安楽死ツイデモに力を与えてしまっている裕福な既婚子持ち健常者の問題
毎週土曜日夜から翌日曜日の朝にかけ、旧Twitter (X)では「国は安楽死を認めてください」のハッシュタグがトレンド入りしています。安楽死ツイデモと呼ばれているものです。私は今回、この事象の要因の一つを考え付いたのでここに投稿します。あくまで要因の一つであり、私の考えた要因だけでこの事象を説明できるわけではないことに留意してください。
まず、現在の社会では、差別や陰謀論や誹謗中傷の蔓延が深刻化しています。これらへの対策は急務です。
一方で、旧Twitter (X)などのインターネット世論では、これらの問題の責任の所在が、生活困窮者や独身者や子無しである人や知的・精神・発達障がい者に過度に押し付けられています。おそらくは裕福な既婚子持ち健常者たちの間で、差別や陰謀論や誹謗中傷の抑止を口実に社会的弱者への抑圧・管理を強化しようという言説が広まっています。このような言説は、差別や陰謀論や誹謗中傷に加担していない社会的弱者への差別です。しかも残念なことに、社会的弱者への抑圧・管理を強化しようとするネット世論は、政治的右派のコミュニティではもちろんのこと中道や左派のコミュニティでも広がっています。
そのため、社会的弱者のなかでも強化された抑圧・管理の下で長生きしたくないと考える人が、将来と比較して比較的自由な社会であるうちに早く死にたいと考えて安楽死ツイデモに参加しているのではないでしょうか。
再三になりますが、これは、あくまでも安楽死ツイデモに関して私が考えた要因の一つであり、私の考えた要因だけでこの事象を説明できるわけではないことに留意してください。
しかし、これが事実としたら、極めて危険な傾向です。なぜなら、少なくない社会的弱者が安楽死を望んでいる(というより、望まざるをえない)状況下では、社会的弱者を殺害することへの心理的ハードルが下がるからです。津久井やまゆり園で起こったような凄惨な事件が再度発生するおそれがあります。
(一応注記しておくと、私は安楽死に関しては慎重な賛成派です。私は全ての人が生存や死亡に伴う苦痛を軽減するための安楽死にアクセスする権利を有すると考えています。一方で、安楽死制度の整備・運用には極めて慎重な議論が必要不可欠であり、現在の日本はその慎重な議論ができる状況にないとも考えています。)
私は、社会的弱者には本人の望むような形で福祉が行われるべきだと考えます。福祉は、全体の利益を目的として行われるものであってはいけません。全体の利益を目的とした政策や制度・慣習は、必ず社会的弱者から自由や尊厳を奪うものになるからです。
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