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ICUC-041_2021.1.3【気持ちよく寝ること、美味しく食べること】

I see, You see! Intellectual Curiosity Update Committee【知的好奇心向上委員会 ICUC】今週もゆったり知的好奇心のアップデート&趣味の動画文字起こしメインのメモ。

今日の推薦図書
『料理と利他』土井善晴/中島岳志(ミシマ社)

本年もよろしくお願いいたします。
ICUC#41「気持ちよく寝ること、美味しく食べること」
2021年、最初の配信です。
2020年の年末の数日間の出来事と変化した想いについて話しています。ゆるりとご覧ください。

[CAMPFIRE] ICUC 知的好奇心向上委員会

ICUC note「ICUC知的好奇心向上委員会とは?」

ICUC主宰:角田陽一郎webサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

年末の話

 おはようございまーす。知的好奇心向上委員会、の…ぅん?(照) Internatio…(笑)、International じゃないよね、 Intellectual Curiosity Update Committee の1月3日バージョンでございます。
 2021年になってしまいました。たただまぁ、これをアーカイブに残していこうと…いつもその話してるなぁ。でもまあ、2021年1月3日以降に見る人の方が結果多くなるということだとすると、そんなにあけおめ感とか出さない方がいいんじゃないかなーなんて思いながら。思いながら2021年1月3日なので2021年1月3日の私バラエティプロデューサー角田陽一郎がどんな心境だったか?ってことを伝えるという意味では、お正月気分であるならばお正月っぽく喋ったほうがいいんじゃないかなーなんて(笑) 思いながらですね。そんなこと思っております。

年末の発熱

 皆さんはどんな年末をお過ごしで、そしてどんな年始をお過ごしでございましょうか?私はですね、29日かな?…28日…?29日だ、年末の29日の突然37.5°以上の熱が出ちゃいましてですね。突然なんですよ。僕コロナでずーっと篭ってたんですけど。比較的平熱は低い方で36°の前半なので、よく街のゲートにあるピってやつだとと35°代とかよく出ちゃってた人間なんで。ただ29日朝起きたらな〜んか調子が悪いな〜なんて思いまして。だるいな〜なんて思いながら、でもせっかくいい天気だから海まで散歩に行こうかなと思ってたんですけど、なんかちょっとだるいんでソファにちょっと寝っ転がってたんですよ。寝っ転がってて、昼間ちょっと起きて、なんか熱でも測ってみようと思ったら37.5°。「え?!37.5°ってコロナで言われてる37.5°じゃん!」って思いながら、最近寒いんで、この何週間か前に紹介しました肩とかに貼るやつを貼ってるから、そのホカロン、ホッカイロのせいなんじゃないかなと思いながら、結構何回も測ったりしてたらですね、どんどん37.7°とか。38°くらいまで一回出たのかな。「あー、こりゃコロナだ…」と思いましたね。コロナだとすると、年末年始にそんなに出かけようとは思ってなかったですけど、会おうと思ってた人と、それこそ翌日に有名なプロデューサーとちょっとお茶でもしようと言ってたので、どうしようかなーとか思って。当然、解約というかね、リスケしたんですけど。

逡巡と連絡

 それが3時、4時くらいだったんですよね。で、寝っ転がりながら熱っぽいんでボーッとしてたんですけど。なんか対処しなきゃいけないじゃないですか。そうすると対処するって言っても、そうするとなんかこう、発熱センターとかそういうコロナの、都道府県が作ってますよね。そういうところに連絡するんだろうなとかいうことは朧げに思いながらも、ホームページ上で調べるとかやると、なんか気が重いんですよね。
 でね、その前々日くらいでしたっけ?羽田代議士が不幸にもお亡くなりになっちゃいましたけど、あの方もね、1回熱が下がったと思ったらなっちゃったというようなお話をちょうどニュースでまた流すものですからね、夕方とかに。「あちゃー。このまま息苦しくなったらどうしようかな。」と思って。このまま息苦しくなるとどうかなーなんて思うと、息苦しくなってくるし(笑)、今も咳でちゃいますけど、わぁぁこれコロナかなぁなんて思うと咳こんじゃいますよね。
 そうするとですね、私は悪いのか?体調が悪いと思ってる自分だから悪いのか?が、差が分からなくなるという状況に追い込まれるんですね。まあ、私がというか皆さんもそうかも知れないけど。だからそういうパニックというか、状況が悪い時にどれだけ情緒を安定してられるかってのは、結構人間の中での大事なことなんだってことは痛感しつつも、なんかもう調べたくなくなる…。冷静に考えたら29日の3時4時ぐらいなわけだから、ぱっぱと調べちゃったほうが…、だって30日ぐらいからね、医療機関とかお休みになるかもしれないしとか考えると、どう考えてmぱっぱと調べてぱっぱとやった方がいいんだけど…。なんかね、先送りしてたわけですよ。
 で、6時ぐらいになって。夕方18時、熱を測ったら38°くらいあって。「あっ。これはもう風邪というか、少なくとも熱はあるわ。少なくともカイロのせいじゃないや。」っていうこととかを痛感しまして。そうすると急に、さすがにそこまで認識すると、年末年始に入る前にこれは検査なりお医者さんに行った方がいいのではないか?と思って、カチャカチャカチャッっとやっと調べ始めたんですね。で、調べ始めて、私いま東京にいないので、県のそういうセンターに連絡して、状況を説明して、そしたら何分か後にかかってきて、緊急診療所みたいなところを今から探します、あるかどうか分かんないですけどと言われたから、そうですね、すいません、こんな年末にとか言いながらやっていたら、15分後ぐらいにこの海の街の近くの緊急医療センター、診療所を教えて頂いて。車だと15分くらいですね。
 ただ僕、車で行っていいのかな、このまま呼吸困難になっちゃったらどうなんだろう?とか思いながら「ちなみに何で来られますか?」と言うから「タクシーで」と言ったら「ん〜、タクシー…」って。冷静に考えたらそうですよね、タクシーの方が、むしろタクシー運転手さんに罹っちゃうかも知れないですもんね。「タクシーか車…」と言ったら「車の方がいいですね、車で来られるなら。」と。公共交通機関が極めて乏しい場所なので、ということで車で行きました。

診察と結果

 その海の街道のところをね、ドライブ(笑) 夕方?夜?綺麗でしたね。自分は不安なんですけど、コロナになっちゃったかなぁなんて思いながら。で、その診療所に着いて、比較的混んでなかったですね、何組かいらっしゃったけど。看護師さんもお医者さんもすごくよくして頂いて。外で待機なんですけどね。「寒く無いですか?」って何回も声かけて頂いて。すいません僕みたいなのがこんな年末に皆さんのお仕事を増やしちゃってとか思いながらも、本当に恐縮しきりなんですけども。そのままドライブスルー方式ってやつですか、あれで鼻の粘膜を取って。あと一応インフルエンザの検査もやっちゃいましょうって言われてやって頂いたんですね。で、その場で15分くらい待つんですよ。待ってる間…嫌ですね、結果を。まあなんでも嫌ですけど。で、15分くらい経って、抗原検査では陰性だったと言われたんで、ホッとしましたね。だって前日とか前々日とかにも会ってる方いらっしゃいますからね。
 で、一応抗原検査は陰性なんだけども、PCR検査は翌日以降に出るのでまたご連絡しますって言って、そっからこう離れたわけです。で、また海の街をですね、海の夜景を、綺麗なのを見ながら帰るみたいな。隣町までちょっとね、いつか、車なのか自転車なのか歩きなのかはともかく、行ってみようかなーなんてと思ってたのに…行ったことはありますよ、その街には。ただ、ここに住んでからそこの街まで出かけてみようみたいなことは思ってたんだけど、それこそコロナだから、コロナが収束したらだなーとか、論書き終わってからだなーなんて思いながら、一回もやってなかったんですね。で、初めてやったのがその年末のPCR検査だったという感じなんですけどね。
 翌日、陰性でした。だからよかったんです、PCR検査。だから…わかんないです、でも熱出たばっかだから、症状が出てないだけかも知れないし…と思いながらね。
 あともう一個は思ったのは、結果この海の町の方で診療していただいて助かったなと思いました。これで東京の方だと…一瞬、東京でね、自分は東京の方に住所があるので、東京の方に戻るかとかね、色々思ったんですよ。東京で連絡するかとか。あと普通に東京の、普通の私立の医療機関にPCR検査やってるとことかなんか、知り合いも行ったことあるみたいなこと言うので、連絡してここの病院ですって聞いたりして。ホームページ見たらもう29日で終わりですみたいなのとか。結構調べたりしたんですけど。結果この海の街のところでスムーズだったなーっていうのがあったのと、東京でもし混んでる時にね、ご迷惑かけちゃうとなんだなーと思ってたんで…と思いました。

不調で視聴

 そんなことがありましてね。それで、なんかせっかく年末年始に痩せようかなーなんて思ってたんですけど、もうそんなことより、まずちょっと熱っぽい…だからつまり、コロナがなければ毎年の年末の私の一光景でございますね。私いつも年末年始は体調が悪くなるんですよね。なんか仕事納めみたいなことで。そうするとプッと気が抜けると睡魔…睡魔じゃないや、病魔!病魔がヒュッとこう自分の中に入ってくる感じがして。いつも熱っぽくなったりするんですよ、年末年始。それまでは気力でなんとか保ってるのに。そう考えるともしコロナでないとするならば、29日に発熱したってのはまぁ毎年恒例の行事だったんだよなぁなんて思いながらですね。
 で、29、30、31、1、2、今日は3でございますが。基本は、ちょっと海まで散歩は行きつつ。熱がないときはね。ちゃんとマスクして。熱は年内、去年で治ったかな。今年からは…でも、なんかぼーっとしてるんですよね。そんなに調子も…本調子でもないけど。でも本調子でもないんだけど、コロナでもないんだったら、いつもの年末年始の角田であるという状況には変わりないんだけども。だから比較的ぼーっとしながら。テレビをボーッと見てたりとかしてましたね。
 普段そんなに、テレビ作ってた人なんだけどテレビそんなに見ないんですけど。レコード大賞ちゃんと見たりとか、紅白のときは紅白を観るか嵐の最後の解散…解散?活動休止前コンサート「This is 嵐」を観るかか、サザンのライブ観るか、稲垣吾郎さんの「No.9」という舞台の配信を観るか。結構迷ったんだけども、結局、色々考えて嵐のコンサート。観たことなかったんで観とこうかなーなんて思って。基本は嵐のコンサートをPCで点けながら、テレビでは紅白を流し、音量を適宜切り替えみたいな。玉置浩二さんが田園歌ってるときだけはそっち観るとか(笑) なんかそんな、久しぶりに裏表ザッピングみたいなものをやりながら年末年始…じゃないや、大晦日を過ごしたかなーなんて思いましたね。 
 で、お正月。だからニューイヤー駅伝なんかそんなに見たことなかったんだけど、元旦はニューイヤー駅伝をぼーっと見て。昨日は箱根駅伝を見てみて。夜の逃げ恥の前にもう寝ちゃったんだけど、あとで録画で観ようなんて思いながら。あとNHKの「ライジング若冲」を観たりして。面白かったですね。よくできてたりとか。
 あと、そかそか、元旦とかは…大晦日か、義母娘「義母と娘のブルース」一挙放送とかをやってましたよね。で、一日は逃げ恥のやってましたけど。逃げ恥は昔観ましたけど、義母娘って僕はそんなに見てなかったんですけど…面白かったなぁ義母娘。義母娘の脚本家のね、森下佳子、あえて呼び捨てにしちゃいますが、森下佳子は私の大学の同級生で、すごい才能のある今日本一と言ってもいい脚本家でいらっしゃいますが。随所随所に彼女の…彼女、超頭いい女の子なんで、超頭いい感じのやりとりが出てくるなーなんて思って(笑) 森下らしいなーなんて思いながら、漫画の原作にはないところなんだろうなーなんて思いながら観てて。綾瀬はるかさんかっこいいなーとか思いながら、なんか色々そんなことを考えてる(笑) すいません、普通のテレビ評になっておりますが、そんなのを観ておりましてね。

話題とオヤジ

 何が言いたいかって言うと、それを観てたときに、バラエティとか、テレ朝の玉川さんと一茂さんが出てたやつ、大晦日にね、やってたやつをちょっと見たりとかして。まあ緩いバラエティも情報番組とかも久しぶりにちょこちょこ見たんですけど。思ったことは「ああー自分、情報に疎くなってるんだな」っていうことを。疎くなってるというか「ということで話題になった…」とかって言う、年末とかってそういうくくり的なナレーション多いじゃないですか。「ということで今年話題騒然の…」「俺話題にしたことない上に見たこともねぇじゃんそれ」とかいうのが沢山、たくさんあるなーみたいな。
 それって自分が疎くなったのか、自分がおっさんになったのか、…あるいは本当は話題になってないのに話題って言ってるのか。昔の、私テレビマンだった時にナレーション原稿とかを書いてたときに「これで話題の」とかを比較的使っちゃうじゃないですか。それは無意識だと悪いっていう話になって、話すと長くなっちゃうんでその話は置いとくんだけど。無意識的に無意識的にもね。そういうのは話題のって言うのってね、本当に話題じゃないんじゃなかなーなんて、ちょっと思ってたりもしたんですけど、それ自体が分からない。自分が関わってないから。だからこれは話題じゃないのに、テレビが話題ってさせてんだよねっていう風に、裏の目線みたいなものもすでに分からないみたいな。「え?本当なのこれ?」みたいな。そうするとその辺のオヤジっていうか、その辺で…僕もその辺のオヤジですけど、その辺のおっさんと全く同じリアクションをしている私がいるということが分かって。あぁオヤジなんだなあということを実感したのが年末です。
 ところが、若い子が分かってるのかと言って、比較的この年齢の割にはね大学生やってるし(笑) 仕事柄若い子とは結構会うと思うんだけど、若い子と話すと「これ知らないっす」とか言うんですよね。そうすると3つめのテレビが扱ってることってのがそもそも、もうテレビで話題のって言ってるテレビ自体が話題じゃないっていう意味で、もう…、そんなにもう、テレビの方ではこの文化を話題じゃないから話題にしようみたいなレベルをさらに超えて、本当にそんなもんじゃないんだっていうことかもしれない。ネットで騒然とかって、一部の人が騒然としてるだけですもんねと思いながら。そんなことをすごい思ってしまったんですね。

 そんな中でなんかこう、NiziUとか可愛いですね、踊ったりとかしてるのを、初めてじゃないけど観たとか、「香水」とか聴いて、ああこんな曲なんだなーみたいな。なるほど、まあ聞いたことはあるけどなーみたいなこととか。ちゃんと観たのは初めてだなーとか。なんかそういうのチラチラ見てるうちに色んな感情が出て来たんですけど。自分は疎くなったなーってことに不安を感じてたんですね、もしかしたら、前だったら。でも、別にいいや知らなくてもって…知らなくてもというのは、その方、人モノコトにネガティブな印象があるんじゃなくて、むしろ私側が「私みたいな人間が、話題になるものを追う必要があるほどの人間でございません」みたいなことをシンプルに思ったと言うか。もういいです、別に…すいません、いいですっていうのは、そちら側を貶めてるんじゃなくて、僕側を、僕を落としてるんだけど、もうそこに付いて行くのはいいやっていう…いいやって言うのは「そんな下らないものなんか付いて行かないぜ」みたいな上目線と言うよりは、もう追えないっす、みたいな(笑) そんな情報を追えないっすっていう風なこととかを、ちょっと熱っぽい体だったからかそんなこと思ったわけです。

好きなことだけやって生きていくという納得

 でね、これ別に思ってもいいじゃないですか。よくある話だし。それでいいじゃないですかと思っていただけるなら嬉しいですけど…、それを職業にしてるんですよね、私ね、プロデューサーってね。そうするとプロデューサーってやっぱり時流に詳しくなければプロデュースできないじゃないですか。誰をキャスティングするとか、どんな情報取り上げるかとか。ということは、実はそういうことを詳しくないとやってけない職業、別にプロデューサーだけじゃなくてマーケティングをやってる方とか…分かんないですよ?SNSやってる方とか、記者をやってる方とか、ライターをやってる方とかも、本当はそうかも知れないんだけど、世事に詳しくなければやっていけないよなーっていう職業ではそもそもあるじゃないですか。そうすると「もういいよな」と思ったってことは、仕事になんねぇんんだよな(笑)ってことも熱っぽい感じで、寝っ転がりながら、NiziUのダンスを見ながら思ってたってのが年末ですね。
 そう考えるとね、また色々なんか、ちょっと見てたら。例えばですよ、お城に超詳しい研究家の方が出てきたりとか、例えばね、出て来たりすると、お城に詳しいというのは時流に乗ってるときもあるかも知れないけどね、城ブームとか。そういうことも関係なく、その方が好きだからやってると言う意味で言うと、その時流のトレンドに関係なく好きなことだから詳しいという事の方が結果生きていけるんだなーってことをやっと気づいたと言うか。
 そう考えると何かこう、キャピキャピ踊ってるのとかを見た時に、自分が踊れるわけじゃないし、そのキャピキャピ踊ってる方々の映像を撮って編集して番組にするっていうのは僕じゃなくて、少なくとも僕じゃなくて、もっとそういう方が好きな人だったり、そういうのが好きな人が編集して番組作った方がいいなと思った時に、それは僕じゃない方がいいじゃないですかって、ピュアに思ったんですね。
 そうすると、僕は何やればいいんだろうなっていうことを思ったって言うのがこの年末年始。何やればいいんだろうなってのは2種類ありますね。何がやりたいか?って意味と、何をやることで食ってくんだろうな?っていうこととかを考える。これって本当は、もっと、大分前から考えなきゃいけないことなんでしょうね。それがなんか2020で私50になりましたし、なんかやっと気づいたというか。
 今までは何かこう、時流と言うか、その風と言うか、その瞬間の情報みたいなものを自分がどう処理するかみたいなことをやってけば、年齢とか関係なくてもやっていけるんだろうなーなんて思ったけど、その時流の風を感じるということも年を取ってくるとしんどいし、興味もなくなってくるんだなっていうことが分かったとすると、もし自分がプロデューサーをやるとか、プロデューサー辞めてもいいんだけど、じゃあなんで生きていくか?ということとかを考えた時に、生きていくモノってのは無きゃいけないんだなってことを(笑) 皆さん知ってますよね、きっと、そんなことね。僕は分かってなかったんだなってことを分かったというのがこの年末でございますね。

荒野を歩け

 だからそれこそね、えーっと、何日だろう?noteに…29日、まさに29日に書いてる。だからこの日の夜書いて朝起きたら熱っぽかったんだな。【荒野を歩け Walk on the wild side】っていうの書いたんですけど。読みますね。

最近、映像への興味が急速に薄れているのを実感する。文字やストーリーを読んでそれを自分で好きなように脳内で映像化するのは楽しいのだけれど、他者にストーリーをわざわざ映像化してもらってるのをわざわざ見るのがとても面倒で億劫で仕方がない。

自然や絵画はむしろドキドキするのだけれど。

 って書いたんですね。本当そうで、ほら、普通みなさん小説読むの…本が苦手ですみたいな人って文章読むの億劫だみたいな。漫画だったらまだ読めますみたいな。漫画だと億劫でアニメだと見れますみたいなことあると思うんですけど。アニメとか漫画の方が億劫になってきちゃって。ストーリーを追うのが。でも本を読むのはまだ億劫…な時もありますよ?当然。億劫な時もあるけど、まだ億劫じゃないんだよなーなんてことを思ったんですよね。
 ゲームも億劫なんですよね、そう言う意味で言うと。だからそれって僕の年齢的なものだんだろうなーと思うんだけど。億劫っていうか、流れを作られてて、その流れを理解しなきゃいけないじゃないですか。それってさっきの広義で言うと、今この世の中ではこんなの流行ってますよってことを知ってなくちゃいけないじゃないですかっていう、この世の中の流れを知ってなきゃいけませんっていうのとちょっと似てると言うか、この相手のストーリーに乗っかって、このストーリーを体感しなければ楽しめないとか、仕事にならないみたいなことが億劫だなと思うことと、僕の中では映像とかを見て…だから「泣けるんです」って言われて、それ…面倒くさいです(笑) 面倒くさいですって言うのは否定してるわけでは全然なくて、自分が何かを見た時に泣いちゃうとか、そういうことはすごい大事なことな気もするんですよね。自分はむしろそういう感受性は衰えたかなと思うと、むしろオッサンになってすごい泣き上戸になってるし、なんでも泣いちゃうしみたいな。なんか一人の一般の方のインタビューで、ご飯美味しかったとか言ってるの聞いただけでもなんかウルウル来ちゃうなーみたいな風になってるときに、つまりそれぐらいでもウルウル来ちゃう私は、そんな感動のたたみかけるようなストーリー性で泣かしていただくみたいなことがなくても「大丈夫です。十分泣けます。」みたいな風に思っちゃう感覚ってんですかね。なんかそんなようなものをすっごい感じてしまったっていうのが、今書いた文章なんですよね。それで、、、

わかりやすいものが無性に退屈で仕方がない。

というかわかりやすいものを求めすぎてることがこの世界を退屈にしてるんだと(根拠なく)思えてしまう。

でもわかりやすくないと売れないんだもんね、ヒットしないんだもんね、なら仕方がないね、とは思う。

なので自分がその世界に与しないしかない。
こうなってしまうと、どの作品がいいか悪いかなんて、もう自分には最早全くわからない(感じ)。

 うん。そう考えるとね、本当にこれがいいのか悪いのかを判断してるときと、それを人に伝えたいときみたいなものがありますよね、「この映画は観た方がいいよ」とか。今、最早それがいいか悪いかもわかんないっす(笑) 僕が感動したとかはありますよ。別に話が分からないから分かんないんじゃないくて、話が分かった上で、いい話だったんだけどなと。もうなんか分かんないっていうのが、僕の今の気持ちかなーと思います。

こうなってしまうと、どの作品がいいか悪いかなんて、もう自分には最早全くわからない(感じ)。

自分が好きな、感動してしまう、我に還るような、世界を知るような作品はたくさんある。
ただその出会いとその想いだけがある。

その作品が脳内をただ掻き回すような、幼児退行したみたいな感覚。
荒野を歩け、Walk on the wild side って感覚。

いつからか無くしてしまっていた野性を取り戻したような感覚。

目の前にある世界を、それを自分が自分で掴む感覚。

自分の触覚で感じる感覚。

他人に知らされないで、自分で試行錯誤して自分でわかる感覚。

なんかそうした方が、単純にドキドキするのだ。

 うん。ということを思ったんですね。これを書いて寝たら、翌朝ちょっと熱っぽかったっていう(笑) ワイルドサイドに行っちゃったからかな(笑) ”!” そっか!ワイルドサイドに行っちゃった、なんか知恵熱みたいなかもしれないですね、もしかしたらね(笑) そんなような感じが年末の感じでございました。

利他と料理

 で、年明けね…本、紹介しようと思った…今紹介しちゃおう。土井善晴さんの 「利他と料理」これね、今読んでるんですけど、これかなり面白いです。中島岳さんとの対談。リモートで対談したやつみたいです。土井先生はいつも素晴らしいことを気づかせてくれるなーなんて思いながら。これ、哲学書ですね、すごい簡単な。一汁一菜でいいっていう、一汁一菜的な本っていうのがいいなーって思います。まだ全部読み終わってないんですけど、読んでます。
 で、あのー…また今度話すか、あと3分しかないからね。年明けはいつもね、年明けというか年始は今年の目標みたいなものを決めてるんだけど、なんか、それこそ「天才になる方法」という私の本にはですね、2012年から僕の指針みたいなものが、こういうの書いた方が自分で色々できますよーみたなことを書いてね。2012年は指針しか書いてないんですけど、13年には [ LIFE AUTUMN ]、秋の人生みたいなね。もう夏ではないですよとかいう意味ですし、2010年には [ Be INDEPENDENT with My Name! ] 、自分の名前で勝負するみたいなこととか。2015年には [ spiral ] っていうね。で、2016年には [ GROUND TOUR ] っていう、旅をしたいなってこととか。2017年は [ DO IT MYSELF ] 、DIYを自分でやってみたい、色んな意味でみたいな。2018年は [「個立」個で立つ ] っていう意味で個立みたいな。2019年 [ かっこつけていこう ] みたいなことを書いて。2020年はここでも喋りましたけど [ An aritist archives amusements. ] アーティストでアーカイブでアミューズメントがやりたいことだみたいなことをまあ書いて。じゃあ2020年…じゃなくて2021年、私はどうしようかなーなんてことを思ってたときに、さっきの年末の思いみたいなことで言うと、うん、もう、目標とかテーマもいらないやみたいな(笑) はい、もう、別に今年は、来年は分かんないですよ、でもなんか、もう目標みたいなものも要らないんだなーっていう印象でございます。ただダラダラと生きようかなと。ただダラダラと生きようかなというのを…ダラダラと生きるという目標立てちゃうとダラダラしてない気がするんですよね。皆さんと楽しく…分かんないです、楽しくない人ともたくさん会わなきゃいけないのかも知れないんで、楽しいかどうか分かんないですけど。健康に、元気よく。結局ね、気持ちよく寝ることと美味しいご飯を食べるということが大事なんだなって事が、やっとわかった上で、この本(利他と料理)で(笑) 分かったのかも知れないですけどね。はい。あのー

文字起こしメモ&感想

 「少なくとも僕じゃなくて、そう言うのが好きな人が編集して番組作った方がいい。それは僕じゃない方がいい。」似た様なセリフ、しっかり覚えてる。寿司特でコトブキさんが「数を追うのは僕のやることじゃない」と仰った。私がかっこいいなーと思ったやつ。好きという感覚がない人がやった方がいいこともあるだろうけど、それこそガッキーが大好きすぎる逃げ恥のプロデューサーさんとか、前回の推薦映画「ムヒカ」の監督さん、好きでなければ到達できない領域ってあるし、作り手も受け手もそういう領域に達したものって好きだ。見ていて楽しい。
 『「好きなことだけやって生きていく」という提案』のことも思い出した。好きは小さくていいから見つけていく必要はある。そうじゃないと生きにくい。それに、好きが分かるといことは自分のことが分かることだから、たくさん知っておくと何かと助かる。苦労の中で好きを見つけるより、好きの中で苦労したい。そのためには好きを知っておかないとだめだ。

 幼児退行からの荒野って面白いな。とうてい幼児には難しいだろうに。私は幼児退行より野生の感覚の方が分かりやすかったけど、動物をペットとして可愛がる行為を子供の様に見ているとするなら、野生と幼児は近いんだろうな、自分の感覚に鋭く素直であるということで。その感覚を強く鋭敏に保つには、人の敷いたストーリーを理解するより、自分で見つけた方が生き生きするということだ。
 テレビ、あと雑誌とかも、流行の先端・話題になることを発信してるものだったとすると、話題になることを見つける人は実は見つけたんじゃなくて、たぶん追いまくった好きなことをテレビ電波に乗せてたのかも知れない。ヒトの好きは沼にはまりがちで、他人の好きは理解し難い部分が多くあるけど、大雑把に「世の中そう言う人もいる」で片付け可能だった、特に昭和は。
 分かりやすくというのは…最初の最初は親切心だったのかな、視聴率だったのかな、そのうち好きを追わなくてもどこかから話題を拾ってこられる術に長けていったのかな。角田さん、自分の好きを追った番組を作りたいと思ってたし、「オトナの!」がその代表だとどこかで言ってたと思うけど、だから好きを追わない?追わせない?テレビを辞めちゃったんだろうな。きっと学問を、その中でも感性で好きを追うんだろうな。

 久しぶりに思い出したこと。確か最初に思ったのは小学校に上がった頃。誰の目にも空は青く見えてるけど、私の青があなたの青と同じ色かどうか確認はできない。もしかしたら私の青はあなたの赤かも知れない。そうすると、私は世界で一人だけ色がちぐはぐな世界に生きてるんだけど、生まれた時からそう見えてるから、なんにも変に思わない。全くいつも通りの生活。
 「こうなってしまうと、どの作品がいいか悪いかなんて、もう自分には最早全くわからない(感じ)。」これで思い出した。全ては自分の感覚でしかないから、それがいいも悪いもない。人と同じ面白いにもならないし、同じかも知れない。どんなに言葉を尽くしても、感覚、感触、それは一緒のはずだと信じるしかない。でも言葉を尽くしても伝わらなかった時のあの悔しさはなんなんなのか。

 野生と幼児が近しいって、それは猫じゃないか。そうすると野生はいい匂いでふわふわかも知れない。

ICUCは
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(by 角田さん)
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