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ICUC-134_2022.11.13【自分の居場所】ICUC知的好奇心向上委員会

【ICUC知的好奇心向上委員会】の私の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee !

角田陽一郎134「自分の居場所」ICUC知的好奇心向上委員会

その場所が自分を求めていないのならその場所にいる必要は無い
その場所を自分が楽しめてないのならその場所にいる必要は無い
今日東京のとある街を歩いていてふと想った。この土地にいるとかつては得るモノもあったけど今は失うコトの方が多い。時代や年齢によって必要なモノコトは変移するんだ。
そしてこの場合の場所とは、土地だけでなく、所属や、組織や、共同体や、人間関係や、しがらみや、考え方や、生き方や、自分自身って意味でもある。
求められていないのならば、其処を去るのみ。
楽しめていないのならば、他所に越境するのみ。

https://www.instagram.com/p/Ck3YILlSegK/?utm_source=ig_web_copy_link

ある人が、あるモノコトヒトを「おもしろい」と感じるかどうかは、あるモノコトヒトがおもしろいかどうか以前に、ある人自体が
それを理解できるか?
それを感知できるか?
それを受け入れるか?
どうかだったりする。
その素養やセンスがない人の言う「つまらない」ほど、つまらないことはない。
つまらないのは、他人や外部のせいじゃないよ。
つまらないのは、あんたがつまらないからだよ。
そんなんなのにクリエイター然とされてても、正直なんなんかなーと思ってしまう。そんなにつまらんならクリエイターやめればいいのに。
ていうかむしろ、そういう人と一緒にやるのを自分がやめたらいいのか。
来年やめよ。
やめられるよう頑張ろ。

https://www.instagram.com/p/Ck02I7gLHis/?utm_source=ig_web_copy_link

日々、その時その時で、いろんなことが見えたり、見えなかったりする。
ちなみに、今日は見えてる。
その違いは何なのかを考える。
それってつまり、見ることを楽しんでるかどうかな気がするのだ。
ほとんどのことは、希望的観測でいいような気がするのだ。

https://www.instagram.com/reel/CkwzA42j4Jl/?utm_source=ig_web_copy_link

おおっ、昼前に新たな企画が通ったとの連絡を頂く。すると午前中はウジウジしてた身体と脳内が途端に覚醒し始めて、昼からはバシバシモノゴトを実行に移していける。
いい満月。
うまくいく企画、いかない企画。
終わる企画、始まる企画。
厄介な企画、楽しい企画。
儲かる企画、そうで無い企画。
自分の描いた画を企てるとは、つまりそういうことの連続なんだ。
いずれにせよ,このことだけは死ぬまでやって行こう。

https://www.instagram.com/p/Ckr6KuGyanc/?utm_source=ig_web_copy_link

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

つまらない人

 おはようございまーす。知的好奇心向上委員会でございます。えー…、まあ、なんか30分ぐらい喋ってみようかなー(笑)と思っております。角田陽一郎と申します。よろしくお願いします。
 髪の毛をですね、緑にしたりとか色々してたんですけども、昨日、切ってもらいまして。今回はアッシュにしましたね。シンプルにそれでいいかなーなんて思ったりして、アッシュにしました。で、メガネどうしようかなーなんて思ってるうちに、もうメガネ何でもいいやと思って。じゃあいっそのことメガネ無しでやってみるか、みたいな。別にメガネなしだとですね、別にメガネがないと本当に見えないので、ずっごいド近眼で乱視が酷かった上に、最近は…何でしたっけ?…老眼!老眼になってますから、ほとんど見えてないんですけど。まあほとんど見えないくらいでやるのもありかなーなんて思って喋ってみようかなーなんて思っております。
 でね、今日、タイトル「自分の居場所」みたいなことにしたんですけど。なんかすごい感じた事が今週あったんで、ちょっと話してみようかなーなんて思うんですけど。
 どこから話そうかなー。一昨日つぶやいた事でいうと。ちょっと読まさせて頂くと。

ある人が、あるモノコトヒトを「おもしろい」と感じるかどうかは、あるモノコトヒトがおもしろいかどうか以前に、ある人自体が
それを理解できるか?
それを感知できるか?
それを受け入れるか?
どうかだったりする。
その素養やセンスがない人の言う「つまらない」ほど、つまらないことはない。

https://twitter.com/kakuichi41/status/1591091204976177152?s=20

 ってことを感じることがあったんですね。なんか、僕らは作り手の端くれだから、つまらないとか面白いとかって、自分が作ったものがつまんなかったり、自分の作ったものが面白かったりみたいな意味で、つまらないことをですね、人のせいにすることって結構あるんですよ。でもね、その人がつまんないんですよね。で、なんかすごいそう思った時に、ああ、またつまんないのかと思った時に、それはもうあんたがつまんないからだよって思ったんですよ。うん、まあそういう事よくあるんですけどね。
 僕だってありますよね。僕もつまんないと思う事とかね、面白いと思う事とかあるけど。だからつまらないとか面白いって価値判断はどっちでもいいんだけど。つまらない事を自分以外のせいにしてるって事がすごく嫌だなーと思って。僕がつまらないって思う時には、ああ、もう僕はこの時代に乗り遅れちゃったんだなとか。本当に僕が好きじゃない方の種類の事なんだなとかっていう風に納得はするわけですよね。ただ、それが何かを生み出してる時とかってすごい如実に面白い・つまらないみたいな話を僕らはしなきゃいけないから、うん、なんかそういう事を感じやすいんですよね。で、そのあと呟いたことで言うと。

つまらないのは、他人や外部のせいじゃないよ。
つまらないのは、あんたがつまらないからだよ。
そんなんなのにクリエイター然とされてても、正直なんなんかなーと思ってしまう。そんなにつまらんならクリエイターやめればいいのに。

https://twitter.com/kakuichi41/status/1591093799992053763?s=20

 って事まで思ったんですよ。うん。そんなにつまんないならやめりゃあいいのにと思うんですよ。
 でね、こういう言葉って面白いなーと思うんだけど。こういう言葉って結局自分に返ってくるんですよね(笑) あ!じゃあ俺がやめればいいんじゃん!って思っちゃったわけですよ。つまりそのつまらない人と仕事をする事がつまらないんだったらね、っていう風に思うと、ここで気づくわけです。

ていうかむしろ、そういう人と一緒にやるのを自分がやめたらいいのか。
来年やめよ。
やめられるよう頑張ろ。

https://twitter.com/kakuichi41/status/1591093799992053763?s=20

 って書いたんですけどね。うん。そうしたら僕のTBS時代の植田プロデューサーから。ドラマのプロデューサー、SPEC作ったりとか。僕の3つ上のプロデューサーからその僕の夜の呟きをですね、翌朝見たんでしょうね。で、見て(笑) 今探してますけど。コメントいただきました。

おいおい!俺みたいな鬱病じゃねーんだから、キープオンロッキン!!

https://twitter.com/ue_pinc/status/1591237265690624000?s=20

 って。慰めていただいてね。嬉しいですね。そうそう、植田Pが、植Pが鬱病かどうかはともかく、確かに躁鬱…アップ・ダウンの激しい方だからね。よく植Pさんも自分が落ちてる時と上がってる時がTwitterとかで感じられるんだけど。僕としては別に自分が落ちてるわけじゃなくて、現場でそういう事があったっていうこと、うん。だからある意味自分の中ではむしろそんなに落ちてないというか。
 で、何でその落ちてない所作、落ちてないのの根拠というかですね──。本当に、さっきまで全然咳してないんですよ?咳してないのに、喋ると咳出るんだよな~。ホントすいません。なんかね。これ録画して残るじゃない、アーカイブに。──本当に落ちてない1つの理由としてはですね。

ていうかむしろ、そういう人と一緒にやるのを自分がやめたらいいのか。
来年やめよ。
やめられるよう頑張ろ。

https://twitter.com/kakuichi41/status/1591093799992053763?s=20

 って書いてるじゃないですか。うん、つまり来年やめるために今色々仕込んでる新しい事を本当に来変成功させようかなと固く固く思っていて。で、それが成功というか実現すれば、今僕が思ってることなんてやめちゃえばいいんだよなっていう意味で言うと、むしろつまらない、つまらないと言っている人にその人がつまらないなと僕は思うんだけど。その人と一緒にやっている事がつまらないっていう事態を僕が…、そのつまらない事態をやめるためには、僕がそのつまらない人と一緒に仕事をすることをやめればいいだけであって。だからやめられるように自分を持ってくしかないんだなって。
 うん、そういう意味で結構、なんていうんでしょうね、前向きです。なんかそんなん事を一昨日は考えていたわけですよ。

その場所にいる必要は無い

 で、昨日ですね。昨日は髪の毛切ったんですけど。まあそうれは置いといて。昨日書いた事を読まさせていただくと。

その場所が自分を求めていないのならその場所にいる必要は無い
その場所を自分が楽しめてないのならその場所にいる必要は無い
今日東京のとある街を歩いていてふと想った。この土地にいるとかつては得るモノもあったけど今は失うコトの方が多い。時代や年齢によって必要なモノコトは変移するんだ。

https://twitter.com/kakuichi41/status/1591447397728935936?s=20

 って書いたんですね。そうそう。だからそんなつまらない事をやっている事をやめればいいんだよなーなんて思って、まあ都内にちょっと居たんですけど。そうしたら都内にいるから車を駐車場に駐めるじゃないですか。そうすると駐車場代、超高いですよね。だから都内で何かやってると駐車場代高いっていう意味で言うと、どんどん金減っていくんだよなーってちょっと思ったんです。だからこの文章では、「得るモノもあったけど今は失うコトの方が多い。」ってあえてぼかして書いてんだけど。東京に来ると金取られるよなーとシンプルに思っちゃったんですよね。
 でね。東京にいると一方で何かやって、…まあ、だからお金を稼ぐってことはあるんだけど。今やリモートが多い中で言うと、東京にいく必要があるのかな?って思うのもあるし。自分が物事を作ってことを主軸でやるとすると、そんな駐車料金高いところに行って作る必要ないじゃないですかって思えたりもしたわけです。
 うん、それは食費だってそうですよね。むしろ、例えばここに篭ってればもう、なんて言うんでしょう、1日千円で食費なんて終わっちゃう可能性だってありますよね。そうすると1日千円ってことは月三万円で済むわけですよ、食費が。ところが東京にいると、東京で会食すると1回3万くらい取られちゃうんですよね。でもその会食ってじゃあまさに一緒に仕事をする人と会食と言うかね、そういうのがあるとすると、何を生み出すためにいるんだっけ?何を失うためにその場所にいるんだっけ?ってことに思いが行ってしまったんですよね。うん。
 結局、そこで何かを生み出すんだけど、生み出すためにそこに居るとそれ相応の金が掛かるとすると、今僕がやっている事が仮に…僕は面白いと思ってやってますよ。僕は面白いと思ってることしかやってないつもりです。それが成功してるかどうかとかは関係なく。でもそれをやってる相手がつまらないとか言ってんだったら、それってなんかそのこと事態がつまんないじゃないですかっていう事をやるために、高い駐車料金はらってんのかなーなんて、すーんごい思っちゃったんですよね。
 で、これって「かつては得るモノもあったけど今は失うコトの方が多い。」ってのは、その駐車料金とかっていうのもあるけども。その後に付けたね、「時代や年齢によって必要なモノコトは変移するんだ。」って書いたんだけど。これも時代って意味で言うと、果たして今の東京にいる必要があるのかな?っていう意味の時代。
 あともう1個は年齢っていうのは、じゃあ僕別に渋谷にいてハロウィンに参加したいかって言うと、ハロウィンのあの喧騒に参加したくないですもんね、僕が。僕の年齢がと言うか。とすると、居る必要ないんだよな、本当にと言うか。この街にと言うか。
 若い頃は思ってましたけどね。下北沢の演劇とか観れなくなったら居る必要なんか…つまり田舎とかで住みやすい街ナンバーワンとかあった時に、でもそこって下北沢の舞台ないじゃんと思ったりしてたわけですよ。うん、でもそれって別に…。下北沢の舞台ってのは今言った1つのメタファーですよ?つまり東京でしか観れないコンテンツみたいなものってのはすごい価値があるんだろうなーとか。僕の仕事で言うと、東京でしか会えない文化人とかタレントさんみたいな人と会うことはたぶん、たぶんその価値はもしかしたらあるのかも知れないけど。少なくとも僕が生きてきて、50年以上生きて来ると、もうそれもいいかなーなんて思っちゃったりするわけですよね。
 とすると、本当にその場所をね、自分が楽しめてないなら、その場所に居る必要ないなってちょっと思った時に、あれ?僕、東京という街を楽しんでるんだっけ?ってちょっと思ったっていう事が、本当にその東京の街を歩いてる時に思ったわけです。厳密に言うと駐車料金払おうとコインを入れた時に思ったって言うか。こんなに駐車料金を、高い金を払ってまで、この街に行く必要があるのかな?ってちょっと思っちゃったって言うかね。

その場所が僕を求めてるか、僕が求めてるか

 で、一方でさっき言った面白い、つまらないの話に近いんですけど。その場所が自分を求めていないのなら、その場所に居る必要はないな、って言うか。いや、それでも角田君いてよとか。角田さんいてよとか。角ちゃん頼むわーみたいな事があるんだったらまだ居る必要があるんだなーと思うんだけど、それも結局自分が…、プロデューサーって自分が起してますからね。結局起こす事を自分がやってるとすると、その場所が僕を求めてるのかなと言うより、やっぱり僕が求めてるだけだったんじゃないかなという、手前味噌というか、一人相撲というか。で、一人相撲やって、高い駐車料金払うんですよね。うん、本当に居る必要ないんじゃないかなーなんて思ったってのがその言葉ですね。
 で…

そしてこの場合の場所とは、土地だけでなく、所属や、組織や、共同体や、人間関係や、しがらみや、考え方や、生き方や、自分自身って意味でもある。
求められていないのならば、其処を去るのみ。
楽しめていないのならば、他所に越境するのみ。

https://twitter.com/kakuichi41/status/1591449792718475264?s=20

 って書いたんですけど。うん、だからこの最後の2行なんてのは、さっきの植田P、植Pさんの言っているように落ち込むなって言ってるというよりは、むしろ吹っ切れてるというか、むしろ元気。うん。そんなに求められてないんだったらば、求めてくださいよ!お願いしますよ、求めてくださいよ!って弱気の時はむしろ言いたくなりますよね?僕もそんなに仲間はずれにしないで下さいよーみたいな風にやっぱり言っちゃうと思うんですよ。まあ仲間はずれってのも1つのメタファーで言ってますけどね。この組織に加えさせて下さいよとか、このプロジェクトに参加させて下さいよみたいな。
 でもそこが本当に僕という人間を求めてない。求めてないと言っちゃまたイーブンじゃないかも知れないね。えーっと、求め…、積極的に求めているわけではないけどみたいな。まああなたがいるからあなたにお願いしてるんですよぐらいのことだったら、僕としても、まあいいや、そんなのやらなくて…と思うし。
 それこそ自分が本当に楽しめてないんだったらば他所に越境する。実際いま越境を始めてますよね。ここは少なくとも東京じゃないし。週の半ばには関西に行ってるし。だから本当に拠点を関西に動かしてみようかな。また関西でも同じことが起こるんじゃないか?っていう事もあるかも知れないけど。いや、なんなら海外にとか。そう、なんかそんな事をまたやっぱり思ってきた。で、思ってきた事がさっきの前向きだって言うか、「来年やめよ。やめられるよう頑張ろ。」って書いた事と、僕の中では一緒なんですよね。

画を企てる

 で、それって。さらに数日前に書いたんですけど。…えーと、どこだぁ?…えーと、今戻してますからね~。ちょうど火曜日かな。ちょうど満月の日、皆既月食の日ですね。あの日は占い的にはなんか起こりますよって言ったら、やっぱり起こったと言うか。読まさせていただくと。

おおっ、昼前に新たな企画が通ったとの連絡を頂く。すると午前中はウジウジしてた身体と脳内が途端に覚醒し始めて、昼からはバシバシモノゴトを実行に移していける。
いい満月。

https://twitter.com/kakuichi41/status/1589835909096431616?s=20

うまくいく企画、いかない企画。
終わる企画、始まる企画。
厄介な企画、楽しい企画。
儲かる企画、そうで無い企画。
自分の描いた画を企てるとは、つまりそういうことの連続なんだ。
いずれにせよ,このことだけは死ぬまでやって行こう。

https://twitter.com/kakuichi41/status/1589835969020428288?s=20

 うん、そう思ったんです。だから企画、ね?画を企てると書いて企画ですよね。僕はずーっとバラエティプロデューサーって言ってるし、クリエイターの端くれって言ってますけど。本を書く、番組を作るでも、なんかイベントをやるでも、画を企てるって事をずっと、ずーっと、ずーっとやってきて。そうするとその画を企てる=企画というのは上手くいくものも、上手くいかないものも、終わるものも、始まるものも、厄介なものも、楽しいものも、儲かるものも、そうで無いものもたくさんあると。で、たくさんある中で、嫌なものは嫌だなってのはさっきの話ですよね。だって、つまらないって言われてる人と何でやんなきゃいけないの?みたいな。…思ったりもします。
 でも、一方で。じゃあ企画自体をやめるのか?と思ったら、やっぱりこの「昼前に新たな企画が通った」ことの連絡をいただくとね、本当にそれまで午前中はうじゃうじゃ寝てたんですよ、うじうじして。ああ、あそこにメールしなきゃなぁ~とか。あそこに連絡しなきゃな~とか。だけど、全然別件ですよ?その別件の新しい企画が通っただけで、よぉーしっ!やるか!みたくなって、昼からはバシバシ物事をクリアというか、実行に移せたんですよね。
 あ、そういうもんなんだなと思うと、僕は少なくとも生きていくってことは、少なくとも企画、画を企てるということは死ぬまでやっていこうかなという意味では、やっぱり全然、全く、後ろ向きじゃ無いんですね。で、その画を企てる事を果たして今の僕のやっているスタンスでやる必要があるのかな?って思ったっていうのが、さっきの場所の話かなっていう。うん、なんかそんな事を思った日ですね。

パーセプション、モーション、コグニション

 で、その金曜日にそういう風に思ったのって、一方でちょうど、久々に東大、僕は博士課程で通っている大学院に行きまして。本郷のね、本郷キャンパスに久々に行ったんですけど。インスタに上げましたけど。今ちょうどね、銀杏、いちょう並木がねすんごい綺麗で。11月、綺麗なんですよね。あそこ、僕は日本一綺麗なんじゃないかなって個人的には勝手に思ってんですけどね。

久々東大本郷キャンパスへ。この時期の銀杏並木はことの他美しい。そして指導教官との対話が、学問を超えて、仕事の、生活の、人生の、自分の最近の逡巡や不調や軋轢を越えるきっかけ&アイデア湧出となる。それが師とリアルに会って直接会話することのかけがえのない価値なんだ。何よりも美しい時間。

https://www.instagram.com/reel/Ck0yVONDMrO/?utm_source=ig_web_copy_link

 って書いたんですけど。そう、久しぶりにね、対面で指導教官と話して。そしたらまあ、僕のぐにゅぐにゅ言ってることとかを、Twitterとかで見てたんだと思うんだけど。色々またね、 アドバイスをいただけるんだけど。そのアドバイスがね(笑) ちょっと面白かったのは──。
 一通りこういう理論みたいな話をして、なるほど、なるほど、と思ったら。最後にもう1個付け足していいですか?って言われて。はい、何でしょう?って言ったら、「角田さんはね、どうすればいい博士論文が書けるかってことなんですけど。角田さんがいい博士論文書くためにはですね、ライザップに行ったらいいんじゃないですか?」って言われたんですよ(笑) ラ、ライザップですか?みたいな。
 はい。つまりどういう事かと言うと。やっぱり身体性が大事だって話をその前にしてたんですよね。だから自分が脳内で感じる感覚みたいなものって、脳に器官がある、こういうところ(目や耳)から入って来るものってパーセプションなわけですよ。それとは別に身体が動くっていう意味でモーション。そのパーセプションとモーションというものがある中で、その中にコグニションっていうか、認識というものがこう…三位一体じゃないんだけど──っていう話をずーっとしてたんです。
 で、つまりそれってよく言うね、精神、脳内だけじゃなく身体性が大事だって話は言われてるけど、まさに本当にその通りだなっていうのが医学的にもそうだし。
 で、ところが情報がどうだとか、知識がどうだっていうのはコグニションっていうか、その上にある上部のことだけを情報としてみんな扱うわけですよね。本に書くとか。動画にするとか。なんか…ライフティップスとかね。なんでもいいんだけど、ライフハック術みたいな。でもそれってパーセプションとモーションというものに依拠してると言うか、それがあった上での前提。それて実は動物もそうだって言うわけですよ。うん、人間も動物だからっていう意味で言うと。
 と思った時に、モーションという動きみたいなものってのを角田さんはもっと大事にしたほうがいいんじゃないか?って意味で言って。で、つまりもっと健康とかをちゃんと目指すっていう意味でライザップ、まあ痩せなさいってことだと思うんですけど(笑) そうすると実はその上のコグニションのところもちゃんとするんじゃないかと。
 その時なぜライザップなのかってことなんだけど。それってその先生も武術をやってるんですね。だから自分が研究とかで行き詰まったとき、木刀とか置いてあって。やっぱり研究室で木刀をこう…やってるんですって。その先生が論文書く時もよく言ってるのは、型。やっぱり型というものを、その型というものをコグニションじゃなくて、まず型というのをモーションとして覚えるってことが一番大事なんだ。
 それって実は論文書く時だってそうだし、仕事だってそうだし。僕はプロデューサーってそうだなと思ったりするんだけどっていう話はもう前々から先生としてて。だから個人で痩せようって事じゃなくて。例えばそれでライザップって言ってるだけなんですけど。そういうメソッドとか、そういう型に自分を嵌めて痩せる。それは別に筋トレでもいいのかも知れないですけどね。なんかそういう様な事をちゃんと型にはめてやってみる。
 で、なおかつなぜライザップかと言ってるかと言うと、それが記録されていくじゃないですか。アーカイブされていく。この運動で、この食生活で、これだけカロリーが、これだけ筋肉が付いて。これだけ体重が下がって。これだけ血圧がどうで。みたいな事がちゃんと記録されていく。それが自分の人生にとって必要なんじゃないですかねって事を言われてですね。
 中村先生っていうんですけど。中村先生おもしろいっすね!と。学生の指導の中で、アドバイスで、ライザップ行った方がいいんじゃないですか?って言うのって初めてじゃないですか?(笑)みたいな感じで、超盛り上がったんですけど。でもそれってすんごい面白いですよね。
 身体性が大事なんだなっていう事を、その事に気づかされて。で、昨日とか東京の街でこの場所に居る必要がないなって思ったって言うのは、うん、この街が、というこの街という時代、2022年という時代。1990年だったら分かんないです。2000年だったら分かんないけど、2022年っていう時代に1970年生まれの僕、その僕って言ってるのも、角田ってのは今の僕の中でのパーセプションがあり、僕の中でのモーションがありっていうその僕が、東京という場所にいる必要があるのかな?ってむしろ自分の身体を感じた時に思った。自分の身体を考えた時にすごい思ったっていうことかも知れないですね。
 で、そんれって場所って言ってるけど、仮に東京って言ってるのは僕がやっているメディア系の仕事と言うか。テレビ今日的な仕事と言うか。エンタメ的な仕事と言うか。それを僕の中では東京と、今、記号で言ってるだけかも知れないですけど。それを高い駐車料金を払ってまでね、そこに行って撮影している必要があるのかなとか。うん、なんかそういう事なのかなーなんてのを考えさせられる1週間でしたね。うん。

希望的観測

 そう。だから何て言うんだろうな、2022年に1,300万?ぐらい人口がいるんでしたっけ?もう下がったからもう下がったから1,300いないんでしたっけ?よく分かんないけど。それだけいて、その人たちに大量に見せて、大量にバズらせる。それが視聴率を取るとかね、ネットでバズるとか、何でもいいんだけど。たくさん売れるとかね。そういうものという事がある意味求められている都会というところで、自分の画を企てる企画というものが、やる必要があるんだっけなっていう風に本当に思ったってことかも知れないですね。その場所っていうのは本当に…、うん、人間関係も含めてだなーと思ったし。なんか、そういう事を気づかさせてもらえる1週間だったな。

 なんかね、ちょうど木曜日か。木曜日が大阪から帰って来る日に僕が呟いてるのは、

日々、その時その時で、いろんなことが見えたり、見えなかったりする。
ちなみに、今日は見えてる。
その違いは何なのかを考える。
それってつまり、見ることを楽しんでるかどうかな気がするのだ。
ほとんどのことは、希望的観測でいいような気がするのだ。

https://twitter.com/kakuichi41/status/1590525223866363904?s=20

 うん。そう。なんかね、この日大阪から帰る日はなか見えてる、見えてないって意味で言うと、なんか見えてたんですよ、なんかクリアに。で、なんかクリアに見えてるのは何故かって言うと、つまり希望的観測の反対は絶望的観測なのかな?…絶望的観測してるときって、ああダメだぁ~とか、細かいことでも大きいことでもいいんだけど、そういう時って見えてないですよね、つまりね。希望的観測の時って──本当にそれが見えてるものか、見えてないものがあるかどうかってことは関係なく、希望的観測をしてると見えてるような気がするんですよね。で、それじゃいけないんじゃないかなって思ってきた自分もいるんだけど、今やそれでいいんじゃないかなと思ったって言うか。
 だからつまらなく思うっていうのは希望的観測じゃないんですよね、うん。だから面白いと思うからそれをやるみたいなのって、で、面白くなるかどうかは分からないんだけど、面白くなるだろうって希望的観測で見てると、なんかむしろ自分の気持ちが、さっき言ったね、感覚的なものが晴れやかだし。そうすると結果晴れやかって言ってるから、やっぱりクリアになってて見えるんじゃないかなと。なんかそんな事をね、思ったんです。うん、いつも思ったことばっかり言ってますけどね。

 さっきの「その場所が自分を求めていないのならその場所にいる必要は無い」って話で。「そしてこの場合の場所とは、土地だけでなく、所属や、組織や、共同体や、人間関係や、しがらみや、考え方や、生き方や、自分自身」って書いたんだけど。そこにソーシャルメディア、SNSって書くかちょっと迷ったんだよな。ほら、Twitterの件とかもありますもんね、最近。
 だから、もしかしたらソーシャルメディアで、自分がこうだああだって言ってることだって、その場所に自分という存在が居る必要がなければ別にやめちゃってもいいし。関わらなくてもいいんじゃないかなーなんてのも一方で思いますよね。うん…、うん、なんかそんな事を思いました。
 だから新しい企画が通ったって言いましたけど、やらなきゃいけない企画があるんです。でもちょっと本当にそれを本腰を入れて。…本腰いれてるつもりなんですけど。些事、それよりも日銭を稼ぐためにやっていることみたいなこともあったりするんだけど、もっとダイナミックにやりたいなーって思った時に、まずは通った企画とかを本当に成功させるということで、ダイナミックな事がやれたらいいなーって思ってて。で、そのためには、うん、自分がね、希望的観測を持ち続けられるかどうかって事が1つ大事な事なんじゃないかなーなんて思ったりします。
 はい。今日はそんな感じの知的好奇心向上委員会でございました。もうFacebookに…ってかインスタとか上げて、それを解説してるだけかも知れないけど。金曜日はね、まさに一昨日ですけど、自由大学にて角田陽一郎の発展途上人学のね、5回連続のうち4回目をやったんですけど。なんかね、

参加者の企画もどんどん具体的に、そしてカタチになってきた。同時に迷いも生じてきている。その一つ一つのケースを解きほぐすことで、次なる進め方を指南する。そしてその教授行為は、自分自身の企画にもフィードバックされる、ありがたい時間。

https://www.instagram.com/p/Ck4_GKUSMmd/?utm_source=ig_web_copy_link

 ってことを呟いたんですけど。うん、なんか皆さんのね、迷いみたいな事と、僕の迷いみたいなものって個別、個別では全然違うことだったりするんだけど、少なくともその迷いをどう解決するか?っていう個別事例を話していると、やっぱり僕の中では、例えばこういうのはどうですか?っていうアイデアは出せるわけですよね。で、そういう悩みにこういうアイデアみたいなものを話してると、結果自分の悩み、アイデアにもフィードバックしてきて。それってその場所、今いる場所にいる必要はないんじゃないかなっていうアイデアに行き着いたってのが今日のICUC知的好奇心向上委員会でございました。ではまた来週。

文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 アッシュ。角田さんのアッシュはなんか新鮮。私の目が緑に慣れすぎたのか?うちにアッシュシャンプーがあるけど、色持ちを後から追加して保持できる点でもいい色だ。アッシュのボリス・ジョンソン・ヘアも楽しみだ。

 『何を生み出すためにいるんだっけ?何を失うためにその場所にいるんだっけ?』
 何故か飲み水のことが頭に浮かんだ。私は水を飲むのはちょっと苦手。運動したり熱中両対策には水が一番いいとよく言われるけど、正直あんまり美味しいと思わない。推奨量も私には多すぎると感じる。
 それが最近、水でなくても水分の摂取量は変わらないわけで、問題になると言われていた利尿作用で結果的に水分が減ってしまうことについて、排尿することで常に新しい水と入れ替わり、溜めすぎないから水毒の予防になるという報告があったらしい。つまり利尿作用の利点が見直されただけだし、出したら飲めばよしってだけのことなんだけど、私的には堂々とお茶やコーヒーで水分補給ができる事が嬉しかった。
 何かを生み出して、失う。失ったから、また生み出せる…ってことで体の水の循環のことを連想したらしい。それは生み出したいものだった?生み出す喜びはあった?失うべきものだった?気持ちよく失えた?色んな事が惰性の循環になってないかを気にしてみようと思う。

 発展途上人学、今でもちょいちょいあちこちでその単語を聞く。そこで知り合った人たちと遊びに行くとか。他の人に知り合ったきっかけを答えたとか。SNSを見てて、あの時あの人が話してた企画が2年でこんなに育ったんだなーと感心したり、比較して(これは絶望的観測だな)自分の事は何も進んでないと感じたり。それを進んでいると言ってくれる人がいて、ちょっと嬉しかったり。
 そうか、角田さんは『僕は面白いと思ってることしかやってないつもりです。それが成功してるかどうかとかは関係なく。』と言ってるけど、私は面白いと思って始めたけど、成功してないなら面白いものとは言えない…いつもそう考えてるんんだ。でも本当は面白いものは面白い。成功したかは別問題だ。
 私は自分の軌跡みたいなものを全然感じないけど、これが原因だったのかも。面白いものを思いついた事と、形にしようと動いた事と、動いた結果。”思う、動く、成す”で個別にカウント出来ないと、何かやった記憶も自己肯定感も無いまま死んじゃう。モノゴトを見る目を養おう、目を鍛えようの方が的確か。角田さんが発展途上人学でも『企画が思いつく人は多いけど、形にする事が出来る人は少ない。』と言ってたことは、悪い意味で自分の感覚と一致して、より一層形に出来なければ駄目って思いすぎていたかも知れない。

 希望的観測というのは、晴れて視界良好であり、そして自分の心が開いているということなんだろう。外界の状態はさておき、自分の目がクリアに外界を見ることが出来て、その情報を丸っと取り込むことも出来る。モーションとパーセプションがスムーズに出来る状態。

 モーションはいいとして、パーセプションとコグニションは検索せざるを得ない。で、検索したところ、コグニサイズというコグニションとエクササイズを組み合わた認知症予防運動なるものを見つけた。このトレーニングで脳と身体の機能を効果的に向上させるらしい。まずコグニステップやコグニラダーという型を覚え、応用したりもすると書いてあった。中村先生の話と同じだ。
 心身の”心”は、脳とか知識と言い換えられると思う。心(知識)身はどちらかが欠けていると、アミノ酸スコアみたいに、低い方のレベルに合うんだろうな。
 運動が得意とか、勉強が得意とかは個性として人それぞれ色々あるんだけど、自分の心身、心と身の循環は何をするときも同じ。常にワンセット。ただ、視点を変えないと認識しにくいから、つい得意なものと同じ種類の方だけ──例えば運動が得意なら心身の”身”の方だけ認識しがちなのかも知れない。

 ”思う、動く、成す”をそれぞれ認識できているか?やりたい事は心身の”心”か”身”か?認識できたら流れとして循環させられるか?

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