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言葉は、むりょく?
にゃかのが一緒に暮らしているのは、20年以上言葉にかかわるお仕事をしてきた女性です。いわゆる、"物書き" です。しかし彼女は、5年に一度の頻度で「物書きなんてもうヤメる!」の発作を起こして、ぜんぜん別の職業につこうとします。
2015年頃は「杜氏になる」と宣言して京都の山奥の酒蔵に就職しようとして履歴書を送ったり電話で熱意を伝えたりしました(丁重にお断りされたそうですが)。そのちょうど5年度、2020年には突如歌舞伎町の怪しい飲み屋のお姉さんになって、半年のあいだ一切文章を書かず生計を立てていました。
同居人にとって言葉は情熱で、書くことも読むことも大好きなのに、定期的に「もうヤダ!」ってなるのは、「物書きやってても報われない」という思いがあるみたいです。
大して儲からないという事実も、「報われない」に含まれるみたいですけど、それ以上に虚しく思うことがあるみたいなのです。
「言葉って、無力なのかな?」って。
メラビアンという心理学者の人によると、コミュニケーション全体のうち言語的要素が占める割合はたった7%なんですって(ほかの要素は、耳から入る情報が38%、目から入る情報が55%、だそーです)。
すごーく頑張って長い文章を書いたり、時間をかけて目的に合ったコピー(例えば、モノを売る、会社をブランド化する、など)を書いても、その役割はたったの7%。世間の印象の9割以上は写真とか動画とか、音声とかの言葉ではないもので作られている。
お仕事じゃないプライベートの場面でも、例えば友だちや恋人と喧嘩したとき、文面のやり取りだけで仲直りしようとすると余計話がコジれることって良くあります。会って、相手の表情を見ながら対話しないと、気持ちが通じないし、恋人同士だったら何も言わずに抱きしめたりするのが仲直りにはいいかも知れないです(抱きしめることで何かを誤魔化して問題を先送りにするのは良くないですけど…)。
そんな風に考えたら、同居人が虚しくなってしまって、ときどき死ぬほどお酒を飲んでしまう気持ちも分からなくはないにゃかのです(お酒は、ほどほどにして欲しいけど…)。
それでも、にゃかのは思うんです。
言葉だって、大事じゃない?って。
この世には、言葉にしないと伝わらないものだってたくさんあるんじゃないのかな?
言葉は7%なのかもしれないけど、7%だったら「むりょく」ですか?
にゃかのは猫なので普段「にゃー」とか「みゃー」しか言わないので、お前何言ってんの?って感じかもしれないけれど。人間の皆さん、どうでしょうか?
考えを、取りまとめ中の文章です。