非モテじゃないけど、欲望できない「こじらせ男子」の物語―『こっち向いてよ向井くん』
ドラマ『こっち向いてよ向井くん』が第二話まで放送されており、面白い。
Tverでも2話まで見られるし、huluでも配信している。
1.親の顔より見た「おしごと頑張るアラサー恋愛ドラマ」フォーマット
私はもともと原作漫画が好きだったのだが、ドラマも想像以上に楽しく視聴している。キャストがみんなハマり役で、魅力的に見えて楽しい。あとスタイリングのセンスがすごく良い。波瑠演じる坂井戸さんのスタイリングが可愛すぎて髪を切りたくなりました。あの髪型可愛すぎる。
しかしスタイリングは置いておいて、『こっち向いてよ向井くん』という物語は、ざっくり言ってしまえば、「主人公・35歳のTシャツ会社勤務正社員男子こと向井くんが、10年ぶりの恋愛模様に戸惑う」話である。
向井くんは仕事もできるし、毎日はそこそこ楽しく、社会人一年目くらいまでは彼女もいた。が、恋愛からはすっかり遠ざかる日々。元カノとの思い出を引きずり、しかし結婚願望は何となくある気がする。これが向井くんの現在地なのである。……と、ここまで書いて連想した方もいるかもしれないが。
そう、このフォーマット、女性向け恋愛ドラマで幾度となく繰り返された、親の顔よりよく見たやつである。
「仕事はできるし、毎日は楽しい、でも恋愛だけは干物女!! 恋の始め方がわからない~~!!」
ちなみに『こっち向いてよ向井くん』のインスタアカウントのドラマ紹介文はこちらである。
完全にフォーマットは「親の顔より見たおしごと頑張るアラサー女性恋愛ドラマ」のそれである。
2.「欲望すること」を去勢された男性たち
しかし面白いのは、向井くんが「そこそこモテないわけではない」という設定にある。向井くんは決して非モテ男子ではない。可愛らしい顔立ちで、人付き合いもそこそこ上手く、むしろ大学時代はそこそこモテていたらしい描写まである。だからこそ今も、ちょっと女の子に「この人いいかも」とすり寄られているのだ。
「ならいいじゃねえか、モテてるなら何の問題もないじゃねーか」……と、思ったそこのあなた、怒るにはまだ早い。これは決して「非モテ」ではない、しかし男性性の問題なのだ。
向井くんの悲劇は、むしろ「欲望される」ことはあっても、「欲望する」主体になれないところにある。
向井くんは基本的に素直である。憧れの会社の先輩が「いい時計買って、家族を守っていく覚悟を決めるんだ」と言ったら、それに自分も倣って、いい時計を30歳で買う。「今は仕事を頑張る時期だから、彼女とか少しくらい我慢してもらえば」と言われれば、彼女との旅行を蔑ろにして、仕事の付き合いを優先する(※このエピソードはドラマにはまだ出てきてない)。ちょっと意識している同性の後輩が「あの子可愛いですよね、狙おうかな」と言った女の子のことを、意識し始める。
つまりは周囲の男性――社会が提示する欲望を、素直に、なぞる。
それは会社では重宝される姿勢だろう。会社では変な自我を出していれば「仕事のできないやつ」と見做される。とりあえずは先輩の言うことを聞いて、先輩の欲望を模倣するのが「仕事のできるやつ」とされる世界だ。
しかし、向井くんは彼女ができない。たとえばドラマの第二話でアンちゃんという可愛い女の子にちょっかいをかけられても、10歳下の義弟の店のバイトの女の子という「社会的には褒められないであろう恋愛相手」を欲望する勇気を持てない。というか、向井くんは「自分がアンちゃんを好きかどうか分からない」と立ち止まる。それは彼自身が欲望する主体に――つまり欲しいものを手に入れるために自ら動く主体になる、という練習を積んでいないからだ。
欲望する主体になれない男子の悲劇。それが『こっち向いてよ向井くん』という物語なのである。
3.社会じゃなくて、こっちを向いてよ、向井くん!
欲望とかなんとか、やや大げさに書いてしまったけれど。これって結構あるあるだよなーと私はドラマを見つつ思う。
とくに今の男性のアラサーくらいまでの人生って、「選択肢を広げる」ことがやたら良しとされている印象がある。
どこにでも就職できるように、勉強を頑張る。どこにでも転職しやすいように/どんな生活もできるように、就活はいいとこに就職したほうがいい。だれとでも結婚しやすいように、モテているほうがいい。誰にでも評価されやすいように、仕事はできたほうがいい。
つまり野心というよりは、「選択肢を狭めないために」何かを頑張る、という言い方をされがちなのだ。
しかし一方で、じゃあ選択肢を広げた先で、あなたはどんなものを望むのか? という欲望の主体性――それはある意味「選択肢を狭める」行為でもあるのだ――になることを、基本的に去勢されている。
そう、私には見える。
あまり男女二元論で語るのは良くないけれど、しかしジェンダーギャップを考えると、まだ女性の方が「自分はどう生きたいか」をはやめに決めなくてはいけない、という欲望の主体になることを求められる社会ではあるだろう。子供を産みたいのか産みたくないのか、仕事をどれくらい頑張りたいのか、容姿はどれくらいお金をかけたいのか、女性は大人になると常にジャッジを迫られる。でもそれは逆に言えば、欲望の主体になることに慣れることでもある。
10年ほど前に、雨宮まみさんのエッセイ『女子をこじらせて』が流行した。
これはまさに「こじらせ女子」、つまり「自分の欲望がわからない」女子のエッセイであった。
しかし10年経って、「え、男子も自分の欲望わかってなくない……?」「男子って社会の欲望ばっかりなぞってない? でもそんなんじゃ話し合えないんですけど!!!」と女性側から「こじらせ男子」の存在を提示したのが『こっち向いてよ向井くん』だったのではないか。
タイトルの「こっち向いてよ」とは、「社会じゃなくて、こっちを向いてよ!!!!!!!」とアラサー女子からの、叫びだったのだ。
なんせ『こっち向いてよ向井くん』は、女性向けドラマ、原作は女性向け漫画である。
いや男性が読んでも絶対面白いと思うんですけどね。(いまならkindle unlimitedで読めるよ!!!)
そしてもうひとつ思い出すのは、5年ほど前、『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマが流行したことである(これも原作は女性向け漫画である)。ここには、星野源演じる「草食系男子」――恋愛にも物欲にも興味のない「プロの独身」こと平匡さんというキャラクターが登場した。
「草食系男子」とは、むしろ「社会の欲望に沿うことを諦めた男子」のことだった。今でいう「非モテ男子」に近い。
しかし向井くんは、ポスト・逃げ恥の世界に存在する。つまり、向井くんは「草食系男子」ではない。ばっちり社会の欲望に沿って生きている。だから結婚も諦めていないし、彼女も欲しい。しかし、向井くんは社会の欲望に沿いすぎて、自分の欲望の輪郭がわからないのだ。だから女の子との会話が噛み合わない。
「社会」に沿い過ぎた言葉を出されても、「は? こっちはあんた自身の言葉を聞きたいんですけど! 仕事じゃないんだし!」となるだけだ。
令和のこじらせ男子、爆誕。
がんばれ向井くん。私は向井くんを応援している。
有料部分はドラマへの雑感です!
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