ICUC-143_2023.01.15【出口主義 EXITENTIALISM】ICUC知的好奇心向上委員会
【ICUC知的好奇心向上委員会】の私の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee !
角田陽一郎143「出口主義 EXITENTIALISM」ICUC知的好奇心向上委員会
動画の内容(+文字起こしメモ&感想)
初ライブハウスのこと
おはようございまーす。知的好奇心向上委員会、バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。ええーと、1月15日、ですね。うん──あの、ね。もう皆さん当然ご存知の、高橋幸宏さんがお亡くなりになって。昨日の夜ね、なんか、Twitter見てたらそんなニュースが流れてきて。──いや、悲しいですね。…いやぁー、言葉にならないっていうか。うん、幸広さんのご冥福をお祈りします。
まあね、多大な影響を、たくさんの方が受けてるとは思うんですけど。僕も当然その一人で。YMOから…小学校の時にYMOを聴いてすげぇな!と思って。でね、僕は高1からムーンライダーズファンになって。高1の時にムーンライダーズが10周年でね、ファンになったんですけど、そこで無期限活動休止しちゃうんですよね。
で、翌年1987年に鈴木慶一さんは高橋幸宏さんとビートニクスのセカンドアルバムを出して、ライブをやるんですよね。で、僕はその前年に知った鈴木慶一さんのユニットって事で、あの高橋幸宏さんとやるのか!って事で、高2の時に「仕事人生あんちょこ辞典」っていう本を一緒に書いた加藤昌治くんと一緒に東京田町の駅から歩いて、リンクスティク芝浦ファクトリーってライブハウスにね、行って。ビートニクス、観ましたねぇ。
その時たぶんデビューしてたのかな?サポートで、つまりそのテントレーベルってレーベルからデビューした高野寛さんがね、バンドに入っていたりとかしてましたし。幸宏さんは途中ある曲で煙草を燻らせながらドラムを叩くっていうのをやったりとかして。たぶんライブハウスってのに初めて行ったのはそのリンクスティック芝浦ファクトリーじゃないかと思うんですよね。だからなんかすごい当時大人な気分になりましたね。
で、千葉…加藤くんは船橋に住んでたんで終電間に合うんだけど、僕は終電間に合わなくなって。千葉駅に確か当時一緒に住んでた従兄弟に迎えに来てもらったんだよな、車で…とかね。そんな事まで思い出しますね。
お会いしたこと
その後ね、「オトナの!」って番組を始めて。幸宏さんには…都合3回出ていただいてるんだよなぁ。で、ライブ。「オトナの!フェス」にも出ていただいてるから、都合4回出ていただいてるという意味で言うと、4回お会いしてるんですよね。その都度「ファンです!」って言いながら(笑)
最初に出ていただいたのはたぶんメタファイブの名義でテイトウワさんと2人で幸宏さんと出ていただいて。恵比寿で撮影しましたね。その写真あるなぁ、iPhoneで。一緒に撮った写真ないんだよな、幸宏さんとは。無いんですけど。テイトウワさんと幸宏さんと、せいこうさんとユースケさんの、4ショットの写真とかはあったし。さっきiPhone見てたら幸宏さんをコソッと一人で撮ってる、ワンショットの写真はありましたね(笑) たぶん緊張して、でも幸広さんの写真を収めたくて、ワンショットの写真撮ったんだろうな、きっと。それが1回目で。
で、2回目はあれかな?たぶん、AWAっていうね、音楽サービスを一緒にやってて、そこに告知みたいな感じで出ていただくっていう。幸広さんの単独インタビューみたいなものを撮らせて頂いたんだよな。それは確か銀座かなんかだったかな?
で、「オトナの!」が終わる時の「オトナの!フェス」には岡村靖幸さんとメタファイブという名義で、高木完さんとかが出ていただりとかしてね。ライブやって。うん、自分が主催したライブにメタファイブ出ていただいたのとか、すっごい嬉しかったなー。
それで「オトナの!」が終わって。TBS辞めて。僕は「オトナに!」って番組をMXTVとネットでやるんですけど。で、そこで鈴木慶一さんと一緒にやってるユニット、ビートニクスが新譜を出すというので、またオファーして。幸宏さんと慶一さんで「オトナに!」で喋っていただくっていう。これって前中後編と3つに分けて置いてありますね、YouTubeに。このmireva channelにあるんで、もしよかったら見ていただければ。喋ってる幸宏さんが出ますけどね…
予感がしたこと
うん…なんかねぇ、こんなこと言うとなんなんですけど。昨日とか今日とか、ちょっと僕ね、嫌な予感してたんですよね。その嫌な予感っていうのは別に僕は預言者でもないんだけど。なんかほら、久しぶりに雨が降ってるじゃないですか。どよ~んとした空で。でね、お正月って何日も雨降ってないっていうか。むしろカラッカラなのがこの太平洋側の日本の、典型的な…なんて言うんでしょうね?気候ですからね。そのカラッカラな時になんでこんな雨降るのかなーなんてちょっと思ったりしてね。
で、それとは別にね。ケラリーノ・サンドロヴィッチさんがね。ケラさんがさっきTwitterに書いてたからいいかなと思うんですけど。僕も同じ事を想ってたんですけど。本当に3日前くらいにね、鈴木慶一さんがFacebookの方で「まいった、泣く。」って書いてあって。ちょうどジェフ・ベックが亡くなった時だし、そうかなーとも思ったんだけど。その書き方がなんか嫌な予感を感じさせたりしてね。そんなことを思ったりもしてましたね。
あと、それこそね。6月ぐらいに呟かれてから、結構、比較的SNSには呟いている…ね?幸宏さんって結構呟いてたから。当然秋にやったね、50周年のライブも僕行ったんですけど。幸宏さんはご出演せずでね。大丈夫かなーとか思ってたんですけどね。まさに幸広さんの歌じゃないですけど、「元気なら嬉しいね」じゃないですけどね。
うん、まあそんなことを思ってて。なんか、うう~ん、だから別に幸宏さんがどうこうじゃないんだけど、なんかちょっと嫌な予感がしてて。これを、なんか、どんよりした雨な感じがね。
僕ね、2000…これは、何年?9年?8年?忘れちゃったけど、10年?2008年だっけ?忌野清志郎さんが亡くなられたじゃないですか。清志郎さんもね、病気を患っているっていうニュースが流れて。で、そのニュースが流れて、たぶんずっと闘病されてるんだけど、その後ニュースが消えて。ああ、そういえば最近清志郎さんのニュース見ないなー、大丈夫なのかなーって、確かその年の夏…亡くなられたね、夏に想ったんですよ。そうしたらね、亡くなったっていうのを聞いてね。なんかすごい、ああ!って思ったことがあったんですね。その10何年前に。
だからなんか嫌な予感だなーなんて思ってたところに──うん、昨日の夜、そういうコメントを見てね。なんかすごい…”嫌だな”っていう。単純に”嫌だな”っていう感じがしますね。
3年前に、2020年にうちの親父が亡くなったんですね。そうそう、癌が見つかって。でもなんかもう、まあある意味手遅れみたいな話になって。もう見つかってから1年ちょっとで亡くなっちゃって。で、その時にも色々想ったんですけど。でも親父、一応77まで生きて。だから僕の中で77って一つの…僕の中でですよ?77って一つの年齢としての区切りみたいなものがあって。だから僕も77までしか、MAX77までしか生きられないんじゃないかなーなんて思ったりもしてるし。そういう意味でね、70で幸宏さんが亡くなっちゃうなんてね。なんかすっごい…うん、言葉にならないなってうのがまさにこの事だなーなんて思って。
ちょっとツラインダ
で、今日、朝起きてね。本当は普通に…晴れてたらね、普通にここの、ここを、この場所はLASと言うんですけど。なんでLASと言うかは先週かなんかのYouTubeを見ていただければ(笑) 別にここがLASって呼ぶか呼ばないかとかどうでもいいんですけど(笑)
そのLASで篭ってね。ちょっと先週はちょうど本を書き終わったので、また違う本をちょっと書こうとか。なんなら大学の方のね、博士論文に向けての作業をしようかなーなんて思って。
で、やった上で。天気よきゃね、海まで行こうなんて思ってたんですけど。なんかまた天気よくないなーなんてと思って。じゃあ今日は篭ってるかーなんて思いながら。朝、うん、なに聴こう?なんて思いながらね。まあ、ビートニクス聴くかと思って。1枚目の出口主義から聴くかーなんて思いながら。いや、でもあれだなと。まさにね、最初に出会った頃の、2ndアルバムの『EXTENTIALIST A GO GO』っていう、「ビートで行こう」っていうアルバム。じゃあそれでも聴こうかと思ってね。CDは持ってるし、音源もあるんだけど、Spotifyで、ちょっとだけ課金するのが(笑) なんか、うん、お香典になったらなーなんて。そんな馬鹿なことを思いながら聴いてね。
で、1曲目「TOTAL RECALL」て曲があって。「ある晴れた日に」って曲があって。タイトルとかそんなにはっきり覚えてなかったんだけど、3曲目が「初夏の日の弔い」って曲なんですね。ONCE UPON A SUMMER FUNERALっていうタイトルで。なぁんでそんな弔いみたいな曲が入ってるんだよ、幸宏さんと慶一さん!とか思いながら。なんかそんなことを思いましたね。
この中にね、「ちょっとツラインダ」ってその時のシングルにいなった「ちょっとツラインダ」って曲があるんですけど。「ちょっとツラインダ」じゃないから「ちょっとツラインダ」じゃないよー!とか思いながらね。まあそんな感じで聞いて。まあ──まあ、文章を書いたり、ダラダラと過ごした、どんよりした日曜日だったなーんなんて思っております。
出口と始まりのこと
あのー、ビートニクスで言うとね。EXITENTIALISMっていうのって、existentialismという…実存主義。ハイデッガーとかか。その実存主義の exist の s を取ってEXIT、出口。もじって出口主義って言ってるんですよね。で、僕まさにムーンライダーズと高1で出会って、そのままビートニクスに入っちゃうものですから、EXITENTIALISTっていう出口主義者っていうことを標榜しててね。後に幸宏さんとか、それはそういう様なコンセプトだけども…って言ってたけど。僕はむしろその出口主義っていう主義というものはなんなのか?って、むしろ本人たち以上に哲学的に考え始めたのがたぶん高1の時ですね。出口ってなんなんだ?みたいなね。
「オトナの!」って番組がね、最終かいで終わる時に松岡正剛さん、知の巨人って言われてる、ご本人は知の巨人って言われるのは嫌だ!って言ってましたけど。知の巨人の松岡正剛さんが、いつも番組ってね、「オトナとは?」って聞いたりするけど。「終わりって何だ?って言ったら、始まりを予感されるものだ。」ってことを正剛さんが言っててね。終わりって終わりじゃなくて次の始まりが感じられるものなんじゃないかっていう事を仰ってて。
うん、出口主義ってそういう事なのかなと。現状の閉じた世界からどう出口を探していくのか?逃走論みたいな話とちょっと似てるのかも知れないけどって、僕が勝手に出口主義というのを、哲学を、幸宏さんと慶一さんに代わって考えようぐらいのことを高1の僕は思ったのかも知れないけど。そこから出口主義ってのは僕の中での、ずーっとテーマかも知れないです。もしかしたらテレビとか、なんならTBSテレビの出口を探してたらTBSテレビ辞めちゃったんじゃないかなーなんて思ったりもするというかね。それぐらいの生き方の影響を受けている方々ですね。ビートニクスっていうのは。いや、その前にYMOの凄さとかも当然分かった上で、ですけどね。
それでね。誰かが今日のTwitterに書いてたけど。1994年、5年の、YMO再結成の広告の写真をね、上げてる方がいて。僕もはっきり覚えてるけど。新聞全面広告だったんですけど。ベッドに3人で寝ているというというか死んでいるYMOの写真なんですよね。『TECHNODON』ってアルバムが出た時の。YMOもいつか死ぬ、みたいなこと書いてあったのかな。で、30年前はそんな広告みて、そんなことないよって思ったけど。現実になっちゃうのかってその方が呟いてるのをTwitterで見つけましたけど。
儚いこと
メタファイブもね、メタフィイブもそれこそ2016年の「オトナの!フェス」に出ていただいた時とかにも、1stアルバムを出してるのかな。で、結局去年、2ndアルバム…もう一昨年か。2021年、2ndアルバム出すって言ってたら、東京オリンピックの小山田さんの問題みたいなので発売中止になったりとかして。ライブもね、中止になったりして。で、そのまま去年再発しましたけど、もうこれで終わりだっていう様な感じのことを書かれてたけども。そのメタファイブもね、確か始まった時によく幸宏さんが仰ってたのは、「いつまでも あると思うな メタファイブ」って言ってたんですよね。うん…だから今聞いとけよ、メタファイブっていう意味で幸宏さんは仰ってたんだと思うんですけど。
なんか幸宏さんの中でそういう儚いというか、いつまで続けられるのか?みたいなね、なんか想いはずっとあったんでしょうね。死の予感というか、死の恐怖みたいなものをね。まあ誰しもが持ってるのかも知れないけども。幸宏さんはたぶんね、そういうところの気持ちの繊細な方だって自分でも仰ってたし。すぐ落ち込んじゃうんだみたいなことをよくTwitterに書いてましたけど。たぶん僕なんかもそういう意味では同類なので、そういう様なところがすごい…むしろ心に響くから、聞いてたのかも知れないですけどね。
うん、そう。「いつまでも あると思うな メタファイブ」なんて言ってたら、本当に2回目のライブ無くなっちゃったじゃんかよ!幸宏さん!なんて、ちょっと思ったりしてて。
まあね、いろんな方がね、SNSで哀悼の意を表されてましたけども。まあね、僕なんかただのいちファンなだけですからね。でもいちファンなんだけど、結局ね、3回…4回お会いしてるのかな。で、まあライブ行った時にも楽屋とかにもちょっと挨拶したこともあるから、たぶん5、6回はたぶん直接お会いしたこととかがあるんだと思うんだけども。うん…なんかね、うん…、なかなかきますね…。
聴き続けること
あの、ムーンライダーズのね、ドラマーだったかしぶち哲郎さんが無くなった時、2013年、すごいショックでね。2011年にムーンライダーズが無期限活動休止して。それから──その前にね、1回病気でお休みになってたかしぶちさんが亡くなっちゃったってのを急遽聞いて。聞いた時には本当にショックでね。で、それでかしぶちさんのお葬式の時にみんなの言葉を集めてたマガジンみたいなものを出すって言うんで、そこに僕も一文書いた事があったんですけど。
その時書いたのはね、まあ、みんな死ぬじゃないですかっていうか。全員、みんな死ぬじゃないですか。で、僕も死ぬわけで…って思った時に、好きなアーティストが亡くなるってことはすごい悲しい事なんだけども、でもまあ、ぶっちゃけ僕より年上だしと。うん、じゃあ、普通にいけばですよ?僕が早めに死んじゃったら別だけど、普通にいけば僕の人生の中で僕より年上の方のアーティストっていうのが亡くなるという経験をすることになるんだろうなっていうのが必然だとして。そうするとそれを悲しんでいるというより、その方々の作った作品を聴きまくってやるぜ!みたいなことを書いたんですよ。その文章の中で。聴き続けようと思う、みたいなね。
そう思う時にね、なんかすごく悲しんでる場合じゃないぜって思ったっていう。…いや、悲しいんですけど、そう思ったっていう事を書いた事があって。
メメント・モリとメメント・ヴィータのこと
で、ちょうどね、本当に昨日か。藤原新也さん、写真家の。展覧会がね、世田谷美術館で祈りっていうタイトルでやってて。で、若い頃からの写真だったりとかから最新のまであるんで。昔インドに…インドを回った時の写真とかも出てて。
で、その時に藤原さんが言葉を添えながら写真が展示してあるんですけど。どんどんガンジス川のところで死んでいくんですよ、人が。で、それを燃やしてね。で、「人が燃える灯りって、夜に燃えてる灯りって、60ワットの電球が2時間燃えてるだけなぐらいの明るさでしかないんだ」みたいなことが書いてあったりしてて。ただこう、それがこう、どんどん野犬とかが食べたりしててね、その死骸を…みたいなのを見てた時に、死というものが毎日毎日繰り返されてて。なんか死が怖く無くなったんだみたいなことがその文章に書いたりしてたんですよね。
で、僕は単純にそれを読んでね、今Twitterに上げた文章を読むと。
ってことを書いたんですけど。なんかね、そんなことを思ったんですよ。藤原新也さんの写真を見て。素晴らしいなと思った。そうそう、そこで展覧会の図録買っちゃいましたけどね。「メメント・モリ、死を想え メメント・ヴィータ、生を想え 藤原新也50年の壮大な旅」って書いてありますけど。
まあ…そんなことをね、すごい想ったんですけど。さっきかしぶち哲郎さんが亡くなった時に僕が言った言葉みたいな意味で言うと。なんかその人の死というものに感じた…、死を感じることで、むしろ勇気づけられるってことがあるのかなーなんて、こう──いや、分かんないですよ?そう思おうと、思おうと思うことが大事かなってちょっと思ったりしてね。
だからこの幸宏さんのね、死というものをね、自分の中では「よーし」と思ってね。それで悲しんでる場合じゃ無い、俺もなんか作らないと死んじゃうじゃんと思いながらね。…想って、そう。ちょっと一文頑張って午後は書いたんですよね。なんかななかな書けなかったんですけど。全然関係ないやつですけどね。ちょっと自分が思ってることを文章に書くみたいなことをやって。なんかそんなことを思ったりします。
未来と時間のこと
それこそね、昨日上げたインスタとかにはね、書いてるんですけど。でもこれはまだ幸宏さんの訃報を知る前に、単純に書いたんですけど。結果、なんかすごい想いがシンクロしてるなーと想ってさっき読んでて思ったんですけど。
って書いたんですよね。なんかそんなことをね、思ったのはね、…ああ、ここもう1個足してるんだな。
って書いたんですけど。それってね、先週の、だから…3連休ぐらいまではずーっと篭って文章を書いてて。やっとこの火曜日くらいから仕事をやり始めたので、結構忙しいなと思いながら。なんか収録とかだと来週こういう収録をしようとか、再来週こうしようみたいな、どんどん未来のことを考えるじゃないですか。で、どんどん未来のことを考えてたら、気づいたら金曜日になってて。火、水、木、金って。あれ?来週のこと考えてたら今週終わっちゃったじゃん!と思っちゃったんですよね、その時。
だからなにか未来の予定を立ててると、その未来の予定までの日にちってスピードアップしていっちゃうんじゃないかなーなんて思ってたんですよ。だからこんな事書いたんです。
うん、だから、その幸宏さんの死から出口主義みたいな意味で言うと。出口という…、出口を探してるとね、時間はあっという間に過ぎちゃうのかなーなんて思うと、実は出口主義って、出口を探し続ける人生なんだけど。本気で探さなくていいんじゃないかなーなんて、ちょっと思っちゃったりしましたね。
なんかグルグル──いや、どうせ月日が経って、時間が過ぎて。まあ、自分が死ぬんであるならば。なんか翌週のこと考えて今週が終わってるっていうのって、なんか虚しいなーて、ちょっと思ったんですよね。だって翌週のことを考えるって、翌月の事を考える…、翌年のことを考える……。じゃあ5年の後のことを考える、10年後のことを考える、20年後のことを考える、で、30年後のことを考えるみたいになった瞬間に、あれ?もう自分いないんじゃないかなーなんて、ちょっと思っちゃったりするじゃないですか。なんかそれよりも、その瞬間を、出口を探しながらもね、四苦八苦してる方がいいのかなーなんてちょっと思ったりしたんですよね。だからそんな事を書いたんだけど。
なんかそれが僕の中でね、幸宏さんがコンセプトにしてたビートニクス、出口主義みたいなものの、僕的な、16歳の時から「出口主義とは何か?」を考え続けてきたいちファンとしては。──出口主義とは、出口を探すのにもがく事であって。出口から出ることではない。──みたいなことなのかなーと。だって出口から出ると死んじゃうじゃん、みたいな。ゲームオーバーみたいな。だったらゲームオーバーしないまま、ずーっと下手なゲームをやり続けるでもいいのかなーなんてちょっと思ったりした…みたいなね。そんな事ですかね。うん。
はい。また、まもなく来週が始まりますが。んふふ!うん、でもまあ本当に、そんなに考えるのやめようかなーなんて。考えても、考えなくても、月日は経つんだったら。考えてると早いんだったら、考えない方がいいんじゃないかなって、ちょっと思ったりしてね。はい。いつもこのICUC、暗いですが。今日はもう幸宏さんのせいで。せいで…って言っちゃお。ちょっと暗くなっておりますが。でも本当にお疲れ様でした。うん。ゆっくりお休みください、幸宏さん。ということで、今日の配信、終わりにしたいと思います。
文字起こし後の文字寝かし
幸宏さんはケラさんにも角田さんにも、虫の知らせを寄越してくれたんだろう。
私の祖母の散骨の日、散骨だから船に乗らなきゃいけないのに、ずっと雨が降っていて。それで葬儀屋さんが仰ってたのは、雨の日は龍神様が亡くなった方を想って泣いておられると言われていますと。晴れなら晴れ晴れとしてよし、雨なら雨で言いようはあるもんだと思ったけど。わーっとニュースが流れた1月15日は、日本は全国的にどんよりと曇りか雨。日本全土で哀悼の意を天気が表してくれたようにも感じる。
私みたいな芸能関係はかなり疎い人間でも、もちろん高橋幸宏さんというお名前は角田さんがいたからこそ最近覚えたのは確かなんだけど。YMOは yellow magic orchestra の略だとか、名前が分からないけど聴いた事がある曲はたくさんあって。今は多くの人が思い出して曲をかけたり、私のように頭の中で思い出した曲が流れて来たりして。ものすごく多くの人の心の中を曲が駆け巡り、鳴り止まない。そんな風に多くの人が弔う形になっているんだと思う。素敵な弔いだと思う。
私は、今の自分の生活スタイルは大丈夫か?と思うほど、未来のことを考えていない。いい意味でじゃなくて、悪い意味で考えてない部分もかなりある。
週に3回、16時になったら運動屋さんへ行く。週末になったらスーパーに買い物に行く。文字起こしする。あとは1.5ヶ月に1回、美容院へ行く予定があって。イベントに行くとか、オンライン講義を受けるとか、友達に会うとかって予定は全部まとめてもひと月に1、2回。それ以外は寝て起きたら、今日は何をしようかなと思う。何を作ろうかなと思う。どの続きから手を付けようかなと思う。飽きたら別のものを作り、寝るまで作る。猫の生活サイクル+α程度の生活。
先日ふと自分に夢はあるか?ということを思い出した。寿司特を一緒に観に行ったヒロさんは夢がたくさんあるんだそうだ。せいちゃんはハッキリ言ってなかったけど、1つ2つは持ってるように感じた。でも私には無いと思う、としか思えない。
「あなたの夢は何ですか?」「夢ってなんですか?」こんにゃく問答になる。もともと夢と想像と妄想にはそんなに違いがあると思えないので、こうなりたい未来が妄想で、実現のためのステップを組んでいくことが煩わしい。だから本来ならヒロさんのような、そういうステップをどう組んでいくか?を考えることが上手な人とはそりが合わないのではないかと思う。だって私にはステップを組む気が全然起きないから(といういか、ステップの方向を決めるための深掘りが出来ない。)、相手がイライラしそうで、そう思うとこちらはハラハラしてしまって。
未来の予定を立てていると、その未来に向かって時間が早く流れてしまう。それって若い生き方なのかも知れない。若い頃は未来に目標だとか、楽しいこととかを見つけて、駆け足で向かっていく。掴んだらまた次の未来へ、どんどん、どんどん、次々に、掴んで走っていく。なんなら掴みそこねて、とりあえずそこに置きっぱなしにして次へいく。もので溢れかえった部屋のようにする。時間が足りないと思うことは大人よりずっと多いだろうけど、それはモノを増やすための時間が足りないのであって、角田さんのいう時間が早いとは全然違う。そもそも足りないのと早いのは違うという、単純にそれだけなのかも知れない。
大人になるとモノを整理する。選び残した簡単に掴めない未来の予定を、そろそろ掴んでやろうか?と。そういう意味では本当に時間が足りないだろうけど、明日や来週の予定、段取りなんていうものは夢を掴むためのステップじゃないから、夢のために時間を使ってないなってことは、大人だから無意識でも分かってしまうんだろうな。つまらない時間は長く感じるけど、何も残らないから早く感じる…ああ、なんだ、それだけのことなんだな。
何というか、やっぱり私には目標がないから残るものがなく、残らないから不安になるということと決別できない。何かが残ったとしても、それが残すべきものだったのか分からない。不安を払拭するほどのモノにはなってくれない。常に生きる事が不安でいっぱいだ。
だけど、今しか見てない部分があって、その視点で見るといつだって幸せだ。周りの人が不憫に思えることさえあるほどに。自分のことは馬鹿だと思っていたけど、最近ポンコツの方が的を得ている気がするのは、そういうことなのかも。
出口とは儚い未来、角田さんは出口についてそんな風に思ったんだろうか。角田さんに出口主義という考え方がなければ、そういう言葉を知らなければ、こんなにグルグル考えてただろうか?いや、何かしら考えてたとは思うけども、少なくとも出口主義の出口から出られなくなってる様にも見えるから。角田さんが出口主義から出ることはたぶんないんだろうと思うし、出口から出たらどうなるのか?を知りたいとも思うし。良くも悪くもこだわりってそういうものなんだ。こだわりを持つなら角田さんの様にキュートに持ちたい。