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私を見つけて¦はじめてのnote

はじめまして。こんばんは
覗いてくれてありがとう。Twitterから来た人もnoteで初めて逢った人もいると思います、にゃむです。

Twitterで🐿カのツイートが伸びてしまって、久しぶりにたくさんの人の意見を知れて、視野が広がったここ2日です。

以下私の自己紹介、自己も環境もどちらも。



高校一年生、田舎住み。家族は父母弟。昔から文章や絵を描く事が好きで黒歴史を刻んできました。


人生が順調だったのは小学四年生まで。そこからはあるドラマに憧れたのか、よくある小四の分岐点での失敗なのか分からないけれど、人を傷つけ、また傷つけれることが多くなりました
けれど、この頃は希死念慮なんて抱えていませんでした。なんなら希死念慮を抱えさせる立場でしたね、最低です。喧嘩をよくしていました。それも理不尽なことばかりで。クラスのみんなに泣き叫びながら、死んでしまえ、なんて言ってしまったこともありました。

また、小四から小五にかけての時期に、男子を好み女子を嫌っていたような気がします。恋愛感情ではなく。下ネタを言いまくって、気に入られようと必死でした。おそらく、小五くらいの年齢で、見た目や性格がはっきりと男女で別れていることを理解するためなのでしょう。それに抗いたかったのか、嫌悪感を抱いたのか、いつまでも幼稚な事ばかり繰り返していました。

小六の秋頃から、自分の今までしてきた事の愚かさ、恥ずかしさに気づきました。経験が希死念慮の原因となり私の心に死にたいという感情の芽を撒いていきました。自傷を始めたのもこのくらいの時期だったと思います。
海を見ながらわざわざ “泣ける音楽”と検索して、何とか涙を出した日がありましたね。きっと、小学生の頃の私は人前で泣く事を我慢してばかりで抑えきれない感情を涙に乗せることも出来ず強制的な流涙で心を整理していたのだと思います。

しかし、小学生の頃の私の心を、親は何も知りません。私が学校や人間関係で荒れていたことも知りません

小学生の頃から、私は既に自己を失っていました

家での顔、学校での顔、自分の本当の顔なんてぐちゃぐちゃで、誰にも嫌われたくなくて、取り繕う毎日。

そんな小学時代でしたからもちろん中学デビュー。性格を変えました。小中一貫だというのに。
男子とは必要以上に関わらないように、大声で話さないように、悪口は言わないように、感情を表に出さないように。大人には媚びを、仕事は真面目に、勉強も苦ではありませんでした。生徒会にも入ったりして、いわゆる「模範」的な行動を心がけました。

私は元々人と話すことは好きでしたから、いきなり無口になるなんてことは無かったですが小学生時代の意地の悪さと心の汚さを見せることは少なかったはずです。実際ほとんどの人に「性格変わったよね」なんて言われて、それは私にとって最大の褒め言葉で、いつも安心できる言葉でもありました。

けれど違和感は残り続ける。ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと、心のどこかで、居なくなりたい。死にたい。という感情が渦巻いていました

先程も言った通り私は親に自分の心の内をあまり見せたことがありません。仲が悪いわけでも無いですが幼少期からなんとなく。思い返せばきっとこれが私の人生で最大の失態でしょう。「親」の存在って本当に大きい。

中学三年生の冬、私の受験前、夫婦喧嘩が起こりました。タイミングとしては最悪です


あまり夫婦喧嘩が多い家族ではないし、なんなら周りからは「にゃむちゃんのお家ってなかよしだよね」なんて言われる家庭でした。私にとって居心地はあまり良くなかったのですが。

母は、たまに癇癪を起こすタイプでした。私が小さい頃は手を出されることもありましたが、私が小学校に上がってからは一度も手を出されたことはありません。

父は、いわゆる“怒らせてはいけない人”でした。一度堪忍袋の緒が切れると何を言っても聞きません。怒鳴り散らかし、ねちっこくてすごく面倒な性格でしたが、そうそう怒ることがなかったのでいつも怯えている訳ではありませんでした。


そんな母と父が、喧嘩。原因は



母の浮気でした。


父の怒鳴り声、母の泣き声。喧嘩が始まった頃は父が一方的に怒鳴っているようなので、父が原因だろうと思っていましたが、父の声で聴こえる「浮気、男、離婚」という言葉の羅列で状況を察し、苦しくなりました

人間はなんて愚かで醜くて汚いものなのだろう、本当は気づいていたのに、見て見ぬふりをしてきたのかもしれません

母にも性欲がある。傍から見れば一人の女性ですが私からするとそれは母親でしかなくて。気持ち悪い。性に対する異様な嫌悪感が生まれました。

2時間ほど言い争ったり怒鳴りあったりしていた父と母。私は弟を庇いながら部屋に籠りましたが、聞きたくなくても聞こえてくる音だけで、外の世界の様子なんて安易に想像が可能でしたね。もう一生味わいたくない大きなストレスです。私と弟は泣きながら、お互いに「大丈夫だからね」と声をかけあっていました。

そんな時、父が部屋に入ってきました。人間が壊れる様子を初めて目の当たりにしました。目は充血して、鼻水も涙も滴り落ち、手足は震えていました。怖かった。母の浮気に対する怒りなのか呆れなのか悲しみなのか、一体今父はどんな感情を抱えているのか想像もしたくなくて、目を塞いでしまいたかった。その背後には母。目に涙を浮かべていました。

そんな光景を見たら当然、母に対する「憎悪」が生まれます。お前が悪いのに。

父は「もう無理だ。もうやっていけない。今まで子供を育ててきたのも、仕事をやってきたのも全て意味がなかったんだ。ごめんな。」と私たち2人に言葉をかけてきました。

別に父は悪くない、母が全て悪い。そう、私の中での善悪ははっきりと決まっていました

しかしそんな状況を、14歳の私が解決出来る訳がありません。とにかく、姉として、この場にいる人間として、今冷静でいられるのは私だけだ。私がなんとか家族を繋ぎとめなくては。と必死で。まるで機械のように、ありえないくらい冷静になることが出来ました。心の中はぐちゃぐちゃでしたが、私は、外向きの感情をコントロールするのは得意でしたから。
泣き叫ぶ弟の頭を撫で、片腕に抱き、正面にいる父と母と話をする。離婚の話も、父の死にたいという感情も、母の、私は悪くない今までの父に耐えられなかっただけだという言い訳も、何もかも受け止め、全て整理しました。

その日の夜、父が家を出ていきました。母は父を追いかけました。何故??他の男がいるのに???私は不思議でたまりませんでした。

父も母も家にいない時に、私はシャワーを浴びました。そこで初めて、その日の涙を流しました。声を押し殺しながら。
そんな時、お風呂のドアが開けられました。父の顔。どうやら父と母が入れ違ったみたいです。母が家を出ているときに父が帰ってきたのでしょう。

父の顔と眼球は、赤く、しかし笑みを浮かべていました。父の手を握ってみました。
冷たい。
とてつもなく嫌な予感がして、でも私はそんな時にすら父親に裸を見られるのが恥ずかしくて、
「死なないでね」
と声をかけるしかありませんでした。父は
「死なないよ」
と答えました。みなさんに心配されるとあれですから、一応言うと、父はまだ生きてます。無事です。

そこから1ヶ月は不穏な空気が私達を包みました

これまでの比にならない家の居心地の悪さに耐えられず、できるだけ家にいる時間を少なくしました。

しかし父と母は、やはり当たり前ですが「親」です。日中は喧嘩もせず今までの日常“風”でしたが、夜になり私も弟も自室に入ると、父と母の争い声が聞こえてくるのでした。

もう分かるでしょう。
私の人生が最も大きく変わったのはこの時です。

私の家庭は、幸せそうに見えてとても複雑なんだ


この時、そう、強く、思いました。
家庭は唯一の居場所。初めに言い出した人は誰なのか??反吐が出る。ふざけるな

友達にも言いづらく、1人で抱え込むには大きすぎる出来事。私は感情を整理するために、私はペンとノート、そしてTwitterを使いました。

感情を全てノートに書き殴りました。
Twitterでは初めて病みアカウントというものを作りました。

インターネットには仲間が、自分と同じ気持ちを抱えた人が、たくさんいました。安心すると同時に、こんな気持ちが生まれてきたのです。


もう私はインターネットにしか居場所がない


きっと同じことを思っている人は多いのではないでしょうか。実際に今もそうです。受験前なんて自分のことで悩む時期でもあるのに、家庭の問題を抱え込んだ私の心はもう取り返しのつかない、治癒のしようがない大きな傷とストレスを負いました。

早く家を出たい。死にたい。日に日に膨らむこの感情は、インターネットで繋がるあなた達にしか理解してもらう事ができませんでした。

受験は、今までの私が頑張ってくれていたので第1志望校に合格出来ました。しかしそんなもので私の心は全く晴れません。自傷も増え心も体もボロボロでした。家族に助けを求められたらどんなに良かったでしょうか。

心と体に傷を負ったまま、中学を卒業し、春休みを過ごしました。私はこの春休みから驚くほど怠惰になりました。昼夜逆転、自称進学校なので課題も多いのに手をつけず一日中インターネットに篭もり、存在価値を何度も見失いました。この時から精神疾患を患いました

私の精神が壊れる原因が、夫婦喧嘩だけにあったというわけでは決してありません。それまでも自傷行為をしたり死にたいと思ったことは数え切れないくらいありましたから。
しかし、家庭の崩壊は自己の崩壊へ繋がるということも忘れてはいけません。

今の私はもう、中学生の頃とは別人です。いいえ、外面は同じです。いや違うのかな。こればかりは分からない

書きながら自己を失ってきました。

自分というものが見当もつかない。私は、私は。何者にもなれませんが、何者かになりたいのです自分の芯というものを持つ人間になりたい。もう遅い。

今の私は、醜い人間です。けれど毎日頑張って生きて、生きて、死にたいと思いながら生きて生きて生きて生きて生きて生きて生きて生きて生きて生きて生きて。生を実感してしまいます。
嫌だなー、本当に生きずらいですね。世の中。


良ければ誰か、本当の私を知って、認めてください。お願いだから、ここに居てもいいよって。
たった15年間の人生で抱えてしまった希死念慮というものを誰かに、優しく拭ってほしい。


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