G7外相会議で「ウェストファリアの平和」(Pax Westphalica)を回顧
2022年11月はじめにドイツ・ミュンスター市でG7外相会議が開かれました。
ミュンスター市は「ウェストファーレン」と呼ばれる地方にあり、30万人の都市でドイツでは20番目です。
日本のメディアはほとんど報道しませんでしたが、ミュンスター市は30年戦争を終結させ、近代国家体系の基礎を作ったとされる「ウェストファリア条約」(1648年)が締結された場所です。高校の世界史の教科書には必ず出てきます。
画像で見比べると同じ場所とわかると思います。1577年に彫られた木製パネルで覆われています。
ミュンスター市による「平和の間」(hall of peace)の説明は以下の通りです
当時の油絵はこちらから
ミュンスター市の日本語による観光案内
正確には、ミュンスター条約とオスナブリュック条約の双方からなる「ウェストファリア講和」をまとめて一般的にウェストファリア条約と呼んでいます。このミュンスター市庁舎の部屋ではミュンスター条約の批准文書の交換と公布されました。
オスナブリュック講和条約はカトリック勢力を率いた神聖ローマ皇帝(オーストリア)と、プロテスタント勢力の主柱だったスウェーデン女王の講和問題を主な内容としています。ミュンスター講和条約 (Instrumentum Pacis Monasteriensis)は、神聖ローマ皇帝と、カトリック国でありながらプロテスタント側で参戦したフランス国王との講和問題を中心とする条約でした。
また戦争の主要当事者には他にもう一つ、カトリックのスペインがあり、主にフランスと戦っていました。スペインも講和会議に参加したが、ここでは妥結に至りませんでした。
国際法学者からは、近代国家形成の起点と見なすのは否定的なようです。
しかし、西欧世界は「教会>世俗」だったが1648年からの西欧世界は「教会<世俗」となっていく起点になったのは間違いないだろうし、同時代に印刷革命や科学革命も起こっており、「近代」の方はこのあたりで確実に始まっています。
歴史的には画期的な区切りの舞台でもあった。世界史の教科書の説明が学説上の中立モドキでかえってわかりにくくなっている感はあります。
ウクライナでの戦争のさなかに、この地で外相会合を開いた意義は小さくありません。
それどころか、G7で日本だけがこの重要な示唆に気づいていないのではないかと、気がかりです。