見出し画像

ICUC-144_2023.01.22【スラムダンクとマン・レイ:過去と未来を捨て去って、今が、はじまる。】ICUC知的好奇心向上委員会

【ICUC知的好奇心向上委員会】の私の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee !

角田陽一郎144「スラムダンクとマン・レイ:過去と未来を捨て去って、今が、はじまる。」ICUC知的好奇心向上委員会

例えば来週のことを考えてると、いつの間にか今週が終わってる。この調子できっと今月も今年も人生も終わってしまうのだ。予定とか計画とか目標とかが、時間を加速されるのかも。
ならば、未来を考えないって生き方も、もうこの際ありだ。今まで散々考えて来たから。

スラムダンクTHE FIRST SLAM DUNK、ようやく観てきた。素晴らしいとは聴いていたけど、素晴らしかった。ぼろぼろ泣いてしまった。
でもなかなか観なかったのは、正直あまり観たくなかったのだ(なんでだろ?)
感動するの号泣するの、わかってるからかな。
連載中も毎週ジャンプで読んでたし漫画全巻持ってるし、読むと感動するし泣いちゃうし、でもなんか好きじゃ無いんだ。
で、なんで好きじゃ無いのか考えてみた。
もし同級生として僕が湘北高校にいたら、きっと自分なんかと仲良くなれない人ばかりなのだ登場人物たちは。不良だったりスポーツ優秀者だし、華やかな人たちだし。そしてきっとインター杯にバスケ部が行ってもぼくは応援にも行かなくて、その活躍を喜ぶというより、あー、そんなことこの休み中にあったのねって感じで側で観ていたと思う(本当は気になってるのにね)。
あるいは劇中で描かれてるその他大勢の中でウジウジしてたと想う(本当は勝利を喜んでるのにね)。
井上雄彦さんが描く作品世界があまりに凄いから、そんな学生時代の自分の劣等感が憶い出されて、まさに努力と友情と勝利のスラムダンクを観たく無いのだと思う。
あとはあまり年齢も変わらない井上雄彦さんの才能に(20代の頃から、どこかで)嫉妬してるんだと想う。なんていうかそんな熱情と勢いを、そのままに漫画で映画で観客に見せられてしまうあまりの才能の凄さに。
なんてことを書かずにはおれないほど、すごい作品なんだろうな。黙ってたらいいのにね。

最終日にマン・レイ展。素晴らしかった!!来てよかった!!
写真を楽しみ、油画をたのしみ、語呂遊びを楽しみ、(女も男も)人間を楽しみ、シュールレアリスムを楽しむ。彼の生き方、最高!見倣おう!

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

新月2023年

 おはようございまーす。角田陽一郎でございます。知的好奇心向上委員会、1月22日でございます。ええーと、うん、今日は新月ですね。今日からね、中国の旧正月が始まるって意味で言うと、昔の太陰暦とかで言うとね、新月で始まってひと月が…っていう意味で言うと、まさに今日からですよ、2023年は(笑) なので、そんな事を思いながらね、今日から頑張るぞーなんて思っておりました。
 思っておりましたというのは何でかって言うと、そんな風に思ってて、さあ始めるか!なんて思って。さっきちょっとFacebook見てたらね。そんなに知り合いじゃない方なんですけど。どこかで友達になった方がいて。で、その方がずっと闘病されてたのは知ってたんだけど。なんかさっきぽっとポストを見たら、親族の方がね、そのご本人が昨日お亡くなりになりましたって事を呟かれてたりしてて。…うーん、まあそんなにご縁があった方ではないんだけども。なんか年末まではね、このコロナの中でみたいな事とかをメッセージを書かれていて。そっか、そっかぁ、うん…と思ってたところ、お亡くなりになるとか。僕とね、ほとんど年齢が変わらない方なんですよね。そっか、そんな事もあるのかーなんて思ってて。お悔やみ申し上げます。
 で、今ほんと始めようと思って、ちょっとネットを検索というか。普通にパッと見てたら、向井アナ。TBSテレビの向井アナウンサーがね、59歳って。僕で言うと僕の先輩ですけども。向井アナがなんか…亡くなったって書かれてて。あの、白いメガネをかけているアナウンサーさんって言うとご存知かも知れないけども。僕は「さんまのからくりTV!」の時とかにね、ちょっと、何回かお仕事したことあったりとかした方で。うん…お亡くなりになったみたいな記事を見てしまうと。先週もね、高橋幸宏さんのお話をしましたけども。う~ん、なんかね、よーし!新年の始まりだ!と思ってたんだけど。ちょっとこうブルーになりますね。
 いやぁ、でもブルーになるという意味で言うとブルーになるんですけど。…だからまあ、自分の人生を謳歌するしかないんだよなーなんて思いながらね。まあ、喋ってみますか。

未来の「虚しさ」と今の「苦しさ」

 そう。だから毎回新月/満月にはメルマガを僕は配信してて。まさにそんな事をね、今日の午前中に書いてたんですよね。先ほど配信されたみたいですけど。『過去と未来を捨て去って、今が、はじまる。』っていうタイトルで書いたんですけど。
 まさにね。今のこの生配信の概要欄にね、書いている文章があると思うんですけど。それこそ本当は高橋幸宏さんがお亡くなりのニュースを知らなければその事を話そうかなーと思ってたと言う様なことがあってね。ちょっと読まさせて頂くと。

例えば、未来…

あ!違う、ごめんなさい。もう一度(笑)

例えば来週のことを考えてると、いつの間にか今週が終わってる。この調子できっと今月も今年も人生も終わってしまうのだ。予定とか計画とか目標とかが、時間を加速されるのかも。
ならば、未来を考えないって生き方も、もうこの際ありだ。今まで散々考えて来たから。

https://www.instagram.com/reel/CnZIkP_DhhM/?utm_source=ig_web_copy_link

 っていう様な事を書いたんですけど。

 それこそね、今日書いたメルマガに。文章では書いてるんですけど。年末年始はね、ずっと篭って執筆してたわけですよ。で、執筆してて。それはそれですごい結構辛くて。孤独だなーとか思いながら、なんか華やかに活躍している方の文章をみたりして、うわぁ!こんなの書けないや!なんて思ったりとかしつつね。でも自分は自分で書かなきゃと思って、本当に年末年始はグゥ~ッとなってたんだけど。1月の9日ぐらいまでに、とりあえず、まあ何とか書き上げてね。って言う様な感じの2週間近くだったんですよ。
 で、1月10日の週からね。プロデューサー業を再開したわけですよ。まあ食っていく為にはしなきゃいけないじゃないですか。で、プロデューサー業って要するにじゃあその次の収録なにやる?とか。その収録でどういうキャスティングするとか。次の企画をどうかんがえる?とか。じゃあそれが今度夏にやりましょうとか。まあそういう様な会議をしてるわけですよね。
 だから10日の週とかって次何をやりましょう、次何やりましょう、って事をずーっとずーっとやってたら…。10日って火曜日ですけど、気づいたらその週もう金曜日になってて。あ!もう終わりじゃん?!みたいな。
 なんかね、だから僕10日の週、すーごい早かったんですよ。10日、だからまあ月曜日は祝日だったら火、水、木、金って4日間しかなかったとも言え。で、そこで水、木は大阪でね、大学の講義も入ってしまったりとかして。だから火、水、木、金ってやって気づいたら…あれ?気づいたら、もう終わり?みたいなね、感じの感覚っていうかそんな事を思ったんです。で、思ったんで、さっき喋った様な事を呟いたんですよね。
 うん…なんか、それちょっと矛盾してると思いません?だからつまり、次の収録のことを、何やろうとか考えてるうちに今週が終わっちゃうって。じゃあ今週ってなんなんだ?みたいな(笑) 今週、強いて言うなら今。今ってなんなんだ?!なんて思ったわけですよ。だから未来の事を考えてると言うことは、すごい…。未来の事を考えていて今が終わってしまうって、すんごい虚しいなーって思ったわけですよね。
 で、何でそう思ったかと言うと。じゃあその年末年始は、めちゃくちゃ…さっきも言いましたけど執筆してて苦しかったわけですよ。もう自分なんか書けないわ!みたいな。もう本当に1月の4日、5日くらいは結構やばいぐらいだったな。もう死んじゃうかなーくらい落ち込んでましたね。
 なんだけど。ってことはまあ、じゃあそれを言語化すると「苦しさ」ってことじゃないですか。そう考えるとつまり、その週っていうか今って、過去の…じゃないや、未来の。未来の事を考えてるで終わってしまうという、未来の「虚しさ」と今の「苦しさ」、どっちがいいのかなーなんて思っちゃったんですよね。
 で、今苦しいなーって当然思うんだけど。なんか未来のこと考えて終わっちゃうっていう虚しさよりは、今苦しい方がまだ生きてる感じがするなーなんて、ちょっと思ったんですよね。まあそんな事を思ったっていうのがまず1つあるわけですよ。

ピクサーみたいなgoomoのライト

 で、一方で。先週とか先々週とか、どこまで話したかわかんないんですけど。会社を今、撤収してるわけです。東京の赤坂にオフィスをずーっと10年近く借りてたのかな?うん、でも、そこももう撤収しようかなーって話になり。仲間たちとね。で、テープとかを捨てなきゃいけないんで。ラベルを剥がしてとか。テープを裁断してとか。すんごい量なんですよ。それを年末からやってて。年始までやったりしてね。

週刊寿司特86【コトブキツカサスペシャル】「2023年どうする?」

https://youtu.be/BslU9VE2UB8

 で、そんな中でLEDANIAさんっていうコロンビアのグラフィティ・アーティストの描いた絵とかは持ってきたりとか。

 あと大事なテープとかね、あるいは資料とかね、そういうものはこの海の街のところまで運んできたわけですよ。この場所はLASって言うんですけど。なんでLASって言うかはどこかで呟いたので(笑) どこかで呟いてた…呟いてないか?どこかのICUCで喋ってるんで、先週、先々週、…先々々週、分かんないけど。まあもし気になったら見てください(笑) いや見なくてもいいけど。ここはLASって言うんですよ、ここはつまり。で、まあそこに運ぶってことをちょこちょこやりながらね。…運んだりしてるんですけど。

【LAS】角田陽一郎142「紅白歌合戦の酷評と誘惑幻惑効果に抗う」ICUC知的好奇心向上委員会

https://youtu.be/wRLOFwLD74w

 あの、もう片すんで。テーブル、デスクが4つぐらいあったりとかね。で、じゃあちょっとこの部屋に作業机をもう2つくらいあってもいいよなーとか思ったりとかはしたりとか思ったし。あとソファもあるんで。じゃあそのソファもあるんで、ソファとかは持っていこうかなーとか思ったんですよ。で、持っていくってなると引っ越し屋さんに頼まなきゃいけないから、また引越し代がかかるなーとか、まあそんな事を思いながら。この部屋にはソファは欲しいなーなんて思いながらも、うん…ここ2階なんですけど。ソファ運べるかな?とかね。まあそんな事とか思いながら。うだうだ思ってたんですよ、年末年始。運ぼうかな~どうしようかな~なんて思って。
 で、じゃあなんでそういうソファとかデスクとか運びたいのかなと思うと。例えばね、ここに今ちょっと…見えるかな?照明があるんですけど。びびびびびびびぃーっ(照明を画面前まで引っ張るオノマトペ)ってね、ほら!照明!照明なんですけど。これアレでしょ、ピクサーみたいな照明でしょ。これって当時goomoって会社を作った時に一緒に創業した奴がね、これイケアで買ってきたんですよ。だから、スタッフ分、机に。10個ぐらい買ったのかな?で、買って、「これ、ホラ!ピクサーみたいでいいでしょ!」って言って。
 で、買って。当時そのgoomoをTBSの中に建物があったりしたので、その建物のところから撤収する時に捨てちゃうの勿体無いから、じゃあこのピクサーのライトは僕が持っていこうかなーと思って持って行ったりして。だからここにずっと1個あったんですけど。まだね、赤坂の事務所にも3つくらいあったから。それも捨てちゃうのも勿体無いんで、運んだりとかね。
 まあそんな事をしてて。だから自分の車で運べるものは運んだりしてたんだけど。あと大きいものをどうしようかなーなんて思ってたんですよ。で、思ってた時に…。思ってたのが先週で。
 で、先週…ね?まさに先週の放送ですけど、日曜未明、土曜の夜、SNSで高橋幸宏さんがね、訃報を知って。で、まあそんな思いみたいなことは先週喋ったんで、それはまあいいんですけどっていうか、よくないんですけど。まあそんな事を思ったりしてて。

ノスタルジアとして残すもの、残されたもの

 で、一斉にマスコミでも幸宏さんの事をね、亡くなった事がニュースになってたじゃないですか。で、その時にね。YMOの、yellow magic orchestraのライディーンを作られた方だって事を盛んに放送されてましたよね。それでライディーンは超名曲だし、運動会でもかかってたし。うん、運動会でもかかってたってすごいですよね、テクノがね。
 で、なんかね。さっきもこのライトを僕がgoomoって会社が無くなったとしても僕が引き継いでるって、僕の中でのノスタルジアっていうかね。だから僕がgoomoでやって来たことなんてたいしたことじゃないんだけども。その証みたいなものは残しておきたいかなーなんて、ちょっと思ってるんだろうなーなんて思って持って来てるんですよ。
 だから赤坂の会社を撤収する時も、捨てちゃうの勿体無いなーなんて思いながらんも、ソファとかデスクとかも持ってこようってのは、やっぱりここで僕らが会社を立ち上げたという証みたいなものをなんか、捨てちゃうのは嫌だなっていうノスタルジアだったと思うんですよ。で、そう思った時にね、高橋幸宏さんが亡くなったってニュースを聞いて。ライディーンとか聞いたりとか。
 で、その日僕ね、まさに先週言いましたけど、高橋幸宏さんとムーンライダーズの鈴木慶一さんがやっているビートニクスの曲とかを聴きながらね、「いつ引っ越そうかな。その引越しを段取ろうかな。」なんて思ってった時に、うーん、なんか生きている方が…なんて言うんだろうね、生きているという時に作った作品みたいなものって、それが残っていくって、高橋幸宏さんほどすごい方でも”YMOなんだな”なんて思ったんですね。当然その後にソロでも、ビートニクスでも、メタファイブでも、様々な楽曲とか。テイトウワさんとやられたりとか、すごい名曲が数々あるんだけど。やっぱり、結局、ライディーンなんだな、なんて思った時に、高橋幸宏ほどの人でもそうなんだなと思った時に、僕なんかがやったこととか、残すものとかって、なんか意味ないんじゃないかなーって。ふと、こう我に返ったと言うかね。僕なんかのちっぽけなノスタルジアなんていらないんじゃないかなーなんて思ったって言うか。なんかそんな事を、持ってても意味ないんじゃないかなーなんて思ってね。だからもう全部捨てちゃった方がいいんじゃないかなーなんて思ったわけですよ。

過去の「懐かしさ」と今の「苦しさ」

 そう思った時にね、ちょうどその仲間からメッセージがきたんですよ。ちょっとそのメッセージを読むとですね。

「昨日僕の私物のダンボールはほぼ整理終わりました。重要な書類もあったので幾つか持ち帰りましたが、家で確認したらグーモの部屋にいたら気づかない強烈な「臭い」がついている事が分かりました。恐らくソファとかも場所移動してみて臭いに気づくように思うので、余程でない限りそのまま捨てた方がいいようにも思いました。」

 って、来たんですよね。で、その臭いって、別にくさい臭いとかって言うより、10年間ぐらい放っていたテープの臭いというかね。なんか過去の臭いというか。むしろ臭いが過去っていうかね。ああ、そうなんだ。…だから僕がそういう過去を残す方がいいのかなー?いけないのかなー?みたいなことを思った時に、残す必要があるのかなーって思ってたことって、それはその臭いを残すみたいなことなのかなーって思ってね。
 で、僕はなんかもう捨てちゃった方がいいなと思ったんで。そのメールに返信で、「いや、僕も考えていて。捨てようと思うんです。」って。うん、だから引っ越しはやめます、全部廃棄しますって送ったんですよ。そしたらまたその仲間から返信が来てね。

「了解です。その方がきっといいと思う。僕らにとって、グーモから始まった歴史がここに詰まっている場所でホントに名残惜しいのだけど、次の10年のため新しいものを入れていくために過去のものは一旦断捨離した方がいいなと。昨日感じた「臭い」が時代の流れを感じるものだったし、僕らも時代にチューニングできるよう軽くなっていきましょう!」

 って。仲間は、結構いい名文!名文だなーなんて思いながらね(笑) まあそんなメールを頂いたんですよ。
 で、そう思った時にね、まさに今日のメルマガに書いたんですけど。過去ってつまり「懐かしさ」ってものがあるわけですよね。甘酸っぱいものというかね。で、今の「苦しさ」というものは執筆の時に感じてたって意味で言うと。
 だから先週は未来の「虚しさ」と今の「苦しさ」のどっちを選ぶ?って考えながら、まさにね、まさに今週末とかは過去の「懐かしさ」と今の「苦しさ」どっちを選ぶ?って思った時に、うん──なんか今の「苦しさ」を選んだ方がいいんじゃないかなって、ちょっと思ったんですよね。ちょっと、思った、うん。
 で、僕はそんな事を今日、午前中にブログに書いて…ブログじゃないや、メルマガに書いたんですよ。

そんな今を、僕は生きようと想います。
今を、その瞬間を、享受します。
過去も未来も捨て去って、
楽しさも、苦しさも、入り混じった、何者でもない今の自分を、
謳歌しようと想います。

そんな、今が始まる、新月です。

 って感じのメルマガを書いた──っていう話なんですけどね。なんかそんな事を思いました。

THE FIRST SLAM DUNK

 でね、昨日は土曜日。スラムダンク観て来たんですよ。「THE FIRST SLAM DUNK」ね。で、まあ、すごい面白かったですよ。すごいよくできてた。周りの方がすごい絶賛してるからね、うん、すごいよく出来てたし、僕は本当にあれですね、ちょっと、なんかもう、結構ウルウルきますね。泣いちゃうっていうか。
 漫画読んでてもそうなんですよね。それってやっぱり井上雄彦さんってすごいんだよなって思います。なんて言うんだろう?ただバスケやってるだけなんだよなって思うんですよ。ただバスケやってるだけなんだけど、なんでこんな泣かされちゃうのかなって読んでる時に思ってて。まあみんな、だからすごい熱狂的なファン…だってシリーズ累計発行部数は1億2,000万部らしいですよ?すっごいですね…1億2,000万部って。だからちょうど連載してたのが…何年って書いてあったっけ?90年から96年って書いてあるんで。僕が大学生の時とかですね。だから僕、漫画本全巻持ってるしね。まあ、すごい、作品でした。
 で、まあ、そんな事を思いながらね。それもまたSNS、インスタとかに書いちゃったんですけど。で、その感想をその時書いたのをちょっとそのまま読まさせて頂くと。

スラムダンクTHE FIRST SLAM DUNK、ようやく観てきた。素晴らしいとは聴いていたけど、素晴らしかった。ぼろぼろ泣いてしまった。
でもなかなか観なかったのは、正直あまり観たくなかったのだ(なんでだろ?)

https://www.instagram.com/p/CnqyME-yCHe/?utm_source=ig_web_copy_link

 そうなんですよ、そんな観たくなかったんですよ。観たくなかったんだけど、そんなにみんなが絶賛するなら観なきゃなーと思って昨日ぽかっと時間が空いたので観たんですよ。

でもなかなか観なかったのは、正直あまり観たくなかったのだ(なんでだろ?)
感動するの号泣するの、わかってるからかな。
連載中も毎週ジャンプで読んでたし漫画全巻持ってるし、読むと感動するし泣いちゃうし、でもなんか好きじゃ無いんだ。
で、なんで好きじゃ無いのか考えてみた。
もし同級生として僕が湘北高校にいたら、きっと自分なんかと仲良くなれない人ばかりなのだ登場人物たちは。不良だったりスポーツ優秀者だし、華やかな人たちだし。そしてきっとインター杯にバスケ部が行ってもぼくは応援にも行かなくて、その活躍を喜ぶというより、あー、そんなことこの休み中にあったのねって感じで側で観ていたと思う(本当は気になってるのにね)。
あるいは劇中で描かれてるその他大勢の中でウジウジしてたと想う(本当は勝利を喜んでるのにね)。
井上雄彦さんが描く作品世界があまりに凄いから、そんな学生時代の自分の劣等感が憶い出されて、まさに努力と友情と勝利のスラムダンクを観たく無いのだと思う。

あとはあまり年齢も変わらない井上雄彦さんの才能に(20代の頃から、どこかで)嫉妬してるんだと想う。なんていうかそんな熱情と勢いを、そのままに漫画で映画で観客に見せられてしまうあまりの才能の凄さに。

なんてことを書かずにはおれないほど、すごい作品なんだろうな。黙ってたらいいのにね。

https://www.instagram.com/p/CnqyME-yCHe/?utm_source=ig_web_copy_link

 っていうような文章をね、まあ書いたんですけど。そうなんですよ。読んでる時からそうなんだけど、バスケやってるだけじゃん…なのに、なんでこんなに1億2,000万部もいっちゃうぐらい人の気持ちを感動させるのか?って。やっぱり井上雄彦さんの作品世界、作品を出すものがすごいんだ──でね、すごいんだなって思うのは、なんて言うんだろう?僕なんかが出来ないすごさなんだなってことが圧倒的に分かるんだよな。
 う~ん、色んなすごい作品にはすごい種類があると思うんですよ。こんな緻密なのかとかね。そんなに発想が豊かなのかとかね。こんなに振りと落ち作ってるのかとか。で、もしそういうことが全部全部あるんだったら、それは自分も…そこは自分が出来るかどうかは分からないけど、少なくともそこを目指してみようかなとは思うわけですよ。そういう作品を作る事を。
 ところがスラムダンク読んでても全然そういうところないんだよな。ただヤンキー同士が戦って、みたいな。過去にこんな思いがあって。でもバスケしたいんです。勝つんです。でもそれで泣かせちゃうって言うか、感動させちゃうって、すげぇな!って。やっぱ20代の頃から思ってたんだと思うんだよな。だからきっとそういう作品になってるんだろうな映画は…みたいな。
 ねぇ?パンフレットには「映画は僕も全然やったことがないので」って井上さん書いてたけど。全然やってない井上さんがこれだけの作品を作っちゃうって、やっぱ天才なんでしょうね。

 で、その作品の中で──ある意味リアルな感じで、それは桜木花道だろうが、宮城リョータだろうが、流川楓だろうが。なんか絶対、もし高校にいたら仲良くなってないですね。たぶん同じクラスとかでも一生話さないまま終わるというか。なんならそのヤンキーどもにちょっと僕なんか…いじめられる気はしないです、僕も。そんなに負けないので。いじめられる気はしないけども、そいつらとは適度に関係を保ちつつ、なんか牽制しあって、仲良くなってないんだろうなーっていうような感じがすごくするんですよね。
 で、そう思った時に、僕ジャンプとかも全然読んでましたよ?読んでましたけど、努力・友情・勝利ってのはな~んか昔から好きじゃない理由がそこでちょっと見えたんですよね、初めて。ああ~、なんか、僕が好きじゃない人たちが頑張ってるなっていう(笑) いや、だから勝手です、僕の。本当に。で、そういう人達ってのはきっと僕のことが好きじゃないだろうなーとかも思うし。
 で、1億2,000万部いくし。このICUCはね、視聴数とかを見るって考えると、僕なんかの思うことの方が圧倒的に少数なんだよなーってすごく思うわけです。うん、いや、少数でいいんじゃないかな、だって好き嫌いってそう言うものだからねと、一方で割り切りつつね。そっかぁ、僕が考えてることとか、僕が思ってることってのが、そう言う意味でメジャーにならないって理由もちょっとスラムダンク観て分かったなっていう風には思いましたね。

マン・レイ展

 で、一方でね。神奈川県立近代美術館葉山でね、「マン・レイ展」っていうのを、本当に、今日までだったんですよ。だからもう終わっちゃいましたよ。だから今言ってもみなさん観られないんですけど。「マン・レイ展」今日最後なんですけど、行ってみたんです。マン・レイっていう…

20世紀を代表する芸術家マン・レイ。絵画やオブジェ、映画などジャンルを超えて活躍した彼は、とりわけ1920年代~30年代に成熟期を迎えつつあった写真という新しいメディアの可能性を追求しました。ウクライナとベラルーシ出身のユダヤ系の両親のもと、ニューヨークで生まれ、画家を志した20代から本名のエマニュエル・ラドニツキーを改め、「マン・レイ」と名乗るようになります。既存の価値観を破壊するダダの洗礼を受け、1921年にパリに移り、写真スタジオを設けると、自らが参加したシュルレアリスム運動の活動記録や作品写真、恋人や友人たちのポートレート、ファッション写真などを手がけます。多岐にわたるその作風は、レイヨグラフやソラリゼーションのような実験的な技法と相まって、独創的な表現世界を生みだしました。
本展は、とりわけマン・レイのまなざしが捉えた「女性たち」に光を当て、240点余の作品からその創作の軌跡を追うものです。ユーモアとエスプリに包まれた自由で豊かなイメージをお楽しみください。

神奈川県立近代美術館「マン・レイと女性たち」サイトより
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2022-man-ray

 ってのが解説に書いてあるんですけど。いやあー、すんごいよかったですね。
 マン・レイって方が、すごい面白かった。本名のエマニュエル・ラドニツキーを…だから、エマニュエルだからマンにして、ラドニツキーをレイにして、マン・レイさんって。でもマン・レイってマンって男で、人間で、レイって光じゃないですか。だから彼は光男っていうようなね、結構作品にもね、語呂合わせみたいなのをすごいやって作ってるんですよね。僕全然知らなかったんですけど。
 で、僕も語呂合わせって言うか、僕は駄洒落って言ってましたけど、言葉を自分で造語を作って、なんて言うんですか?作品を作っていくみたいなことってすごい好きで。だからいつも文章を書いててもそうだし。なんとなく絵みたいなものを描いてる時もそうだったんですけど。そっかぁ、マン・レイってそういう事をやっていたんだなーなんて思った時に、なんか自分がこうマン・レイの様に生きれば良いんだなって、すごい、なんかむしろ自信を頂けたんですよね。
 だからそれをこう、今日の新月に頂けて。なんか僕はすごい気持ちが、なんかちょっと上向きになりましたね。さっき書きましたけど。

最終日にマン・レイ展。素晴らしかった!!来てよかった!!
写真を楽しみ、油画をたのしみ、語呂遊びを楽しみ、(女も男も)人間を楽しみ、シュールレアリスムを楽しむ。彼の生き方、最高!見倣おう!

https://www.instagram.com/p/Cntd_NESpcQ/?utm_source=ig_web_copy_link

 って書いたんですけど。なんか別にすごい裕福だったわけでもないって言ってましたよ。やっぱり商業的に儲けることとかを二の次に、自分のやりたい事をやってただけだったんで。晩年とかパリに住んでましたけど、結構質素な暮らしをしてたって書いてましたけど。うん、でも、なんかね、すごい良い作品っていうか、面白かったんですよね。マン・レイいいな!ってすごい気づかせてくれましたね。

 だから昨日THE FIRST SLAM DUNKを観て。それこそ自分の過去にね、向き合って。で、そのマン・レイっていうのを観て。「マン・レイ展」を観て。ああそうか、なんか自分の未来というものを、なんかすごい…来週の計画を、さっきの話じゃないけど、来週の計画をどうしようみたいなことじゃなくて、ああ、未来に向けて今から今を始めるという事が大事なんだなーなんて思ったりしてね。
 だから結局、今日のオンエアのタイトルはね、あのー…、なんでしたっけ?配信のタイトルは…、えーと、未来の…あ、違う。「過去と未来を捨て去って、今が、はじまる。」っていうタイトルにしたんですけど。なんか幸宏さんの死からすごい自分がなんかね、先週から色んな事を考えさせて頂いた上に、そんな、まさにね、色んな事を想った上で。うん、なんて言うの?刹那的じゃなく今というものを楽しむべきなんだなってことが分かったっていうかね。うん、いつも──面白いですね。いつもこうやって気づいてる、んっふっふっふっふっふ!うん!気づきゃいいんだよな!だからな!うん。気付いて。
 で、今を生きるってことは、今やらなきゃいけない事がたくさんあるから、まあ、さっきも言いましたけど。今ってのはたぶん、今を生きると楽しいだけじゃなくて、むしろ苦しいこととかも多いんだろうけどもね。ま、どうせ死んじゃうんだよなーとか思うと、なんか過去のノスタルジアに懐かしさとか、なんか未来のことばっか考えてて。結局今が無くなっちゃうみたいな事ではない感じ。うん、…を、すごい大事にしようかなと想ったっていう話でございます。
 はい。そんな感じでまた来週、話せれば話します。ICUC知的好奇心向上委員会でした。皆様いつもどうもありがとうございます。

文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 私の父は52、ちょうど今の角田さんの歳で亡くなった。母には「わざわざゴールデンウィークに死ぬ事ないのにねぇ。寂しがり屋ねぇ、お友達のお休み取っちゃって。」などと言われていた。そのすぐ後、関西から来てくれた父の高校時代の同級生の人も、同じく膵臓癌だと分かり、あっという間に亡くなったと連絡があった。父もその方も病名確定、余命宣告、はい葬儀!と、慌ただしく亡くなった。関西人はせっかちだから。それから、父の死因はあっという間にアイスの食べ過ぎに変更された。
 訃報と家電製品の故障は、関係ないものなのに続く事があるという点が似ている。周囲の訃報の流れに乗るか反るかは選べなさそうだけど、私の目標としては、まずは52を超えること。それからアイスの食べ過ぎと言われないようにすること。

 この形のデスクライト、そう言えばずっと使っていた。父の趣味というか…私が小学校に上がる時、いわゆる学習机ではなく、白いデスクと、白いこの形のライトが用意された。父が言うには、大人になってもずっと使えるものがいいのだという。小学生らしい机じゃなかったのが残念だったのは確かだけど、言うほど残念というわけでもなく。(実際に装備されてるのか疑問だけど)学習机に付いてる鍵付きの引き出し…そのちょっとだけの機械感、憧れなんてそれだけだったと思う。
 高校生になる頃には、友人たちの、椅子は変わったものの、机はちょっとカスタマイズしただけの”日本の子供の勉強机感”が取れない感じを見て、ちょっと誇らしく思ったりもした。
 でも、今はその白い机に引き出しが付いてたのか?揃いの移動式のものだったか?20年も使ってたのに思い出せない。ライトもどのくらい使ったのか…?子供にしては随分と洒落た机だったけど、そのせいで勉強をしようって気が起きなかった気がしないでもないし。

 ライディーン。私の脳内もこれが一番に思いついた。日曜(ちょうどICUCの配信の日)にスーパーに行き、買い終わってサッカー台にいると、その日の曲はライディーンだった。トップガンが流行った時にも思ったけど、流行りの曲や話題の曲をかけることにしているらしい。スーパーに合うかどうかは関係ない様だ。
 よくYouTubeの広告でスーパーでポップな曲が流される理由をご存知ですか?みたいな広告があるけど、ポップな曲も聞きたくはないけど、スーパーはライディーンじゃないとは思った。
 最後の肩書きは自分では決められない。生きているうちに付いていて、自分で知ってる事もあるけど、確定するのは死んだ後なんだ。

 神社へのお参りの仕方として、角田さんからはお願い事をするのではなく、神様にプレゼンをすると教えてもらった。もう一人、もう名前も何も分からない人だけど。その人が言うには、「心を空っぽにする。そしてその空っぽに神社からいいものを入れられる様にする。」と聞いた事がある。
 神社は身近な瞑想場所としていいかも知れない。そういうのが得意で、自宅でできるという人もいるだろうけど、神社や海に歩いて行って空っぽにする方が簡単だ。歩く事は瞑想の準備にちょうどいい。
 部屋の物の乱雑さだけでなく、単純に数も心の状態だと言う人もいる。それは猫を全員見送った後、猫のものを片付けた後に実感した。ノスタルジアはニオイでもあるし、重さでもあると思う。大事だからとつい本質的には大事に繋がらないものまで保持し続けると、何もかもが鈍化して停止してしまう。手元だけを照らす物だけが残っているのはいいと思った。手元とは今のことになるから。

 「黙ってればいいのにね。」を黙ってないのが角田さんの物書きの側面だと思う。
 何を感じますか?例えば講座の後のアンケートなんかも、私には結構ツラいもの、劣等感を感じるものだった。角田さんと同じく、ああいった不良キャラ、スポーツキャラとは友達にはなれなさそうだと感じるけど、高学歴で博識で、誰でも知ってるような会社に勤めてて、みんなが聞いたことあるアレを作った人です…みたいな事が言える、つまり角田さんの様な人も、私にとっては劣等感を刺激する苦手な人だった。しかもこちらは好き嫌いではなく、”身分、礼儀、教養、経歴といった自分のレベルの低さをわきまえなければ恥となる”という、教育とか常識という名目で植え付けられた劣等感なので、今でもICUCに行こうと思った自分だけは褒めちぎり続けている。

 圧倒的天才の井上雄彦は目指す気も起きないが、20世紀を代表する芸術家マン・レイなら添える気がする。まさにただの好みの問題。「裕福だったわけでもなく。商業的に儲けることとかを二の次に、自分のやりたい事をやってただけ。」角田さんの好みって結構ここに終着(執着?)すること多い気がする。井上さんだって描きたいことを描いているのは間違いないと思うし、そもそも好き嫌いとは言っても、別に井上さんに嫌いな要素はないはず。ただ商業としてこれだけ大きな動きになると、井上さんただ一人の意向だけで物事が動くということは絶対にないという感覚を外すことが出来ず。芸術家なら「それでは商業として成り立たないので…」「じゃあいいです」と当たり前に言ってしまうであろうその感覚に従いたい。真似したい。その感覚でいいよと誰かに支えて欲しい。──といった感じなんだろうか?
 で、この感覚だと仮定して。間を取り持つ様にも思え、間がどうこうは関係のない全然別物のような人が山本豊津さんなんだろうなと思ったり。

いいなと思ったら応援しよう!