(個人的に)少女☆歌劇レヴュースタァライトに衝撃を受けたという話
初夏を迎え、気だるい暑さが顔を見せ始めた頃にtwitterのTLを眺めていたら、ある記事の見出しが目に入った。
確か「劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライトが衝撃的と話題」みたいな見出しだったと思う。正直その時はスタァライトのことは1mmも知らなかったし、そんなアニメがあるんだなって程度だった。少し気になったので劇場版の公式サイトを覗くと、まずあらすじが目に止まった。
……当然ながら何が何だか理解ができない。それもそのはずで、TVシリーズの劇場版という流れだから予備知識としてTVシリーズの内容を知っておかなくてはならない。ただその時は漠然と、トップページに並ぶ9人の少女の姿を見て、タイトルからして何か歌ったりするアニメなのかなっていう程度の想像しかできなかった。そして耐え難い、泥のような微睡が脳を、疲れた体を包み、その日はそれ以上知識を深めることなく眠りに落ちた。
睡魔に手招きされるがままに、意識が落ちる最中に思ったのは別に見なくてもいいかなという諦め。
されど、映画は公開期間を逃せばリアルタイムで劇場で見られる機会はなくなってしまう。あの大きいスクリーンで、この家賃数万のボロアパートでは到底再現できない音響で作品が見れるからこそ、映画館はその存在価値がある。作品自体は後にBlu-rayは出るだろうし、今の時代だとサブスクでいつでもどこでも見られるようになるだろう。しかし、大抵その時に思うのだ。
「あの時、これを映画館で見ればよかった」と。
それになぜ、劇場版スタァライトが衝撃的なのか。その正体すら掴めないことに引っ掛かりを覚えていたのも確かだった。おそらく夏が過ぎるころには劇場公開は終わっているはずだ。後に後悔をしないためにも、或いは労働からの逃避として自分は「少女☆歌劇レヴュースタァライト」を見始めた。
「あの頃には戻れない。何も知らなかった日々。胸を刺す衝撃を浴びてしまったから」
全12話を見終えた時、これは自分が見てきた美少女アニメの集大成的な作品であると思った。正直、ここまでの期待をしていなかっただけにその反動は大きかった。なぜこの作品をリアルタイムで見なかったのだろうかと当日した仕事のミスよりもはるかに後悔した。
自分は幾原邦彦氏の演出技法が好きだ。氏のそれは猛毒に近く、一度虜になってしまえば、もう逃れられることはできない。その猛毒を大量に浴びたのは今から10年ほど前だろうか。2011年に放送されていた「輪るピングドラム」に夢中になり、ほどなくして幾原氏の代表作「少女革命ウテナ」も見た。そして「セーラームーンシリーズ」も……。かつて幾原邦彦の猛毒に溺れ、今も体内にそれを飼っているのだ。
だからだろう。スタァライト第一話を見たときに真っ先に思った。
「この作品にはあの猛毒を感じさせる」と。
監督の古川氏の経歴を調べると道理でと思った。そして私は感動した。イマドキの美少女アニメにおいて幾原邦彦氏の技法を落とし込んだ作品を見れることに……。
それだけじゃない。話もよくできている。1クールしかないのにも関わらずそこに詰められているエッセンスの量が半端ではない。
まず9人もメインキャラがいる。OPを見たときにこれは大変だと思った。それを1クールという短い時間で一人一人を引き立たせなくてはならないという難問があるからだ。しかしどうだろうか。愛城華恋と神楽ひかりのみならず、他の7人にも舞台の照明はちゃんと照らされているではないか。
それもそのはずだ。何も舞台の上では華恋とひかりだけが主役ではない。他の7人も主役なのだから。一人一人が思いを舞台の上で剣や弓。あるいはハルバート、薙刀に乗せていた。それを私たちは観客として見ていたのだから印象が薄れるということはない。
繰り返しになるが全12話だ。この1クールという時間は実に短いが、スタァライトはそこに大量の要素を詰め込んでいる。
スタァライトの基本骨格としては美少女学園ものである。聖翔音楽学園という舞台で9人の少女が学園生活を送るという土台があり、そこに各々の思惑が交錯することで「少女☆歌劇レヴュースタァライト」が生まれる。
正直な話、美少女アニメ……それも学園ものと来るとありきたりな作風の物を想像してしまう。スタァライトもその例に漏れず、見る前は一抹の不安すら感じた。
それでは実際にはどうだったか。
少女たちが放課後になると学園の誰も知らない地下で武器を取り、火花を散らし合う。その剣戟を彩るは他の作品では見られない個性的な楽曲。それを見守る主宰者こと謎のキリン。戦いの末にはいかなる舞台に立てることが約束される「運命の舞台」があるが、その鍵を握る少女には秘密があり……。そして幼き日の二人の約束の行方は――?
これだけの要素を詰め込んでいるのだ。私は予備知識なしで見たので、まるでジェットコースターのような話の展開に毎話恋焦がれた。しかもそれを幾原氏を源流にする独特な演出。なんだこれは。
スタァライトは今まで見てきた美少女アニメの集大成的作品であるとした所以はここにある。
9人の少女たちが歌い踊るという歌唱要素。レヴュー衣装を身にまとい武器を取り戦う(ちょっと違うけど)魔法少女アニメに似た要素。そして運命の舞台という抽象的かつ非現実的な設定。そしてそれを手にした大場ななによる幾度なる世界のループ。そして幼いころに運命を交わした少女と掴む約束……。
これで12話ってマジですか?濃密すぎる。まるで燃える宝石のようなキラめきですね……わかります。
特にななによる世界のループという設定がスタァライトという話をより濃密にさせている。思えば1話から「全部知ってるわ。私はね」など、転校してきたひかりに真っ先に驚いたのがななだったりと、伏線は最初から散りばめられていた。まさかこんな作品でこういう設定を持ってくるとは思わなかった。やられた。
長々と書いたけど、要は全12話という話数の中にあらゆる要素を詰め込みながらも破綻させることなく、最後まで舞台少女たちを描き切った話の構成と、それを彩った幾原邦彦氏を源流とした独特な演出技法に衝撃を受けてしまったのだ。おそらく本作を越える美少女アニメはあと10年は出ないだろう。いや、もしかしたらその存在はもう現れないかもしれない。
そして私は総集編劇場版を観劇した。そしてロロロで語られた舞台少女の死とは……。
これは劇場版を見なくてはならない。そう思った私は23年落ちのボロ国産車のキーを捻り、急いで劇場へとひた走ったのである。
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