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強気の“わたしはわたし”宣言

ほぼ『なえたん史』🕺
「ふつうってなに?」「生きづらい」と感じている方、読んでなにか優しく刺さればうれしい。

なえたんってどんなひと?
人間がすき!/勉強をしたくて資格を取るタイプ/趣味は日常の小さなしあわせ集め  / セクシュアリティを決めていない /好きな人と子育てがしたい
▶専門分野: 家族支援 、心理学
▶今のお仕事: 発達支援 、 療育、相談支援業務
2021.4~大学院を休学し正職員として勤務>2022.4~復学し大学院で臨床心理学
▶研究分野: 同性愛者の偏見との付き合い方(当事者自身のスティグマの向き合い方)
▶将来の夢 :養育里親をする /「強く優しく自由に生きたなあ」と思ってしぬこと 


自分語り~ふつうってなあに?~
 物心ついた時から、「ふつうってなに?」「なんのために生きているの?」と考えながら生きていた。昔から、不安を感じやすく泣いてばかりいた。幼稚園時代の半分は園で言葉を発せず幼稚園の先生が家庭訪問にきてくれたほどだった(異例の対応。本当に感謝です)。小学校は6年間いじめが絶えず、いじめの要因の多くは「ふつう○○するのに、あの子はしない」だとか「目立ってるから」だとかそんなことだった。自分がいじめられないためにわたしが身に着けた手段は「周りに合わせる/ふつうになる」だった。とにかく周りに合わせまくって、少しでも「しんどい/生きづらい」と感じたときには100%「自分が悪い」と思っていた。小学校6年生になったころには参ってしまい保健室や図書室で過ごしていた☁

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  私立の中学校に通わせてもらったわたしは、そこで出会った友人たちそれぞれの家族文化や生活環境の違いにカルチャーショックを受ける。もちろん、帰国子女や小学校から私立の人が全員だったわけではないが、この学校での生活は“日本のリッチな部分”を知る大切な時間になった。また、自分で好んで私立受験してきた人が多くいた学校だったため「わたしはこう思う/わたしは〇○したい」と発言できるような人は多い印象だった。それまで「(1つの)ふつう」を目指したり、「周りに合わせることが正義」だと思っていたわたしは、周りの顔色をうかがいすぎて他人に人生をコントロールされかけたこともあった(言い方悪いが)。

  自分自身が本当についていけなくなった時、わたしはわたしの人生を生きてもいいのかもな…とか中高校生の時に当たり前のようなことに「今更」という感覚で気づいたことをよく覚えている。
 それぞれ経験してきたことの違いを互いにおもしろがれるような学校であったことはとても大きかったし、この中高時代には、わたし自身も家庭の事情で金銭的に退学の危機に陥ったり、不安な気持ちから電車通学が困難な時期もあり、自分の力だけではどうしようもないという体験も何度か積んだ。

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     進学校(?)だった母校では、名前の知られた大学に行くことが“当たり前”という風潮を感じた。某有名大学に通うために何浪もさせてもらうような人もいた。合格した“有名な大学”ではなく“あまり知られていない地方の私大”を選んだわたしは「変な人」扱いをされた覚えもある。今は全く後悔はない。今となっては、当たり前のように「有名大学を目指し進学」した人、「大学に行かなくて普通」という地域で育った人、学費が足りずいわゆる夜の仕事に就く人、奨学金を親が勝手に使っていたという人…と今大切にしている友人の背景は様々だ。学校外では、子ども食堂や炊き出しのボランティアなどに参加し、LGBTの人権啓発活動を行うNPO団体で活動し…心理学を学び……。
 多くの人との時間を経て、これまで「自分だけが変」「“普通“に合わせることが正義」と思っていたわたしは、そもそも「みんな違うもの」であり「普通はない」ということを察してきた。生活環境やその場の文化によって「ふつう」や「そのひとらしさ」「生きやすさ」が変わる。ふつうは1つじゃない。

    知り合いの1人ひとりと語るたびに、その人の言葉の背景にはその人自身が歩んで生活してきた人生により作り出された「文脈」潜んでいることを知った。そしてそれはわたし自身においても当然同様だ。わたしの中学時代からの10年ちょっとは「自分の思い込みでつくりだした“ふつう”」と向き合う時間だったのだと思う。

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     様々な人と関わる中で、「わたしらしさって?」と考え始めると、カテゴライズすることも求め始めるものなのかもしれない。わたしにも、セクシュアリティや精神疾患、過去の生きづらさの要因などひたすら自分の内側にばかり目を向ける時期があった。

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   カテゴライズしまくると、次第に「ある枠組みの中では当てはまるが、別の枠組みの目線だと矛盾が生じる」といった論理や枠組みの強引性にも気づき始め、「これは…わたしはわたし でしかないのでは?」と当たり前のような本当のことにやっと気づくことができた。そこで、やっと「カテゴライズは自分(当事者)が自分のためにつかうもの」と考えるようになった。社会人になり、今まで行きづらかった病院にも行き、正式に診断を得て自分の生きづらさとの付き合いにも乗り出しはじめることができた。自分のある程度の「こうゆう環境の時にこうなりやすい」といった傾向を知ることは、他者に配慮を求める時にはかなり大きかった。(とはいっても、カテゴライズによる偏見が怖いので診断名などは基本的に公表せずに生活してる😡)


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    自分以外の他の人は、たとえ友達や恋人であっても「全く同じ」にはなれない。
    生きていたくないと思う時期もこれまでも何度もあったけど、わたしの人生を生きられるのはわたししかいない。逆にいえば、自分の人生は自分のものなんだ。これまでぐるぐる考えてきてやっとスンッとたどり着いた自分との今の付き合い方は「わたしはわたしにしかなれないなら、ほどほどに生きやすくいきよう」というゆるゆるスタンスだった。

自分の特性と現状の付き合い方
 ・・・・・・・・・・・・・・「わたしは不安を感じやすいんだな🕺」

定期的に気分の浮き沈みが定期的にとてつもなく激しくなる疾患 / 特性の強いストレスを受けると(わたしの場合)視野が欠ける疾患 / 特定の場面で発話できなくなる特性…などの諸々と、ほどほどにふりまわされつつもそこそこたのしんで生きてる☺
他:ホルモンバランスの調整が難しいため、ピルを処方してもらい服用中☺
目に見えない身体的マイノリティ性を2つ発見☁
※どんな特性/カテゴリーも“わたし”の一部をとらえているに過ぎない

これまでいろんな病院の先生に「珍しい疾患/特徴だけど、誰もいないわけじゃないから…ほどほどに付き合っていこうね」って言われることはあったけど、その“珍しいもの”だからこそ(その特徴が想定されていない社会だと)生きづらさを感じることは正直多々ある。


「ふつうってなあに?」って永遠に考えて生きていた20年ちょっとの今の結論は。「ふつうはない」です。

生きづらさとか、特性とか偏見とかいろいろ考えたりするけど
極論、わたしはわたしにしかなれないので自分の生きたいように生きるしかない🌟
おばっちゃんになったときに、「強く優しく自由に生きたなあ…」っと眠りに落ちれるといいなあ…と思いながら生きている




こんなにも自分の生きづらさに向き合い始めると、やっぱりネガティブな気づきは多く、「わたしは他の人と比べて…」とか思う節もでてくる。
だからこそ上手くたのしんで生きていきたい。


わたしのみえないところで、みんなそれぞれ自分の中になにかしら抱えていたり、違う部分やネガティブにとらえている部分はあるのかもしれないなっていう前提で。もちろんそれぞれ違っていいものだけど、生きづらさはその時にその人をとりまく環境でほぼ確実に変わる。だからこそ、必要な時に必要な配慮を求められる環境・社会にできるように働きかけたいし、そういう配慮を求めてもらえるような人間でありたい/なりたいと思う。