『ダイヤモンドの功罪』と「ギフテッド」の子どもたち
平井大橋 『ダイヤモンドの功罪』が面白い。現在5巻まで出ている野球漫画である。
主人公は、小学生の、綾瀬川次郎(通称ジロー)。彼は小学五年生にして既に166cmという高身長、抜群の運動神経をもって生まれてきた、スポーツの天才だった。
彼の不幸は、「どのスポーツをしても、抜群にできてしまうがために、友達ができない」こと。
そう、どこに行ってもスポーツができすぎて友達ができないのだ。なぜなら友達よりも圧倒的に強いから。そんなジローは、野球に出会い、あるチームに入ろうとするのだが……というところから物語が始まる。
この漫画を読んでいて私が思い出したのは、「そういえば最近ギフテッドという言葉が知られるようになってきたよな」ということだった。
1.ギフテッドとは?
ギフテッドとは何か、を説明し始めると、いろいろと揺らぎのある概念であろうし専門家に聞いたほうが絶対にいいのだが、ものすごくざっくりした説明をすると同年代よりも突出した能力のある子どものことを指す。私がギフテッドという言葉を最初に知ったのはWEB記事だったと思う。それからTwitterでしばしば見かけるようになったように感じている。
私がTwitterで見かけて読んだのはこの方のインタビュー記事だったような。
※ギフテッドに関する詳細な知識は本や専門家の監修するものを読んでください。
上の記事でもあるように、昨今ギフテッドという言葉が使われる時はむしろその負の面が注目されているようである。ギフテッドというと、才能がある天才児、のように思われるけれど、実は学校になじめなかったり社会に出てから人とは異なる苦労があったりするのだ、と。
そして『ダイヤモンドの功罪』の主人公ジローもまた、スポーツ分野のギフテッドといってよいだろう。ジローは他の子と圧倒的に能力が異なる。しかしだからこそジローはスポーツを通して友達ができないことに悩みを抱えている。だからこそ私は『ダイヤモンドの功罪』を読んだ時、「ギフテッドという言葉が広まった時代の物語だなあ」と思ったのだ。
2.マイケル・サンデル VS 少年漫画の時代
『ダイヤモンドの功罪』が広く読まれる理由のひとつに、私は昨今の「才能は努力や運ではなく環境によるものだ」という言説が背景にあると感じている。
いうまでもなくマイケル・サンデルが出したこの本がその言説の一端を担っている。
ここから先は
¥ 500
いつもありがとうございます。たくさん本を読んでたくさんいい文章をお届けできるよう精進します!