨鳩山邦夫法相(福田内閣)
宮崎勤(東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件)の執行について「宮崎の事件は『もっとも凶悪な事案の1つと思うから死刑を執行すべきだと思うが検討しろ』と私から指示した。あそこまで非人間的というか、悪くなれる人間がいるんだなと思った。『こんな奴、生かしてたまるか』と思う」

「法相である限り耐えなくてはならないと考える。私は法相就任中、13人の死刑囚の死刑執行命令を下したが、いずれも大臣室に一人でこもり膨大な資料を読み慎重に判断を下していた。執行前日には必ず自分の先祖の墓を参った。初の死刑執行以後、現在まで毎朝、自宅でお経を唱えている。それだけ法相の責任は重いと感じている」『産経新聞』2021年10月16日

⑩千葉景子法相(鳩山内閣)
就任後の国会法務員会でも「死刑制度がなくなることが好ましい」と制度反対の立場だった。一方で死刑執行の際に立ち合い、刑場の部分公開を行っている。「判決に関わる裁判員だけが悩むのではなく、国民的な議論が必要」
「執行についての明確な責任者、国家権力として少なくとも最終判断者が状況を知らないのは無責任であり違和感を覚えていた。そのため、執行を決断した場合には立ち会わねばならないと考えていた」

⑪江田五月法相(菅直人内閣)
「死刑というのはいろんな欠陥を抱えた刑罰だ。国民世論や世界の大きな流れも考え、政治家として判断すべきものだ」「もともと人間はいつかは命を失う存在だ。そう(執行を)急ぐことはないじゃないかという気はする」「欠陥というとちょっと言葉がきつすぎるので訂正したい」と撤回。「どんな命も大切にということが世の中になければ、温かい人間社会はできない。そういう意味で、取り返しのつかない死刑にどう向き合うかは本当に悩ましい。」

これも話にならない悪質な問題発言だ。制度と執行がここでも混同されている。裁判員も含め、検察・裁判所が調べに調べ検討に検討を重ねた結果を、
こうした個人の制度と執行を混同して執行しないのを良しとする、いわゆる「リベラル」の偽善そのもの
だ。おまけに、国民世論と言いつつ判断を回避する、隠れた「上から目線」に出るのは反吐だけだ。こういう隠された「愚民感」を許してはいけない。

⑫小川敏夫法相
「内閣府の世論調査でも、85%の国民が死刑を支持しており、また裁判員裁判においても死刑は支持されている」「死刑執行は法務大臣の職責であり、法律の規定通りに職責を果たすことが法務大臣の務めである」

⑬谷垣禎一法相(安倍内閣)
「過去に執行命令書への署名を拒んだ法相が何人かいましたが、法相を引き受けておいて死刑を執行しないなんておかしい。法律で死刑という制度が定められていて、その執行は「法務大臣の命令による」と書いてあるのですから、個人の信念や宗教上の理由で執行しないのは間違っています。」「私は大臣室の引き出しに仏像と数珠を入れておき、署名時に手を合わせていました。

⑭上川陽子法相(安倍内閣)
オウム事件での執行。実はこのとき法務副大臣として副署したのが、今回の葉梨法相だった。

法務副大臣として葉梨氏もハンコを押している


こんなやりとりもあったようだ。
記者 「上川法相は敬虔なカトリックのクリスチャンでありますが死刑の執行についての立場はどうなりますか?」
法相 「法務大臣の職にありながら思想・信条で手続きをしない、というのは職務の放棄にあたると考えています」

なお、菅内閣での法相再任の1年は執行しなかった。前回の執行が「重かった」のは想像に難くない。

⑮山下貴司法相(安倍内閣)
53歳の戦後最年少で法務省出身者の法相就任。そうした矜持からか、以下のようなツイートがある。これを見て改めて本稿で振り返って考えてみようと思った。記して感謝します。


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