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中編小説#1(1/6) 警視庁機動隊爆発物処理専門部隊ボマー川崎

 警視庁機動隊爆発物処理専門部隊に所属していた私は、本日をもって退職した。不祥事を起こして懲戒免職となったわけではない。ただの自己都合退職。6年ものあいだ爆弾処理に携わってきた私の心はもはや限界だった。

「本当辞めてしまうんだね、川崎さん」
「あははっ、泣かないでください。豊部長の悲しそうな顔を見ると後悔が残ってしまいますから」
「ああすまない」

 大のおとなの男が涙ぐんでいる。普段は寡黙かもくで表情が硬く、それでいて取り調べでは鬼のような形相なのに、いまの彼は卒業式に涙を我慢する学生のようだった。

「部長って涙脆いんですね」
「イメージと違ったか?」
「いえ、ステキだと思いますよ。それにその涙は私のために流してくれているんですよね。純粋に嬉しいです」
「やっぱり君は優しいね」
「そんなことないですよ」

 これ以上この場にとどまると涙が出そうになる。豊部長の優しさに触れると後悔が生まれてしまう。辞めなければ良かったという後悔が。

「ではそろそろ行きますね。豊部長は無理しすぎてしまうところがありますから、お体には気を付けて」
「ああ」

 ぺこりと頭を下げて踵を返すと、「川崎さん!!」と呼び止められる。ふり返ると豊部長は何かを言いかけて、だけど言葉が出てこなかったのか唇を結んだ。そして誤魔化すように笑みを浮かべる。

「あなたのこれからの人生に幸福がもたらされますように」
「豊部長こそ」

 お世話になった方々への挨拶を終えて、荷物を取りに自席に戻る。書類や私物で散乱していたデスクは次の人のためにきれいさっぱり無くした。

「なんだか入庁当初を思いだすなぁ」

 デスクの表面を指でなぞる。意味もなく円を描きながら入庁した頃を走馬灯のように思いだすが、それこそ後悔が残りそうになるので首を振って吹きとばした。ボストンバッグを肩にかけて『機動隊爆発物処理専門部隊』の看板に頭を下げてからその場を後にした。

 終業時間はとっくに過ぎているため、同部署はもちろん他部署にも人影はなかった。寂しいとは思わない。むしろその方が気持ち的にも楽で良かった。

 花束を抱きかかえながら警視庁の玄関まで歩いていく。頂いた花束はかすみ草の花だった。白くて小ぶりな花びらが数え切れないくらい咲いている。花言葉は感謝、そして幸福。

「豊部長にも幸せを願われたもんなぁ」

 苦楽をともにした同じ部署の仲間からも幸せを願ってくれている。年度途中の退職だというのに迷惑そうな顔は一切見せず、仕事のフォローもたくさんしてくれたし、本当に優しい人たちだった。押された背中に温かみを感じる。

 ロビーには私だけの足音が虚しく反響していた。最後だから警視庁をバックに記念撮影でもして帰ろう。そう思いながら自動ドアを通り抜けると、そこに広がる光景に思わず足を止めた。

「川崎巡査に敬礼!!」

 警視庁の自動ドアから門まで敷かれているレッドカーペット。陽は落ちて辺りはすでに暗くなっているが、眩しいライトがレッドカーペットを照らしている。

 そしてレッドカーペットを囲むように礼服を身に纏う警察官で溢れかえっていた。みんな私に向かって敬礼をしている。主任や巡査だけではなく、そで章が一本の巡査部長や警部、二本の警視の階級の者もたくさんいる。まるで姫君になった気分だった。

「……なんでっ」

「今までありがとう川崎巡査」「お前の勇姿は忘れないよ」「優菜先輩のおかげでここまで成長できましたありがとうございます」「優菜さん、おれ立派になってみせます」

 労いの言葉が私の胸を温める。私は6年という警察官人生でとくべつ功績を残したわけでもなければ、階級も巡査止まり。それなのに。

「どうして」
「どうしても何も、君の勇敢な姿にみんな惚れちまったのさ。いままで本当にありがとう川崎優菜巡査」

 レッドカーペットにひげを伸ばした威厳ある男が立っていた。彼の纏うオーラは別格、まるで百獣の王ライオンである。けれどあながち間違ってはいない。

「君が辞めてしまうのは…ほんとうに寂しいよ」

 哀しそうに微笑む男のそで章は三本。さらに帽子にも金色線が三本ある。すなわち。

「佐渡…警視総監、なぜあなたまで」

 警視総監とは警視庁の長。警察官の最高位の階級の者である。

「君がここを去る前に一言、伝えたいことがあってね」
「伝えたいことですか」

 佐渡警視総監の表情が硬くなる。仕事モードの顔だ。ああ、最後の最後に警視総監に怒られるのか。なんて惨めなんだろうか。そう思っていたが違った。勝手な勘違いだった。

「川崎巡査、君はこれまで数多あまたの爆弾を処理してきた。涙を流しながらも爆弾を処理する君の勇ましい姿にわたしたち警察官は勇気をもらった」

 佐渡警視総監は背筋をぴんっと伸ばし、素早い動きでわたしに向かって敬礼をする。その言葉と行動の意味を理解するのに時間がかかった。

「君は警察官の誇りだ」

 彼は凛々しい顔でそう言った。私のことを警察官の誇りだと言ったのだ。

 嬉しい――なんて思うものか。人の気持ちも知らないで。ふざけんなよ。ずっとずっと我慢していた怒りがふつふつと沸きあがっていく。

「それだけじゃない君は」
「もう…もうやめてください!!」

 我慢できずわたしは花束を握りしめて叫んだ。花びらがひらひらと地面に落ちていく。

「勇ましくなんかないっ。わたしは入庁してから6年間、嫌々やっていたんです! 爆弾処理なんてやりたくなかった。ほんとうは交通違反のきっぷを切る女性警官になりたかった。なのに異動もさせてもらえなければ毎月のように爆弾処理ばかりさせられて…っ」
「でも、君が爆弾を処理してくれたおかげで」
「62回中62回っ!! わたしが爆弾を処理して爆発させた回数ですよ」

 私の頬を伝う涙が、乾いたコンクリートに水玉模様をつくりだす。かける言葉を失ったのか佐渡警視総監はゆっくりとわたしから目を背けた。上司じゃなければ花束を投げてやるところだった。

「知ってますよ。わたしは警察内部でこう呼ばれているんですよね。『ボマー川崎』って」

 周囲の人たちを睨みつけるが、揃いもそろって顔をあさっての方向へ向けていた。

「赤と青の導線、その二択を私は62回も外しているんです。国会議事堂もレインボーブリッジも、あのスカイツリーを崩落させたのも私なんですよ? 私は日本一の犯罪者なんです」

 ぽっきりと折れたスカイツリーを指さす。周りの警察官は誰ひとりとしてスカイツリーの方角も見ないし、私とも目を合わせない。俯いて気まずそうに息をのんでいる。そんな中、佐渡警視総監だけは私の言葉を否定する。

「違う、君は犯罪者なんかじゃない。だって君は」
「やめてくださいって言ってるでしょうッ!! 優しい言葉は私に一番堪えるんです!!」
「……川崎巡査」
「もううんざりなんです。最後くらい、笑顔で帰らせてください」

 涙をぬぐい、無理に笑みを作って足早にその場を去った。こんなことを言いたかったわけじゃない。彼らは悪くない。悪いのは私だ。彼らの優しい言葉をはたき落として八つ当たりして。

「最後の最後までかっこわるいなぁ。結局、今日も泣いて帰ってるじゃん」

 ぼろぼろとこぼれ落ちる涙は花びらが受け止めてくれた。その花びらに溜まった水を指で弾き落として、重たい足取りで帰路につく。

 信号待ちをしていると、横断歩道の先にある呉服店のショーウインドーが目に入った。美しい純白のドレスと和服のドレスがライトアップされて飾られている。

 そんなキラキラしたものなんかよりも、その奥に写っている情けない面をした自分が気になって仕方がなかった。警察官とは思えない頼りない顔だった。私は入庁した頃から何一つ成長していない。帰り道はいつも泣いてばかり。そもそも警察官なんか向いていなかったんだ。

「ははっ…これ以上、自分を卑下ひげするのはやめよう」

 転職先とか決まっていないが少しの間はゆっくり休もう。貯金だってある。旅行に行って美味しいものを食べて、頑張った自分にご褒美をあげよう。

「これから私は爆弾処理とは無縁の人生を歩むんだ」

 こうして川崎優菜の警察官人生は、本日をもってピリオドが打たれた。爆弾に関わることのない生活を過ごす。そんな普通の人生を歩む決意をして。

 だがしかし、そんな日々は長くは続かなかった。

 初秋が過ぎ、蝉の合唱会から鈴虫の演奏会に切り替わりはじめた10月上旬のことだった。

 この地球に宇宙人が侵略してきた。

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