豊津徳【HozuTalk】06「デザインとアート」
山本豊津(東京画廊)×角田陽一郎(バラエティプロデューサー)のアートを巡る知のライブトーク第六弾!
テーマは「デザインとアート」
豊津徳も寿司特も週間ICUCも、未熟者の私にとってはノートを用意して聞きたいもの、できれば教科書とか読み物として欲しいもの。文字起こしが趣味になって本当によかった。
私の趣味の文字起こし。月イチのお楽しみ【豊津徳06】です。
目次
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角田 あ。なんか僕が…、はっはっはっ!付けるところから、もう(笑)
豊津 ええ?(笑)
角田 いや、今僕がですね、ヘッドホン付けてるところくらいから始まっちゃったぞ(笑) はい。すいません。よろしくお願いします。
豊津 はい。よろしくお願いします。
角田 本当は今日は1回東京画廊にお伺いしようかなーと思ったんですけど。それは次回やりましょう。まさに。
豊津 はい!そうしましょう。
角田 どうですか?この緊急事態宣言中で、東京画廊的にはと言いますか。
豊津 仕事は順調です。
角田 おおぉぉー!
豊津 たぶんね、今こないだも業界の人たちと会ったんだけど、美術業界は良さそうです。
角田 へぇ〜!それってコロナとの相関関係で言うと、豊津さんの分析だとどんな感じですかね?
豊津 一つは株が上がってるでしょう?
角田 あ、そうか!単純に上がってるんだ。
豊津 というか、コミュニケーションが寸断されてるから、コミュニケーションが対面でなくなっちゃったんで、間に物を挟むというのがあるんじゃないかと。そうすると間に物を挟むっていう場合はアートというのは非常に都合がいいとか。
角田 うってつけですもんね。
豊津 それから物の売買が少人数だから、角田さん達のようなコンサートとかね、イベントとちょっと違って、せいぜいお客さん一人に僕一人っていう、そういうレベルなんで。
角田 確かに。密にならなくていいってことですね。
豊津 密にならない。それから一見の客がいないってことね。
角田 そうですね。「豊津さ〜ん!」とか、みんなそう呼ばれる方がってことですもんね。
豊津 だからどの画廊もふらっと一見の客が来て「これ下さい」っていうのはないから、予約ってなるわけよね。だから密にはならんですよ。
角田 そっか。だから元々ソーシャル・ディスタンスをちょっとこう、ギャラリーって保持してますもんね。
豊津 そうそう。たくさん来ると売れないからさ(笑)
角田 (笑) そうですよね!僕も初めて東京画廊にお邪魔したときに、ちょっとやっぱり敷居が高いと思っちゃいますもんね、来たことないと。逆に知らない画廊さんとかに入ろうかなーとか思っても、どう話しかけていいのか分かんないなーとか、やっぱり思ったなーなんてことは…
豊津 値段のわからない寿司屋みたいなもんだよね(笑)
角田 そう。入りにくいですね。すごい高いの買わされちゃうんじゃないかとか思いますもんね。ちなみに、そういう話をしちゃったから、これを見ているそう言う人が画廊に行ってみたいなとか、絵を買いたいなと思った時のファーストステップとして、どういう風に一見から一見じゃなくなればいいかのオススメのアドバイスを豊津さんからして頂ければ。
豊津 まずね、角田さんとこの話を聞いたっていう人は、私としても入れやすいよね、画廊に。
角田 はははは!そうか!そりゃそうだ!このYouTubeを観て東京画廊来ましたと。なるほどなるほど。
豊津 僕たちの話を聞いてて興味を持ったんだから、僕としてコミュニケーションしやすいじゃん。ね。だからその土台の上で信頼関係が出来て売買が行われるわけだから。
角田 僕が豊津さんに最初に言われたのが、給料1ヶ月分くらいの値段の作品を買ってみたらどうだい?みたいなこと言われたんですよね。それはなんか意味があるんですか?
豊津 うん。というか、まあ大体給料1ヶ月分くらいの作品が手頃ですよ。というのは毎月絵を買う人なんていないから。角田さんが1点買うじゃない。次買うまでにやっぱり…翌月には買いに来ないやね。そうすると年に1ぺんだとすると、12分の1の給料なら割り出せるんじゃないの?
角田 なるほどね。それってそれぞれの給料1ヶ月分があると思いますけど、そこそこの値段なわけだから、やっぱりみんな真剣に選びますもんね。
豊津 そうです、そうです。それね、よく例にだすんだけど、馬券買う人もさ、鉛筆舐め舐め調査してから馬券買ってるじゃない。あのくらの真剣度で絵を買えばいいんですよ。でも絵を買いにくる人は馬券の人ほど馬のこと調べてこないもんね。
角田 ああ!そうか!!
豊津 そうそう。なんかすごいよ、系統とかさ、それからパドックまで行ってお尻の艶とかさ(笑)
角田 あとこの前のレースでどれくらいの記録だったとか、どれくらい休んでたとか、すごい調べますよね。
豊津 誰が騎手だとかね。そういうものを全部やってこれ買おうとするわけでしょ。
角田 そうか。だから本当はアートだってそれぐらい調べた方がいいんだ。
豊津 そう。だってそうしないと…やばくない?
角田 やばい!…でもそれってどこから調べていいのか?とかが、やっぱり分からないんですかね。
豊津 いやぁ、だって図書館行きゃあ美術の本たくさんあるじゃん。
角田 そうだ。そりゃそうだ。
豊津 うちの銀座だったら蔦谷が GINZA SIX の上にあるでしょ。あそこ美術の専門書ばっかりじゃん。だから東京画廊来る前にあそこの本屋行って、少し本読んで、鉛筆で舐め舐めしながらノートに書いてくればいいんじゃない(笑)
角田 なるほどね〜。それで僕は宮沢男爵さんの絵を買ったんですね。それもだからちょうど給料1ヶ月分ぐらいの値段だったんですけど。なんかそのとき選ぶポイントみたいなものってあるんですか?
豊津 それはだから今度は角田君の性質に関わってくるから。だから角田君はやっぱり繊細っぽいのがいいのか、もうちょっと構造的にしっかりとした方がいいのか、ね、どちらかと言うと感情に流されやすいのか、構造がきちっとしてるのか、そういうの話してると分かるじゃない。
角田 豊津さんはそういうところお勧めしたりするんですか?お話されて、この人はこういう方なんだなってのが分かって。
豊津 そうそう。それから20点も見せると迷うじゃん。だからまあ僕たいの商売で言うと3点が一番いいの。
角田 なるほどね〜、勉強になるなぁ!プレゼンは3点までなんですね。
豊津 そう。2点はね、なんか寂しいじゃない。これか、あれか、だから。1点はなんか僕の趣味を押し付けてるみたいな感じになる。3点、大体バリエーション3点みせれば大体どれか1つ選ぶじゃない。そうすると自分で選んだっていう積極性が評価される。
角田 確かに僕も1回買ってからの方が、その後普通に美術展とか見に行った後も面白くなりましたね。だからそれって知識みたいなものもあるけど、買ってみる勇気みたいなものってすごい大事だなというか。
豊津 やっぱり資本主義だから、まず飛び込まなきゃ(笑)
角田 飛び込まないとね。そう、だからそれ以来本当に1年に1回くらい、1個づつくらい、むしろ有名とか無名とか関係なく、自分の給料で買える範囲で集めたいなーとか思いますね。なんかね。
豊津 そう。それからね、すごく大事なのは、作品が高い時に買うのか、作家が高い時に売るのか、どっちかしかないの。大体高いとき買って安くなったら売るの。
角田 (笑)
豊津 ヨーロッパの人は安く買って高いとき売るの。
角田 バブルのとき皆んな高いの買っちゃったってことなんですね。
豊津 そうそう(笑) それを買い戻したヨーロッパの画商がいるわけよ。1度日本人に高く売っておいて、日本人が持ちきれなくなったら自分で買い戻すのおかしいから、人を使って買い戻した。それで美術館建てちゃった人いますよ。
角田 へぇ〜!そこが面白いですね。価値はいつもアップダウンしてるんですからね。それによって…そうかぁ、その時のタイミングで買えるか買えないかみたいなのあるってことですね。
豊津 だから前回は価値と価格の話をしたけど、日本人は価格で作品を買うから高い時しか買えないんですよ。価値で作品買うときは安いんですよ。
角田 あ゛あー!それまた深いなぁ。ということは、だから、価値を分かってないと価値で買えないですもんね。だから価値を知ることが必要なんだ。
豊津 そうなんです。
角田 なんかそこって誤解を招かないように…誤解を招いちゃうかも知れないけど、ストレートに言えば、日本人って価格が価値だと思ってますもんね。だから高いという価値で買いましたみたいな。でもそれって実は価格はアップダウンするわけですもんね。
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豊津 価格はそのときの様子に因るじゃない。例えばオークションで絵を買うって言うと、本来の価値以上で買っちゃう場合があるんだよね、興奮したりするから。隣の人が10円上げたから俺20円上げようっていう風にやってるうちに、通常の価格より高く買っちゃう場合があるわけよね。それがオークションの意味だから。興奮されるってことが大事だからね。
角田 やっぱり、ちょっと負けまいとして買っちゃうわけですね。
豊津 そうそう。だから価値は冷静、価格は興奮とかね(笑) そういう風に。
角田 冷静と興奮の間にあるんですね、アートはね。冷静と情熱の間ってそいういうことですね。いや、面白い!
はい、早速そんな話から行くんですけど、今日テーマが「デザインとアート」っていうテーマにしようかなと思ったんですけど。これ何でかって言うと、僕が石岡瑛子展を観てきたんですよ。1ヶ月前くらいかな?2月3日に観に行ったんだ。で、観に行った時に…観に行った時のね、インスタに呟いたことをちょっと今読まして頂きますと、、、
「石岡瑛子展。素晴らしかった!けど、なんかうまくいえないんだけど、自分も青春を過ごした80年代の広告や文化の毒を感じたりもした。その毒は僕らにすごくおいしかったんだけども、その残存物が脳内に未だに残ってるとでもいうか、いい意味でも悪い意味でも。」
って書いてるんですよ。これ、どう言うことかと言うと、結果的に言うと作品は全部素晴らしいなーと思ったんですけど、特に80年台のPARCOのCMとかそういう雑誌の表紙とかを観てた時に、例えばアフリカの黒人の女性のかっこいい写真があるじゃないですか。あれ、80年代の僕が観た時にカッコいいなーと思った記憶があるんですよ。PARCOのCMカッコいいなーみたいな。それを今観たら、今観ても全然カッコいいんですけど、本当はカッコよくないところもあったんじゃないかなーと思うんですよね。国貧しさとかね、色々大変な経済とか、もしかしたら男女差別とか。なんかそういうものが消えちゃってるなーと思っちゃったんですよ、そのカッコいいデザインなだけに。
豊津 それはあれじゃないの?西武が落ちたからだよ。
角田 あっはっはっはっはっはっはっはっは!美味しい生活が美味しくなくなっちゃったってことですね。
豊津 そう(笑) だって堤さん売っちゃったんだからさ、セゾングループを。だからやっぱり落ちてしまったから、石岡瑛子さんは西武文化が、いわゆるセゾン文化が興隆するときに大活躍した人じゃない。ところがその文化が落ちちゃったらさ、やっぱり西武が落ちたら石岡さんのデザインもやっぱり難しいんじゃないの?
角田 なるほど。仰ってること分かります。例えばあの頃のキャッチコピーで糸井重里さんとか…僕、当時高校一年生だから1986年なんですけど、なんか川崎徹さんってCMプランナーと糸井重里さんの対談みたいなのが錦糸町であって、高校生の僕はチケット当たって見に行ったんですよ。すごい面白い話しをしてて、カッコいいなー、いわゆる業界は…と思って、広告とかテレビの世界に興味を持ち、結果、電通とかは全部落ちたんですけど。本当は僕CM作りたいなとやっぱり思ったんですけど、テレビ局に入ったんですよ。だからあの80年代のカッコいいものって、僕の中で多大な影響を…それはさっきのインスタに書いてた毒みたいなもので。なんで毒って言ってるかと言うと、甘い毒というか、ああいう風にデザインをカッコよく魅せてることがいいんだよなーっていうような感じでずーっとやってきた気がするるんですね。僕自身もそうだし、もしかしたら日本社会も。そんな中で、豊津さんClubhouseってご存知ですか?
豊津 今やってるやつでしょ?
角田 なんか流行ってるじゃないですか。あれってまあ、まあ、あれ自体の良いか悪かは置いといて、たまたま丁度その石岡さんの見に行った日と重なってるから、Clubhouseがブームになってるわけですよ。ちょっとそこでClubhouseっていうのはなんでブームなのかって言うようなことを皆さん分析してるんですね。そういう専門家の方々が。そうすると、デザイン的に優れてるって皆んな言うんですよ。
そのデザインってのは何かって言うと、見た目のデザインというよりは、例えばClubhouseって映像無い音声だけなんですよ。だから豊津さんと僕がこう言う風に話してるのをClubhouseで音だけでやったりすることも可能なんですよ。という引き算の論理が結構働いてるんです。
YouTubeでこういう風にやったりとか、これはzoomを使ってやってますけど、これってやっぱり顔を見せなきゃいけないから、メイクしなくちゃいけない、なんなら後ろも見えるから綺麗にしなきゃいけないとか、負荷がかかるじゃないですか。で、そういう負荷を極力排してるからClubhouseってのは人気なんだって分析してる人がいらっしゃって。
なおかつユーザビリティみたいな話になると、こういうユーザビリティだから使いやすいなーみたいな話しをたくさん聞いちゃったわけですよ。そうするとなんかそういうデザインって、引き算のデザインだみたいな話しでどんどん簡素化されていくのは分かるんだけど、それってなんか僕個人、角田陽一郎は要らないよねと言われてる感じというか、だからどんどんシンプルに綺麗なものになっていくと、もしかしたら汚い自分は排除されてるんじゃないかなという、なんか自分が排除されていくような感じがしちゃったんですよね。
それに付いて行かなきゃいけないとして、例えばテレビのプロデューサーだという意味で言うと、Clubhouseが良いか悪いかは別として、今流行ってるのは何か?みたいな意味で言うと、Clubhouseが流行ってる、あるいはアーティストならこんなの流行ってる、お笑い芸人ならこんなの流行ってるっていうのを敏感に感じ取って、それをデザインして、演出して、編集して、テレビを作ってきたわけじゃないですか。でもなんか、それに切り取られちゃった部分の方が実は大事なことなんじゃないかなーという風に思っちゃったんですよ。だからさっきの石岡さんのアフリカの写真を見た時に思ったあのカッコ良さで表現として失われてしまったものみたいなものが実は世界の問題みたいなものなんじゃないかなーなんて、ちょっと思っちゃったって言うか。
豊津 まあ、でもやっぱりね、一番考えなきゃいけないのはね、やっぱり時代っていうのは時代が持ってる装飾性があると思うんだよね。装飾性があったから、糸井さんのいわゆるコピーはすごくうつくしく見えたわけだよね。でもさ、今コピーって嘘くさいじゃん。
角田 そう!そうなんですよ!
豊津 ということは装飾性が変わっちゃったってことよね。
角田 あー、そうか。だからデザインされた自分が疎外感を感じると言うより、そのデザインの時代が色々やって変化してるってことなんですかね。
豊津 そう。だから石岡さんで皆んなちょっと考えてもらいたいのはね、石岡さんって資生堂にいたんでしょ?で、石岡さんが資生堂に移ったときに、PARCO行ったわけじゃない。銀座から渋谷に移ったんですよ、文化が。それ以来、資生堂はもうすでに広告のトップではなくなっちゃった。
角田 あの頃はもう資生堂のCMといえばいつも流れてましたもんね。おしゃれなやつ。
豊津 ところが資生堂のポスターを見ても、どれを見ても、やっぱり石岡さんのやったデザインを超えるものは未だに出来ないですよね。ということは石岡さんがたった一人動いて…象徴的じゃない?銀座から渋谷に。しかもね、PARCO、西武文化は池袋でしょ。なぜ渋谷で華開いたの?池袋で華開かないじゃない。パルコは渋谷で華開いて池袋に帰ったの。ところが堤さんはさ、どっかに劣等感があるんだよ、銀座に対する。晩年は堤さんはずっと銀座に暮らすんですよ。それでホテル西洋作ったわけね。
角田 そうだ!でも西洋銀座もなくなっちゃいましたもんね。
豊津 そう。それから有楽町西武を作ったでしょ。あの時に銀座西武にしたかったの。ところが銀座があそこは有楽町だから銀座という名前を使っちゃいけないって言ったのよ。
角田 ああー、マリオンのところだ。だから有楽町なんだ、あそこ。
豊津 そう。それで結局あそこは有楽町になっちゃったわけね。有楽町西武になったから、そのリバウンドでホテル西洋を作ったの、銀座に。ということは堤さんは常に銀座に対する何か思い入れがあったんだと思う。ね。これが面白いでしょ。近くに談志師匠がずっと住んでたの。談志師匠もずっと銀座に居たみたいよ。
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豊津 だから銀座っていうのは、近代の象徴であるけど、70年代までなんですよ。80年代から西武に移って、銀座自身がそれまでの力を失うんですよ。それがみゆき族なんですよ。
角田 ああ、そうか。みゆき族って昭和30年代とか40年代ですよね。
豊津 そう。みゆき族で銀座がヨーロッパ文化からアメリア分化に変わるんですよ。それで終わるんですよ、銀座は。
角田 でもそれって銀座と渋谷の違いみたいなのをあえて言語化すれば、やっぱり富裕層なのか庶民なのかみたいなことも…庶民でもないか、渋谷って。新興庶民みたいなことですよね。
豊津 そこに僕の世代ね、僕の世代はもう銀座じゃないんですよ。
角田 豊津さんですらそうなんですね。
豊津 僕は銀座ですけどね、でも僕自身が青春をやったのは高校時代は渋谷で、大学は新宿ですよ。
角田 あー、そうか。なるほど。まさに全共闘の新宿みたいなイメージですもんね。
豊津 だからやっぱり僕が武蔵美へ行ってた頃さ、ほとんど新宿ですよ。ジャズ喫茶、それからクラブみたいなものとか、そういう文化は全部新宿ですよね。それで、たぶん新宿はね、あれにも近かったからだと思う。中央線で黒人文化が入ってくる。
角田 横田基地とか福生とか。
豊津 だから僕ね、新宿から横須賀行ったことあるよ。新宿でそういう新しいモータウンサウンドが流行った時に、これはやっぱり横須賀に行かにゃあならん!っつって横須賀行って(笑) レッドシューズってとこ行ったな。そういう思い出があるよね。
角田 それ面白いですよね。それってだから横須賀もそうだし横田もそう、全部国道16号沿いなんですよね。座間、厚木、だから国道16号線って実は米軍の関連施設が並んでるみたいな。
豊津 そうすると渋谷はやっぱりNHKがあるでしょ?あそこに。原宿があるじゃん。
角田 みゆき族とか、たけのこ族ですもんね、俗に言えばね。
豊津 みゆき族が銀座だと、原宿はたけのこ族だからな。でも僕たちの時の渋谷ってのはなんにもなかったよ。あのパルコ通りには。NHKの上の方にコロンバンっていうお菓子屋さんがあったくらいかな、1軒。でもあの坂上がってった左側のマンションに結構有名な音楽家とかね。
角田 ああ、なんか、いますね。
豊津 そう、いるんですよあの辺は。やっぱNHKが近いせいだと思うんだけど。
角田 なんか居たっていいますよね。渋谷公会堂の北のところですよね。
豊津 その大人達は原宿側には行かないんだよ、うるさいから。渋谷のあの上は静かだったからね。で、そこには東急グループがまだ出てこなかったから、東急グループは東急本店の方に行ったでしょ。ね。
角田 そうですね。公園通りの方は東急じゃないですもんね。西武ですもんね。
豊津 そこに堤さんと言うか、堤さんのナンバー2だった、ほら、なんとかさんって人が目を付けたんだろうな。パルコ作ったり、LOFT作ったり。その人が面白い人だった。その人はニキ・ド・サン・ファールっていうフランスの絵描きさんのことをすごく応援してた人がいるの。その人が基本的には西武文化を作った人だと思う。
角田 面白いですね。冷静に考えたらその1990年くらいのときに東京都庁は有楽町から新宿に移動してるわけですからね(笑)
豊津 そう。新宿にね。
角田 なるほどなぁ。いや、それで、さっきのデザインの話にちょっと戻ると、デザインとアートの関係って何なんですかね?すごいザクッとした質問なんですけど。
豊津 いや、だから、デザインはリスクはデザインしてる人は持ってないってことでしょ。発注した人がリスク持ってるわけ。例えば石岡瑛子さんのポスターは流行らなくても流行っても石岡さんにはリスクないじゃない。PARCOがリスクを背負ってるから。
角田 そうか。アートは違うんですよね。
豊津 アートはだって作った本人がキャンバス自分で買って来てさ、油絵具買って来てさ、自宅の家賃払ってさ、そこで絵を描いてるんだからリスクは全部アーティストにある。だからリスクは本人全部が持ってるのがアート。それから発注者がリスク持ってるのがデザイン。だって安藤さんの建物が芸術だとかなんだとか言ってるけどさ、安藤さん自分の自宅だって自分で設計してるか分からないしね。
角田 してないって言ってましたよね。どこまでが本当か知らないですけど、してない、と。なぜですか?と言ったら「俺の家寒いんだよね。」って言ってました(笑)
豊津 自分が成城学園に自宅設計したんだけど、数年で引っ越してるからね。
角田 はっはっは!寒すぎて(笑) 打ちっぱなしで寒すぎるみたいな。コシノヒロコさんの芦屋のご自宅に行ったことあるんですけど、安藤忠雄さんのデザインだったんですごいカッコいいんですけど、コシノさん曰く「寒いのよ〜、冬は。」って言ってました(笑)
豊津 なぜデザインされた建築は住みにくいか?って言うと、建築のそもそもは墓だからね。
角田 ああー、また深いな。なるほど。
豊津 だからコンセプチュアルな建築を作れば作るほど住みにくくなるのよ。それは生きてる人には無理よ。
角田 前方後円墳とかピラミッドとか、それを同じようなものになっていくってことですね。
豊津 そう、そういうことです。だから死の匂いがするじゃない。デザインされた建築って。
角田 だから逆に美術館ってちょっとそういうの感じますよね。みんなすごいデザインがいいから。
豊津 そう。前言ったじゃん、美術館というのは死体の山だってさ。
角田 仰ってましたね!
豊津 ね。だから美術館の建築っていうのは死体の山でいいのよ。
角田 むしろそういうデザインされた建物の方がいいわけですね。
豊津 ところがね。美術館がついに死体の山を離脱したわけよね。なぜかと言うとインスタレーションってのが出来たから。
角田 ああ、そうか!生きてるんだ、インスタレーション。ライブだから。
豊津 そう。そうすると美術館のデザインが変わらざるを得ないじゃない。
角田 そっかぁー、インスタレーションってライブですもんね。だからアートが死から生へとちょっと転換したものがインスタレーションなんですね。動いてますもんね、確かに。
豊津 だからアートは時間と共に死体になるわけだから、アーティストは生きてるけど、アーティストが作ったものは全部死体になってるわけでしょ。なら死体をどうやって蘇らせるかっていうのが活用化じゃん。もうすでにエジプト時代で3500年前にあった彫刻をルーブルに持ってくるってことはさ、死んだものを生き返らそうとするわけでしょ。それがさ…美術館だから。蘇生術みたいなものだよね。
角田 はぁ〜、面白いな。確かにそうだ。
豊津 だから安藤さんの場合はアートとは言わないよね。やっぱりあくまでデザインよね。でも今ね、デザイナーと言われてる人たちも、なるべく自分がアートに近づきたいっていう風に思いを持っちゃってる。
角田 僕これずーっと言ってるのは、広告ってアートになりたい人たちが、つまり何かやるためにはパトロンというかお金が必要じゃないですか。そのパトロンを集めるためについた嘘が広告なんじゃないかなって、僕ちょっと思ってるんですよね。
それはどう言うことかと言うと、例えばそれこそ中世というかはパトロンはメディチ家だったり、ブルボン家だったりするわけですよね。だからフィレンツェにダヴィンチが絵を描いたりとか、モナリザがそれこそブルボンだからルーブルに行くみたいなものって、結局そういう王侯貴族がパトロンだったわけですよね。
ところが王侯貴族がどんどん没落していって、ブルジョア階級とかが出てくると、肖像画とかブルジョア階級とかに描かせたりすると思うんですけど、そこでだんだん個人というより会社みたいなものが金を持つようになると、パトロン達はなんか広告みたいなものをさも芸術っぽく作るとお客が増えるんですよみたいな。ちょっとハッタリというか、そういうのを付けてお金を稼いでCMを作り始めたんじゃないかなーと。それがなんか今のテレビCMもそうだし、広告とかポスターとかもそうだと思うんですけど、すごいアーティスティックに作ってるから売れるっていうのは、実は僕、相関関係そんなにないんじゃないかなと思ってるんですけど。ただそういう風に言わないとパトロンがお金出さないから、芸術家達が嘘ついたんじゃないかなーって思ったりもするんですよね。
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豊津 要はね、最初の建物って教会じゃない。
角田 はい、そうですよね。宗教の。
豊津 その教会から王族に移ったよね。それから次に一般庶民に移っていくでしょ。これ何をやってるのかというとね、毎日の生活はフローなんですよ。でも自分が生きてきた証を求めるわけね。そうすると証ということは物証化しなきゃいけないから、アーティストに肖像画描かせるということは、私の生涯は60年で終わったけど、子孫にこういう爺ちゃんが生きてたって言うことで銅像と絵画が残るわけでしょ。ということは要は何をやってるかって言うと私たちはフローでは堪らないと思ってるわけですよ。金が出来たら残したい。
角田 ダジャレで言うとフローじゃ堪らなくて不老になるために肖像画を描かせてるわけですね。フローから不老なんですね(笑)
豊津 そう(笑)
角田 その不老で残すというのは真の始皇帝がお墓作ったのとか、一緒ですもんね。だから昔の王様達が前方後円墳作ったっていうのと、もしかしたらブルジョア達が自分の肖像画を描かせたことってのは、フローな流れていく人生を不老にしたかってことかも知れないんですね。
豊津 そう。これがアートのあれだとするとね、今角田さんが言ってた広告っていうのはそれじゃないんですよ。広告っていのは私が明日生きていくためにお金集めなきゃいけないから。フローを繰り返すためには広告が必要でしょ?だから広告は最終的にあなたが石岡さん観にいくとね、なんとなく違和感があるのは、あれはフローを繰り返すための薬みたいなもんだよね。だから薬とその残ったものとの違いがあるんじゃないかなーと思うんだよね。
角田 薬だからこそ常習性もあるし。さっきもだから僕が毒と言ったのはそう言うことかも知れないですね。どんどん感覚が麻痺していくし、常習性があるって意味で言うと麻薬的なものがあるんだなーっていうか。それこそ石岡さんの作品って全部僕が高校時代とか中学時代とか青春に浸ったものだから、その薬の残存物がずごい脳内に残ってる感じがしちゃうんですよ。それより前の世代の人たちはまだ、あとで図録で見るとか。そうするとその時代のアートとそんなに違わない感じで見れてるから、その薬の麻薬性は感じてないんですよね、そんなにね。
豊津 そう。だからあなたはさ、もうその薬から離脱したわけよね。前まで覚醒剤やってたけど。
角田 もうすごいボンボンやってたんですよ、テレビというね。もう毎日毎日、視聴率という。
豊津 あの覚醒剤を打ってた自分とはなんだったんだろうかな?っていうことですよね。
角田 ぁぁ〜…なるほどねぇ…!うん、なんか、ということを感じました。だからそれ以上に石岡さんの素晴らしさみたいなのは分かったんで、あの展覧会って後半ではむしろ広告じゃなくて映画とか演劇の衣装とかをやってるみたいな話が出て来て、そっちの方はやっぱりピュアに楽しめると言うか、薬の気持ち悪さみたいなものはなかった。確かに。
豊津 それからたぶんね、あの石岡さんのあの麻薬みたいなものをね、打ち続ける人がいなくなったってことだよね。
角田 それって比喩で言えば、麻薬ってすごいお金がかかるから、そのお金を出し続ける人がいなくなっちゃたってことですよね。西武も没落し。
豊津 そう。問題なのはその次がないの、もう。
角田 うん!そうそう!でね、さっきのその話で言うと、ある意味パトロンを大企業にしてたアーティスト達はもう大企業もいなくなっちゃって、さぁどうしようって始めて、クラウドファウンディングみたいなものが出来たのかな?と。つまり自分がアーティストだからこの自分の作品性にお金くださいねって、直でアーティストがやるしかなくなっちゃったのが今なのかなーと。
豊津 だと思うね。自分で自分を投資するためにね、やるってことになったんだと思うんだよね。だからさ、よく考えてみるとね、深澤直人さんにしてもね、原研哉さんにしてもさ、西武文化の名残でしょ?みんな。あれもそうだよね、無印良品とかさ。ね、無印良品を最も参考にしたのがUNIQLOじゃない。ということはさ、もうすでにあの西武文化を超える文化って日本になくなっちゃったってことよね。その西武の人たちの名残が今、銀座で頑張って松屋を支えてるわけよね。すると銀座って一体なんなのか?って思うんだよね。
角田 なんなんでしょうね。だってUNIQLOとかも銀座にあるわけですしね。
豊津 (笑)一度はさ、石岡さんに持っていかれたものがね、残り滓みたいに戻って来たみたいなさ。そう言っちゃ失礼だけど。
角田 まさに無印のMUJIみたいな感じで戻って来たってことですよね。
豊津 だからこれから僕は、来月、東急文化村と一緒にね。
角田 渋谷のですか?
豊津 東急が銀座の5丁目にビル作って。
角田 東急プラザ。
豊津 東急プラザの上にNewsPicksが出て来たのよ。
角田 出て来ましたね。あの空いてるところですよね。
豊津 そこから声が掛かって、あの上でね、山田五郎さんが今、お茶と落語とそれから次が僕が呼ばれて3回くらいで山田五郎さんとトークショーみたいなのやるんですよ。
角田 へぇ〜!面白そうですね。
豊津 それを一応やるんだけど、さぁ、山田さんに銀座とはって言われたらさ…なんて答えるかって(笑)
角田 なるほどねぇ。面白いですね、銀座。一方でね、そういう資生堂文化みたいなものっていうのもあるし、それこそお茶だ、華道だ、踊りだ、みたいなね、そういうのもあるし。
豊津 資生堂はね、何をやってるかっていうと。今、資生堂の下で、資生堂パーラーの下でね、ギャラリーこしらえて現代美術の展覧会ずーっとやってんのよ。で、もうその現代美術の展覧会っていうのは銀座の街とは一切関係ないよね。
だから銀座の街で資生堂が、福原さんがいるとき、今では…今もうほとんど福原さん出てこないんだけど、その時は福原さんは銀座の文化ってことすごく考えてたんだけど、今や資生堂自体が銀座っていう文化を考えなくなったの。要は現代美術をやることによって、グローバルな会社として何をするか?っていう発想になったんだと思うんだよね。
角田 それってUNIQLOもMUJIも本質的にはそうですもんね。だから銀座から渋谷に行ってPARCO文化みたいなのが出来たんだけど、それがグローバル化したとも言えるのかな?そうすると地域性みたいなものが無くなっていったってことなんですかね?
豊津 で、そこにね、グローバルが持って来たコロナが流行ったでしょ(笑)
角田 ほんとだ(笑)
豊津 そうすると地域性っていうのをもう一回見直すのかどうか?だから今地方に住居が移ったり、リモートであなたみたいに。
角田 僕も、東京を出ちゃってね。
豊津 東京出ちゃったわけでしょ?そういう人がどんどん出たときさ、どうするか?って話でさ。ね、だから東京画廊は現代美術をやりながら銀座に居るけど、東京画廊以外の画廊でコンテンポラリーやってるのは小柳さん1軒くらいじゃないかな。あとはやっぱり銀座は依然として近代の美術が中心だからね。だから銀座はこれからローカリティをどういう風に考えるのか?ローカルな場所がもう一回グローバルスタンダードでいいのかどうか?とか、そういう振り出しに戻ってる気がする。それがデザイン文化の終焉と関係してるんじゃないかと思うんだよね。
角田 その地域地域みたいな、ローカルみたいな話で言うと、例えばその町のイメージってなんで作られるか?みたいなところってあるじゃないですか。そうすると確実に昔はレコードショップと書店っていうのはどの街にもあったじゃないですか。だからレコードショップ、つまり音、サウンドでデザインする。書店ていうのがあって、チェーン店じゃなくてその街独自の書店があったから、つまり紙の文化みたいというか。みたいなものでその街のイメージがあったじゃないですか。
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角田 ところがCDがどんどん売れなくなっちゃって。レコード屋さんがないですもんね、そもそも。レコード屋さんがない街が多くなっちゃったじゃないですか。一方で本屋さんもどんどん減ってるじゃないですか。そうするとその街の特色って出すものが食い物屋さんと服屋さんしかなくなっちゃうわけですよね。で、服屋もUNIQLOだ、MUJIだ、ってなっていくと、結局服でも個性が出せなくなって。それがだから、もしかしたら青山とかね、そういう表参道のキラー通りとか、そういうのはもしかしたら出してたのかも知れないけど、なんかその感じも無くなって来ちゃったじゃないですか。そうすると僕、本当に去年ぐらいまでは本当に街の文化って言ったって、もう食べ物屋さんしか出せないじゃんって言ってたところでこのコロナなんですよ。つまり食べ物屋さんも出せなくなっちゃったわけですよ!
豊津 (笑)
角田 そうすると僕そのローカルに戻った方がいいっていうのは、総論賛成なんですけど、その街の特色って何で出すのかな?って。本では出せない、音楽でも出せない、ファッションでも出せない、だってみんなアパレルメーカー今苦しいじゃないですか、デサントとかワールドとか。だから服でも出せない、で、食べ物でも出せない、生き残るのはぎりぎりマックだとかそういうチェーン店だみたいな話になっちゃうと、そのローカル性って無くなっちゃうんじゃないかなーなんて、ちょっと思ったりもしてるんですよね。
豊津 それでね、今あなたがすごく重要なこと言ったんだけど。僕は本屋がすごく大事だと思う。で、本屋っていうのはなんのためにあるかっていうと、教養を広げるためにあったわけよね。そうでしょ?本屋さんには教養が詰まってるわけだよ。それも歴史的な教養だよね。もしかしたら源氏物語絵巻も読めたかも知れない。それから夏目漱石もある。それだけの教養が、本屋があって。でね、元々教養ってのが先にあって、その教養を一般の人が知るために本屋があったんです。紀伊國屋がいい例じゃない。新宿の。
角田 そうですよね。舞台を、小屋をつくり。
豊津 あそこに…田村さんだっけ?独特なおっさんがいたでしょ?紀伊国屋書店の社長が。あの人はなぜいたかというと、僕たちにとっては田村さんという人が教養だったんですよ。その彼の教養に触れるために本屋に行くわけだよね。さて本屋にその教養があるかどうかなんだよ。
角田 ないですよね?
豊津 ね。すると今うちの画廊の傍に GINZA SIX があるじゃない。そこに蔦谷はあるはね。蔦屋に教養があるかどうかなの。
角田 話が戻って来ましたね。そうなんですよね。
豊津 そうすると、僕がやらなきゃいけないと思ってるのは、これからどういう教養を僕たちが身につけるかというのが本当に大事な時になったということ。どうして教養が大事かと言うと、人間にとって一番危険なのは想像力なんだよ。ね。この想像力というのはここまで僕たちを文明に持って来たけど、この持って来た文明がもうすでにヒートアップしすぎちゃって、地球がやばい状態になったでしょ。
角田 地球がヒートアップしてますもんね。
豊津 そうそう。地球がヒートアップするとさ、どうやって人間の想像力を抑えるかだよね。昔は宗教があったわけよ。人間の想像力をイエスがコントロールしてたわけね。
角田 悔い改めよと言って、ですよね。
豊津 そうそう。例えばマックス・ウェーバーのプロテスタンティズムと資本主義っていうの読めばさ、プロテスタンティズムと資本主義が一緒に、同率に成立しないと資本主義がやばいわけだな。
角田 なのにプロテスタンティズムが無くなっちゃって、資本主義だけ肥大化しちゃってるから。
豊津 うん。そうすると今僕がやりたいなーと思うものは、銀座に21世紀の教養を作らなきゃならないじゃない。それは角田君の力もいるかも知れないし。
角田 あの、僕、教養で言うと最近読んだ本で面白かったのは、明治時代に色んな言葉が作られたじゃないですか。福沢諭吉とか、単語から自由だとか何でもいいんですけど。教養って当時の文献をみると強要するっていう動詞なんですって。だから教養ってみんな、あの人は教養あるねっていう状態を指すと思ってるんだけど、つまり教養があるって言ってる人は教養ないんですって。何が言いたいかって言うと、教養ってのは教養するっていう常にライブであらゆる情報とか、何が正しくて正しくないかとか、何が人間を豊かにするかみたいなことを常に自分でライブしていくものが教養であり。結局さっきの死と生の話になるんですけど、教養というのはライブなんですよね。
豊津 そう。だから知識じゃないんですよ。
角田 知識じゃないんですよね!
豊津 ところがね、今テレビ見ててもそうじゃない。知識量が人間の価値判断になってるでしょ。
角田 それは結果じゃないですか、総量というか。こんだけ総量があると教養がある人って言ってるのは嘘だったんですよね。常に前へ前へ前進していく教養にはライブ性が必要だとすると。
豊津 教養のライブ性って何かって言うとね、人と会うってことしかないんですよ。書物をいくら読んでもダメなんだよ。書物を生かさないと。それがライブでしょ。で、書物を生かすためには人との交流がないと生きないでしょ。僕がいくら本をたくさん読んだとしても角田さんとこの話がないと僕が読んだ本は意味ないじゃない。
角田 それこそ死んでますよね。
豊津 それからその中に角田君が同じ本を一冊読んだとしても、角田君が読んだ後読感と僕が読んだ後読感が違うでしょ。この違いをお互いに確認するって言うのが個性だから。それが教養なんだと思う。そうすると今ね、銀座の中にそういうコミュニケーションの場がないじゃない。昔はね、あそこにあったんですよ。金田中っていう料亭。そういうところすらも今大変でしょ?人が行かなくなって。
角田 そもそもそうなのにコロナですからね。
豊津 銀座のクラブはまだその教養を引きずってた時代があるわけですよ。
角田 あと文壇BARってありましたもんね。
豊津 ところがキャバクラにはないんですよ。キャバクラの文化になった途端に、遊びは六本木になったわけですよね。銀座にキャバクラないからさ。合わない、この街にキャバクラが。キャバクラっていうのはどういうことかと言うとね、ホステスさんに怒られることはないんですよ。
角田 っはっはっはっはっはっは!銀座はあるんだ!
豊津 お行儀が悪いとかね。こういう風にしないとだめよ、一流の人間になれないんですよって。だから芸者さんたちと付き合ってると怒られますよ。で、向こうはね、芸を持ってる。お茶、お華、全部知ってるからね。僕たちよりある意味では教養高いんですよ。その人たちは怒るわけ、姿勢が悪いとかさ、こういう飲み方しちゃいけないとか。ところがさ、六本木行っちゃった人たちは怒られたくないのよ、ちやほやして貰いたいんの。で、つい昨日だっけ?議員を辞めた人がいるじゃない。あれ六本木でしょ?銀座じゃないじゃない。だからやっぱりね、その銀座ということの文化がね、例えば僕が銀座のホステスさんだったらね、国会議員に言わなきゃだめよ。今来ちゃだめよと。今一番危ない時でしょ?そしたら3人議員辞職したじゃない。ということはもう銀座のバーですら教養がないってこと。
角田 もしかしたら売り上げに、背に腹はかえられないとか、そういう風になっちゃってるのかも知れないですね。
豊津 でも3人の男性の命を失ったわけだよ、あれでね。
角田 それで言うと、例えば僕がTBSに居た頃にスポンサーで俗に渋谷系と言われるネットの会社がスポンサーで来るじゃないですか。そうするとですね、僕の先輩っていうか、その時のTBSの重役達がクライアントだから一応交渉に入るじゃないですか。そうすると終わった後に「あいつらはお行儀が悪いなぁ」って言ってたんですよ。そのお行儀が悪いなーってことをそういう人たちってそんなに理解してないんですよね。つまりExcelシートを見て「これだけの売り上げだったらこれだけの視聴数稼がなきゃいけないのに、なんでそういうことが出来ないんですか?ってことを私は聞いてるだけなんですけどねぇ」みたいな話をして。そのためには今言った銀座で教わるような…しきたりまで行かないまでも、そういうちょっとマナーみたいなものを違反してでも結果を出せばいいやみたいな企業が多いんですよね。比較的そういうところが今のネット文化を作ってるし、そこで売り上げをあげることが正義みたくなっちゃってるから、結果もしかしたら古き良き日本のビジネスという企業家、大人達もそっちに負けちゃってるんでしょうね、きっとね。
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豊津 でね、ヒエラルキーは2種類あるの。量のヒエラルキーと、質のヒエラルキーね。量のヒエラルキーっていうのはお金で計算できるものね。
角田 テレビで言うと視聴率みたいなことですからね。
豊津 そうするとお金持ちの人がいて、そのお金持ちの人はお金を持ってる資産の中で、量で格差ができるじゃない。昔はこっち側にね、教養っていうもう1つ質のヒエラルキーがあったんですよ。この質のヒエラルキーは絶対に人間がいる限り重要な話なんですよ。やっぱりね、芸術っていうのは第1級の、例えばバイオリニストがいたら、第3級のバイオリニストが出てくるじゃない。スポーツもそうじゃない。これ質ですよね。それはお金の量とは違うから、お金の量を平にしたとしても、みんなやったとしても、芸術の質の構造は変わらないじゃない。だから今問題なのはこの質のヒエラルキーを作れるかどうかがさっき言ったローカリティと関係あるんですよ。だから各ローカリティの中にその土地の独自な質のヒエラルキー作んなきゃなの。量のヒエラルキーはチェーン店で負けちゃうからね。
角田 物量ですもんね。どれだけお客がみたいなことですもんね。
豊津 そう。例えば葉山に日影茶屋があるとかさ。鎌倉に〇〇っていう蕎麦屋があるとか。それがあれば行くけどさ、もう小町通りで食べるものないもんね、我々は。だからそれは量のヒエラルキーに負けちゃってるから。で、量のヒエラルキーで全部、日本中が北海道から沖縄まで出来ちゃったから。今度このコロナで質のヒエラルキーを作ると、質のヒエラルキーは来る人を選別するんですよ。だからね、今までお客さんが選別してた時代から、今度街が、この人は来てもらいたくないって選別が始まらないとローカリティ立たないですよ。
角田 僕それでいいような気がしてるんですよね、ちょっとね。
豊津 そう。だって明らかにね、お店やってればこの人には来てもらいたくないって人いるじゃん。
角田 僕、自分で言えば僕の本見て文句言ってる人がいるなら買わなきゃいいじゃん、そもそもって思ってて。だから僕別に買ってくれと思わないし。そりゃ誰も買ってくれないなら嫌なんだけど、別にあなたは買わなくていいよって本当に思ってるところが、本当に本気であるんですよね。それはテレビ作ってる時も実はあって、見なきゃいいじゃん、じゃあ!って(笑) ずーっと思ってました。
豊津 テレビがね、一番問題なのはね、タダだからよ。
角田 うん。そうですよね。タダだから見れちゃうんですもんね。
豊津 だからタダの持ってる恐ろしさがテレビにはあるじゃない。だからここ差別用語は使っちゃいけないとかね。落語の場合はさ、差別用語たくさん使ってる芝居だから寄席でした聞けないじゃない。テレビではかからないでしょ。でもテレビもさ、有料にしちゃったらさ、差別用語のところは有料なんだからそこまで金出してみなきゃいいんだからさ。
角田 そうそう、だから僕、見る側、触れる側もそういうリテラシーがあるという条件でそれをやってるんだというところをどこかで担保しない限り、何にも言えなくなるし、何にも出来なくなるし、何にも作れなくなりますよね。
豊津 そう。だからタダっていうのは止めた方がいい。だからある有名な人がね、暮れになるとね、一人100万円ずつ配ろうとかやるじゃない。あのね、人からタダでお金もらうのは止めた方がいい。乞食じゃないんだから。それをみんなが競ってその人からお金もらおう、その人も1億円だったら100万円100人払うとかね。もうそのねぇ人からタダで貰うってことを本当に日本人は考えた方がいいと思う。やっぱり対価だからね。
角田 僕もそう思います。そもそも楽して儲けるとかそんなに僕すきじゃないのは、別に儲けなくていいと。だから自分が一生懸命作ったものとか、すごい精魂込めて作ったものが結果人気になって、結果お金が貰えるなら有り難く貰うんだけど、そこを全くやってないのにお金を貰えるんだったら、むしろ要らないかなって本当に思ってるところがあるんですよね。
豊津 それかやっぱり今回オリンピックの問題もね、森さんを各テレビ局がみんな叩いてるじゃない。男女同権だとかさ、差別無くそうって言うんだったら、テレビ局の社長で女性いるの?
角田 いないです。取締役もいないですよ。
豊津 そうでしょ。そしたらあそこでコメンテーターの人がさ、まず最初に自分たちが出てる番組のその会社を自分が達がコメンテートしなきゃダメだよ。
角田 本当にそうですね。あのニュースがあったときにたまたま報道ステーションでそういうニュースをやってる時にですよ、テレ朝見てたらクイズ番組があって、女性の可愛い子が答えるんですけど、山羊って書いてこれなんて読むでしょう?ってクイズなんですよ。ピンポンってその女の子が「やまひつじ」って読んで、皆んなが馬鹿にしたような感じで笑ってるわけですよ。だからその「やまひつじ」が「やぎ」と読めないことがテレビとして何が面白いのか僕さっぱり分かんなくて。それって結局、森さんにやってることと一緒じゃないですか?そう言う風に「やまひつじ」を読めない女の子を笑うっていう。それがクイズ番組の面白さだと思ってるテレビ局と、森さんの発言がおかしいって言ってるテレビ局、矛盾してますよね?というか。
だからね、何で自分たちは置いておいて、自分たちの関係ないオリンピック委員会を叩いといて、コメンテーターは自分の局の、我々も美しい人しかアナウンサーになれないとかね、そういうこと止めましょうと。ね、だってどの局見たって出てくる女の子達はブスいないじゃなん。ね、それも差別だよね。
角田 それにさらに矛盾してるのは、どのテレビ局もオリンピック無くなったら広告収入減るからやばいやばい言ってるんですよ。
豊津 あ、そうなの(笑)
角田 だから実は(笑) これ本当にこの話の最大のオチは、とか言っときながらテレビ局は実はオリンピックやって欲しいって皆んな思ってますよね。
豊津 そうなんだ(笑)
角田 これ本当に大いなる矛盾なんですよ。なんて言うんだろうな、そういう風に言うと言われるから/言われないからみたいな感じなのか、本当に視聴率を取りたいからなのか、そういう話にはすぐクレーム的にやる割には、根幹では自分達はそんなこと思ってないっていう嘘の二面性みたいなのがあるんですよね。
豊津 だから僕はね、一番最初に角田君の番組に出させて頂いてね、あの時面白かったのはさ、僕が何喋っても良かったじゃない。ね。あれは無いんですよ、普通。
角田 無いですよ!だから僕、あのテレビしか無いと思いますもん。あれって自分で稼いで作ってたから視聴率なんて取らなくていいって話があったから。
豊津 リスクはあなたが背負ってるでしょ。
角田 僕が背負ってるんです。背負ってたんです。
豊津 ということはそれはアートじゃん。
角田 おおおーっ!!!なるほど!!僕のやってた番組アートなんだな!自分で背負ってやってるから!
豊津 そう!リスク背負ってるから。
角田 まあ、ある意味これもそうですし。
豊津 うん。
角田 ぁぁぁー…そっか。…ちょっとね、いや、僕、これ最大、これ…すごいですね、豊津さん。あと1分ぐらいなのに丁度いい結論を出しましたね。
豊津 あ、そうなの?(笑)
角田 いや僕ね、これ本当にテレビを作ってる人間として、ああいうバラエティ番組というのあアートなのか商品なのかってずーっと悩んでるんですよね。ところが、つまり商品だから視聴率取らなきゃいけない、売るためにはレベルを低く下げてもいいってことで皆んなそういう風に番組作ってるじゃないですか。ところが番組作ってるそのスタッフたち…ディレクターとかプロデューサーはちょっとアートな思い出やったりしてるんですよ。その大いなる矛盾っていうか、そこの板挟みみたいなのに苦しんでるよなーと思った時に、僕が「オトナの!」をやったってのは、実は自分で金出せば文句ないんでしょ?っていう。
豊津 そう!それです!
角田 それがアートなんだ!
豊津 それがアートなんです!
角田 な る ほ ど ぉ !
豊津 局の番組はデザインなんですよ。
角田 デザインなんだ。商品だから。スポンサーというのがいるからね(嬉)
豊津 そう!
角田 うん。分かった!すごい今日は結論がピタッと出たところで(笑)
豊津 はははは!だから僕はね、絶対にメジャーな番組に出たく無いんですよ。深夜とかね、もう僕が何喋ってもいいような環境のものしか出ないんですよ。そうするとさ、顔が売れないじゃない。
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角田 売れないですよねぇ。
豊津 売れちゃダメなのよ、やっぱ。
角田 うん。なんか、それは分かりますね。
豊津 そう。リスク保てない。売れちゃうと。
角田 だから自分で処理できなくなりますもんね。背負えなくなるりますもんね。
豊津 そうそう。だからあなたのお陰で本当に良い体験させて頂いたと思って。
角田 だから豊津さんと僕がやってるこの番組とかも、それでいいんだ。つまり自分が背負える感じでやっていくってことに価値があるんだ。
豊津 そう。それでさ、2人の話が嫌な人は聞かなきゃいいじゃない。
角田 聞かなきゃいいんですよね。なるほど!わかりました。ありがとうございました!
豊津 いえいえ、どういたしまして。
角田 では配信の方はこれで終わりに。
豊津 え?!もうそんな時間に(笑)
角田 丁度1時間だから今日は綺麗なんじゃないですか?
豊津 あ、そうですか(笑)
角田 はい。じゃ1回配信止めます。また来月よろしくお願いします。
豊津 じゃあ、来月。
角田 失礼しまーす。
文字起こし後の文字寝かし
コミュニケーションが対面ではなくなったので間にも物を挟むというのがある…?物を挟む場合アートというのは都合がいい……。挟むものとしてアートが都合が良いというのは分かるんだけど「間に物を挟む」が私、分かってない(汗)。物の売買というコミュニケーションをとる用事ができるってことかな?ただ会いましょうではなかなか会話出来ない人というのはいて、そういう場合、会う用事を作ればいいと仰ってた人がいたけど、そういうことかなぁ?誰か分かる人、こうじゃないかな?でも良いので教えて欲しい!
目安として給料1ヶ月分の絵。年に1回買い続けられるという絵の楽しみ方があるんだ。絵が好きで、たくさん情報を集めて、うんと考えて、最後に手が出せて、少しづつ増える、そういう楽しみ。お金があるからなんでも軽々買えますじゃなくて、お金があれば尚更好きなこと勉強しないとだ。でもなぁ、まさか馬券の例えがこんなにピッタリだなんて(笑)
価値と価格。価値によって価格は決まるわけだし…と考えてたら、なんでも鑑定団を思い出した。需要と供給量によって価格は変わってしまうけど、だからと言って歴史的に大事なものに価値がないわけじゃない。そうそう、あの先生、鑑定依頼者に最後「大事になさって下さい」っていつも言ってた。
今コレクション品として多くの人が狙っているかどうか?しか違わない。歴史とか色々勉強してないと価値は直感で分かるものじゃない。アートって考えるな!感じろ!ではダメってそういうことか。
カッコいいデザインにカッコ悪さが隠されてると聞いて、給湯流茶道の半休さんが言ってたことを思い出す。「昔のジャニーズも世阿弥も見せるのはキラキラのカッコいい表舞台だけで、苦労の舞台裏は見せなかった。(とか言いながら主に舞台裏を紹介する番組を毎週見てるw)」それから「世阿弥が世の中の芸の需要には何でも答えられなければ芸人としてダメだと言っている。」。
アイドルがキラキラの表舞台しか見せてなかったのは80年代だと思うから、石岡さんのPARCOの時期と合ってる。今はアイドルが苦労してる姿に需要があるから舞台裏を見せるようになったんだと思うけど、舞台裏を表に出すデザインにしただけで、やっぱり本当の舞台裏はデザインの後ろに仕舞われてる。
よく悪口?煽り文句?で頭沸いてるって言うけど、好景気で頭が沸いてた感じだったのかな、あの時代は。人の苦労よりキラキラしたものでもっと盛り上がりたい!という需要だったのかなって気がしてる。
今は冷静だから人の苦労もデザインの内と分かってるはいるけど、とにかく疲れてしまって、何でも手数は少なく簡単にして欲しいんだろうな。そんな見る人の体力の無さにもデザインは対応してて、シンプルなデザインと言えばそうなのかも知れないけど、なんて言うか、アートの心意気みたいなものは少ないのかもね。
教養は動詞。疲れた人がどれほど教養し続けられるだろう?角田さんが「極論でないとその論は矛盾してると言う人が多いけど…」みたいなことをツイートしてたけど。つまりグレーは白でも黒でもないじゃないかと。
簡単に・シンプルに・分かりやすく、理解したら即結果へ。間髪入れず次も簡単に・シンプルに…──、これって資本主義をガンガン回すには良いけど、腰を落ち着けて、正解のないものに自分なりの今現在の正解を仮置きしてみるようなこと、一見すごく非生産的で面倒臭いものって、実は精神的な休憩も兼ねてるんじゃないのかな、メリハリみたいな感じで。理解→結果→理解→結果って、理解出来ない人もいるとすると、脱落者は捨てて、要は一人で走り続けろってことだもんね。
教養という動詞、豊津さんは教養のライブ性って言ってたけど、その教養のライブ性は、知識を生かすには、人との交流が無いと生きないって、そういうことなのかな。「生きない」と書くか「活きない」と書くか悩んで「生きない」にしたんだけど、活かすってなんか損得っぽい。まず生きないとね。結局、生きるって難しいし、面倒くさいんだな。