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ICUC-113_2022.6.11【人生の潮目が変わるとき】ICUC知的好奇心向上委員会

【ICUC知的好奇心向上委員会】の私の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee !

角田陽一郎113「人生の潮目が変わるとき」ICUC知的好奇心向上委員会

火曜日に予防医学の石川善樹さんと対談して、
水曜日に現代アーティストのイケミチコさんとライブ配信して、
木曜日に東大で教授と会話して、
金曜日になんとなく潮目が変わった、というお話です。

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

引退と資格

 おはようございまーす。バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。ICUC知的好奇心向上委員会でございますが。今日はね、日本…というか東京は梅雨でございますが。今日は雨とかは降ってないけども曇りみたいな。暑くはないけどちょっとじめじめしてるから蒸し暑いみたいな週末でございます。みなさまいかがお過ごしでしょうか。僕はですね、ちょっととあるところに用事がありまして、車で向かっておりますので、今日は向かっている最中にね、道も空いてるわけでもなさそうなので、なんかこうやってダベりながら、喋りながら、ちょっと運転してようかなーなんて思っております、と。
 あのー……知的好奇心向上委員会なんて言ってね、やっておりますけども。それは知的好奇心が向上するような委員会みたいな意味で作ったんだけども。まあ最近思うのはですね、知的好奇心向上させる必要があるのか?みたいな…んふふふふふ!…ことまで自分の中で思いがあったりするんだけども。まあそんな思いみたいなものがあるみたいなことよりも、まあそんなことどうでもいいかなーって思うことの方が大事かなーなんて思ったりしてて。つまりそんなに考えないみたいなことってのもアリかなーなんて思ったりしてて。まあ今日はちょっとそういう話をしたいなーなんて思ったりはしております。
 それもね、このICUCでもね、先週、先々週とそういう話をしていると思うんですが。要は、まあ、なんていうんでしょう。僕がね、最近バラエティプロデューサーという名前のね、肩書きでやっていることにちょっとこう…うう〜ん、まあ、疑念というか。うん、みたいなものを感じていてですね。で、それって3日前にやったね、コトブキツカサさんと木曜日にやっている寿司特っていうYouTube番組ではね、テーマを引退っていうテーマにしてね、話したのは、僕がその疑念を持ってるから。つまりもうバラエティプロデューサー引退しちゃおうかなーみたいなね。だからその引退についてちょっとコトブキツカサさんと話すとどんな事が返ってくるのかなーなんて思って引退ってテーマにしたりしたんですよね。
 うん。いやそれは先週とかも話したとおもうんですけどね。バラエティプロデューサーって名乗ったのは2017年、TBSテレビを辞めてからみたいな意味で言うと、7、8、9、0、1、2の6年ぐらい名乗ってて。で、それを名乗り始めた時はね、もう僕は一生その肩書きで行ってみてもいいじゃんか!ぐらいの想いでやったりしました。うん、そうなんだけどなんかね、自分という人間がバラエティプロデューサーって名乗ってる資格があるのか?みたいなことをたぶん感じているんじゃないかなーなんて思っています。

僕は資格を持ってない

 今ね、期せずして「資格」って言ったんですけど。まあ資格って色々あるじゃないですか。なんか…英検○級みたいなのもそうかも知れないし、気象予報士みたいなのもそうかも知れないしね。あとは何か国家資格だったりするとね、弁護士とかにもなれるしとか、お医者さんにもなれるしみたいな。で、その資格っていうものってのがあるなーなんてのはまあ思ってて。でも僕がなんかずーっと生きて来て、僕、資格ないんですよ、何にも。…何にもないなぁ。英検って3級受けたかな?英検って資格なのかな?分かんないけど。うん、何にもないです、資格ね。で、まあもしかしたら学歴ってのもちょっと似てる様なものなのかも知れないんだけど。まあだからレッテルとも言えるし、ラベルとも言えるし、タグとも言えるかも知れないけど、その人がその資格を持っているっていう資格って、つまりその人がそれを仕事にしてもいいとかね、それだけの能力を持っているってことがこう…お墨付きがあるってことがじゃないですか。
 で、僕が資格がない、持っていないっていうことに対して…、ああだから自動車免許はもってますね(笑) はい。資格を持っていないということに関して僕が一番思うことは2つあるんですけど。1つは単純にその資格がないから資格を持っていないっていう。うん。医師の資格を持ってないから医者ではないみたいな様な意味で言うと、単純にそれを持ってないから資格がないですよね。もう1個は資格っていらないんじゃないかなって思って長年生きて来たってことですかね。
 うん、だからよく僕がそれ本質じゃないみたいな話をした時に、本質じゃないってよく言うんですよ僕…言うんですって、コトブキツカサさんに言わせると。コトブキさんが何か言うとそれを否定して「それは本質じゃないよねぇ」ってよく言いますみたいな。まあそうかなーなんて思うんだけど。うん、なんかそれが本物なのか偽物なのかみたいなことってちょっと僕の中では1個の価値観念としてあるんでしょうね。価値基準として。で、極論言えば医師の資格を持っているってのは医師と名乗って、医師として仕事していいわけだから、本質的に医者なわけですよね。だから資格ってその本質を表すために必要なツールというか、必要なものなんだろうなーとは思うんです。
 そうなんだけど、僕はプロデューサーというものに資格ないしとかね。ディレクターというものに資格なくても、資格ってものがなくても名乗れちゃうわけで。そういう意味で資格なくても本質的にそれが出来るとか、やれるのであればそれでいいのではないかな?と思ってたぶん生きて来たんだと思うんです。うん。だからその学歴ってのもそうで。すごい学歴があると能力高いみたいな神話というか思い込みというか、もしかしたら事実みたいなものってあるじゃないですか。そういうものがなんか僕の中ではなんいか嫌で。それがあろうがなかろうが、すごい人はすごいじゃんみたいなことをずーっとずーっと思って来てたわけです。うん。だからなんか学歴とか資格とか、あとはもしかしたらあれですね、賞罰みたなものもそうかも知れないですね。何とか賞を獲ったとか。紫綬褒章を持ってますとか。ノーベルなんとか賞みたいなもの。だからよく村上春樹さんとかがね、ノーベル賞獲った獲らないみたいな話って本当にくだらないなーって思ってて。でもまあノーベル賞獲ったことでね、僕なんかが知らなかった国の、知らなかった作家さんという人を知るという効果ってのはあるから、賞レース自体を否定してるわけではないんだけど、その賞を獲った、賞を獲るという事にそんなに価値を感じてなかった。むしろ極論すれば「それぐらいすごい作品を残してるのに賞を獲ってない人」みたいな方がむしろカッコいいなーぐらいの思いがたぶん僕の中ではあったんだと思うんです。うん。
 つまりちょっと整理すると。資格みたいなものがなくてもそれがやれるぐらいの能力はあるとかね。学歴なんてものがなくても学力があるとかね。賞とか獲ってないけど賞を獲ったくらいの価値のあるものを生み出してるって人の方がカッコいいなーってちょっと思ってたんだと思うんです。思ってるんだと思うんです。だから僕がさっき言ったバラエティプロデューサーって資格があるのか?名乗ってる資格があるのか?ってちょろっとさっきたまたま言っちゃったけど。そもそも第三者が認めるバラエティプロデューサーなんてものの資格はないので。まあ無いですよね?そもそもバラエティプロデューサーって名前は僕が勝手に作った名前なわけだから。まあ無いわけですけど。それを資格がないっていうことでも別にいいなーって思って来たんだけど、つまり中身があれば。僕がバラエティプロデューサーの資格があるのかって今言ってるのは何かというと、つまりその中身もないんじゃないかと思ってるから、何となく減退してると言うか、モチベーションが下がってるというかね。まあそういう事なんだなーなんて事は分かったわけです。ほお、なるほど!なんて思ってて。

木曜日、ちゃんとした博士論文を書けばいい

 で、思ってて。今日は土曜日ですけど。木曜日に久しぶりに東京大学に行ってですね、指導教官と、僕を指導して頂いている東大の先生とね、定期的に面談をやってるんですけども。まあちょっと面談してきたわけです。うん。で、まあ普通に学業のね、お話とかもしつつ、僕は最近バラエティプロデューサーというものに限界を感じてまして──みたいなことを言って。今言ったような想い…今言った様なこととかは言ってないのか。言ってないけど、まあ自分が先週のICUCで喋ったようなことを喋ったんだ、うん。まあそんなこんなでそういう話をしてたら、その先生がポロッと言うにはですね──。「うん、なら角田さんは博士論文、ちゃんとした博士論文を書けばいいんじゃないですか?」って言われたんですよ。──ほお?!と。どういう事かと言うと、だから東京大学で博士論文を書いて、それがちゃんと査読を通って、ちゃんとOKになるという価値というか資格。それを獲ったんだったら角田さんが思ってる、自分は、じゃあ例えばアカデミックな世界で認められてないんだなとか、じゃあプロデューサーという肩書きの世界でなんか行き詰まってるんだなーと思ってるみたいな事とかが、なんかスーッと消えるんじゃないですか?と。博士論文を出した、ちゃんと出している人なんだっていう…「証」が、あなたの気分を救うのではないですか?って言われて。はぁー?!なるほど!と。そんなこと考えた事もなかったんですね。
 そう思った時に、そうか、つまり資格って他人に認められるためにあるものなんだなって思った時に、そんなものなくたって認められてればいいじゃんって思ってたんだけど、そんなものなくても認められてないじゃんって落ち込んでる時には、資格なんてものでも認められているんだっていうものって、ちょっと安心するのではないか?っていうことに気づいたって言う、んふ!また面倒臭く言ってますけど伝わってます?伝わってるかな?うん、つまり、そう考えると資格だけじゃなくて賞を獲ったとかもそうだし、もしかしたら学歴みたいなものとかも全然なんか意味ないなーなんて思ってたんだけど。その人がこの世界で、コロナだ戦争だと言っている世界で、何となくそれでも生きていこうってモチベーションになるのって、それは自分がこの世界に存在している価値みたいなものが有るか無いかみたいなものって──。まあそういうものが無くても生きていける方ってのはいらっしゃるのかも知れないけど、僕は大部分の人はそれじゃ生きていけないんじゃないかなってやっぱり思ってるんですね。自己承認要求的な。うん。だから自己承認要求って悪いものではないと言うか、みんなそう思ってるんじゃ無いかなーなんて思った時に、それをそういう名(な)じゃなくて実(じつ)みたいなことで僕は言うと、名なんか無くても実でいいんじゃないか?って思ってたんだと思うんです。うん、なんだけど。実がないんだなーなんて思ってたぶん…思ってるんだったら、実がないんだったら名だけでもある──いや、名を取るためには実が必要なんですけどね。資格とかそうでしょ?勉強しなきゃいけないしとかさ。学歴ってのもさ、どんな手を使うかは置いといて、そこの試験にパスしなければ通らないわけで。賞なんてね、その結果がなければ貰えないわけで。みたいなことで言うと、その実というものが有るか無いかっていうのが自分の中での判断で迷ってしまうんだったら、対外的に判子みたくポンと押されるみたいなこは、うん、生きていく上で結構大事なシステムなんだなってことに、その先生の一言でちょっと気付かされたと言うかね。うん。それが木曜日だったんですよ。

水曜日、イケイケどんどんイケトーク

 さらにその前日の水曜日で言うとね。僕いま水曜日、毎週大阪に行って大学で教えてるんですけど。その日はですね、それ終わりで──その前の週、前々の週ぐらいに言った現代アーティストのイケミチコさんのね、スタジオに3週間ぐらい前に遊びに行ったんですけど。で、その時に盛り上がってYouTubeライブでそのイケミチコさんの秘密のスタジオをYouTube生配信しちゃいましょうかみたいなことで、ぜひお願いしまーすみたいなことで盛り上がったんで、ちょうど水曜日にね、やったわけです。うん。まあそこでね、楽しく配信をしつつ、その後またちょっとお酒飲みながらお話ししたりしてね。カメラを手伝ってくれた人とかとも一緒にね。うん、なんか楽しかったです、すごく。
 で、その時にね、イケさんが仰ってたのは、だからその…1回目に行った、3週間前くらいの時はイケさんだけにイケイケどんどんな感じで今こんな作品作ってるのよ〜!って感じだったんだけど。3日前の水曜日はちょっとこう…全然あれですよ、ライブ配信中は全然明るくされてましたけど、今作品について迷ってるのって仰ってました。この作品でいいのかなーみたいな事とかを。だから私ちょっと比較的今日は元気ないのって仰ってましたけど。うん、で、それってやっぱり作品を生み出してて、間も無く個展があるらしいんですけど。そういう前ってやっぱりこういう風に思う時があるのよーみたいな事を言ってて。はぁ〜、あるんだーなんて思っててね。まあ、あるでしょうね。うん。なんかそういう様な…うん。でもそれがあるから作品が世に出てるんだなーなんていうのを…また事実としてあるよなーなんて思ったりしたのが水曜日だったんです。

金曜日、心が晴れた

 で、水曜日にそういう様なことがあり、木曜日にそういう事が、東大の先生に資格というものについて考えさせられることがあり。そして昨日の金曜日ね。うん、なんか朝起きて…あれ?ちょっと、ちょっとなんか雰囲気が違うなーと思ったんです。その雰囲気ってのは僕なのか──ぃゃ分かんない、この世界なのか分かんないけど。僕の感覚が。で、その後、朝イチでね、リモート会議をやって、うん。で、リモート会議をやっててもそれはそれで何かすごい気持ちが晴れた感じだったんですね。仕事とかで思ってる不安感みたいなものが取り除かれたりして。
 その後ね、昼間は日本テレビに行ってね。日テレに行って。僕日テレって今汐留にありますけど、昔は麹町にあって。麹町には僕何回か行ったことあるんですよねー、うん。なんか島田紳助さんの取材とかね、なんかそんなんで行ったことあったりとかするんだけど。何気に汐留の方は行ったの初めてかな?初めてかも知れないんですけど、まあそこで日テレでね、打ち合わせをしたりしてね。
 うん、で、その打ち合わせ終わりで今度スタッフと打ち合わせとかしてね。で、その打ち合わせ自体が──、日テレの打ち合わせはまあ未来を感じる打ち合わせになったらいいよなーっていう感じだし。そのスタッフとの打ち合わせなんてのはむしろお金の話だったりするから、決して気持ちいい会議ではなかったわけなんだけど。やっぱりほら、お金の話って色々大変じゃないですか。でもそれが終わって。
 …その後、本を書きたい人の個別相談会に申し込んだ方とね、上野の喫茶店で2時間ぐらい個別相談をしてて。してるうちに…、その方はよく、昔から知ってる方だからね、むしろ僕の今言ってる悩みみたいなものをちょっと聞いてもらうみたいなね。事とかもあったりして。

潮目が変わった

 なんかそんな風な事をやってるうちに、なんて言うか、ああー、潮目が変わったんだなーっていうことがちょっと分かったんです。うん、だからなんかこう、ここ最近感じていたドロドロした、薄汚れていたものが、なんかその木曜日のたぶんイケさんのライブ配信をやって、金曜日に東大の指導教官の先生に話してもらって。で、木曜日にね、打ち合わせをしてたりしてら、なんかね、あ、ちょっとね、流れが本当に悪い方向に流れたのがガチャンってこう、あの、ほら、線路の分岐点のガチャンってあるじゃないですか、ガチャンってこう…ガチャンってなった音みたいなものが聞こえたのかも知れない。あ!ガチャンってなったな!みたいな。うん、だから今まで行っていた方向から違う方向、つまり右だったのが左か、左だったのが右かとか、上か下かとかは分かんないけど、ガチャンと変わる日ってあるんだよなーって思ってて。昨日はなんかそうでしたね。
 そして、そうなんだーと思ってたら昨日は一粒万倍日でしたっけ?んふふ、はい。だったんですよね。天赦日で、一粒万倍日だったから。天赦日と一粒万倍日なんてね、いつしかみんなが囁くようになっちゃいましたね。うん。天赦日とか一粒万倍日みたいなものってなんか昔はオッサンやオバサンが信奉してるなーなんて思ってたけど、今は若い子とかも普通に今日は一粒万倍日ですみたいなことを言う様になりましたよね。うん。それぐらい一粒万倍日と天赦日を求めてるんでしょうね。人心がね。うん。僕だってそういう流れがガチャって変わるなんて話をしてるのと、天赦日と一粒万倍日をリンクさせて考えてるってことは、なんか僕なんかもね、なんかそういうものに縋りたいんだっていう思いがあるんでしょうね。
 ただそういうものに縋りたいんだって言うとまたそう言うものをネガティブに捉えてるみたいな感じもあるけど、僕自身は占いとかそういうものみたいなものってのは信じてる・信じてないと言うよりは嫌いでは無いですね。うん。だからその辺はそれが全く信じないんだって言う人からするといかがわしい風に言われたりするけど、別に僕はそれはそれでいいんじゃないかなーなんて思ってます。うん。それはそれでいいんじゃないかなーと思ってるから自分の人生の流れが、潮目が…流れが変わる潮目の日みたいなものってのを結構…信じてると言うか、結構自分の頭の中でそういうものを…うん、なんか考えてるんだろうなーなんてことはね、思ったりもしますね。うん、そう、なんかね、変わりました。
 でね、その潮目が変わったってのはね、悪いのが良い方向に行ったっていうんだったらいいんだけど、良い方向かどうかが分かんないです。分かんないんだけど、それまで考えていたのとは考えてる方向が変わったって事なのかも知れないですね。で、考えてる方向が変わるって事は何か行動の在り方とか、行動の仕方とか、まさに行動の方向が変わったっていうことなのかも知れないです。で、それが本当に良い方向なのか悪い方向なのかは…ま、分かんないですよねぇ。そんなこと、誰にも分からないんで。うん。分かんないんだけど、でもその潮目が変わったなーって思うことが大事。つまり天赦日とか一粒万倍日ってのはその日がその日だ!ってことより、その日なんだ!って思って、いいことあるぞ!って思うことが大事なのかなーなんてのは思ったりはしますね。
 うん。まあそんなこんなでね。自分がなんか悶々としたり鬱々としたりしてる方の流れだったものがガチャンって変わって。で、それでだから悶々とも鬱々ともしなくなったわけではないんだけど。なんか打ち合わせをしてても…うん、そうすると面白いですよね。自分の考えてる方向が変わると打ち合わせをしてて──なんかあるトピックが出てきた時に、そのトピックがもし今までの方向で考えてるとちょっとネガティブに聞こえるんだけど、ちょっとガチャンと潮目が変わった方向の方で聞くと…あれ?それってもしや意外に良いことなんじゃないかなって思える様になってくるんですよね。うん、これって面白いですね。だって言われている事実は変わらないのに、それを自分が、捉え方が変わるだけで良い悪いの判断が変わるっていうことって、なんかチャーミングですよね?んふふふ!うん、そう。だから何か話してること自体はそんなに悪い、良くないこと…悪いことなんだけど、まあこういう悪いこと話してるってことはじゃあもうこの案件はパッと止めるべきことなんだな、みたいに、むしろその悪いことを話したことで止める踏ん切りが付くと言うかね。うん、そうそう。この感じ面白いですよね。良い事を話すと良くて、悪い事を話すと悪いは分かるんだけど。悪い事を話すことでそれを止められるかも知れない。止めてもいいやって思えることで結果良い方向に進むかも知れないじゃんっていう風になる。とすると、その悪い話みたいなものを聞く事は実はいい事じゃんかとも言えるっていう。──ふうに、思える様に潮目が変わった!んっふっふっふ!また面倒臭い事言ってるな俺(笑) うん。でもなんかそんな様な感じかも知れないなぁ。面白いですねぇ。…面白い。

面倒くさくていい

 そっか。さらにその水曜日の前日の火曜日にはね。お医者さんの、予防医学科の石川善樹さんとね、リモートで対談させていただいて。それはこの mireva channel に置いてありますけど。A to B to C という名前で。面白いですよ。見て頂ければ。
 石川さんってすごいデータサイエンスみたいな、予防医学みたいなことをやってるから、データサイエンスみたいなお話をされるのかなーと思うと、極めてね、日本的なね、曖昧さみたいなものを話しの本筋に入れてくる方なんですよね。だから石川さんと1時間くらい話して、見ている方になんかコメントどうぞって言ったら、なんか面倒臭い人だと思われるでしょうがって(笑) 仰ってましたけど。でも面倒臭い…、だから今僕が、僕がまた面倒臭いこと言ってるなーって言ってるのとすごい似てるのかも知れないけど。実はそんな様な感じで1つの物事を違う方向から捉えてみるってことをやるっていうのは、たぶん石川さんの中でメンタルが苦しまない様に勝手にそっちの方向に持ってってるんじゃないかなーなんて。ちょっと僕が話してて思ったんです。うん。で、そういう風に思ったっていう事実が今僕にそういう面倒臭い方向に考えてしまうことが
、実は悪い事だけど、いやいや待てよ、意外に良い方向に行くんじゃないの?みたいな、こう…面倒臭く考えることで実はその面倒臭さが減っていくみたいなことって面白いなーって思ったりしてます。
 いつにも増して話がまとまってないかな…。まとまってるかな…?まとまってないかなぁ、うん。ただ潮目が変わったっていう感じは本当にちょっと…するな。うん。だからね、その東大の先生と話して、博士論文をちゃんと書けばいいじゃないですかって言われた時に──うん。つまり僕には本質的なものがないんだよなーって落ち込むわけではなくて、本質的なものを作ったという証、資格を今から持てばいいじゃないですかっていう風に僕の中では脳内変換されましたね。うん。それは博士論文なのかも知れないし。僕がプロデュースしているものなのかも知れないし。僕が作っている、書いている作品なのかも知れないですね。だからその作品が…うん、すごいそういう証が有るか無いかみたいなことで一喜一憂するというよりもむしろ、何て言うんだろう、そういう作品がそういう自分が納得いくまでの資格が有るか?って問うと言うより、資格があるまで頑張ってみるっていうことなのかなーなんて思ったりもします。
 うん…。出来るかどうかは分からないけどね。出来ないんじゃないかなーって思ってると出来ないからね。うん。自分がバラエティプロデューサーと名乗ってもいい資格があるものを作ればいいじゃんかっていうことなんだなーなんて思ったりもします。だからそうするとまた僕の中でまた違う考え方が出てくるんですけどね、うん。(笑)そんな話をしてると今言ってた話が全部また狂って流れが変わっちゃうからそこまで今日は話さないにしよう、うん。話さないにしますが、ただ、一つ思うのは、うん、それをそうであるべき資格があるか?っていうことで言うと、資格って結構大事なんだなっていう。その資格というものがある、あるいはその資格を取るために頑張る、目指すということが実はその人の結構生きる、働く、学ぶ、愛するためのモチベーションになるんだなーなんて事を感じた次第であります。はい。なんか、何か大事な事を、大切な事を言ってる様で言ってないかも知れませんが。今日はそんな感じで終わりにしたいと思います。ICUC知的好奇心向上委員会でございました。

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文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 イケイケどんどんって…湖池屋ポテトチップスって分かるのって歳…母がよく言ってたな〜イケイケどんどん。

 画面を見ててちょっと発見。角田さんが笑った時、口が三角△に近い形で笑うとちょっとトトロに似てないか…?傘持ってバス待ってほしいな。

 資格で最初に思い出すのは、誰が言ったか覚えてないけど、資格はなくても出来るけど、免許は無ければやってはいけない、と。免許は法に則った基準、資格は法人とか組織が決めた称号、能力、お墨付き、レッテル、肩書き、資格の方は類語が多い。
 バラエティプロデューサーという肩書きは角田さんが作って、角田さんしか使ってない。2017年当時のバラエティプロデューサーの基準と2022年の基準で、違ってることろはあるだろうか?年々基準が上がっていく様な気もするし、年々基準がボヤけていく様な気もする。もし角田さん以外にもバラエティプロデューサーと名乗る人が増えれば増えるほど、バラエティプロデューサーにとって最低限必要な項目と基準がはっきりしていって、より資格らしくなっていくのかも知れない。

 私は資格は演出の一つだと思ってた気がする。どんなに綺麗に着飾っても中身の人間性は綺麗じゃないみたいなことはたくさんあって。だからそんなに一生懸命に資格を取りに行かなくたって、自分の価値は変わらないと信じたかったのかも知れないし、自己肯定感が低いからこそ、逆に自分の良し悪しを他人に任せることが怖いというか。
 だけど、角田さんの言う通り資格というのは誰かに認められる手段の1つなだけだから、これは使い様なんだな、馬鹿と鋏的な。自分の背中を押すことに使ってもいいし、モチベーションにしてもいい。そもそも客観的な基準による特定の能力の査定方法なんだから、応援してくれる家族や友人がいなくても、資格さえ取れたらそれを元に仕事に役立てることができる。それだけのことをやってきたぞ!という自己肯定感を保つこともにも使えてしまう。

 自己肯定感が低いと言っても、仕事する能力についてなのか、人間関係を構築する能力なのか、曖昧なまま、表面的なイメージだけで資格はつまらん!と切り捨ててたんだな。心と頭は不器用だな私は。
 村上春樹さんがノーベル賞を獲った獲らないみたいな話って本当に下らないなーと思っててのくだり。日本レコード大賞の権威をアーティストが辞退することで権威を下げていくって話を思い出した。つまり角田さん(私も)の資格って持っていても無意味という感覚は、どこかで資格の権威を下げる行為をしてたのかも。

 自己承認要求は悪いものじゃない。人間でも猫でも真っ直ぐな気持ちで生きるためには一定以上は必要だ。だけど自分が思う基準で自分を満たすことが下手なのは社会性の悪い面なのかな?自己承認要求を満たす一番簡単な方法って、やっぱり人に認められることだ。だから資格はそういう意味でもっと活用しておけばよかったのかも。

 潮目が変わることとは少し違うけど。元気がないと楽しい事は楽しくない。本来楽しいはずのことが楽しくないことほど鬱々とするものはないと思う。いやそれ、まさにうつ病の症状の基本だった。
 悪いことに対応することで、それを止めてもいいやと思えるのは、その悪いことがどう悪いとか、自分にとって何が都合が悪いとか、精査するうだけの元気があるということ。元気がないと悪いことだというだけで自分が蝕まれていく。免疫力が落ちてるところにウイルスをもらうのと同じだ。

 これは証だ、資格だと思えるほどに、自分を注いだ何かを持とう。それって東大に合格とか卒業とかでもそう思うはずなんだけど、やっぱり歳を追うごとに若い頃の栄光にしがみついてる感じがしてしまうんだろうか。ということは、30代でも、40代でも、50代でも、60代でも、その時の私が自信が持てるだけの努力が必要で、この努力がないと努力する元気が得られないということか。そういうものなんだと納得=元気になったら、何か初めてみよう。生きるって面倒くさいなぁ。

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