陸上自衛隊の「セクハラ事件」暴力・銃・正当防衛・戦場の視点で考えてみる
陸上自衛隊で「セクハラ事件」があり、問題になってます。
これを筆者は軍事同盟を結んでいるアメリカの視点で考えてみることで、「セクハラ事件かわいそう」「謝罪あってよかったね」だけで終われない面があると感じ、つらつらと書いてみました。
(1)「正当防衛」と銃武装
自衛隊には武器・小銃や拳銃があります。小銃は何のために携行するのでしょうか。訓練のためだけでしょうか。彼女がもし怒りを報復で小銃や拳銃で(訓練演習などの機会に)加害者に発砲し射殺したらどうなるのでしょうか。一般メディアにはこの視点が欠けています。実際、事件自体は単なる「からかい」や冗談のレベルで済まない暴行事件です。
視点を変えると加害者側も問題行為しても決して正当防衛で報復されないだろうという甘い考えであることがわかります。だから暴行事件が繰り返されているのです。言い換えると自衛隊で銃がそれだけ身近になっていないことの証拠だと感じました。
しかも、女性隊員たちの銃を持つ訓練を非常に少なくしているのは、見方を変えれば「暴力行為に対する正当防衛や報復の機会封じ」とも言えるかもしれません。仮に被害を受けた女性隊員が集団で武器をもって報復に及ぶことをなぜ想定しないのでしょうか。私が懸念するのはこの鈍感さです。
米国での銃武装が肯定されるのに「強者の暴力に弱者が反撃するため銃が必要」と言う論理があります。銃が体力的な力の弱さを平等にするという発想なのだ。アメリカ政治専門の西山隆行氏の論考が参考になります。
実際、仮に米軍でここまでの人権侵害だったら必ず銃乱射や正当防衛反撃を懸念するレベルではないでしょうか。
今回の問題は、彼女の正当防衛や報復の自制と引換に警務隊への通報がありました。すなわち彼女の警務隊への通報は「報復の銃弾」に相当するものなのです。そして警務隊は彼女が銃を使用した正当防衛や暴力での報復を自制したことを、まず称賛し感謝すべきでこれに応えるべきと考えるべきではないでしょうか。
この重大性を警務隊と検察庁が理解していると思えないから問題だとおもうのです。
そこで議論のためアメリカ風に究極のセクハラ再発防止策を提示しましょう。きれいごとを何回も絶叫するより早くて確実です。
「女性隊員が被害受けた場合に正当防衛できるよう拳銃を常時携行」
あえて極論を言いますがこれを否定できるだけの再発防止策が必要で、アリバイ作りの紙の印刷ではダメだということです。
(2)暴力に対する日米の感覚の差
「暴力事件」と捉えるとウィル・スミスのビンタ事件を思いだしてほしいところです。
コメディアンがウィルスミスの嫁の容姿の問題について嘲笑しましたが、これに対し、激怒したウイル・スミスが激怒してビンタに及びました。
日本では嫁想いのウィル・スミスと言うわけで、ワイドショーなどでウィル・スミスに同情的だったようですが、当の米国ではかならずしもそうではありません。ウィル・スミスは社会的に抹殺されています。
なぜか。
ビンタ程度でも容認すれば報復で銃が出て、際限ない銃での暴力応酬に発展しかねないからです。日本のメディア報道はこの点を見落としています。
ついでに女性と銃との関連で言えば、アメリカの銃所持の文化は第一次世界大戦で欧州に派兵された米軍の男性の不在時に都会や上流階級の女性たちが「家庭を守るには銃が必要」と運動を起こしたことも一因との見方もあるようです。奥山真司氏がツイートしています。
(3)軍事組織としての問題意識
繰り返すが、今回の問題のレベルはセクハラという次元ではなく暴行事件です。銃をもつ軍隊内で暴力に対する感覚が極めて鈍感でした。この点こそなぜ問題視しないのでしょうか。
また事件で見逃せないのは、上官が部下に指示をしてセクハラ行為に及んでいる点で組織立っている点です。しかも隠蔽工作までしています。いわば「兵を私した」点で重罪という意識がなぜないのか。この意識が低い点の問題意識もメディア報道に欠けています。
次元の差はあるものの、不適切な動機で組織の実力を私的に動かした点では、論理として、極端な事例だが満州事変や226事件と同じです。だから断じて認めてはならないのです。
(4)国際人道法(戦時国際法)の当事者としての問題
さらに平時ですらこのような感覚の集団が、戦場の緊迫・切迫した場面で国際人道法(「戦時国際法」という表現のほうが分かりやすい)を当事者として順守できるのか?この問題もあります。この点もまた日本のメディアは見落としています。
今のロシアによるウクライナ侵攻での数々の国際人道法違反。これに類する行為が隊内で行われていたのです。自衛隊が「国際人道法の当事者」としての意識を問われている事態です。
例えば「防衛出動」時に敵の女性兵士が1名捕虜になったとしましょう。今回の加害者中心に数名のみで、「誰も見ていない状況」を仮定しましょう。仮に「何もなかった」としても、敵の噓宣伝(プロパガンダ)「残虐非道の行為」を今回はじめセクハラ事件は敵の嘘宣伝を傍証してしまう危険性があるのです。
なぜなら、戦友同僚ですらこのような暴行を起こすなら、捕虜に対してやらない可能性は低いからです。同僚よりも「捕虜を人道的に扱う」と真面目に防衛省が考えるのなら、戦地の実情を知らない平和ボケそのもので、それこそが徹底非難の対象です。
さらに「歴史戦」における韓国の「慰安婦」の強制連行などの嘘も、韓国側はこの事件を「それ見たことか」と利用するでしょう。敵の嘘宣伝を強化した罪は深いと思います。(6)で記述した政治家が登場していることが無関係と言えますか。
だからこそ恥ずべき事件を断じて放置してはならないのです。「セクハラは女性がかわいそうだからやめよう。」このような発想では絶対ダメです。
(5)米国での差別事件に対するメッセージ「他人を尊重できないなら出ていけ」
吉田陸幕長の謝罪が発表されました。加害者の謝罪も発表されました。当然再発防止なのだが視点がありがちなお役所仕事で「教育の徹底」が単に印刷物を増やすだけになる可能性があります。吉田陸幕長も「ハラスメントを根絶するに向けての大臣指示を徹底」と述べています。
https://www.mod.go.jp/gsdf/about/2022/20220929.html
この程度の認識では非常に危ういと感じます。陸幕長など幹部が隊員に直接語るべきときが来ている深刻な状況なのです。
米国での事例を想像してみましょう。2017年秋に米国の空軍士官学校予備校寮で差別落書き事件が起きました。これに対する士官学校長の訓話をぜひ見てください。
仮にこれを放置すれば、米軍の根幹そのもの、社会そのものが崩壊しかねないからです。対立が対立を招き、銃を持つアメリカ社会でどうなるかと考えてみるべきです。
単なるセクハラ問題対応という発想でいいはずありません。軍事組織で体力を背景にした集団暴行事件なのです。経緯として彼女自身が述べています。
人権や暴力の問題に対応する日米の感覚の差を考えて下さい。
(6)結果的に「政治介入」を許した
被害者に応援団が現れました。それ自体が既に防衛省の対応のまずさを示しています。
問題なのが、それが議員であり、政党であることです。よりによって自衛隊に否定的な見解を示す政党や議員なのです。ここで、セクハラ被害者が野党に駆け込めば特別防衛監察がされるという前例を作ってしまいました。
「内部のセクハラ事件があったがもみ消し成功、しかし政党が応援団に入ってから騒ぎになり、しぶしぶ応じた」
こういう構図にしては絶対にいけないのです。
ところが、小野田紀美防衛政務官のお役所作文ツイートはお粗末でした。
政治と軍事の関係は非常に微妙です。米軍だと様々な研究があります。ただ内部セクハラが政治的対立構図-特定政党の主張に発展した事例は他では見られないように思います。
これに関連して、被害者(五ノ井さん)の「自衛隊を批判したいわけではない」の言葉には敬意を表したいところです。
このように今回の事件は単に「かわいそう」などで終われない深い問題を提起もしています。今一度、問題の構図を考え直すべき時です。