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短編小説#12 赤は止まれ。青は進め。黄色はアナタに口づけを
私の制服が色褪せていることに気が付いたのは卒業式の日のことだった。
つま先から舞台まで一直線に敷かれたレッドカーペット。端っこには園芸部が手塩をかけて育ててくれたパンジーの花壇がフットライトのように並べられていた。吹奏楽部が奏でるファンファーレを合図に私たちは軍隊のように列をなして歩いていく。塗装の剝がれた体育館の扉を名残惜しそうに指でなぞって私は歩きはじめた。
体育館を揺らすほどの盛大な拍手は今日が卒業式の本番であることを嫌でも実感させてくる。だからといって涙が出るわけではない。私は卒業式で泣くような弱い女ではないのだから。
「——ゆい先輩!」
演奏と拍手の間をすり抜けて可愛らしい声で名前が叫ばれた。私の名前だった。みんなが注目するその方向には後輩が肩で息をして立っていた。
「ゆい先輩……」
目が合うと彼女は切ない声で私を呼んだ。胸元まで垂らした三つ編みを震える手で触っている。それから彼女は人目を憚らず「ありがとうございましたっ」と涙顔で心のこもった感謝を口にした。
そのとき私は、私のために泣いてくれている後輩よりも彼女の制服に目がいった。後輩たちの紺色のブレザーは例えるならば新緑の葉っぱのような彩りがあり、それに比べて私の制服は枯葉のような色褪せていた。せっかくの晴れ舞台なのにみっともない。これから記念写真も撮るんだぞ。せっかくなら後輩の制服でも貸してもらえばよかった。
この状況でそんなことを考えてしまう私は薄情者だと思われるだろうが、それを口にしなければ私は優しい先輩のままでいられる。あまり目立たないよう後輩に小さく手を振った。必要最低限のモーションで返事をして私は再び足を動かす。周りから不自然に思われないよう首元のリボンを直すふりをしてブレザーを指で撫でた。
『ざらざらしている。体育祭や文化祭のときぞんざいに扱っていたからかな。もっと大切にすればよかった』
それでも苦楽を共にしたこの制服は色褪せてはいるが、それは色濃い青春を過ごした証明でもあった。ポケットを叩けばビスケットではなく思い出が飛び出してきそうだ。そんな制服を着るのも今日が最後。そう思うとまだ卒業式は始まったばかりなのに目頭が熱くなっていく。一歩、また一歩と青春の終わりを名残惜しく思いながら私はレッドカーペットを歩いて行った。
◇◇◇
「でもその制服、よくよくみたらお姉ちゃんのだったんだ。今朝間違えて着てきちゃってたらしい。しかも背中に『彼ピ募集中♡』の刺繍がされていて、それを卒業式の最中に教えてもらってからというものの、思い出もクソも思いだせなくなって涙が引っ込んだよね」
「前半は良い話だったんだけどな」
卒業式を終えた後、クラスの打ち上げで近所のお好み焼き屋に来ていた。お好み焼き屋はほぼ貸し切り状態でしかもお座敷席のため自由に移動ができる。ある程度、お腹が満たされてきたところで幼馴染のタカヒロはソフトドリンクを持って私の隣に座り、感動に包まれた卒業式を台無しにするような話をタカヒロに愚痴のように溢していたのである。タカヒロはテーブルに置いてある枝豆を口に運びながら私の話に耳を傾けてくれていた。
「というかなんでアンタは制服のままなの」
式を終えてから打ち上げまでだいぶ時間が空いていた。電車通学の人もいったん帰宅して私服に着替えてから参加できるくらい時間的余裕はあった。しかも私もタカヒロも学校から自宅まで自転車で数十分の距離だから、十分着替える時間はあったはず。それなのにタカヒロは制服のまま参加してきた。興味の度合いでいえば小さじ一杯程度のものだが、なんとなく聞いてみたかった。
「生徒会関係でね、役員や先生方に挨拶したり後片付け手伝ったりして帰る時間が無かったんよ」
「まあそれはそれは、生徒会長さんはやはり違うね。モテる男子は大変なこって」
「生徒会関係だって言ってるだろ」
タカヒロのブレザーはボタンが全部無くなっていた。袖についているボタンすら無い。きっと後輩女子たちにたかられたのだろう。ひとつ貰っておくべきだったか、きっと高値で売れただろうに。
「それよりタカヒロは仲良しグループのところに行かなくていいの?」
「あいつら酔っ払いみたいにうるさいんだもん」
「確かに普段よりテンション高いもんね。ああやって卒業の悲しさを紛らわしているって思うと可愛く思えるけどね」
「そうかぁ?」
男子たちはアルコールが入っていないのに酔っぱらったみたいにハイテンションである。場の空気で酔っているのだろう。そのハイテンションを維持しつつ、勢いに身を任せて気になる女子に話しかけようと試みる男子もいた。いつもなら下心丸出しの野郎どもに嫌悪感丸出しの顔をする私だが、今日が最後だと思うとそれも微笑ましく思えた。バカな男子たちを微笑ましそうに眺めているとタカヒロは「それに」と私の頭を撫でてくる。
「由衣を一人にするのも可哀そうだと思ってさ」
幼馴染だからといって気軽にそういうことをしてくるタカヒロに、私はため息をついて手を払いのけた。こういうことをしてくるせいで何人の女子たちに睨まれたことかコイツは知りもしないだろうな。
「ぼっちみたいに言うな。かえでとなぎさが生焼け肉食べて腹壊してトイレに籠って帰ってこないだけだから。それにLINLINで今も連絡取り合ってるし」
スマホのトーク画面をタカヒロにみせた。顔を真っ青にしているウサギのスタンプの下に、『これだいぶ痩せるんじゃね』と苦しんでいる状況とは思えないポジティブな文字が送られている。それを見てタカヒロは苦笑いを浮かべていた。
「なんで生焼け肉食べてんだよ、肉食女子にも程があるだろ。というかお前は大丈夫なのか?」
「自慢じゃないけど昔から胃袋と腸だけは丈夫だからね」
「あー……さとこおばさんの料理食べていたら誰だって丈夫になるよな」
さとこおばさんとは近所のお節介おばさんである。よくお裾分けで料理を持ってきてくれるのだが、薬膳料理というより激薬膳料理ばかりで胃と腸の働きを何倍にも跳ね上げて食べたあとはきまってトイレに籠っていたのは懐かしい思い出だ。そのおかげもあって今では強靭な胃と腸を手に入れた。
タカヒロとは家が近所で、しかも幼馴染の関係ということもありそういう共通話題で盛りあがれる。それに嫉妬して陰口を言う女子たちがいたこともコイツは知りもしないだろうな。
「そういえば打ち上げ終わったらタカヒロを家に呼ぶようにお母さんに言われているんだった。なんかお祝いしたいらしいんだけど来れる?」
「行けるけど……あー」
タカヒロは頬を搔きながら語尾を伸ばす。歯切れの悪い返事だった。
「なにか用事でもあるの? それなら来れないって伝えておくけど」
「いや行くよ、行くけどすこし時間がかかるというか、なんというか。ちょっと呼ばれているというか……」
言葉を濁らせながらタカヒロはある方向へ視線を向ける。目を背けたというよりまるで私に見ろと言っている気がしてた。だから私は壁にもたれ一息ついたフリをしてタカヒロと同じ方向を向いた。
その先にはクラス一の美少女である佐々木部さんがいた。佐々木部香織。桃太郎が桃から生まれたなら、彼女は清楚から生まれた純清楚系の可愛らしい女の子だった。拳と同じくらい顔が小さくて、守りたくなるような華奢な体をしている。綺麗な黒髪ロングは白いワンピースと麦わら帽子が似合いそうだった。この学校を舞台にした小説があるならまず間違いなくヒロインは彼女であろう。
佐々木部さんもコチラを見ており周りにバレないように小さく手を振った。その仕草だけでも可愛い。きっと私が同じことしてもパントマイムしているようにしか見えないだろう。そしてそれは私に向けられたものではないことは明白だった。なぜならコチラを見てる佐々木部さんと私は一度も目が合わないから。
「視線に気付いたというよりずっとコチラを見ていたような気さえする。告白されるね、あれは」
「俺もそんな気がする。てかそんな空気だったもん……はぁ」
「なんでため息つくのさ、良かったじゃん。佐々木部さんはクラス一、いいや学年一の美少女だよ。私が男だったら好意を逆手にとってスケベしまくってたね」
空中で両手をニギニギさせるとタカヒロは下品なものを見るような目で「お前が女で心底良かったよ」と吐き捨てた。それからタカヒロは自分のコップと私のコップを持って立ち上がる。
「オレンジジュースでいいだろ」
「ん」
私たちは幼馴染だけあってお互いの気持ちは理解しあえている。以心伝心とまでは言い過ぎだがトクベツな関係であるのは確かだった。常日頃から佐々木部さんから嫉妬の眼差しを向けられていることにも気付いている。それでも嫉妬だけで留まっているあたり彼女の人柄の良さを感じた。
店を出ると看板がスポットライトに照らされて辺りは夜が濃くなっていた。昼はウグイスも喜ぶ春の陽気だが夜になると気温がぐっと下がり肌寒く、まだ春が訪れていないのだと感じる。腹が満たされていても肌着と紺色のワンピースしか着ていない私にとって今夜は寒かった。羽織るものくらい用意しておけばよかった。白息までは出ないが「はぁー」と両手に息を吹きかけていると、タカヒロは何も言わずにブレザーを脱いで私の肩にかけてくれた。
「珍しいよな、由衣がそういう服を着るなんて」
「こんな可愛い服似合わないって言いたいんでしょ。打ち上げだからって張り切っちゃってる恥ずかしいヤツだって笑いたいんでしょ。べつに好きで着たかったわけじゃないし。お姉ちゃんが着て行けってうるさくて……」
「そんなこと言ってもないし思ってもねーよ。似合ってるよ可愛い」
「ふん」
お好み焼き屋をあとにすると有志で近所の公園でだべることになった。和気あいあいと二車線道路の歩道を列になって進んでいく。私はその列の一番後ろを歩いていた。普段の私ならメンドクサイの一言でさっさと帰宅するのだが、やはり心のどこかで寂しさが残っていたのだろう。それとも。
「こうして見ると卒業式の行進を思いだす」
「彼ピ募集中?」
「やめろぉ、かさぶたを剝がそうとすなっ」
私の隣にはタカヒロが居て小さなあくびをしていた。列の先頭にはタカヒロの仲良しグループの笑い声が聞こえるが、タカヒロはそそくさと私の隣に移動してきた。どれだけ私のことが好きなのだろうか。まあ本当の理由は佐々木部さんが近くにいて気まずくなって避難してきた、というのが正解だろうけど。
「佐々木部さんとは付き合うの?」
そう訊ねるとタカヒロはギョッと驚いた反応をし、人差し指を唇に当てて「シー」とストップをかける。その反応と仕草がどうしてか癪に障る。
「大丈夫だよ。あの子たち恋バナ好きだけど今はそんな余裕なさそうだから」
あの子たちというのは、かえでとなぎさのことである。生焼け肉を食した彼女たちはげっそりした顔で私たちの前を歩いていた。ゾンビのようにふらふら歩いていて危なっかしい。私は彼女たちを見守る理由もあって一番後ろを歩いている。
会話が聞こえていないことに安心したタカヒロは、軽々しい口調で「わかんね」と返事をした。
「わからないってなにさ、そんなんじゃ佐々木部さんにも失礼だよ。ちゃんと返事は決めておきな」
「それじゃあ付き合う」
「……そ」
素っ気なく返事をするが平常心を保てていないのは自分でもわかっていた。ブレザーをぎゅっと握りしめる。タカヒロの匂いとは別にほのかに石鹸の香水のにおいがした。私ではない。私の知らない匂いだった。
「幸せになんなよ、タカヒロ」
「おう」
私はどうしようもない噓つきだ。キツネもびっくりするほどの嘘つきだ。閻魔大王様も呆れるくらい嘘をついてきた。そんな嘘つきの自分を受け入れてしまう自分にも慣れてしまった。タカヒロは幼馴染。なんて便利な言葉なんだろう。それを言っておけば自分の身を案じ、さらにタカヒロと一定の距離を保てるのだから。
だけど、その魔法の言葉のせいで私が本当に望む未来にはならない。
私は魔女(わたし)に魔法をかけられたシンデレラ。時計が壊れて魔法が解かれない噓つきのシンデレラ。そして魔法が解かれてしまうのを恐れる臆病なシンデレラ。本当の気持ちを曝け出して否定されたとき、私は立っていられるのだろうか。
「ただひとつ心配なんだよな」
「……心配?」
タカヒロは背中を曲げて私の顔を覗き込む。「なに」と冷淡な目でタカヒロと目を合わせると、彼は憎たらしいほど爽やかな笑みを浮かべた。
「由衣が寂しがるんじゃないかって。なんだかんだ生まれてから今までずっと一緒に居ただろ。佐々木部さんと付き合ったら由衣に構ってあげられなくなるからなー」
「勝手に言ってろ。どうせ頼んでもないのに惚気話でも聞かせにくるんだろうけど」
「かもしれないな。その時は朝まで付き合ってもらうわ」
「か……勘弁してよね」
私らしくない、あからさまに元気のない声で返事をしてしまった。そんな私の反応をみてタカヒロは笑う——ことはせず、頭に手をのせて髪を乱してくる。
「やめっ、やめろ。いつもそれやるけど私以外の女の子には絶対にやるなよ。男が勘違いしがちだけど女の嫌いな男の行動ランキング第5位以内に入るやつだからな」
「由衣。たとえ佐々木部さんと付き合ったとしても由衣のことをないがしろにしない。由衣は俺にとって大事な家族のような存在だから」
ああ。本当にコイツは。乙女心も知らないで無神経に逆撫でしてくる。家族のような存在というのも私のことを妹みたいと思っているということだろう。一瞬、期待してしまった自分が恥ずかしい。私は顔を俯かせて小さく笑う。それを見たタカヒロはホッとした顔で「良かった」と口にする。何を履き違えているのやら。
「みんな急げ急げ!」
その声に反応して顔を上げると目的地である公園がみえた。手前にある横断歩道の信号が点滅している。急げというのは信号が変わってしまう前に早く渡れ、ということだった。赤へと変わる前にクラスメイト達は走って横断歩道を渡っていく。かえでとなぎさ達でさえも口元を押さえながら走っている。とても青春を感じた。
「ほら、俺らも行くぞ」
タカヒロは私の背中をポンッポンッと叩いて彼らの背中を追いかける。私の横をタカヒロが通り過ぎていく。そうやって私の手の届かない所に行ってしまうのだろう。私の知らない経験をして、私の知らない恋をして、タカヒロは大人になっていくのだろう。ずっと隣にいたのに。
「——っ」
私は咄嗟にタカヒロの手首を掴んだ。逃がさないように両手でガッチリと。手錠をかけるみたいに。
「うおっ」
反動で転びそうになるタカヒロを私は全体重をかけて引き寄せた。逃がさないように両手でタカヒロの襟元を掴む。抵抗する間も、一瞬の隙も与えず、私は彼の唇を奪った。そのとき憶えているのは信号が黄色だったことと、しょっぱいソースの味がしたこと。
「へへっ……ざまあみろ!」
車道側の信号機が赤に変わる前に、私は全力で走って横断歩道を渡った。
ふり返ると横断歩道先でタカヒロが唇に触れながら呆然と立ち尽くしているのがみえた。その顔は驚きに満ち、同時に私とタカヒロを繋いでいた糸が切れた音が聴こえた。
「ふふっ、あはは」
瞳から流れていく涙を拭わずみんなの背中を追いかけていく。はあ。はあ。息が上がる。まだ冬を感じる冷えた空気が涙の存在を強調させる。
「はははっ……ひっぐ、ううぅ」
素直になれない私は、彼を困らせることしかできない。
油絵のようににじむ世界に私は走りながら叫んだ。
「思う存分、困ればいいさ! バー――カっ!」