存在が加害者になりうるということへの意識
反出生主義において、存在とは異なり非存在は被害者になりえない、ということが強調されがち(そして、これは私たちが皆、出生被害者であるというvictimhood的な連帯に繋がっている)。
だけど同じくらいに、非存在は加害者になりえない、ということが強調されるべきだと思う。
存在は加害者になりうる、そのため他者に加害しないよう注意しなくてはならない、ということを意識することは、私たち人間のこの世界での倫理観の基盤の重要な一部分にもなる。
反出生主義において、存在とは異なり非存在は被害者になりえない、ということが強調されがち(そして、これは私たちが皆、出生被害者であるというvictimhood的な連帯に繋がっている)。
だけど同じくらいに、非存在は加害者になりえない、ということが強調されるべきだと思う。
存在は加害者になりうる、そのため他者に加害しないよう注意しなくてはならない、ということを意識することは、私たち人間のこの世界での倫理観の基盤の重要な一部分にもなる。