見えなくてもボランティア
私が友達と始めた「トークパフォーマンスグループ こうばこの会」は、視覚障碍者
を中心とした朗読グループだ。
平成5年くらいからスタートしたから、もう30年近くになる。一時期は晴眼者のサポ
ーターもたくさんいて、多い時は年3回くらい舞台公演をやっていた。
今やすっかり小規模にもなり、コロナ禍で発表会もなくなった。
そんな中でも時々図書館に呼ばれて朗読をさせてもらっている。
こちらもかなり減ってしまっているが、以前はもっとあちこちに呼ばれていた。
そこで思ったこと。図書館の会計ってどうなっているんだろうか。
「会に」という事で一定の金額を渡される場合、とにかく全部持ち出しで、しかも打
ち合わせにも参加させられるパターン。
呼ばれるのは大体東京なので、千葉や埼玉から来る人は交通費もバカにならない。
会にいただいたお金は出演者の交通費が大半で、残れば喫茶店での反省会のお茶代の
足しにしたりする。それでも余ると、余ることはあまりないけど、出演者で分けたり
会の会計に入れたりする。
こうばこの会はボランティア団体で、メンバーもプロではないので朗読に対する報酬
をもらおうとは思っていないが、持ち出しと言うのはいかがなものだろうか。
図書館は他に、講演会などもやっているが、そちらの講師の方々も私たちと同じ扱い
なのだろうか。
以前「せめて交通費と昼食くらい」とお願いしたら、そこの館長さんに蛇蝎のように
嫌われた(笑)障碍者は心が美しくて金の話なんかしないとでも思われていたのだろう
か。
いやいや逆だろう。大半の重度障碍者は低所得な上、健常者には必要ない出費が多い
のだ。そのための障碍者年金だろうと言われるが、それでも低所得には変わらない。
以前聞いた話。絵本を出版した脳性麻痺の女性があちこちで講演を頼まれたが、大抵
お礼として品物をもらったりするだけだったそうだ。彼女は普通には働けなかったの
で、講演会などで収入を得たいと思っていたがそれは結局かなわなかった。障碍者は
「講師」として認められなかったのか。やはり心がキレイだとか何とか変な勘違いを
されていたのか。
私はとりあえず、年金のほか、低額ながら定収入があるので図書館に行く交通費を自
腹で払えないという事はない。
感動ポルノの延長で、障碍者にはお金を払わなくていいみたいな風潮があったらいや
だなとおもっただけである。
それとも大学教授だとかそういうステイタスがない事が問題なのだろうか。
朗読は好きでやっているので、正直タダでも何でも呼ばれればほいほい出張っていく
のが基本だ。
以前、定期的に行っていた老人ホームははじめから「交通費も出せませんが」という
条件だった。お年寄りが喜んでくれるのもうれしかったし、こちらも経験の少ないメ
ンバーの度胸試し的なステージとしても利用させてもらっていたので、これはこれで
お互い納得した上のボランティアだった。
こうばこの会はあくまでボランティア団体なので報酬云々という事は考えていないが
、一般的な認識として障碍者は無償でいいと思われていたらそれは大きな勘違いであ
ることを知ってほしい。
そして障碍者側も報酬をもらうならその対価にふさわしいクォリティーの物を差し出
さなければいけないという認識を持ってほしい。
以前、このような事をN○Kで話したことがあるが、編集で削られてしまったのは今で
も残念に思っている。やはり「頑張っている障碍者」にフォーカスしたかったのかな
。
所で図書館も外からの業者が入ってきたり、それぞれ違った事業形態で動いていたり
するらしい。その上、決まった予算で運営しなければならないようなので、障碍者云
々と言うよりは無償でそれなりのクォリティーを提供してくれるグループがありがた
いのだと思う。
現に「謝礼」として会に一定額くれていた図書館からはある年から突然呼ばれなくな
った。
私らなんか下手こいた?!
私はともかく、他のメンバーは皆礼儀正しいし朗読も上手なのでそんな不興を買うよ
うな事はしていないはずだ。多分(汗)
やはり予算を削られてしまったのかもしれない。
こうばこを始めたきっかけは朗読や芝居がやりたかったというのもあったが、普段誰
かの助けを借りて生きている私たちが、何か人様のためにできないかと言う思い付も
あった。
所詮は趣味の延長なので、金銭は正直どうでもいいのだけれど、「持ち出しは当然」
みたいなところもあるのが気になりました。
くどいようですが、重度障碍者の多くは低所得者なのです。