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話し方とグロソラリア
「ギャルみたいな話し方」についてなんの象徴性を引き出そうとしているのか、日々気になってた。
先日、ポッドキャストでグロソラリア的人間は言葉が巧妙な事が少ない、要するに難しい言葉使わず「話し言葉」で表現する事が多い、と聞いた。
それを聞いて、なるほどと思ったのがギャルみたいな話し方は、話し言葉がもっと感覚的に砕けた感じなのだと思った。
なぜ、ギャルの話し方が気になったかというと、自分の話し方がそうらしいから。日常会話で、よく他人から「なんかギャルみたいな話し方だ」と感想を頂く。わざわざ日常会話でそのようなご感想を頂くということは、見える私がギャルとはかけ離れているからなのだと理解するのだけど、そもそもギャルみたいな話し方もわからないし、自分でその話し方をしているというのもよくわからないので、相当な謎だった。というか、松村先生の日々の音声講座を聞いていても、話し方がなんかギャルみたいだなと思う。(なぜなんだかわからない。)
(私は言葉もよく知らなくて、藤井聡太さんのwikiに書いてあった対戦後の感想等で使った「言葉」が、私はほとんど読めなかった。初めて知ったみたいなのが多かった。それがやたら面白かった。)
これは「ギャルの話し方」について深掘りするように、潜在意識の盟友が話しかけているということ。
情報番組WBSで「ギャル的コミュニケーションで、職場の上下や部所管の垣根を低くするという会社」をみた。
おそらく、これも同じような要素を使っているのだと思う。
縦や横のつながりを縦横無尽に横断するフラワーオブライフ的コミュニケーションを円滑にしていると思う。
先日のロットバルトバロンのライブでも、そのような番組をみたそうで、これからギャル的コミュニケーションが大事だと思ってるとMCで言っていた。