ICUC-130_2022.10.16【人と話すこと】ICUC知的好奇心向上委員会
【ICUC知的好奇心向上委員会】の私の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee !
角田陽一郎130「人と話すこと」ICUC知的好奇心向上委員会
動画の内容(+文字起こしメモ&感想)
やめてる時は元気がない
おはようございまーす。知的好奇心向上委員会でございます。角田陽一郎でございます。おはようございます。んふふ、今言ったか。えーと、先週はですね、三連休だったんですけど。先週この配信、いつも週末にやってるんですけど、気付いたらやめておりました。結構ずーっと続けて来て。今日で130回目なんでございますが。やめてる時は…元気ないって言うか、う~ん…という時があるという意味で言うと、なんかやめるということにも意味があるなーとは思うんですけど。
今週…先週やめたのって、やめちゃったとすると、そういうやめたの…だからやめたという意味では3回目くらいかな?うん。で、やめるっていうこもも3回ぐらい繰り返すと、もうやめるという事の特別感もなくなりますね。これちょっと面白いなーと思いました。だから最初にずっと続けて来て、結構そんなに話したくないなーって時も続けて来てたんですけど、今年の3月11日の時になんかプツッと切れて。1ヶ月くらいやらなかったんですよね…みたいな事とかあって。その時にはこのICUCをやめるという事にも僕の中では結構意味があったんだよなーなんて思うんですけど。
で、あれ…2回目いつやめたっけな?先月?んふふ!なんか9月とかにもやめてたりして。で、先週。先週やめたのは…やめたけど…う~ん、なんかやめた理由も無くはないんだけども。あ、そうそう。今コメント頂きましたけど。「止め慣れた(笑)」うんうん、そう、なんかやめ慣れたんだなーなんて思ったりもします。
で、ということで今日やってんですけど。んっふっふ!よく分かんない!今日やってんですけど。うぅ~ん、ぶっちゃけそんなに話す事ないんですよ。うん、またこの話す事ないというのは語弊があって。話そうと思えば話せるんだけど、話す必要があるのかなーって最近すごく思ってしまってるので、話すことがないなーなんて思ったんだけど。って事で今日もまた配信しないとですね、2週やめてしまうことになって。2週やめてしまうとそれはそれでやめ慣れたと言われてもやめる事にまた意味を持ってしまうなーなんて思って。なので、今日、朝起きて。なんか天気が久しぶりにいい感じがしてですね。天気が良くて──うん。で、ご飯でも食べて。なんか洗濯でもして。って思ってデスクに向かったもんですから。この気持ちいい午前中のうちに話しちゃおうかなーなんて思って今配信して次第でございますと。
親父を湯殿山へ連れていく
うん。で、なんで先週話したくなかったかと言うと。その前の土日にですね、山形県西川町ってところでロケ行って来たんですね。で、そのロケの前の、前の週とかってちょっとバタバタしてて、なんかすごい、ちょっと体調悪くなってしまって。まあコロナじゃ無くてよかったんですけど。体調悪くなってしまって、なんかすごい疲れてしまって。で、最初にこう…最初と言うか毎週水曜日に大阪で授業をやってるのがこの10月からスタートになってね。なんだけど体調悪いからそれ大阪行って帰ったりしてると死んじゃうなーなんて思って休校にしてしまったりとかしたりしてですね。うん、まあそんなことがあり。それはその土日の山形ロケがあるからってのもあったりしてね。
そう。で、山形ロケはなんて言うんでしょうね?久しぶりにディレクターをやったと言うか。これを見ている皆さんの中ではプロデューサーとディレクターの違いってのはよく分かんないなーって思ってるかも知れないですけど、微妙に違うというよりはかなり全然違う職種でございまして。特に現場とかではですね。で、今回はまあ、あえて僕…あえてと言うか僕がディレクターやるしかないなと思ったので、新しい事だしとか。って事でディレクターをやったわけです。うん、だからそれをやるための体力温存みたいな事があったりしてやってたんですけど。
で、ロケが終わったらですね、なんかすんごい疲れてしまって。久しぶりのディレクターだったからかも知れないし。山形の西川町っていうのはですね、月山(がっさん)、月の山と書いて月山の近くの湯殿山の近く。つまり出羽三山ですか、あと羽黒山。出羽三山の近くで。出羽三山ってね、修験の場所といいますか、いつか行ってみたいなと思って。僕通過したことしかなかったんだけど。
今回はね、月山の麓に行きつつも、泊まった旅館の方が湯殿山の参拝、特別拝観みたく出来ますって言っていただけたので、朝5:30に起きてですね、湯殿山神社にお参りに行ったりしてですね。で、これ写真撮影禁止なので湯殿山の御神体って結構ネットにもそんなに出てないんですね、写真でわーっと検索したけど。ああいう素晴らしい御神体だったんだなと思って。うん、だから本当に皆さんご参拝ぜひおすすめしますけど。湯のね、お湯の殿の山って書きますけど、湯殿山。ああ、本当に湯殿…湯殿だなって思いました。お湯が出てる岩の塊みたいなものが鎮座ましてまして。うん、あれを見つけた、見た古来の方はあれは絶対神様だと思うよなって。うん、いや神様なんでしょうね、きっと。って思ったりしました。
で、そこで朝お参りしたりしてね。で、隣に祠みたいなのがあって、そこで死者を慰めるというか先祖を供養するって書いてあって。紙に濡らした人形(ひとがた)を岩にペタペタ貼っていくんですけどね。で、親父が僕…3年前に亡くなってるんですけど、2020年か。今年3回忌だったんですけど。親父とね、亡くなる前に山形旅行とか行ったりした事とかがあって。鶴岡とか坂田とか行ったりしたんですけど。その時それこそ湯殿山とかは高速道路で通過したんだけど、お参りしなかったんですよね。で、またいつか行こうよみたいな話をしながら。で、その時にお参り出来てなかったなと思ってたら、そのまさに湯殿のところの祠には先祖を敬うみたいなことが書いてあったから。そっか、そっか、つまり親父を連れてくるって事だったんだなーなんて思いながら。うん、なんか親父を弔えてね。親父も湯殿山──その後こちらに戻って来てからお袋に連絡して。湯殿山行って来たよって言って。親父と昔行った事あんの?って言ったら、行った事なかったって言ってたから。うん、ああ、じゃあ行きたかったんだろうなーと思いながらね。まあ、まあ天国で行ってるでしょうとか思いながらも。まあそんなお参りをしたりしてね。
気持ちを持っていかれる
で、そこから朝8:00ぐらいからロケをスタート、2日目のロケをスタートしたんですけど。皆さんはどうか知らないですけど、僕は神社仏閣に行くとですね──で、例えばその神事に参加すると、例えば箱根の九頭龍神社ってのは毎月行ったりしてましたし、月次祭とか。毎年毎年…ああ、今年行ってないや。僕は千葉出身なんで、成田さんの新勝寺のお護摩焚きとかに参加してたりしたんですけど。護摩焚きってね、参加された方は分かるかも知れないけど、ちょっと薄暗い境内の中で護摩を焚かれてる…ちょっと香の匂いがして。で、お経があって。そこにドラとかダーンッて鳴ったりとか、ジャラジャラジャラみたいな音がしながらお経をしてるじゃないですか。だからあそこに僕いるとね、トリップって言うとあれなんだけど、やっぱりちょっと自分の気持ちが持っていかれるんですよね。だからいつも…その時間ってね、本当に30分もないですよね。20分とか15分とかくらいだと思うんだけど。いつもすーごい疲れるんですよね。憑かれるから疲れるのかも知れないですけどね。憑かれてる物が取れるからかも知れないけど、お護摩焚きで。──だと思うんですけど。だから他の神社とかでもね、伊勢神宮とかもそうですけど、お参りとか行くとなんかすごい…行った後すごい疲れるんですよね。うん。
ああ、でもそれって僕が体力ないだけかも知れないけど。美術館も僕すんごい疲れますね。うん、だからもしかしたら神社仏閣で疲れるってのと美術館で疲れるってのは同じことかも知れないですね。なんか美術館もね、それぞれの人のアート作品、絵とかあったりしますけど、作品とか。それを見てるとですね、なんか持っていかれるんですよね。その人の作っているものと言うか、その人の霊魂が宿ってるんだろうな。なんかそういう意味で持っていかれやすい方とそうでもない方がいるのかも知れないけど。
うん、だから何が言いたいかって言うと、その湯殿山にお参りに行ってからすーんごい疲れましたね。うん、あの、裸足で行くんですけどね。裸足で…だから寒いんですよ、すごい。裸足で境内を歩いていくんですけど。で、御神体の近くになるとお湯が流れていてね。で、足が暖かくなるんです。うん、なんかすごい疲れましたね。うん。
で、まあそんなことがあって。それが先週の土日。で、月曜日はこちらに来て、なんかすんごい疲れて。月曜日とか翌日の火曜日とかももうなんか…当然リモート会議とかはあったんだけど、基本的になんかここに篭れたから、ずーっと伏してましたね、横になってたと言うか。うん、なんかそんな感覚が…なんだろう?ロケのせいなのか、湯殿山のせいなのか。せいと言うか、おかげなのか分かんないですけど。まあそんな事があったりしてね。
夜に死に朝に生まれる
さっきから咳き込んでますけど、黙ってると全然大丈夫なんですけど。喋ると咳き込むようになっちゃって。うん。あの、毎年そういう時あるんですけどね。この季節の変わり目というか。ちょっとお水飲まさせて頂きますね。うん、だからなんか色々ガチャガチャ言ってますけど、先週ICUC撮らなかったのって喋ると咳き込むからかなーともちょっと思ったりして。うん、喋ると咳き込むとなんか喋りたくなくなるじゃないですか…と思ったりしてね。
うん。まあそんな事があったのが先週かな。で、なんかそんな事を思ってるからかも知れないけどね。例えば一昨日とかはね、本当に…一昨日だから…木曜日?なんかすんごい色んな事がやる気がなくなっちゃったのかな。金曜日か、うん。すごいやる気が無くなって。で、やる気が無くなって。で、翌日もう寝ちゃって。で、翌朝起きて。で、翌朝起きたらすごい天気が良くて。そうするとなんかやる気って…ああ、天気良くなかったんだ。天気良くなかったんだけどなんかやる気が出てくるなーと思った時に、こういう事を文章に書いたんですね。
ってまあ、書いたりするじゃないですか。まあだから、これね、コトブキツカサには大人ポエムとか揶揄られましたけど。まあそんな事を書いてるじゃないですか。で、書いて。僕はSNSにTwitterとインスタとFacebookに同じ文章を上げてるんですけど。そしたらFacebookとかだとね、それを知り合いの方が見るじゃないですか。そうすると何かね、コメントとか頂けるところに結構クリエイターの方の”いいね”みたいなのが多いんですよね、その職業柄。
だから1人ね、テレ朝のプロデューサーさんが書いてて。コメント頂いて。「同じような状態だったので角田さんのポストで生き返りました。夜に死に朝に生まれる、心に刻みます」って書いてあったりして。そっか、だから…ね?年齢も境遇も違うけど、まあ同じモノを、何かモノを作ってるという時って、なんかそれが上手く行かないからとかじゃなくて、なんかすごく投げ出したくなる時ってありますよね。僕はなんか作る事を投げ出したいといよりは、なんか色々関係性みたいなものがぐにゅぐにゅグニュグニュしてくるじゃないですか。ぐにゅぐにゅって悪い意味のぐにゅぐにゅじゃな無いんですよ。うん、そうすると何かこう絡まっちゃったりしてる糸とかを1個ずつ解きほぐさないとほぐせないなーなんて時に、パシッて切っちゃうか!みたいな風に思ったりする時ありますよね。だからその前日の金曜日の夜はなんかそんな風に思ってたんだな。うん。なんか、そんな事を思ったんだな、この日は。
人と交流すること
うん、なんかね、その日はあれなんですよ。ちょうど金曜日、…結構咳き込んでるんですけど、ちゃんとソーシャルディスタンスを取って、今、自由大学で発展途上人学ってのをやってて。色々話してたんですけど。うん、それってつまりその前の週の山形で西川町ってところでロケした時に町長の取材だったりしたんで、結構役場の方と色々会ったりとか、町民の方と交流しますよね?で、出演者の方とも交流するし、スタッフとも交流するしっていう意味で言うと、全然すごい良くして頂いて、そこには何の不満もないと言うかむしろ感謝しかないんですよね。うん、で、面白かったしロケも。
なんだけど、人当たりがやっぱりしますよね。うん。だからさっき神社仏閣は疲れますねって話しましたし、一方で美術館も疲れるねって話をしましたけど。人と交流することってのはすごい疲れるんだなっていうことを思ったりしますね。うん。
で、それってこう…なんて言うんだろうなぁ、人と、人から情報というか情念というか、なんかそういうモノを受けるじゃないですか。で、それを受け流せばいいんでしょうけどね。受け流せばいいんでしょうけど、神社仏閣の加持祈祷ってなんか受け流さないですよね?美術館だと別に受け流してもいいんだけど、受け流すなら観に行かなきゃいいじゃないですか。やっぱり観にいくとその作品1個1個をやっぱり自分が受け止めるんでしょうね。で、ロケなんてのもまさに誰かが起こしたアクションとか、誰かが喋った言葉みたいな事をちゃんと受け取って、それをどういう風に今度はアウトプットする時にって考えてるから、その入ってくる情報をすごいぐるぐるぐるーって、すごい考えるんでしょうね。考えるって言うか、もうちょっと、考える以上に精神的なことかも知れないですけど。そうすると自分の中でバーストすると言うか。ブレストするとバーストすると言うかね。なんかそんなような事かも知れないですね。うん。
野田地図
あとね。そんな事を思いながらも──なんか、例えば木曜日。だから水曜日に…月・火と調子が悪くて結構伏してて。で、水曜日に大阪に行って授業をやったわけです。で、授業をやるってのもまたアウトプットを結構ワーッとするわけで。で、その日にね、関西の方をご飯を食べたりしたりして。で、翌日。木曜日は夕方から…夜か、野田地図(NODA MAP)、演劇のね、劇団の野田地図の『Q:A NIGHT AT THE KABUKI』を、東京じゃなかなかチケット取れないですからね。関西だと結構取れたりして。
去年も『フェイクスピア』ってのを観て来たんですけど。野田地図は、野田秀樹さんはね、夢の遊眠社の頃からと言うと語弊があるな、夢の遊眠社の解散公演を最初に観たんだよな、実は。うん、もう大学生で解散するって言って、観て。で、自分が社会人になるぐらいから野田さんは野田地図を始めますけど、『キル』からね。『タトゥー』とか。結構、全部とは言わないけど大体観てて。
で、今回も観たいなーと思って観たんですけど。松たか子さん、うん、主演で。あと広瀬すずさんとかも出てて。志尊淳さんとかも出てて。いやぁ、素晴らしかったですね。素晴らしかったって言うかね、これ、素晴らしかったって…野田さんの演劇を観ている方はどう思ってるのか分からないですけど。まあ、こう言うとなんだけど、よく分かんないんですよね。すごい掛け言葉というか。なんかこうどう…なんて言うんだろう?見立てると言うかね。それの連チャンだから。
で、そんな中で、でもすごい身体活動が活発な舞台で。で、言葉の、言葉遊びがたくさん早口でがなり捲られて。その中の言葉になんかじ~んと来てしまうみたいな事がたぶん野田秀樹さんの演劇のすごいところだと思うんだけど。なんか去年の『フェイクスピア』もそうだったんですけど、なんかすごい…、今日は神社仏閣の話をしてるからじゃないけど、神の領域まで来てるなーってなんか思っちゃいましたね。
なんか…分かんない、僕がそういう風な年齢になったのかも知れないけど、なんか20代の頃は30代の頃観てた時はもうちょっと構造で観てた気がするんですよね。ああ、今回はこの話とこの話──例えばじゃあ野田地図の初演の『キル』っていうのは、モンゴルのチンギスカンの話なんですよね。で、キルって、だから…仕立て屋さんなんですよね。服を着るみたいなののキル。で、服を作っている人たちなんですよね、ミシンとかで。で、一方でキルってのは殺すって意味のキルとも掛けてるみたいな感じの掛け言葉でやってますけど。
うん、今回ので言うとね、ロミオとジュリエットともまた掛けてあって。ロミオとジュリエット…うん、なんか──ダメだ。こういう評論出来ないんだよな。すげぇ!としか言えないから。うん、出来ないんだけど。そう思った時に──うん、なんて言うんでしょうね、こう、自分がこう、さっき読んだね、「昨夜は何もやる気が無くて、性根尽きて、」みたいな事とかってちょっと言いましたけど。あれだけの作品を作ってる野田さんとかはどうなんだろうな?なんて、ちょっと思ったりしますよね。それこそね、「鎌倉殿の13人」じゃないですけど。三谷幸喜さんとかね、あれだけのすごい作品を作り続けて、作り続けてて。性根尽き果てないのかなーなんてちょっと思ったりしますよね。うん。いや、尽き果てながら…もう寝ちゃったりして。翌朝作ってんのかなーなんて思ったりもするし。いや、僕ら常人には理解出来ない領域なのかなーなんて思ったりもするし。その辺は分からないですけどね。何が、何が正しいと言うか。何がどうなのかはね。
この動画を今観てもらう意味
ただ、なんか、僕の中での月曜日・火曜日ぐらいの性根尽き果ててたのか、木曜日の夜に野田さんの芝居を観てちょっとだけ救われるっていうのがやっぱりあるなーと思うと、実はその神社仏閣で加持祈祷で魂奪われるとかってのもそうだし。ミュージアムで作品に心を奪われるってのもそうだし。うん、なんかそういう芝居とかを観て心がこう…跳ね返っていく感じというかね。そういう事って…すごいなーと思いながら、結局人生って何なのかなーとか思うと、つまりそういう事の繰り返しなんだろうなーなんて思ったりするわけです。うん、だからそんな事を思ったから、さっきの僕の言葉が出たのかな。
っていうと、つまり死と再生みたいなものって…、うん、アップ・ダウンを繰り返していくみたいなこと言うとなんかすごいメンタルケアみたいな話になっちゃうんだけど。なんかもうちょっとこの作品に出会ってやられた!って言うのは、もしかしたら死んだって意味かも知れないし。でもその作品を観て、なんか感じて、また生まれ変わるっていうのは、新しく生を受けるみたいな事を繰り返していくのかなーなんてちょっと思いましたね。
なんか…ね、賽の河原って石を積み上げていくって言いますけど。なんか色々積み上げたものって、でも何かもう嫌だな、投げ出したいなって思う時はきっとそれがガラガラガラッて崩れちゃったって言うか、もういいやーっ!ってなっちゃうって事なのかなーって思いますね。で、それが何でしょうね、まあ、1回寝るっていうのは、前もICUC、ここで喋った事あるけど、死って何かなって思った時って、夜寝て、朝起きなきゃ死ですよね。うん。ってことは、1回寝て、朝起きたってことは、1回死んで、また生まれたって事なんだなって。前もどこかで…ここでか、言ったと思うんだけど。うん、死と再生を繰り返し続けて究極的には死に向かうんだなーなんてことをね。これあの、ちょうど金曜日に昼間にね、それこそある編集者とね、新刊の打ち合わせをしてて。打ち合わせって言ってもまだ全然中身とかが決まってないから、ほぼ雑談をしながら色々話したんだけど。その編集者は自分というものが消えていくというのがすごい怖いんですよっていう話をしてて。で、僕もそういう風に思うなーなんて思ってて。それは何の変化はないんだけど、ただ一方で、なんか、死って実は苦しみ、苦しむ事を、痛いとか怖いみたいなのが嫌なんだろうなと思うんだけど。おやすみなさーいっていうような感じで夜寝て、でそのまま起きなきゃ死って意味で言うと、なんかむしろそのまま起きないって選択肢は悪くないんじゃないかなって思うって話をその編集者さんとはしたんですけどね。はい。
で、そんな中で、そういう想いみたいなものっていうのを今喋ってますけど、どうやれば本になるのかなーみたいな話をしてたから、その夜にはこういう事を呟いてしまったのかなーなんて思ったりもします。
で、なんかね。瑣末な、ちょこちょこした嫌な事とか、やらなきゃいけない事、懸案事項みたいな事があるけど。昨日は寝て起きて、もう再生だから、まあ1からまた積み上げていくかと思って。まあちょこちょこやってたら、それは実際やり始めるとちょっと解決することとかってあって。解消されることとか。だからやる前は出来るかなー?みたいな事と言うか、なんかそういう事で結構苦しんでることも実際やったりすると意外に容易く行けるなーみたいな事もね、感じたりもして、うん。
だから昨日はスタッフとね、色々作業してたんですけど。うん…、なんかね、AtoBtoCっていうのを今やってますけども。そこの動画もやっとアップ出来たしね。釈徹宗さんっていう宗教家の方と──ホントすいません、咳が。もう間も無く終わりにしましょう、こんな咳き込んで来ました。喋ってると咳き込んじゃうんだけどね、本当にすいません。その釈さんと今あえて宗教を考えるっていう回をアップしましたので、ちょっと観て頂けるとね。なかなかすごい話をしてるんじゃないかなと思います。
で、今日アップしまーすって文章を送ったら、釈さんからね、「ちょうどこれを話した時にはまさかこれほど宗教が話題になるとは思いもしなかったですね」って。「この動画を今観てもらう意味は大きくなったかも知れません。」って。まさにオウムの話とかね、オウムじゃなかった、統一教会の話とかね。オウムの話はそのAtoBtoCの中でしてるんだけど。まさに統一教会の話とも関連してると思う、はい。観て頂ければと思います。
はい。なんかいつもながらにそんなに中身もないまま自分の想いをつらつら喋っているICUC知的好奇心向上委員会でございました。また来週よろしくお願いいたしまーす。
文字起こし後の文字寝かし
持っていかれやすい人とそうでない人。私はそうでない人かな。だから角田さんが持っていかれやすいとすると、どうしたら角田さんのような体験ができるだろうか?というところで悩んでしまう。そもそも同じ体験をしようとしなくていいのかも知れないけど。
読書はゆっくり読めばいいでなんとか納得できたけど、旅に行くことの大事さみたいなものを聞くと、どうしても旅行嫌いな私としては「うぅ~ん、なんか、ツラい…」と感じていた。で、旅行は観光とか慰安的なもの、角田さんの言ってるのは旅、旅なら私もしたいと思えたので、やっと納得できた。神社より美術館の方が持っていかれやすそうだから、美術館から体験を重ねて行ってみるか。
持っていかれるとは心ここに在らずってことだと思うけど。普通は気がかりな事があって、目の前のことに集中できないってことだけど、この場合、角田さんの心はどこへ行くんだろう?と考えていたら、左脳が右脳へ迷い込んで面食らってるイメージが湧いてきた。でもインプットとアウトプットって感覚的なもの(右脳)からロジカルな形(左脳)にして出してくると思うから、そんなに外れてない気もする。
「湯殿山に行ってからすんごい疲れた」になるほど、納得。そういうことだったのか。ディレクターやるぜぃ!ってツイートは最近では珍しい元気とやる気に溢れたツイートだったのに、その後はシーンと静かになり、メルマガを読んだら、もうこれは今週のICUCはないなと確信。先週の体調不良で文字起こしが遅れたために出しっぱなしにしていたキーボードやペダルを片付けた。でも今週はICUCがあった。表情は晴れていた。それだけで十分嬉しい。
喋ると咳き込むのはどうしてだろうか?やっぱり喉が乾燥するのか?カウンセリングを受けた後から咳き込むようになって止まらないという友人がいた。環境が変わるというストレスがかかると咳が止まらなくなる人もいる。そう考えると、角田さんの場合も心因性か?なんて思ってしまう。「話すことはないんだけど…」とか「最近は話す必要があるのかなとすごく思っている」と思いながら話してることが、何かしらを外へ出すという負荷、ストレスで、それで咳が出るんだろうか?配信があったらすごく嬉しいけど、そういう意味では止め慣れることも大事にして欲しいと思う。
先日Facebookでちょっと驚いたことがあった。Facebookがイケミチコさんを知り合いじゃないですか?と推してきたので、Facebookもされてるんだなーとフォローしたところ、イケさんからメッセージが届き、その後友達申請があった。角田さんの投稿にコメントしたテレ朝のプロデューサーの方の後には、イケさんは「WOW」と拍手してる女の子のスタンプ送っている。こういう距離感で接してくれるアーティストなのか…カッコ良くてチャーミング、とにかく素敵だ。誰かがフォローしようものなら誰だ?!何の用だ?!と疑心いっぱいの自分の余裕のなさよ。
そういう余裕のなさのせいだろう、今日は知らない人から私のここがこの様にだめだと評価をされてしまい、すごく疲れた。お相手の方はちょっと手助けした、いい意味で発破をかけた気なんだろうけど、私は品のない人だなと思った。文字寝かしは勝手に感想を書いている。一方出来だからこそ、だからそういう点には気を付けないといけないなと改めて思った。
夜に死に朝に生まれる。陰陽だし、スパイラルだし、継続と中断だしと色々なものが思い浮かぶ。好きな漫画に夜に死んで朝に生き返る人が登場する話がある。主人公はそれを治すことに成功するも、本人は「目が覚めても昨日の続きが待っていて、目の前に広がる膨大な時間に足がすくむ。一日で生死を繰り返してる間は、一日一刻が息を呑むほど美しく、いつも心が満たされた。」と言って、再び一日で生死を繰り返す方を選んでしまう。
一生、生きることは息を呑むほど美しい。だから「日が暮れるといつも満たされて目を閉じられた」。人生で後悔することは出来なかった事ではなくしなかった事だと言うけど、私も満たされて目を閉じたいなーと思うと、逆に何をしておけば後悔しないかと心配になってしまう。
最後に、主人公は病から助けようとした人が、これからの厳しい生活を前に途方に暮れているところへ「お前には膨大な時間があるから、1つづつ普通の暮らしを手に入れろ」という内容のことを伝えるて話が終わる。時間の長さと短さの良さを両方考えさせられる。大変な時こそ…あれ?難しいな。夜に死に朝に生まれるから耐えられるのか?時間がたくさんあるから心配いらないのか?