映画「永遠の門」の、イマイチだという評価を見て、だから、良かった。
あつぎの映画館kiki。座り心地が良くて癖になる。
今日は鑑賞者3人だったのはすごく気になるけど、映画館全体の雰囲気が何とも穏やかで好きです。
ついにkikiの年会員になって「永遠の門」を観てきた。
今朝は友人の投稿で先日行った東博の「出雲と大和」が急遽閉幕、そして東博自体が休館に入ったことを知り、明日が最終上映日だからと待たずに、今日観に行くことにしたから。
もう今日やりたかったことは全部明日でいいや、って。
私はほとんどのことに対して無知なので、何の知識もなく観ることができた。何事も知識があった方が楽しめると思う。でもなくてもいい。
無くてもこの歳で初めてを経験できるからってことで誤魔化す。
映画が始まってすぐ、カメラが横を向いたり、床から撮ってみたり、色んな方向から撮っているのがすごく気になった。誰の目線を表現してたんだろう?
猫?空気?鳥?
しばらくして、彼は、もしかして、目が不自由だったんだろうか?と気になった。画面の下側は水に入ったようにぼやけていることが多かったし、真っ黄色の画面の時もあれば、モノクロに近い画面の時もあった。
どういう表現なんだろう?
子供に石を投げつけられても、耳を切り落としても、腹を撃たれても、とにかく過去のことは覚えてないフィンセント。
信頼できる弟さんのテオに、ゴーギャンに、お医者さんが来てくれて、回復したら、また、ただ描きたくなって描きに行く。それしかない人だけど、神様は不快な絵を描く才能だけをくれたけど、たぶん神様が時間を間違えたんだと言い切る姿は格好いい。
神様と僕は同じで、生きてるときには評価されないんだと言い切る姿は格好いい。
映画館を出て、帰りの電車に乗りながら、気になったゴッホの目のことを検索してみる。やっぱり黄色に見える目の症状はあるらしい。
彼は彼の見たままの景色が好きだったんだろうな。
それから映画の評論も一緒に見た。私が最初に気になったカメラの動きを減点対象にしてる人が何人かいらっしゃった。どうもフィンセントの目線を体感出来るというような触れ込みがあったようで、余計に目立ったのかも知れないなと思う。
でもこの酷評、見といてホントによかった!
あのよく動くカメラは、やっぱり彼の、フィンセントの目が見る目線と、心が見る目線を表現してたんだと思ったから。
黄色かったり、モノクロだったり、ぼやけてしまう視界が綺麗だってことと、体全部で感じるモノがないと絵は描けないってこと。
人間の彼が、その綺麗な綺麗な自然の世界に入り込みに行くのに、人間である部分が邪魔をしてしまうこと。
人間である以上どうにもならないし、かと言って人間をやめたり、距離を取ることも出来ない。人が恋しいし、人から離れられないこと。
だけど自分をキリストと重ね合わせてもいて、そこにおこがましさは全くないこと。
それらをカメラの動きで表現したんだろうと思う。そりゃカメラワークで酔いそうになるし、邪魔だと思うよ。
いつも人間へ引き戻されてしまって。
人間であることが描くことを邪魔したんだろうな。
純粋に生きたんだろうな。
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