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母親と私の誕生日

こんにちは。ここぱです。
私にはもうすぐ誕生日が来ます。24日、15歳となり、またひとつ歳を重ねる。

歳を重ねることへの恐怖や嫌悪があると自分の中で思っていましたが、実際は歳を重ねた先にある責任や苦労への恐怖と嫌悪があることに気づきました。

どんどんと、こうして歳をとっていくうちに取り返しが付かなくなってきていると感じてしまうのです。

今死んだら〝まだ〟大丈夫。これまで親にかけた迷惑やお金もチャラに出来る気がする。

こんな不確かなものを胸に抱いていつも生きています。

15歳を迎えてしまえば、あと3年で成人してしまう。

もうそうなったら、完璧に、完全に、全く取り返しのつかない事になりそうで、怖いんです。

14年の歳月を生きてしまっている時点で、もう充分取り返しのつかない自体に陥っているのだとは思います。


ただ、30年近くプレイして課金しまくってたゲームが急に消えるのと
10年近くプレイして課金してたゲームが急に消えるのとではまた重みが違うのではないかと。


お金を沢山稼いで、それを親へ渡して恩返し。
そんなこと、できそうにもない。
14歳なんでまだ若いんだから、そんな悲観的にならないで。
そんな声が聞こえてくる。
でも、私にはわかっている。
将来に対しての漠然とした不安のなかに、一段と大きなハッキリとした不安がある。

このままじゃ、私は誰にも頼れず、頼られず、一人ぼっちで誰にも恩を返せないまま、迷惑だけかけて汚く死んでしまう。

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母親が「誕生日プレゼントはなにがいい?」と、聞いてくれる。
スマホの画面をこちらへ向けて「こんなのはどうかな」と。
見せてくれたのは、カービィのポーチやカーディガンだった。
何故だろうか。それを見た時に流れ込んできた黒いもの。夕焼けに似たノスタルジック。
罪悪感と、明確な理由も分からずに湧き上がる悲しみで涙が滲みそうになってしまった。

母親の中では、私はまだ10歳くらいの幼くて可愛らしい純真な子供なのかもしれない。

見せてくれるものが、あまりにも幸せそうで、暖かな、子供の好むようなものだったから。
キッズ用と言う言葉が似合っていた。現に、あれはキッズ用だった。と、思う。
私が黒い感情を喉元に押し込んで、それが漏れでないように「良いじゃん」と、淡白な感想を一言。

それに、さりげなく傷ついたんじゃないかと、私はまた罪悪感を覚えてこのソファから腐り落ちてしまいそうだった。


誕生日が、こわい。

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