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親も揺らぐものであるー『あまちゃん』第一部によせて

『あまちゃん』に毎朝助けられている。

毎日朝起きたら面白い物語がそこにある、こんなに嬉しいことがあるだろうか……とうち震えている。はあ。もうDVD買って毎朝流そうかしらと思うくらいだ。『あまちゃん』、10年前に見たはずなのに新鮮に毎朝面白く、なんなら2周目だからこそわかるいろんな伏線に感動する。私がクドカンに追いついていなかったのだ、10年前は。

『あまちゃん』を見返していてしみじみ思うのが、この話の何が素晴らしいかといえば、朝ドラらしく「ヒロインがみんなを変えていく」という王道ストーリーを打ち立てつつ、同時に、「親も変化する生き物である」ことを丁寧に描いた作品であることだ。

先週まで放送されていた『あまちゃん』第一部は、北三陸を舞台に展開される。東京からやってきた「地味でパッとしない」アキが、母の春子とともに、祖母の夏ばっぱの家で暮らす。娘、母、祖母の3代の関係性を軸に、親友ユイとの出会い、海女/地元アイドルという職業との出会い、北三陸の人々との出会いを描いてゆく。

この第一部の特徴は「春子が北三陸を出ていくに至った確執」の真相と決着を描きながら、「アキが北三陸に居場所を見つける過程」の開始と終焉を描いたところだ。

アキは東京で見つけられなかった居場所を、北三陸で見つける。そして北三陸に居場所ができたからこそ、故郷・東京に立ち向かうことができる。

一方春子は、北三陸で見つけられなかった居場所を、東京で見つけようと旅立つ。大人になった春子は北三陸に戻ってきて、アキを通して、あの頃の母との確執を解消し居場所を見つける。そしてアキを今度は東京へ見送る側になる。

夏は夏で、あの頃は笑顔で見送ることのできなかった旅立ちを、今は笑顔で見送ることができる。

母は娘を見送り、旅立たせる側である。しかしその母もまた絶対的な存在ではなく、日々変化してゆく、揺らぐ存在である。揺らぎながら、それでも母は娘を送り出す。娘は前へ駆けてゆく。ーーなんて美しい物語なんだろう。それを描ける人ってなかなかいない。

基本的に若さとは直線的な存在だ。前へ前へ進んでゆく。しかし年齢を重ねるうちに、後ろへ落し物を取りに戻ったり、あるいは後ろに一回戻ることで前へ進めるようになったりして、ぐにゃぐにゃと変化してゆく。それこそ、波が寄せては返す、ように。

つい子どもは親を「そっか、親ってこういう人だったのか」と固定してしまうのだが、案外親も時間を重ねるうちに変化してゆくものなのだ。でもそれを描いた物語って、実はめちゃくちゃ少ない。傑作だなーーーとあらためて思う。それにしてもクドカンはなんで「あんたも、私の嫌いなものばっかり好きになんないでよ」なんて台詞を書けるんだろう。天才だ。

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