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欧州旅行記④「アリーヴェデルチ(イタリア)」

ウィーンからイタリアへは寝台列車である。この旅初の寝台列車だったが、意外に寝れた記憶がある。そして、行先はベネツィア。今考えるとウィーンからベネツィアへ寝台列車なんてシャレオツ極まりない旅である。実際到着は朝で、なんとなくだが朝靄の中ヴェネチアに到着したような気がする。ベネツィアはおそらく多くの人が行きたいイタリアの都市だろう。実際超美しいし、船で移動できるし、映えまくりである。しかし1点弱点があり、なにもかもが高い。いわば街全体がディズニーランドみたいなものである。面倒なので一泊目はベネツィア内に泊ったものの、2泊目、3泊目は1駅離れたとところに泊った。しかしながら結果としてこれが最高だった。半分の値段で綺麗な宿。そして、1駅離れて、といったが朝夜にベネツィアに電車で向かうのがまた乙なのである。電車の待ち時間など多少の面倒はあるもののオススメである。

ベネツィアの後は、たしかフィレンツェ、シエナ、ピサ、あたりを訪問した記憶がある。どこも美しかったが、街の美しさでいうと、やはりフィレンツェだろう。とある寺院の上からみた景色はまるで花園である。屋根も赤、というかオレンジ色っぽい感じなので、花畑感満載なのである。ちなみに、街の上からみた美しさ、という意味では、フィレンチェかパリが私のなかでは圧倒的である。ちなみにフィレンチェではなにか観光名所が、というわけではないのだが、街全体が美しいので歩いているだけで楽しい。また、クソまずい飯屋でボラれる経験をしたのもこのフィレンチェあり忘れられない。

その後はローマである。もちろん、バチカンも行った。バチカンの美術館は人生に一度は行くべきだと思う。いわずもがな、有名な真実の口などいろんな観光名所に行った。しかしローマで忘れられないのは、宿のブッキングミスである。これは本当に当時びっくりしたのだが、ある日、私が宿に帰ると私のベットに別の人が寝ているのである。なんやこら、という話なのだが、どうやら私がtwo nights、と予約したつもりが、宿の人間にはtonightと聞こえていたらしい。痛恨の極みである。なんとかしてほしいと懇願したところ、宿のスタッフの仮眠部屋?のようなところを貸してもらえることになった。これが貴重な体験で、普通の人が住むアパートの一室みたいなところに泊ることが出来た。内部もぼろっちい感じがノスタルジー。災い転じて福となす、とはこのことである。そして、20年前ではあるが、ローマではもう1つ忘れられない出来事があった。911である。これはご気分を害する方もいるかもしれないのだが、ただ事実なので淡々と記載させていただくと、その日私はバチカンに行った。当然大聖堂に行き、そこで世界が平和になりますように、と祈ったのだ。その後宿に戻るとみんながテレビの前で大騒ぎしている。なんだかビルが燃えているのだ。その時はすげービル火災だなあ、とのんきにいたが、その後貿易センタービルに飛行機が突っ込んだ、とのことだった。oh my gosh。神はいないのだろうか。誰もがそう思ったと思うが、ビルに飛行機がとっこむなど、映画でもそんなシーンあったかなレベルの映像である。まったく余談ではあるが、当時同時期に先輩たちが卒業旅行でニューヨークに行っており、無事を心配したが結論無事だった。ただし、飛行機が飛ばなくなって、地獄のような1週間を過ごしたらしかった。ちなみにこの事件では大学の先生の友人がこのテロで亡くなっており、これが私が世界平和について考え、のちにカナダに留学する理由になるのだが、それはまたの話。

ローマの後は、ナポリである。ナポリはどちらかというと、今まで訪れた街よりもちょっとボロい感じで漁村とは言わないが、なんとなく雰囲気もさびれている感じだった。目的はもちろん「青の洞窟」だ。正直語ることはそんなにない。たしかに綺麗だったけどね。

またイタリア人は陽気でイギリス人もイタリアにあこがれを持っている、などと聞いたことがあるが、まあどうかな、という感じである。失礼な言い方をすると一番犯罪の匂いがしたし、人がそんなに良い人、という印象はなかった。また当時は学生ゆえよくわかってないが、ドイツ、フランスに比べると、格段に汚い、というか若干生活が貧しい印象があった(あくまでインフラ面の話)。ただ観光名所は多く、街の美しさは本当に歴史を感じイイ。死ぬまでにもう一回くらいはいっときたいね、そんな感じである。

ということで、イタリアを離れ、フランス、プロヴァンスに向かうことになるのであった。


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