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そして気付く。だからオタクは誰かとその趣味を共有するのだと。

去る2022年の大晦日、東京都は江東区において世界的オタクイベントとして有名なコミックマーケット(C101)が開催された。
通称コミケ。アニメや漫画などその手の文化を趣味にしている者のみならず、今やそういった文化に馴染みのない人間にも知られているイベントである。
そんな世界的イベント、通称コミケに私はC101にて初参加した。

オタク系文化を嗜むようになって幾日もの月日が流れたが、意外なことにコミケに初参加したのはその時間において最近の話になる。
理由は多々あるが、その最たるものは「趣味を自分の世界の外にまで拡大しようとは思わなかった」ことが挙げられる。

基本的にこの趣味は自分の内で完結しているため、特段誰かと作品の感想を共有したり討論することは少なかった。機会こそは合ったものの、嚙み合わない互いの歩調や他の趣味との兼ね合いもあって深く共有できる場は過去を振り返って見ても思い当たらない。
要は自分の中でオタク系文化は総て受動的に楽しんできた為に、能動的な行動を起こすことは微塵にも思わなかったということだ。
同じ作品を愛する仲間を作って深く話し込んでみたりとか、好きなアニメのイベントに行くなんてことは途方もない絵空事に近い物である為、それが総て交差し混じり合うコミケはまるで遠い国の出来事のように感じられた。

人は誰かに言葉をかけてくれた時、或いは時が経った頃に自分自身で自らの行動を顧みなければ個人の内に染み付いた思考を変えることは出来ない。

先に述べた通り、私はずっと長年の間自分自身の内でこの趣味を完結してきた為に誰かとアニメの話を深くしようとか、何かイベントに出ようとかは思わなかった。精々ビジュアルノベルやアニメの感想をTwitterに書き連ねるくらいで、それ以上の能動的行為は皆無だっただろう。

そんな折、職場の先輩が自分もアニメが好きでよく見ていたという話をしてくれた。最初は軽い世間話程度で終わるかと思ったが、それは予想以上に深く、まるで川の中に石を見つけたボーちゃんのように引き込まれてしまった。

先輩とは年が20近く離れているが、当時リアルタイムで見ていたというのは私がこよなく愛してやまない「少女革命ウテナ」や「美少女戦士セーラームーン」であり、劇場版から何から何まで楽しんだという話に私は度肝を抜かれてしまった。
「ウテナ」が放送していた頃は私もこの世にいたが、未だ物心が付かない子供だったのでチャンネルの合わせ方も世界を革命する力を欲することも知らなかった為、天地がひっくり返ろうとも当時の作品をリアルタイムで享受できる術は無い。
故に先輩が聞かせてくれた当時の状況や時代の流れによる作風の傾向、果ては幾原監督の演出論の話に私は我を忘れて聞き入っていた。
ただ、私もこの文化を趣味にしている以上は自分の話をしたいと思うように至り、「ウテナ」の感想を言葉にした。
恐らくこれが、人生において初めてアニメについて深く話した瞬間だった。
そして同時に気付く。だからオタクは誰かとその趣味を共有するのだと。
誰かに、自分の感想を、思いを伝えたいから自分の内だけでなく、外にまで関係を広げるのだと。

それから先輩とはアニメの話をよくするようになって、その過程で話題に出たのがコミケの話だった。
当時も今と変わらない、あの埋立地にそびえる逆三角形のオブジェクトの下に赴き見聞を広めたという話に私はビビっと来た。
「あの作品の薄い本」とか「企業ブースの品」じゃなくて、「見聞を広められた」という点に私は惹かれた。少なくとも、コミケの話題でそんな着眼点を持った感想は聞いたことが無かったので深く話を伺うと、それはやはり実に興味深い物だった。
コミケは表現の場であり、あの場所に居る人間達各々が自分の好きな物を思うがままに表現している。それが垣間見れて良かったという物であり、先輩のその話は私の思うコミケへのイメージが大きく変わることとなった。

そしてそれがキッカケとなって、私はコミックマーケットへの参加を決めた。
もっと、見聞を広めてみたい。名前も知らない誰かが自分と同じ好きな作品を愛している所や思うように何かを表現している姿を見たい。

もっと、自分から能動的に出てもいいんじゃないかと……。

趣味の仲間を持つという事
趣味は自分自身のペースで楽しめばいいし、先の通り自分だけの世界に留めておいても何も問題は無い。外の世界に足を踏み入れて苦痛を被る場合もあるから、必ずしもそれが正解とは言えない。
そんな事をC101が終了した16時過ぎにあの逆三角の麓のベンチで一人考えていた。
いや、別にコミケに行ってマイナスな事は無かったことだけは先に言っておきたい。むしろ先輩の言っていた通り、自分の中には無かった物を発見できた……すなわち見聞を広められたという点ではこれ以上ないと言っていい程の経験だったからだ。
自分の内にある物事への好きを自分なりに表現する人間達がいて、それと同調或いは興味を持った誰かが交流を持つ場……互いの「外」同士で触れ合う場を垣間見れた事は実に有意義で、カルチャーショックを覚えるレベルだった。
思えば、自分の内に染み付いていた「オタク系文化は誰とも交流を持つことはしない。自分だけの世界で楽しむ物」という思考を先輩が「見聞が拡がるから行ってみろよ」というたった一言で払拭できたのだ。

別にそれはこの手の趣味だけに限らず、他の趣味にも同じことが言える。
相手の言葉を取り入れ、自分の技能、思想、それらをアップデートしていって更なる質の向上を図ることは本件のそれと全くの同意義なのだから。

だから……オタクは誰かと話をするんだなと、夕陽が地平線の彼方に沈む最中で自分の好きを相手に伝えあう人間達の姿を瞼の裏に焼き付け、アスファルトで出来た大地を去ったのが去年の暮れの話。

まあ何が言いたいかっていうとコミケ楽しかったね~~って話です。









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