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ICUC-111_2022.5.29【新しい生き方、世界に自分をモデレートする】ICUC知的好奇心向上委員会】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の私の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee !

角田陽一郎111「新しい生き方、世界に自分をモデレートする」ICUC知的好奇心向上委員会

僕が最近思っていることを淡々と語っております!
最近今までの自分では生きていけないと感じている。
ミニマムな暮らしと仕事
丁寧な生き方
ひとりの時間と空間の快楽
他者を意識しない
世界の価値観の変容を受け入れる
こだわりからの解放
新しい肩書き
こんな7つの想いで新たな自分を生きてみる。

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

生まれ変わってみよう

 あ。おはようございます。角田陽一郎でございます。知的好奇心向上委員会、第111回かな…を生配信でやってみようかなーなんて思っております。今日はね、5月29日日曜日でございますが、明日、明後日で5月も終わりということで。明日5月30日はね、新月なんですよね。で、新月って大体新月が月1回、満月も月1回来るとは思うんですけど。今月は新月が2回来てる。そうなんですよ。なので、元々5月1日が新月だったんで。で、そこから明日5月30日が新月っていう。で、僕自身はメルマガを新月──自分のメルマガで「メルマガDIVERSE」って言うんですけど──新月と満月、両方書いてるんですけど。だから月2回書いてるんですけど、そう言う意味ではですね、今月は3回書かなきゃいけないって言うか。うん。…んなことを思ってね、今ね、明日の新月に向けてメルマガを書き終わったところなんですね。うん、だから今日話すことって明日のメルマガに詳細は書いてあるんだけども。最近の僕の変化というか思ってることを今日話してみようかなーなんて思ってます。
 前回はね。サスティナブルとは何か?みたいなね。サスティナブルに生きることっていうのはどういうことなのか?みたいなことを話させていただいたんですけど。つまりSDG’sって Sustainable Development Goals だけど、まあそれが社会とか国連とか世界とかの生きてく上でそういうゴールを持つことってのは大事だと思うんだけども、自分が生きていく上でゴールを持つことが実はサスティナブルじゃないんじゃないかな?みたなことをなんか先週は語ったと思います。で、その中でね。なんか自分も思ってることは…そういう風に──だから、面白いですね。そういう風に語るとそういう風に自分の思考がなって行って、じゃあ自分の中でゴールを持たない生き方みたいなものってどういうものなのかな?なんてこを結構考えるように…考える1週間でした。うん。
 で、なんかね。うん、丁度ね、明日新月だからね。うん、だからなんか自分として新しくこう…生まれ変わってみようかな?なんて思ってます(^^) で、新しく生まれ変わってみようかななんて思うことって、またまたぁ!みたいな感じだと思うんですけど。僕はいつも新月とかではそういうふうに思うようにしてて。それでなんか新しく何か始めることも出来るし、なんかいいきっかけになるかなと。自分の人生を見つめ直すのにと思ってるんで。なので新月と満月にメルマガを書いてるっていうのもあるし、自分の中で考えをね、整理できるよなーなんて思ってやってるわけです。
 で、どんな風に新しいのかな?なんて思うとですね。簡単にいうと、今までは自分の生きている生き方の延長線上にやりたい事とか──これやりたいとか、まあやらなければいけない事も当然あるけども、これやりたいとか、あれやりたいとか──そういうものを新しく始めてた感じがするんですね。そうなんだけど、丁度ね、なんかこの新月のタイミングで僕が思うのは、今までのベースになっていた僕の考え方みたいなものもちょっと1回捉え直してみて、その上で新しいことをやってみようかなーなんて思ったりしてます。

肩書きの限界

 ま、そういう事をね、メルマガには書いたんですけど、詳しく。まあなんかね、いやそんなこと出来るかどうか分かんないんだけど、なんか先週話した事とか、先々週話した事とかに何か関係するんですけど、つまり自分が今まで生きてきた生き方みたいなもので生きていくのにはもう、なんかたぶん限界…。限界っていうとすごい…うん、なんかちょっと嫌な感じもあるけど、限界でもいいし、飽き…飽きてるわけでもないけどね、なんかそんな事も感じてるのかも知れないですね。
 うん、あとは実際そんなんで生きて行けるのかな?っていう不安みたいなものもあるのかも知れないですね、うん。それってね、本当に、まさに先週言ったんで先週の動画を見て頂ければと思うんだけど。なんか自分がバラエティプロデューサーとしての限界みたいなものを感じてるわけですよ。で、自分がバラエティプロデューサーって名乗ったのってまさにTBSテレビを2016年末に辞めて、そこから自分をバラエティプロデューサーだって肩書きで生きていこうと思った時に──。
 ってか、そもそもその前なんだ。なんかね、それこそ30代半ばぐらいで自分がプロデュースしていた「明石家さんちゃんねる」って番組が2006年からやってたのかな?視聴率も良く無くて2008年に終わるわけです。で、終わった時にまた次の番組を何かやればいいやと思ってたんだけど、結局次の番組が無くて。その後「EXILE魂」ってのやるんだけど2年間ぐらい?…1年ぐらいね、なんかこう浪人みたくなったわけですよ。で、そうなった時に番組をやる・やらないっていうのはテレビ局の編成マンってのが決めるんですけど。その編成マンがね、自分より年上な時はね、角田やれ!とか、やるな!とか、ある意味年功序列でやれと言われてもやるなと言われても、ある意味しょうがないよなーと思ってたんだけど。自分が35、36になってくるとその編成担当とかが自分より年下になったりして。で、そいつらに番組やれって言われるとプロデューサーで、番組やれって言われないとプロデューサーじゃないっていう。つまり自分の肩書きをそんな奴らに決められちゃうんだなと思うことになんかすごい忸怩たる思いを感じたわけです。そう思った時にデーブ・スペクターさんってね、プロデューサーってずっと名乗られてるじゃないですか。実際プロデュースされてると思うんだけど。その時になんかちょっと素晴らしいなーって思った時に、自分が番組をやっていようが、やっていまいが、自分はプロデューサーなんだぜ、と。うん、思っちゃった方がいいんじゃないかなって思ったのが1個のきっかけなんですよね。そのプロデュースってのはテレビ番組かも知れないし、色んなものかも知れないし、みたいな。そんな風に思って自分はもう生涯プロデューサーである!みたいな事をたぶん2008年ぐらいに感じたわけです。
 で、そこからgoomoって配信会社を作ったりとか、そういうところで「オトナの!」って番組を始めたりとか、なんならそこで本を書いたり映画を作ったり、ロックフェスをやったり、アプリ作ったりとか、まあ色々プロデュースをやり始めるんですけど。それで、そういう経緯があって2016年にTBSを辞めて、2017年からはバラエティプロデューサーという名前で生きてきたわけです。
 そうなんだけど。それがまさに先週話した、ここでは割愛しますけど、自分の中でのバラエティプロデューサーとしての限界みたいなものを感じてた時に、ああ、なんかいい機会だなと、うん。だからバラエティプロデューサーって肩書きを辞める…辞めるかどうかってことも置いときつつ、実際まあそれが稚拙だろうがプロデュースはしてるわけだから、まだ肩書きを辞めようかなーなんて思ってるわけではないんだけど、新たな生き方みちたいなものをバラエティプロデューサーという中でプロデュースすると言うよりも、全く全然ゼロから考えてみるとどうなんだろうなーなんて事を今日思ったわけです。

7つの想い

 ここね。海の街にですね、自分のアトリエというかスタジオというか作業場というか事務所というか、そういう感じで持ってるところなんですけど。今日とかね、すごいいい天気でね。まあ、暑いけど。夏の日差しで。なんかね、そんなところで洗濯物を干すと瞬時に乾いたりして、なんか暑いなりにそれはそれで気持ちいいよなーなんて思ってて。で、まあ小さい小さい庭があって。小さい小さい家庭菜園みたいなのやってるんですけど。そこに元々ね、ブルーベリーの木があったんですよ。で、ブルーベリーの木があって、去年も当然気づいてたんですけど、ちょっとパッと摘んで食べたらなんか苦っ!とか思ってたんですけど。さっき摘んで食べたら超美味しくて。なんかわーっと摘んでみました(^^) うん、なんかそれがすごい、なんか…楽しいと言うか、面白いなーなんて思ったりしてね。そうそうそう、だから摘んでみたらんかこんな感じで。結構ほら!結構、こんなに摘めるんだー!と思って。

 なんかね。この楽しさみたいなものって、なんかバラエティプロデュースの楽しさとちょっと違うことだなーなんて思ったりするわけです。そうそう、だからつまり新しい生き方と言うか、新しい考え方で生きようなんて言ってるんですけど、所詮その程度の新しさです、うん。で、そういうのをあえて…うぅ〜ん、文…文字化?文字化というか単語化してみると何かなぁなんて思っててね。で、僕いつもおはようございますSNSというのをやってて。で、最近はおはようございまーすって元々は朝に書いてたんだけど、まあ午前中ならいいやーみたくなって。その後、なんかもうその日中に書いてればいいやみたくなって。最近ではその日あった事を(笑) 夜書いてる方がむしろなんか書くことがあるなーなんて思ったりして。もうおはようございますじゃないじゃんか!とか思いながら、僕はテレビ業界にいて、テレビ業界はいつの時間でもおはようございますって言うんで、まあそれでいいかなーなんて思ったりしてたんですけど。今日はね、なんかそんな事をまさにブルーベリーのなってる写真と共に上げたんですけど。で、そこに書いた事をちょっと読ませて頂くと。

おはようございます。5月29日です。
最近今までの自分では生きていけないと感じている。
ミニマムな暮らしと仕事
丁寧な生き方
ひとりの時間と空間の快楽
他者を意識しない
世界の価値観の変容を受け入れる
こだわりからの解放
新しい肩書き
こんな7つの想いで新たな自分を生きてみる。

 って言うようなね、文章を書いてみたわけです。だから何か、いや別に7つなのか8つなのか6つなのかとか、そんな事を特に気にしたわけでなくて。まさにメルマガ書いてる時に、原稿書いてる時にじゃあ僕は今思ってるのって何かなーなんて思ったらたまたまこの7つになったっていうことだったりします。

ミニマムな暮らしと仕事

 うん、だからバラエティプロデュースってプロデュースすることを楽しんでるなーなんて思いながら今例えば1個目にミニマムな暮らしと仕事って言ってるけども、やっぱり作るものがヒットしなきゃ、バズらなきゃいけないみたいな事とかあるとすると、言うてもそれってミニマムじゃないんですよね。うん。
 で、あと基本は来た仕事は全部やってるわけで。だからそういう意味で言うとマキシマムな暮らしと仕事と…みたいな事なのかも知れないですね、今までの価値観で言うと。そうなんだけど、でもマキシマムな暮らしって言うとすごい豪勢な暮らしをしてるように見えますが全然豪勢でもなんでもないんですけども。豪奢でもないし。なんだけど、強いて言えば世間の情報に敏感であったりとか、なんか色んなことを知りたいなーみたいな。あらゆる事がバラエティになるってね、僕は「世界はすべてバラエティになる」っていうタイトルでnoteの文章書いてると言う意味では、なんか全ての、あらゆる事がコンテンツになるよなーなんて思って生きてきたわけだけども。まああらゆる事はもうやれないんだよなーなんて思った時に、なんかむしろミニマムな…暮らしに方はそうだけど、仕事というのもね、ミニマムでいいんじゃないかなーなんて思ったりします。で、そのミニマムな仕事ってのは量もあるけどぶっちゃけ質もかなとちょっと思ってると言うか。つまり先週語ったことで言うと、自分が作ってきた物のクオリティが劣化してることになんかこう諦念と言うかね、幻滅みたいなものを感じてた自分がいるんだけど、なんかそれをちょっと受け入れてみようかなーと思った時に、それを劣化と言うか、今やここで自分がやれる事はこういう事なんだなっていうことぐらいしか出来ないんだよな!と。それは量も含めてね。と思った時に、ミニマムな暮らしと仕事っていうのが1つ目に挙げた言葉の真意はそう言うことだと思います。

世界はすべてバラエティになる

丁寧な生き方

 で、一方で丁寧な生き方ってのが2つ目に書いたのは。そのミニマムな暮らしと仕事っていうことから敷衍する考え方なんですけど。つまりミニマムにやるからには1個1個は丁寧にやろうかなと。それがクオリティ的に高い物なのか?とか、結果が伴う物なのか?ってことはまあそんなに気にしないようにしようかと。気にしないにしようって自分に言い聞かせてんですけどね。気にしてると結局マキシマムなものを目指してしまってなんか疲弊していく自分がいるよなーなんて思ったりすると、なんかもう1個1個丁寧にしていくしかないよなーなんて思ったりもします。うん、で、それは丁寧な生き方って書いたのは仕事と言うよりあらゆる事がって言うかね。日々、コンビニで何か買った時に…とか。んふふ(^^) なんか運転してた時とか。人と会った時とか。うん、なんかいちいち丁寧な方がいいよなーなんて思ったりしてね。今あの「寝癖!」ってコメント頂きましたけど(笑) うん、そんな意味で言うと髪型丁寧じゃないじゃんとか、ちょっと今自分で思っちゃったりしましたけどね。うん、なんかその丁寧な生き方みたいなものを思っております。

ひとりの時間と空間の快楽

 で、3つ目に書いたのは1人の時間と空間の快楽って書いたんですけど。これどう言うことかと言うと、テレビってやっぱりみんなで作ってるみたいなことで言うと、ビジネスってやっぱりみんなでやるってことで言うと、やっぱりみんなで何がやれるか?みたいなこと、そのみんなって言うのが組織がなくなると目減りして行って、資金がなくなるとみんなというのが減って行ってみたいなところってなんか減退みたいなものの寂しさみたいなものを多分感じてたんだよなーなんて思ったりもしてたわけです。
 で、一方で今週の水曜日に僕いま毎週大阪行ってるんですけども、イケミチコさんという現代アーティストの女性の方と…。丁度半年前くらいに知り合ったのかな?もっと前か。…「!」違う!もう、絵を描いたの…ちょうど7月だ!去年の。去年の7月に僕がたまたまた大阪にいて。これもICUCで喋ってますけど、7月のある日がですね、僕の特異日と言っていて。つまり色んな事が変わるきっかけの日だったりするんですけども。で、何年か前に坂口恭平の絵を買ったりしてるんですけども。なんかその日もね、たまたま泊まったホテルの1回のカフェでご飯を食べてたら絵が飾ってあってね。その絵がちょっとこう目に留まって…買っちゃうか!と思って買ったっていうのがイケミチコさんの絵なんですね。未来人間っていうタイトルの絵なんですけども。

 で、そこから連絡が付かなかったんだけど。なんかインスタで連絡がついてね。で、去年の秋に京都で個展をされてるって言うんで初めて僕お伺いして。初めてご挨拶したりしてね。で、その時にこう…なんて言うんでしょうね、またお会いできるといいですねーみたいな話をしてた時に、大阪のね、もうホント街中にですね、アトリエを構えてるんでって言うんで「じゃあ行きたいです」みたいな。「今度いらしてくださいね」みたいな話を丁度してたんですね。

 で、そこからもう半年以上経って。僕も毎週大阪行ってるもんですから、ちょっと連絡してみて、お伺いしていいですか?って言ったらぜひぜひと仰るんで行ってみたわけです。で、イケミチコさんのアトリエで、もう本当にすばらしいアトリエなんですけど。インスタに写真あげましたけど。

 その中でね。彼女がね、色んな作品を作ってるのの…なんて言うんでしょうね、アトリエの中って脳内って言うかね、そのアーティストのね。あるいは体内って言うかね。うん、セクハラっぽく言わなければ子宮内と言うかね、そういうようなものを見せられてると言うかね。なんか森の中にいるような感じもするし。深海の中にいるような感じっていうか、そういう気持ちになったりして。で、ここでどれぐらい創作されてるんですか?って言ったら、結構昼からね、夜中まで作って。で、もうなんかそこで寝ちゃったりして。また昼から作ってみたいな感じとか。で、作り終わったらちょっとこう、なんか、一杯カウンターで飲んだりとかしてうっていう様な話をね、それこそ飲みながらお話を聞いて。で、僕はなんかちょっと質問してみたんですよ。ここで1人で作っててなんか寂しくないんですか?っていうか。そしたら全然寂しくないと言うわけですよ、うん。つまり創作というものをすごい1人でやることの悦楽というか快楽みたいなものをすごい彼女から感じたわけですよね。そうか、と。なんか僕とかが何か創作…それ創作なのかクリエイティブなのかは置いといて、何か作ってる時ってその快楽以上になんか、仕事だからかも知れないですけど色んな事を感じてる自分がいるわけですよね。なんかそういう呪縛みたいなものと言うより、本当に1人でアトリエで篭って作品を作ってるということの、なんかピュアな快楽みたいなものを彼女から感じてですね。ああ、そうか、だからまあアーティストってのはそういうものなんだなと。だからやっぱり自分がアーティストじゃないんだなってことを改めて、改めて実感してこちらの関東に戻ってきたりしたんですけどね。
 でも何かそう思った時に…何か今ここに、このアトリエにね、居て。1人でこうやって居て。なんかこう1人でこうやってると結構むしろ煮詰まっちゃったりして。文章書けないなーと思って。で、書けないから絵ぇ描いてるとか。なんならブルーベリー獲ってるとかやってんのかも知れないんですけど(笑) なんかそういうことではなく、なんかその1人の時間っていうのをもっと快楽として楽しむべきだなーと。それを1人の時間って意味と、こういう場所、空間、それが1人でいる時間と1人でいる空間っていうものをもっとこう楽しむことが必要なんだなと。だからそれがミニマムなのかマキシマムなのかっていう意味で言うとミニマムなもので、他愛のないものかも知れないんだけども、その他愛のない時間と空間を中での快楽というか悦楽というものをもうちょっと享受してみるのがいいんじゃないかなーなんて思ったりしてるわけです。
 だからそれってつまり、なんか自分が例えば今番組作ったりすると、その番組の…ね、プロデューサーだからコンセプトを決めて、スタッフを配置してみたくやって、実際編集したりするのはね、ディレクターだったりしてるんですけど、なんかそう言うこともなんか自分でやれる事はやってみようかなーなんておもたりしてね。うん、だから本当に自分でやれる事は自分でやろうみたいなことをなんかあえて言語化すると1人の時間と空間の快楽みたいな事なのかも知れません。

他者を意識しない

 只今ちょっと外の雑音が入ってくるんでちょっと1回窓を閉めますね。まあこれで音が変わるか分かんないんですけど。なんか気持ちいいから今日窓をずっと全開にしてたんですけど、なんか作業の音が聞こえてるな…聞こえてんのかな?まあ大丈夫か。はい。
 で、そんな中でね。そういう風に考えていくと、結局、結果みたいなものとかをそんなに意識しないってことになるとすると、1、2、3…4つ目に書いた他者を意識しないっていうことなのかなーなんてのも思ったりするわけです。うん、その…結局ね。他者を意識しないってのは評判みたなものもあるし、もっと色んな事ですかね、交流みたいなものとか。だから結局1人の時間と空有感をちゃんと快楽というか享受するってなるとすると、次の工程としてはそれを他者にどう思われようが、思われなかろうが、他者と接続しようがしまいが──で、やっぱりそれがコミュニケーションというか僕はインタラクティブという話をよくこのICUCでもしてますけど、やっぱり相互的にアクティブなものとアクティブなものが交わるからインタラクティブであり、結局コミュニケーションっていうのが他者がいるからできるわけで。で、そういうものがないと生きていけないみたいな意味で言うと、それはすごく大事な事なんだなーと思うんだけど──。一方でそれを大事にしすぎるってことは他者を意識しすぎるってことなんだなーなんてことにちょっと思うわけです。だから結局孤独な1人の時間と空間を大事にするってことは結局突き詰めると他者を意識しないってことなんだなーなんて思って。うん。この他者を意識しないっていうのはね、だって何プロデュースするでも結局他者っていうのは、コンテンツならコンテンツで、そのコンテンツを誰かに発信するって意味では誰かということもあるし、それを一緒に作ってるスタッフってのもいるし、なんだったらクライアント、スポンサーみたいな方もいらっしゃるとすると、結局他者と交わらずにそういうことをやってるってことは、まあ実質的には不可能…ではあったりします。でもそれをなんか…うん、あまり意識せずにって言ってるのは努力目標かも知れないですけども。意識しない…かなーなんて思っております。

世界の価値観の変容を受け入れる

 で、1、2、3、4。4つ目。…ぅん?1、2、3、4、4つ目は他者を意識しないか。5つ目、世界の価値観の変容を受け入れるって書いたんですけど。うん、まあ、価値観変わってるじゃないですか。どんどん。Z世代なのかね。なんか…ネットネイティブなのかね。それこそポストコロナなのかね。うん、ポストコロナなのか…ウィズウォーなのか、うん、SDG’sなのか、環境破壊なのかみたいなこととかがあった時に、やっぱり今までの価値観じゃ通用しないなーなんて思った時に、その価値観が変容するものに自分も変容していかなきゃいけないんだなと。で、それってこの世界が変容してるってことでもあるし、一方で自分もどんどんこう老化してる、劣化してるというのをその変容自体を受け入れみようかなと思った、と。だから今みなさんがどういう音で聞こえてるか分かんないけど、外で何か作業している音が入ってきてるけど。で、さっきその作業が、お隣さんの作業が始まる前までは鳥の音が聞こえてて、気持ちよかったよなーなんて思ってるかも知れないけども、でもそういうノイズみたいなものが仮に聞こえてても…うん、それでいいんじゃないかな?みたいな。まあ僕の喋ってることだって所詮ノイズだしってこともあるし、ノイズというものがあるから環境というのは実は芳醇なのかも知れないしね。うん、なんて事を考えて。なんかその世界の価値観の変容、変容と言ってるけど、激変みたなものも受け入れることなのかなーなんて思っております。

こだわりからの解放

 で、そうするとそれと言うのはつまり、結局自分の中でのこだわりみたいな。こだわりとも言うし拘泥とも言うか分かんないし。偏見って言っちゃうかも知れないし、自分の考え方、趣味趣向みたいなものと様々あるけど、あえてこだわりって書いたんですけど。6番目で言うとこだわりからの解放。もうこだわってたってしょうがないんだよなーっていう。うん。だからその変容っていうのは世界が変わった事も受け入れるし、自分の考え方が変わったって事も受け入れるし、他者が僕を理解してくれないという状況があったとしてもそれを受け入れるし、理解したら理解した事を受け入れるし。うん、なんか受け入れてみようかなってことって、結局自分の中ではこだわり。うん、自分の中のこだわりみたいなものからの解放かなーなんて思ったりもしております。
 ああ、なるほどね。草刈りの音がと今コメント頂きましたけど。そうかも知れない。切ってる音かな(笑) まあそういう季節ですからね。日曜日の夕方、さっきまで暑かったわけだから、ちょっと涼しくなったら今のうちに作業しよう!みたいなことかも知れない。そういうものも受け入れるってことかなと。
 だからなんて言うかね、こういう環境がいいよなーとか、こういう状態がいいよなーとか、こういう経済的な感じがいいよなーって、メルマークというか目標みたいなものってそれぞれの方が持ってると思うんだけど、なんかもう持ってる範囲でいいかなっていう。それがさっきの1番目のミニマムな暮らしと仕事ってこととも繋がってんのかも知れないんですけど。なんか…うん、世界の価値観の変容を受け入れた上で、つまりその受け入れたものって、つまり自分の中でのこだわりからの解放ということなんじゃないかなーなんて思ったりもしてます。

新しい肩書き

 で、そう考えた上で最後の7つ目になって。結局新しい肩書きっていうことをつけたんですけど。つまりこれはバラエティプロデューサーっていう肩書きを変えるかどうかは置いといてなんですけど、なんかもう…バラエティにプロデュースしてないとも言えるよなーと思った時に、自分がやれる事、だからリミテッドプロデューサーですよね?そういう意味で言うとね。もしプロデュースしてるとしたら。うん。なんか、そういう様なイメージ。なんか、それがね、どんな肩書きなのかってのは僕の中では副案みたいなものはあって。それはむしろここではもう、ICUCでは言わないかも知れないですね、うん。…言うかも知れないし。いや、たぶん言わないな、うん。なんか自分の中で人知れずその肩書きで生きていこうって思っている。それってつまり他者を意識しないって事なのかも知れないですよね?だから僕が言っている他者を意識しないと言うことって、結局──肩書きってね、人に表明するから肩書きなのかも知れないけども、僕は僕の中でのレッテルというかラベル、うん。タグ?みたいなものがなんかこうバラエティプロデューサーというものじゃなく生きていこうかなーって思ってるというかね。うん、なんかそういう風に思った時に、じゃあ自分の肩書きってのは何なのか?って思った時に、なんかこう、丁度ね、明日新月だから、なんか違うタグを付けてみようかなー、レッテル、ラベルを貼ってみようかなぁなんて思ったりしてますと。

 なんかね、そんなことをブルーベリーをね、摘みながらね、思っている2022年5月29日の角田陽一郎でしたってのが今日のICUC知的好奇心向上委員会かな。だからもうそれは知的好奇心を向上させてるのかって話は先週もしましたけど。うん、まあ、ということももうどうでもいいかなーなんて思ったりして。だから例えばね、そういう意味で言うとこのYouTube動画もね、3月、約1ヶ月くらい休んだりしてて。で、それを復活させるとか、で、どうしようかなーって事とか、じゃあそれの視聴数とかね、そんな事とかも言ってた事とかもあるんだけども。そういう事もこだわらないまま、なんか自分がミニマムに丁寧に暮らしていく上でこう喋ることが必要ならば喋るし。書きたいことがあれば書くし。っていう様なことかも知れないですね。うん、だからそれってもうプロデュースしてるわけじゃないんだなー。うん、プロデュース生産するって意味ですからね、プロデュースって。何かを生み出すというより、なんかこう、日々生きてると生み出されていくもの、もしかしたらそれは排泄物と言うかも知れないけども。うん、そういう自分の中から出ているものは出ていく。それをプロデュースと言えるかどうかが分からないけども、新しい肩書きで行こうかなーなんて思っておりますと。そんな感じで今日のICUC知的好奇心向上委員会でございました。ありがとうございましたー。

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文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 人がそれぞれ時間を経て、生きて変容していくから世界が変容していくのか?世界が変容していくから人も変容していくのか分からないけど。世界の価値観の変容”に付いていく行く”のと、世界の価値観の変容”を受け入れる”とでは、どちらも世界の価値観を情報として同じ様に知っているけど、摩擦係数と疲労指数には差があるだろうな。

 角田さんに聞いたことがあった様な、なかった様な。35ぐらいになると編成の人が年下になって…編成にはもっと年上の人はいないんだろうか?どんな番組を放送するかはテレビ局として大事なことだと思うんだけど、それってそんなに若い人に任せるものなんだろうか?その若い人が若くなくなった時は次はどこの部署に行くんだろう?

 「ブルーベリー 苦い」で検索すると、熟す前に採ったからという書き込みが多かった。熟す前に晴れが多いと甘い、寒暖差があると甘いという書き込みも。何年かするとうちのプルーベリーが熟すのはこの時期という感覚を覚えるられるとのこと。あと苦い時はジャムにすべしとあった。
 グリーンカーテンの流行り初めの頃にゴーヤや瓢箪を何年か栽培したことがあるけど、収穫は何とも言えない楽しみだ。機が熟すのを待つと楽しみがあるのは仕込んだ味噌が出来上がる時もよく似ている。観測の楽しみなのかな?

 新しい生き方、新しい考え方、所詮その程度の新しさ──新しいと言うより原点回帰的なものを含んでいる気がした。おしゃべりは好きだけど、確か交渉とかプレゼンは苦手で、苦手でも局で揉まれるうちにできる様になったと言ってた気がするから。苦手であろうとも伸び代があった部分は伸ばした。今度は今まで目を向けなかったけど生来備えていた能力を活かしてみようという感じ。50歳まで生きた角田陽一郎はそのままに、繋がり組み替えて、新しい構造にシフトする。

 テレビは大人数で作り、放送すると1人に戻る。(実際は次の制作に取り掛かって1人の時間はなさそうだ。)アーティストは1人で作り、展覧会や販売の時に人数が増える(一人で行う人もいる)。そう考えてみると、角田さんが1人の時間は少ないし、角田さんから見ればアーティストは孤独に見えそうだ。角田さんは機会があるとアーティストというのは独りで寂しくないか?を聞いていると思うけど、不思議でならないのかも知れない。
 1人の時間と空間の快楽を享受するにも、まずは何かを知覚し、それを受け入れるのに鍛錬が要るかも知れない。でもアーティストは生来鍛錬せずとも1人の時間と空間の快楽を享受できる人のような気がする。アーティストの製作は自分の内の発露とずっと一緒にいる時間で、作り上げて初めてどこか人の目に触れるところに作品を置く。テレビは自分の内の発露を基礎に、制作段階から他人の目を考慮して作っていく。
 アーティストの制作はいわゆるゾーンに入っていくんじゃないか?と思った。その集中の内では当然外のノイズはなく、自分の中のノイズもない、ちゃんと独りの場が出来上がって、そこには寂しいという感覚も独りという感覚もないのかも知れない。
 4つ目の話の時に交流という単語が出て、あ、これはいいなと。人脈が大事と言ってる人には人脈の多さ=仕事ができるような言い方をする人がいるけど、そういう人はまともな交流がなくても名刺を貰ったかSNSでフォローされていれば人脈に数え入れてる感じがしていた。ある人が販売先は星の数ほどいるから心配いらないと言っていた。街中だろうとSNSだろうと視界に入った人に声を掛ける。トランプをめくり続ければ必ずエースは出る。次の1枚がエースかも知れないのに止めてはダメだと。人脈ってそんな傍迷惑なものではないはずだけど、私は交流という言い方を使おう。

 草刈りの音。我が家ではまさに草刈りの音で角田さんのお隣さんの作業の音はかき消されたけど、聞き直してみるとなんともヘンテコな音がする笑) そんな外の作業音も受け入れると言った後、すぐに雀がちゅんと鳴く。作業が始まるとずっと静かにしてたのに。ああもう!と閉ざしてもノイズは幾分届いてしまうけど、今日はこんな音だと任せておけば、雀を一緒に締め出さずに済むのかも知れない。目標に向くことも一部を閉ざしてると言えるな。私は前を向いて歩かず、下を向いて雑草を眺めながら歩くのが好きだ。

 デーブ・スペクターさんがプロデューサーと初めて知った2022年5月だった。

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