
黄色からみるキリスト教文化の基底
洋の東西での黄色の扱われ方から、世界史を考えるのも面白いのではないかと思いました。
東アジアにおいては、黄色は貴い色として扱われています。令和の御世代わりにでの拙稿を参照されるとありがたいところです。
一方で、西欧では黄色は敬遠されています。
諸説があるようですが、私は、西洋におけるキリスト教とユダヤの関連に注目しています。イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダの衣の色が黄色だったことから、西欧では黄色には負のイメージがついたという説が有力なようです。
これが「黄色=ユダヤ」のイメージを決定づけて花言葉に及んだ、ということのようです。
反ユダヤと言うとナチスドイツがすぐに浮かびます。

しかし、反ユダヤはナチスドイツの専売特許ではなく、実は西欧中世では普通に行われています。(ナチスを弁護しているのではありませんので念のため)
キリスト教徒とユダヤ(およびムスリム)を衣服で区別させることを、第4ラテラノ公会議(1215年)では決議もしています。
この点は世界史の教科書レベルの話だが用語だけで詳細は避けています。避けるのが「大人の智恵」と理解するのが教育なのかもしれません。
ここで地域によってはユダヤ人に黄色の布の標識を着用させる制度が生まれました。背景には法外な利息の取立などユダヤ金融業の規制の意味合いがあるとはされています。
この経緯から黄色には「裏切り・嫉妬・排斥」といったネガティブなイメージが定着したようです。
一方で、近代でナチスドイツはユダヤ人に黄色のバッチを着用させていますが、これは中世にあったユダヤ人迫害運動の反復であると言えます。ナチスの専売特許として、これを黄色のネガアティブな解釈の起点とするのは近代だけに焦点を当てすぎているのではないかと思います。
現代では、西欧とイスラームの対立構図を識者がよく指摘されますが、これは現代に限定されたもので、キリスト-ユダヤの歴史的対決構図のほうが時間軸としては遥かに長いものがあります。
西欧史はカトリック-プロテスタント-ユダヤでの三つ巴構図で理解したほうが日本人にとっては妥当ではないかと思います。
西洋の中にあるキリスト-ユダヤの対立構図は正面からは語られにくい、語りにくい事情もあります。
しかし、これを読み解かないと、西欧における経済史や金融史のキーポイントが欠落して、日本人にとっての西欧史の全体像を見失うのではないだろうかと思います。
【参考文献】
レオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史』1-5巻 筑摩書房1977