
見えなくても聞きまつがい
ずいぶん前に、都民生協のスーパーのカードを作った。
ポイントがたまる上、あらかじめお金をチャージしておけるカードだ。
私はいつもニコニコ現金払いの昭和猫。PayPayなんかは使わない。
でもやはり盲人が小銭ジャラジャラは後に並んでいる人たちにも迷惑だし、落とした
日には店員さんを巻き込んで大騒ぎになる。
でも電子マネーを使う気にはならない。だからよく行く近所のお店はプリペイドカー
ドを作って会計をスムーズにするようにしている。
そこでこの生協カードである。
もう作ってから何年か経っているのにカードの名前がわからない。
ポペタンかホッペタンかポメタンか。
私は間違った名前を言ってレジの人にいぶかしがられないように「カードでの支払い
をお願いします。」とカード名を言わないようにしていた。
見える人にいつかカードに何て書いてあるか聞いてみよう聞いてみようと思っていた
けれど、緊急性も必要性も特にないのでずっと聞きそびれていた。それを先日やっと
聞くことができた。
生協のレジの人たちが特に滑舌が悪いわけでもない。発音が完璧なはずのセルフレジ
さんも発音しているわけだからわからないわけではないけれど、耳慣れない言葉や知
らない言葉は実際なんて言っているかわからない事がよくある。
エリンギかエレンギか。イルハンメルかリルハンメルかディルハンメルか。
音だけだとわからない。
私はずっと「ヒエラルヒー」だと思っていたけど一般的には「ヒエラルキー」らしい
。
ドイツ語が語源だしドイツ語読みだと「ヒエラルヒー」だからそれが正しいと勝手に
信じていた。ドイツ語なんてほとんど忘れてしまったのに、こんな時だけドイツ語学
科の弊害が!!
きっと文字で文章を読んできていたなら、日本語では「ヒエラルキー」なのだなとち
ゃんと理解しただろう。
普段から音訳図書をかっ飛ばしのスピードで読んでいるので「キ」でも「ヒ」でもと
にかく意味が分かればそのままスルー。細かいことは考えない。でも文章を書く時に
はそういうわけにはいかなくなる。
以下も「音だけ聞いて大勘違い」の例である。
初めて盲学校の寮に入った時、新入生歓迎のボウリング大会があった。
各部屋に点字の案内が回って来たので読んでみたら、「シチズンボウル」の表記の「
シチ」が「7」になっていてびっくりしたのは今も鮮烈な印象として残っている。
「シチズン時計」をはじめ、「シチズン」という表記はあちこちで見る。当時にわか
盲人だった私はまだ外の文字情報から隔絶されてはいなかったので大笑いできたけれ
ど、今は他人事ではない。
同じ頃、寮の仲間たちと話していて「エルム街の悪夢」というホラー映画の話になっ
た。その時「エルム街」をエルム貝」だと思っていた人が一人や二人ではなかった事
実が判明。
私は当時まだ見えていたので駅のポスターなどで自然に目に入ってきて知っていたけ
れど、音だけ聞いていたらエルム貝はムール貝の親戚か何かだと思っても仕方がない
。
パソコンやスマホで調べればいいじゃんと思うけれど、見えないとパソコンやスマホ
で調べるという作業もよいこらどっこいしょである。本当に調べなければいけない事
以外は後回しになり忘れ去られる。それに盲学校時代はまだスマホはおろかインター
ネットもなかった。
目が見えていれば電車の広告やスーパーの表示、テレビの字幕などから黙っていても
目に飛び込んでくる情報が多いけれど、見えなければ耳だけの情報になる。これはか
なりあやふやで不確実。
以前何かの会議で点字ネイティブの先天網の人が音声データだけじゃなく点字の資料
も欲しいと言って来た事がある。
私は音声なら中途の人も先天の人もわかるんだから、わざわざ点字を作るまでもない
と思ったけれど、その時彼らが言っていたのは、音声だけだと語句が確定できない。
指で読まなければ頭に入らないという事だった。
今考えると彼らの主張はもっともだ。
語句を間違えて覚えていたら後でパソコンで文字変換もできないし、不都合なことも
出てくる。
中途障害でパソコンやスマホができれば点字はいらないと言っている人がいるけれど
、私は少しでいいから点字は指で読めたほうがいいと思っている。
同時に私たち視覚障害者は普段見える人が目から入ってくる情報が全く入ってこない
わけなのだから情報量が少ない上あいまいになりがちという事を自覚しておいた方が
良いと思う。
記憶にしても同様だ。音だけだとどうしても記憶に定着しにくい。特に漢字で理解し
ていた中途障害者は音だけだと情報が右から左へ素通りしていってしまうことがある
。
そこら辺の認識が甘いととんでもない間抜けな間違いや大失敗をやらかしてしまいそ
うだ。
ちなみに生協のカードはほぺたんカードという。
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